第二怪 天狗倒し

 「空木うつぎ君、今日もヴィクトリアさんのところに行くの?」

 二朔にのり高校一年四組。放課後。やっと今日の授業から解放されて荷物をまとめていたところ、笠酒寄かささきにそんなことを訊かれた。

 「ああ、一応は行ってみるよ。たぶん掃除して室長の与太話に付き合って終了だろうけどな」

 つい最近、『怪』絡みで知り合って以来、彼女はなにかと僕や百怪対策室に寄り付くようになった。

 あまり勧められたものじゃないとはおもうが、個人の意思は尊重したい。いざとなったらどうにかなるだろう。そんな風に考えているせいか、どうにもなめられている気がしないでもない。

 「じゃあ、わたしもついて行っていい? ちょっと気になることがあって」

 「気になること? なんだよ?」

 「あ、わたしのことじゃないから大丈夫だよ。噂だよ、噂」

 「噂、ね」

 なにかしらの珍妙な噂でも仕入れたのかもしれない。

 『怪』絡みならいいが、もしこれが惚れた腫れたの話だったら室長もさすがに専門外だろう。

 その場合の精神的安全は保証しない。

 「いいよ。どうせ断っても来るんだろ?」

 「うん」

 「……なんか室長が移ってきてないか?」

 あんまり影響を受けないでほしい。主に僕の胃痛の種が増える意味で。

 さて、噂とやらが一体どんなものなのかは知らないが、とりあえず室長に報告するのが先決だろう。

 奇妙な話の裏には『怪』が潜んでいることも多い。そういったことは可及的速やかに報告するように言われているのでとっとと向かうとしよう。

 「そういえば、どういう噂なんだ?」

 気になったので訊いてみる。

 「秘密。百怪対策室に着いたら教えるね」

 にひひ、と口の端を曲げて笠酒寄は笑う。

 マジで似てきているからやめてほしい。

 が、そういう思いは顔には出さずに僕はカバンを背負って昇降口に向かう。

 笠酒寄もついてくる(当然だ)。

 「なあ笠酒寄、調子はどうだ?」

 何気ない風を装って僕は質問する。

 「え? なにが?」

 きょとんとしている当人は本気で気づいていないようだ。

 周りに人がいないことを確かめてから僕は小声で言う。

 「指輪のことだよ。ちゃんと人狼の力は制御できているのか?」

 「大丈夫だよ。最近はちょっとだけ変身するとかいうこともできるようになったんだから」

 笠酒寄も小声で返してくる。

 しかし、ちょっとだけ変身ってなんだ? 気になる。

 「あ、じゃあ後で見せてあげるね。なんかね、すごいよ。萌え萌えって感じ」

 意味がわからない。

 あと、その言い方だと僕が変な趣味の持ち主みたいに誤解されそうだ。肉体こそまともとはいいがたいが、僕の精神は健全な高校生男子である。

 「……室長がなんて言うか楽しみだよ」

 「わたしもー」

 嫌味のつもりだったのだが、通じていないようだ。なかなかに強固なメンタルをしているらしい。

 昇降口で靴を履き替えて百怪対策室に向かう。

 放課後に男女が一緒に歩いているということはそれだけで周囲の関心を引いてしまうものなのだが、他の生徒たちは部活動やらに忙しいらしく特に囃し立てられるみたいなこともなく学校から出ることができた。

 こういう平穏さというものが続いてくれないだろうか。無理だろうな。

 どうも最近あきらめの境地に近いものに至っている気がする。まだ若いのに。なんということだろうか。

 てくてくと歩きながらどうでもいい話をする。

 「テストどうだった?」

 「んー。理数系以外はどうにかなったかな」

 「ふーん、理数がだめなのか。じゃあ、僕と逆だな。僕は理数系科目以外だめだな」

 「大体おかしいんだよ! 因数分解とかできても将来絶対何の役にも立たないから! なに? 因数分解って? 記号の分解と展開とかどうでもいいじゃない! 学生時代が終わってから因数分解を使った回数を数えたらきっとゼロの人だっているはずだよ!」

