旅する妖精

 その妖精の薄羽蜻蛉のような羽根を透かした先に、妖精の好む花が咲いていた。そちらに近づくと、あたりを見回す。

「このあたりは数多の光りが飛んでいる。きっとわたしと種類がちがう妖精がいるんだ」

 彼らには輝きに紛れた光りの妖精は見えないし、光りの妖精には花の妖精と触れ合えない。交差しあう光りと花の存在、そして風の妖精が運ぶ甘美な薫り、それらは太陽の神がいてはじめて花弁を透かしながら交わり、気温の移り変わりで薫ったり漂ったりする。

 様々な花に囲まれて妖精は光りと戯れながら自然の薫りを愉しんでいた。こうやっていろいろな起源の内側にいることも、時に魂を呼び戻すことに繋がる。

 草地に落ちるジャカランダの花弁をひとつ。妖精はそれを新しい衣装にして身に纏った。紫の花から品のある独特の薫りが漂って、その芯をネックレス代わりにした。

 見上げると、同じ花で着飾る木が風に揺られている。そのむこうには森があり、潮騒が微かに響いていた。

 昨夜からこの島を飛んでいるけれど、この家がひとつ。それに岬に灯台。朝になって吹きはじめた風の妖精が報せながら流れていったけれど、対岸に小船の出航所があって、その小屋に船頭さんがいるらしい。妖精が風に乗って空にひらりと舞い上がると、濃い緑の島が眼下に広がっていた。海の先にはいくつか他の島があって、そのうちのひとつが少し大きめの島があり、五件ほどのオレンジ色の壁をした家が緑の斜面に並んでいた。どうやらお店らしくて、お洒落な看板がそれぞれに飾られている。一度大きな風が吹き、妖精は背後から吹くこの島風に小さな身体を支えられながら姿勢をただし、花弁の衣装を整えた。水のような風の報せによると、あの大き目の島の山の裏側には二十件ほどの家があるらしい。小さい妖精はカモメや鳶の背を借りなければ大きな海は渡れないが、肉眼で確認できるぐらいの距離なら飛べる。

 鋭利な山は上部だけは岩肌が見えて、高いのだとわかる。

「向こうにいくのは後にしよう」

 どこに忘れ物があるのか、それが野山羊の背を借りなければいけないような場所なのか、はたまたコウモリに教えてもらって洞窟を探すことになるのかはわからない。苦難の心はいつでも苦しい先に置き去りにされたまま本人がたどり着くのを待っているし、優しい心は花の陰や森のそよ風に紛れている。それに野うさぎの親子の間や、番の蝶の愛の乱舞の間に間に。それらを手繰り寄せて、大切にしまって試練を越えた先に美しく生まれ変わった自分に飛翔する。それでフェアリーサークルで踊れるときがやってくる。

 地上へもどってくると、森を風に流れる花弁とともに駆け抜けて踊る。ハミングも流れていき、花の芯と茎でこしらえた竪琴を奏でながら舞い飛んでいく森の先、木々に囲まれた泉にたどり着いた。

「綺麗な泉」

 もしかしたら、ここできよらかな心を留めることができるかもしれない。

「Frolic vento verde

  na floresta

 Bela para dançar

 As bancos de fonte」

 妖精は振り返り、葉裏から歩いてくる女の人を見た。それは昨夜出逢った海辺の女性で、森を散策しているらしい。篭を提げていて、これから泉の畔でピクニックをしようとしているのかもしれない。

 その女性は花畑にスカートの裾を広げ座ると、篭から何かを出した。

 それは浜辺に落ちていた貝殻で、妖精が乗ってきたものだった。貝はただでさえ重いけれど、妖精が海の精霊の力をかりて潮にのって海面を浮んでやってこれた。あれは大変なことだった。だから、次に大きな海を渡るときには鳥の背を借りよう。

 女性は草地にいろいろな貝殻やヒトデの骸を並べはじめた。それらには全てに小さな精霊がついていて、陰から女性を見上げていることに女性は気づいていない。その精霊は死を分かつものだったり、虚の存在だったり、影の霊だったり、静寂の精、沈黙の存在だったりする。そのうちにも、闇の目をした霊が暗い目元で影から女性を見上げている。けれど、今は昼だしもともと力が小さいから、何かをしようということはないようだ。それも夜には密やかに夜の精霊や月の魔力、何かの生命の終焉とともに力を得て心に哀しみを呼び起こそうとする。あれは誰かが忘れていった悲哀の魂が紛れ込んだのかもしれない。

「ああ。しまった。あれはわたしが貝殻に置いていった悲しい心なのかもしれない」

 妖精は小さな小さな闇の目をした霊と目が合うと、そこで数日前の悲しい出来事を思い出しそうだった。きっと、陽気な酔い口の女性の気分に悲しい心は置き去りにされたらしい。

 そうだ。数日前、旅路に遅れて途方に暮れてしまったあとに独り浜辺を歩いていたら、大きなビンを見つけたのだった。それには何かが書かれたものが入っていて、こうしたためられていた。

『もう会うことのないあなたへ あなたは天の国への旅路に 私の心は瓶に閉じ込め航路の旅