 「そりゃいるだろうけど、学問っていうのはつながりが大事だからな。数学できないと物理も化学も厳しいんじゃないのか?」

 「う。たしかに。で、でも文系科目なら将来豆知識として役立つこともきっとあるはずだよ!」

 「そりゃ、得意な人間はそうだろうけどさ。不得意で豆知識を披露することがなかった人間は因数分解使ったことない人間と同じぐらいはいるんじゃないのか?」

 「ぐぐぐ……空木君って典型的な理系だね」

 「いや、ちょっと考えればわかるだろ。こんなことで文系理系を分けられてもこ困るんじゃないのか? 全国の教育関係者は」

 「なんか空木君って、『所詮この世の中なんて数字と記号できてる』とか思ってない?」

 「いや、流石にそれはな……」

 い、と言おうとして僕は気づいた。

 音がする。

 しかもそう滅多に聞く音じゃない。

 樹木が軋むような、倒れるような。そんな音だ。

 ぎぎぎぎぎ、ぎしぎしぎしぎし、ぎぎぎぎぎ。

 文字で表現するならそのようになる音が突如として聞こえてきたのだ。

 右側には川。

 左側は住宅地だ。

 とてもこんな音が響くようなロケーションではない。

 それに、明らかにこれは大木から発せられる音だ。民家の庭先に生えているような樹が発するような音ではない。

 「……笠酒寄、聞こえたか?」

 「……うん、聞こえた」

 僕の幻聴という可能性はこれで消えた。

 「その辺で大木を切り倒している可能性とかないよな?」

 「わかんない。あ、そうだ。周りに人いる?」

 「?」

 笠酒寄の突然の質問に戸惑いながらも僕はきょろきょろと周りを見渡して人影がないことを確認する。

 「いないぞ」

 「ありがと。でも一応こっそりやるね」

 なにをだよ? と訊こうとするとその変化は現れた。

 笠酒寄の髪がざわざわと動いてピンと上を向いた三角形の耳を形成したのだ。

 「おいおい、なんだそれ……」

 「ほんとは後で見せたかったんだけど、緊急事態だしね」

 まるで上手くいった悪戯を披露する少年のような顔で笠酒寄は答えた。

 そのまま、目を閉じて、なにかに集中する。

 しばらくはそのままだった。

 二分ほど経過して、笠酒寄の頭の上に形成された耳がほどけるようにもとの髪の毛に戻った。

 「やっぱりまわりで木を切ってるみたいなことはないみたい」

 残念そうに言う。

 「まわりってどのくらいの範囲なんだ?」

 「んーと、たぶん周辺五百メートルぐらいは」

 さらっととんでもないことを言ってのける。

 つまりは半径五百メートル圏内ならこいつはなにが起きているのかが音でわかるらしい。

 いよいよもって僕の周りはおかしなことになっているらしい。

 「とにかく、どうも変だ。これは室長に相談しないとな。悪いけどお前の持ってきた噂の件に関してはまた今度ってことで頼む」

 「えっとね、その噂なんだけど……」

 なぜか歯切れ悪く笠酒寄は食い下がる。

 「どんな噂なのかは知らないけど、いまの怪現象を体験したんだからそっちが優先っていうことはわかるだろ? 学生の間で流れているどうでもいい話なんて後だ」

 ばっさりと切り捨てたつもりだった。しかし、笠酒寄は言ってきた。

 「噂っていうのはね、いまの現象のことなの」

 ……ああそうかい。


 2


 ハイツまねくね二百一号室、百怪対策室。いつものセンスを疑う表札のある扉の前に僕と笠酒寄は来ていてた。あれから怪現象には遭遇しなかったのだが、ここに来るまでに笠酒寄に聞いた話によるとこれまでに少なくとも複数人が先ほどのような現象に遭遇しているらしかった。

 僕たちだけではなく、一般人にも広がっているとなると早急に対処したほうがいいだろう。室長は報酬のない仕事なんてしたくない、などとほざくかもしれないがその時にはどうにか説得しよう。

 早速、いつものようにインターホンを押す。

 キン、コーン。といういつもの音。

 数秒してからノイズ交じりの室長の声が聞こえてきた。

 「だれだ?」

 「僕です」

 「ボクデス? そんな名前の知り合いはいないな。嘘つきはそのまま朽ち果てる運命だ」

 「一応は室長の助手ということになっている空木コダマ十六歳ですよ」

 「ふーん、コダマ、ねえ。本当にコダマだとしたらこれから出す問題に答えられるはずだ。いいか? 私が楽しみにしていた伊瀬堂いせどうのシュークリームがなくなっていた。犯人は一体誰だ?」

 なぜか笠酒寄の視線が刺さる。

 もしかして僕を疑っているのか? というか室長の話を真面目に聞かないでほしい。特にこういう時には。

 はあ、とため息を一つ。

 「昨日発売だった漫画を読みながら五個ぐらいは食べてましたよね? あれが全部なんじゃないですか?」

 「ふむ。どうも本物らしいな。どうせ笠酒寄クンも一緒なんだろう。入れ」

 ぷつりと音声は切れる。

 いつものように鍵は開いているらしい。不用心過ぎないだろうか、と普通なら心配するところだろうが、ドアはインターホンを押さないと開かない術式を組んであるらしいので心配無用らしい。そんなことするよりも鍵をかけてくれと言いたい。

 「ほら行くぞ笠酒寄。あと僕を疑ったことは後で謝れよ」

 「ごめんね、空木君。でも女子の甘いものは宝物なんだよ」

 うっさい。

 いつもの外観からは想像できないぐらいに広い玄関を通り一番手前の右側の扉、すなわち百怪対策室応接空間に向かう。

 扉の前に来てからノック。ノックをしたら入っていいことになっているのでためらわずに入る。

 応接室には室長ともう一人の人間がいた。

 長身でがっちりした体系の中年の男性。スーツを着てはいるが、その双眸は鋭い。

 「あ、こんにちは鍵成かぎなり警部」

 「やあ空木君こんにちは」

 鍵成晋也しんや警部。この町の地域課の警部である。奇妙な事件に関して室長に協力を仰ぐのは彼の役目であるらしく、以前にも一度だけ会ったことがある。その事件自体は凄まじいものだったが、今回もその手の類の事件だろうか? だとしたら僕たちの遭遇した怪現象なんかよりもそっちのほうが優先順位は上かもしれない。

 「なんだ? 鍵成警部の顔にビビるのは初回だけにしろ。彼も外見によらずナイーブなところがあるんだから少しは労わってやれ。婦警に散々怖がられて本人も気にしているんだからな」

 「ははは、最近は大分新入りも慣れてきてくれましたよ」

 朗らかに笑いながら鍵成警部は気を悪くした様子も見せない。

 室長の容赦ない毒舌に対してさらりと返せる貴重な人物である。僕ではこうはいかない。

 「で、笠酒寄クンが一緒なのはいつものこととしてもだ。なにか慌てている様子じゃないかコダマ。どうした? 妹がついに禁断の愛にでも目覚めたのか?」

 「違いますよ。室長に相談したことがあったんですけど……」

 ちらりと鍵成警部のほうを見る。

 「どうも先に警部のほうがいらっしゃっているみたいですし、そっちを優先してください。急ぎの案件なんでしょう?」

 ふむ、と室長は何かを思案したようだったがすぐになにかを思いついたらしく、

 「いいから相談事とやらを言ってみろ。もしかしたら同じことかもしれないしな」

 なんてことを言ってきた。

 「どういうことですか?」

 「いいから早くしろ。さもないとキミの面白エピソードを勝手に披露するぞ」

 心の底からやめてほしい。

 こんなところで僕の過去を掘り下げてほしくないので僕は笠酒寄と一緒に遭遇したさっきの怪現象について室長に説明する。

 説明が終わったとたんに鍵成警部が口を開いた。

 「やはり、空木君たちも聞いたのですね」

 『も』とはどういうことだろうか?

 「ふん、コダマだけならともかくとして、笠酒寄クンも一緒だったなら幻聴という線は考えにくいな。しかも他の住民も体験しているとなるとな」

 面倒くさそうに室長は呟く。

 「え? どういうことですか。あれを聞いたのは僕たちだけじゃないってことですか?」

 そうなんです、と鍵成警部が応える。

 「ここ一週間ほどで三十件近くの同じ報告が上がっているのです。地域住民だけではなくパトロール中の警官も聞いていますから確実です」

 年下の僕にでも丁寧な物言いの警部。こういう大人になりたいと思う。間違ってもなにかと毒舌を食らわせてにやにや笑っている大人には絶対になりたくない。

 「そういうことだ。ま、私の予想通りにコダマも笠酒寄クンも怪現象に遭遇したというわけだな。まったく、『怪』に遭遇するまで気づかなかっただなんて、笠酒寄クンはともかく、コダマのほうは私の助手の自覚があるのか? ん?」

 隙あらば僕をいじりにくる室長であった。

 「そんなこといっても『怪』は見つけないと報告しようがないじゃないですか。でたらめを報告したらどうなりますか?」

 「そりゃあもちろん新しく手に入れたマジックアイテムの実験台だな」

 「絶っっっ対に拒否します」

 「けちんぼめ」

 「自分で試してください」

 まったく、室長と話していると疲れる。とっとと本題に入ってほしい。

 「それで、僕たち以外にもあの音を聞いた人達はいるんですよね? どこなんですか?」

 「そうだな、これをみろ」

 そう言って室長はソファの前に広げてあった地図を示す。

 僕と笠酒寄はソファに座ってそれを眺める。僕が警部のとなり、笠酒寄が室長のとなりだ。

 地図には町の全体図が描いてあった。その上にいくつもの×印が書いてある。

 「この×印が樹の倒れる音を聞いたという報告があった場所です。正確な場所とはいきませんが、ある程度の信頼性はあります」

 鍵成警部が指さしながら説明してくれる。

 ×印はかなりの数が存在していた。

 場所もランダムにしか見えない。

 これじゃあ手がかりがないようなものだ。唯一わかるのは『怪』に遭遇している人間が一人ではないということぐらいか。

 「どうしようもないですね。これは」

 思わずあきらめの声が漏れる。

 それに反応して室長が盛大にため息を吐く。

 「おいおいコダマ。こんなに明らかなのにわからないだなんて本当にキミは愚かだな。本分の学業のほうも心配になってくるな」

 やれやれとばかりに室長は肩をすくめる。

 正直イラっと来る。

 「じゃあ室長にはもう何かわかっているっていうんですか?」

 「当然だ」

 「それならぜひお聞かせいただきたいですね。室長の名推理を」

 「推理なんてものじゃない。当然の帰結だ。しかし、ナメクジ並みの思考速度のコダマにもわかるようにしてやる」

 室長はポケットからマジックペンを一本取り出す。

 いつも思うがこのポケットはどれだけの物が入っているのだろうか? そのうちにタンスとか取り出しても驚かない自信がある。

 「こうすればわかるだろう?」

 きゅい、と室長は地図に線を引く。というか形容しがたい図形を描く。

 「……なんですか、これ」

 「円だ」

「「「円⁉」」」

僕と鍵成警部と笠酒寄の驚きの声が重なった。

当然だろう。室長の描いた図形は明らかに円ではない。

ところどころ歪んでいるし、かくかくと折れ曲がっている箇所もある。あまつさえ途中でⅤの字を描いている部分まである。これを円と言い張るには猫をヤンバルクイナと言い張るぐらいの暴挙だと思う。

 だが、鍵成警部は室長の描いた謎の図形からなにかしらの意味を読み取ろうとしている。

 必死の形相がはっきり言って怖い。

 笠酒寄の方はどうもひいているらしかった。

 ここまで下手なのは一種の才能なのかもしれない。

 ……こんな一面は見たくなかった。

 僕もこのおぞましい図形を観察してみるが、どうにも悪魔召喚の魔法陣か拷問用の記号にしか見えない。というかこれから何かを読み取れるやつは病院に行った方がいいだろう。迅速に。

 「……室長、悪いんですけど、これは精神的ダメージのほうが大きくて直視できません。というかこれに関してなにかを考えることを脳が拒否しています」

数秒間、室長は何かを考えていたようだったが、やがてやや機嫌の悪くなった声音で言った。

 「もういい。『怪』はその円の中でしか起こっていない」

 いまだにこの名状しがたい図形のことを円だと言い張っている室長に若干の恐怖を覚えながらも僕は×印全体を見てみる。

 ……確かにすべての×印はこの前衛的すぎる図形の中にあった。

 「発生場所が限られている、ということですか?」

 「そうだ、つまりは場所が重要なんだ。そして範囲が絞られているということはその中に発生源がある、ということだ」

 『怪』の発生源、つまりは元凶。どこだろう。

 囲まれている中にあるのは住宅地、学校、神社、病院、市役所、川、公園、限りがない。

 しらみつぶしに探していくというのは無理がある。どうすればいいのだろう。

 「それだけでは範囲は絞れても特定には至りませんね。ラングナーさん、もう見当はついていらっしゃるのですか?」

 渋面を作りながら地図を見つつ鍵成警部が発言する。

 「ついてる。考えてみろ。聞こえるという音をな。そうしたらここしかないだろう」

 室長は地図の一点を指さした。


 3


 天狗倒しという『怪』がある。

 山の中に踏み入ると、どこからともなく樹の倒れる音だけが聞こえてくるという怪現象だ。

 音のほうに行ってみても倒れている樹なんてものはなく、ただ音だけの現象だ。

 日本全国に広がっており、様々なバリエーションを持つ。

 やはりというか山地に多く、古い言い伝えとしても見られることが多いという。

 「それで、室長。それが今回の件になんの関係があるんですか? それも神社に」

 室長が指した一点は神社だった。

 府明道ふみょうどう神社。

 町中に存在している神社だ。

 とはいっても小さな神社で、神主も他の神社との兼業らしい。いわれがあるわけでもなく、なにかの強力な存在を祀っているということも聞いたことがない。

 ここを指さした後に室長はさっきの天狗倒しの説明をしてくれた。

 なるほど、確かに今回の件は天狗倒しに似ている。しかし、違う部分もある。

 「室長、ここは町中ですよ。妖怪変化が跋扈ばっこする山の中じゃありません」

 「そうだ。だからこそ、この『怪』の原因はここなんだ」

 確信を持って室長は告げる。

 しかし、よりによって神聖な神社という場所が『怪』の原因だというのはちょっと、そぐわない。

 ふさわしくないというか、どうにも納得できない感じだ。

 「はいはーい、しつもん」

 能天気な調子で笠酒寄が先生に質問する生徒のように手を挙げる。

 「はい、笠酒寄クン」

 室長まで小学校の先生みたいな調子で返す。なんだこのコント。

 「神社自体が原因なんですか? それとも神社にあるモノが原因なんですか?」

 「そうだな、笠酒寄クンはいい線いっている。もう少し考えたら真相にたどり着くかもしれないな。しかし、もう答え合わせの時間だ」

 いい線いっているのか。

 笠酒寄の質問はわかる。

 神社そのものが原因だったとしたら、そのものすべてを壊すでもしないと解決はしないだろう。

 しかし、原因が神社の中にある『なにか』だったとしたら? 

 解決は数段容易になるだろう。その原因のモノをどうにかしてしまえばいいだけの話だ。

 「笠酒寄クンに先を越されて傷心気味のコダマは放っておいて、今回の犯人というか原因を教えよう。限定された範囲、樹木の倒れる音、『怪』を起こすような力、となると収束点は御神木だ。恐らくは府明道神社の御神木は限界だ。樹木というモノは長命な種ではあるんだが、いかんせん限界はある。今回の天狗倒しの正体は御神木の悲鳴だな。最後の力で放っているだけのただの断末魔だ」

 「室長、だとしたらおかしいですよ。断末魔の悲鳴だとしたら少なくとも一週間も続いているっていうのはおかしいんじゃないですか?」

 間髪いれずに僕は質問する。

 室長は涼しい顔でそれに返答する。

 「人間の尺度で測ろうとするんじゃない。数百年は生きたであろう樹木だ。悲鳴も長かろう」

 そんなものなのだろうか。

 十数年しか生きていない僕にはわからないが、約四百歳だという室長にはわかる部分もあるのかもしれない。わかりたい領域ではないけれど。

 「では、天狗倒し現象に関しては地域住民に対しては無害という認識でよろしいのでしょうか?」

 職務を忘れない鍵成警部だった。

 「そうだな。音を聞いて不安に思う者もいるかもしれないが、直接的な干渉力はない」

 「それを聞いてほっとしました」

 本当に表情が緩むあたり、鍵成警部も今回の件は結構参っていたのかもしれない。

 つくづく警察官の鑑のような人だ。室長に爪の垢を煎じて飲ませたい。自分は魔術師だと反論してくるかもしれないが、知ったことではない。

 ん? まて。いまちょっと変じゃなかったか?

 「……室長、直接的な干渉力はないっていうことは間接的な干渉力はあるってことですか?」

 気になったワードについて問いかける。

 「そうだ。以前にも言ったように例え偽物の『怪』であっても本物になることもある。ましてや、今回は『怪』そのものは本物なんだ。噂に尾ひれがついてとんでもない『怪』が産まれる可能性もある。最悪、大悪魔クラスが降臨する可能性だってある。そうなったら私の出番ではなくて統魔の出番だろうな」

 それは私の望むところではないがな、と室長は付け加えた。

 統魔。

 統一魔術研究機関の略称。

 魔術について学ぼうとするならば避けては通れない存在。

 世界中の魔術を管理する存在。

 魔術の継承と発展、そして保護のためには手段を選ばない存在。

 出張ってきたらこの町は監視対象になるか最悪抹消されてしまうような、そんな存在だ。

 冗談じゃない。

 「ラングナーさん。これは警察からの依頼として受けてほしいのですが、今回の天狗倒しを解決し、そのような事態を招くことを防いでください」

 どうにかできないんですか! と僕が食って掛かる前に鍵成警部がそう切り出した。

 室長はタダでは他人のためには動いてくれない。依頼という形をとるしかない。

 僕よりも付き合いの長い警部のほうがそれがわかっていたということだったらしい。

 「ふむ、依頼という形ならしょうがないな。わかった。今回の『怪』はどうにかしてやろう。報酬は後で口座に振り込んでおいてくれ。一週間以内にな」

 ひらひらと手を振りながら室長は何でもないように言う。ついでにいつの間にかタバコを咥えて火を点けている。濃厚なチョコレートの香りが部屋の中に充満する。

 「わかりました。それでは私はこれで失礼します」

 鍵成警部はそういって立ち上がると一礼して応接室から出ていった。

 大人だ。

 さて、僕にとっての問題はここからだ。

 「じゃあコダマ。やってもらうことがある」

 ほらきた。

 「神社に行って御神木にこれを貼ってこい」

 ぴらり、と差し出されたのは一枚の札だった。

 短冊状に切られたやや厚めの和紙に複雑な図形と達筆な文字が記されている。室長が作ったものではないということはこれでわかる。

 「なんですか、これ?」

 「ちょっとした札だ。いいからつべこべ言わずに貼ってこい。ああ、そうだ。笠酒寄クンも一緒に行ってくれ。コダマだけだと確認できないからな」

 ? なんだろう。札を貼ってくるだけのことに笠酒寄が必要になってくるとは思えない。

 「わかりました! 空木君、行こ」

 元気よく返事をして笠酒寄は札を受け取った僕の腕を引っ張って出ていこうとする。

 部屋から出るときに室長がこっちを見ずに言った。

 「それとコダマ、頼みが一つある」

 「なんですか?」

 「タバコ、買ってきてくれ」

 「未成年です」


 4


 府明道神社は百怪対策室からは大分歩かないといけない。

 午後六時。

 九月ゆえにまだまだ明るいのだが、真夏ほどの熱気は感じられなくなってきている。

 ……今年の秋は長いといいな。

 年々短くなっていく気がする秋の長期化を願う僕であった。

 「ねえねえ空木君、御神木って大きいのかな?」

 笠酒寄は能天気そうに僕に訊いてくる。

 「さあな、行ったことないから知らないよ。でも、樹齢数百年の樹なんだったら大きいだろ」

 「それもそっかー」

 「……なあ笠酒寄、さっきの獣化だけど、どのくらい制御できてるんだ?」

 気になっていたことを訊いてみる。

 天狗倒しに遭遇していた時に笠酒寄が披露した能力はかなりのものだ。部分的に変身なんてことはそうそうできるような技じゃないだろう。

 「んー、数はそんなにやってないから断言はできないけど、今のところは完全に制御できてるよ。空木君のおかげだよね」

 きらりと指輪のまった左手をこちらに向けてくる。

 中指にはしっかりと服従の指輪が嵌まっていた。

 「その指輪、生徒指導とかには注意されないのか?」

 「見えてないみたいだよ。他の人には」

 隠蔽の魔術を組み込んであるらしい。

 『つまらんことしいのナブレス・オルガ』。作ったものは今一つだが、魔術の腕前は本物らしい。

 その割には二つ名がひどいことになっているが。

 能力と世間の評価は必ずしも一致しないということだろう。

 「外せるのか? それ」

 「外せないよー。たまに困っちゃうよね。飛行機乗るときに金属探知機とかに引っかからないかな?」

 二朔高校の修学旅行は基本的には飛行機に乗る。その時のことを心配しているのだろう。

 「その時はその時でどうにかしたらいいだろ。室長もアフターケアの概念ぐらいはあるだろ」

 「アフターケアも有料っぽいけどね」

 確かに。むしられそうだ。

 がめついというわけではないが、タダでは動いてくれない人物だ。何かしらの代償は必要になってくるだろう。

 代償。そういえば笠酒寄の人狼を解決した代償はなんなのだろうか?

 「なあ、笠酒寄、人狼の解決の対価はなんだったんだ?」

 僕は笠酒寄にそれを訊いていなかった。

 僕の場合は助手として百怪対策室で働くことであり、今回の警察へ求める対価は金銭だろう。

 対して笠酒寄はどうだろうか?

 金銭という線は考えづらい。一高校生女子がそんなに大金をつめるはずがない。

 となると僕のように室長に協力するという方向性だろうか?

 「ひ・み・つ」

 殴りてえ。ちょっとかわいい感じの仕草をしているのが特に殴りたいポイントだ。

 殴ったところで人狼の能力を開放すればすぐに再生するだろうし、反撃でそのまま僕が吹っ飛ばされるだろう。直接的な格闘戦では勝てない。奇襲を成功させないと全開の笠酒寄には僕は勝てない。

 あくまで副次的に吸血鬼である僕と純粋に人狼である笠酒寄とではそのぐらいには差がある。

 とはいうものの、笠酒寄の方は特殊な能力とかはないようなのでその辺は僕のほうに軍配が上がるだろう。

 張り合っても仕方のないことではあるが。

 「わかったよ。まったく、室長の悪影響ばっかり受けやがって」

 「ヴィクトリアさんは素敵な人だと思うんだけどなあ」

 どこがだ?

 あれを素敵と言える奴は脳みそか感性か、もしくは両方が腐っているに違いない。

 現に僕は室長にいじられている回数がそろそろ三桁の中盤を超えそうな気がする。たびたび助手をマジックアイテムの実験台にしようとするのは間違いなくマッドサイエンティストだろう(この場合はマッドマジシャンか?)。

 「でもさー。ヴィクトリアさんが言ってた『確認』ってなんだろうね?」

 それはわからない。

 僕ではなく、笠酒寄をわざわざ連れていくということはなにかしら僕にはできなくて、笠酒寄にはできることがあるということなのだろう。

 それは一体なんだ?

 人狼と変則的吸血鬼兼超能力者の違い。

 前者にはできて後者にはできないこと。

 「わからないな」

 結論はそれだ。

 室長のことだから訊いても教えてはくれなかっただろう。

 行ってみればわかる。

 そんな返答がくるだろう。

 確かに、行ってみればわかることなのだろう。室長がその辺を間違えたことはない。

 この札を貼りに府明道神社に行く。それしかないのだろう。

 「笠酒寄の時みたいに血みどろバトルは勘弁だけどな。札を貼ろうとしたら御神木が暴れだすとかないだろうな。そうなったら僕は真っ先に逃げるから笠酒寄頼む」

 「いいよー。そんなこと言っててもどうせ空木君は逃げないだろうし」

 なんだその見透かしたような言い方は。僕を勝手に見通すな。

 「なんだか誤解があるようだから今のうちに解消しておくけど、僕は自分の命が一番大事なんだ。危なくなったら速攻逃げるからな」

 「じゃあなんで私の時には逃げなかったの」

 「そりゃあ、室長が楽勝だって言ったからだよ。ほど遠かったけどさ」

 「なんだかんだでヴィクトリアさんのこと信頼してるんだね」

 「ぬぅ……」

 論点がすり替わっているが、反論できない。

 女子に口喧嘩を挑むのは愚かなことだと友人は言っていたが本当だったらしい。

 はぁ、とため息を一つ。

 夏休み以来、ため息が指数関数的に増えている。

 夏休み以前のため息の数と夏休み以後のため息の数は拮抗しているんじゃないだろうか? そのぐらいには毎回ため息をつく羽目になっている。

 平穏が欲しい。

 「あ、もうすぐ神社みたいだよ」

 何かに気づいた笠酒寄が前方を指さす。

 ぼろぼろの小さな看板が塀に張り付いていた。

 〈府明道神社。この先五百メートル〉

 『怪』は近いらしい。

 なんだかテンションが上昇している笠酒寄の後を追って僕も続いた。

 六時三十分。流石に多少は暗くなってきた。黄昏時も近い。

 さっさと終わらせるために僕たちは少しだけ早足になった。


 5


 府明道神社は小さな神社だった。

 というよりもこじんまりとした神社、と言ったほうが正確かもしれない。

 巨大な鳥居に迎えられるなんてこともなく、僕と笠酒寄は三メートルぐらいのミニ鳥居をくぐった。

 社のほうも古ぼけていて、どうにかするとみすぼらしく見えてしまうような外観だった。

 しかし、その後ろには大きな樹が存在していた。

 「たぶん、あれが御神木なんだろうな」

 確認するように僕は呟く。

 「そうだね、音もするし」

 「あん? 何の音だよ」

 「倒れる音」

 「そんな音してるか?」

 耳を澄ましてみるものの僕にはそんなものは聞こえない。

 怪訝に思って笠酒寄のほうを見るといつの間にか耳を生やしていた。

 「聴覚強化かよ……」

 「そうそう。人間のままだと聞こえないけど、この状態なら聞こえるみたい」

 なるほど。確認というのはそういうことだったか。

 人間には聞こえなくても、人狼には聞こえる可能性があるということか。

 人間には聞こえない?

 「耳生やす前は聞こえてなかったのか?」

 「うん。聞こえなかったよ。こうなってからやっと聞こえるようになったの」

 笠酒寄が聞こえるというのはわかる。実際に僕たちは天狗倒しに遭遇したからだ。

 しかし、人間の状態では聞こえないのはどういうことだろうか? 何十件も天狗倒しに遭遇したという報告があるというのに。

 わからない。

 しかし、とりあえず今はやることをやってしまおう。

 僕たちは社の裏に回って御神木のもとに向かう。

 近くで見ると巨大な樹だ。

 いや、他を探してみればいくらでもこれよりも大きな樹なんていうものは存在しているのだろうが、こうやって直に対面すると、少しばかり圧倒されそうになる。

 札なんて貼ってばちはあたらないだろうか? 

 そんな弱気な考えまで浮かんでくる。

 されど、やらねば『怪』が深刻化してしまう。それは室長としても僕としても困る。

 ゆえにここは勇気を出して指令を実行するのみだ。

 「さすがに正面に堂々と貼るのはまずいよな」

 誰かに見つかって剥がされでもしたら元の木阿弥だ。

 僕たちは御神木の裏に回る。

 幸いにも裏側は塀ができており、その上雑木林が広がっていた。昔の鎮守の森の名残なのかもしれない。

 さて、あとはもっと見つかりにくく貼ればいい。

 札に意識を集中する。

 後ろでまとめている髪がふわりと浮く感覚が生じる。

 同時に札が僕の手を離れて宙に浮く。

 そのまま御神木に沿って上昇していく。

 「すごいすごい! 空木君の能力を実際に見るのは初めてだよ!」

 「笠酒寄、ちょっと黙っててくれ。集中が切れる」

 しっかり集中してないと僕のこの能力は発揮できない。

 途中で落としてなにか起こってもまずいので一応釘をさしておく。

 札をふよふよと上昇させ、地面から十メートルぐらいの地点で止める。

 この高さならそうそう気づかれることもないだろう。

 そのまま御神木に押し付ける。

 小さな電気のようなものが弾けて、札はぴったりと御神木に張り付いた。

 「あ、音が止んだ」

 「ほんとか?」

 「うん、全然聞こえなくなっちゃった。すごいね、ヴィクトリアさんのお札」

 作ったのは絶対に室長ではないと思うがそこは黙っておこう。というか笠酒寄もわかって言っているのだろう。

 「んじゃ、役目は終わったし、帰るか」

 「うん」

 こうして僕たちは府明道神社を後にした。



 「ずっと悲鳴を上げ続けられるわけないだろう。御神木はもう死の瀬戸際なんだから」

 百怪対策室に戻ってきて室長に人間には天狗倒しが聞こえなかったことを報告したあとの第一声がそれだった。

 「でも、聞いた人たちは現に存在しているじゃないですか」

 「一時的に大きな悲鳴は出せても、持続的には出来ないってことだ」

 やれやれそのぐらいは推測できてくれ、と室長は肩をすくめる。

 「でも、大丈夫なんですかね? あの札、見つけにくい場所には貼ってきましたけど、絶対に見つからないってわけじゃないですよ」

 「心配するな。貼った本人にしか見えない術式を組み込んである。本来の呪符とはそういうものだ。見える呪符っていうのは見つかることを前提としているんだよ」

 また隠蔽の魔術か。

 知らない間に僕の背中とかに『大馬鹿者』とか書かれた紙が貼ってないことを祈る。

 「それよりもあの札は一体どういうモノだったんですか? 『怪』を封じ込めるような札ならもっと使ってもいいんじゃないですか」

 「そんな都合のいい代物が存在するわけないだろう」

 一刀両断にされてしまった。

 室長は続ける。

 「あれは単に貼った対象の出す音を遮断してしまう札だ。本来はやかましい付喪神なんかに使うんだが、今回はちょうどよかったからな」

 「ずいぶん限定的な使い方ですね」

 「その代わりに強力だ。剥がそうとしてもそうそう剥がせるものじゃない」

 なるほど。少なくとも天狗倒しに関してはこれでどうにかなるらしい。

 「でも室長、あの御神木はどうするんですか? このまま放っておいたらまずいような気がするんですが」

 今回封じたのはあくまで天狗倒し、つまりは御神木の悲鳴だ。

 御神木が苦しんでいることには変わりない。

 「ああ、その辺は鍵成警部が上手くやってくれるそうだ。近々調査を入れて切り倒すらしい」

 「……たたりとかないですよね?」

 「介錯してやるようなものだ。延々と苦しみ続けるよりもスパッと絶ってもらうほうがいいだろう」

 それに、たたりが出たならそれはそれでその時だ。

 そう言って室長は新しく開けた箱からタバコを一本取り出す。

 咥えて、優雅に火を点けて、満足そうに煙を吐き出す。

 「ところでコダマ、いいのか?」

 「何がですか?」

 「笠酒寄クンがさっきから時計をちらちら見てるぞ」

 「あ」

 女子高校生の帰りがあまり遅くなるというのはまずいだろう。特にこういうみょうちきりんな人物に関わっているとなると(決して僕のことではなく室長のことである)。

 「送って行ってやれ、女子の一人歩きは危険だろ」

 「痴漢のほうが危険だと思いますけど」

 「だからこそだ」

 はぁ。

 まあ、いいだろう。今日は平和に解決したんだ。

 「ほら、笠酒寄。帰るんだろ? 行くぞ」

 「う、うん」

 「じゃあ室長、今日はこれで僕も帰ります」

 「ああ、次は伊勢堂のロールケーキを持ってきてくれ」

 「……自分で買ってください」

 最後まで口の減らない人だ。

 笠酒寄と一緒に百怪対策室を後にして僕たちは家路についた。

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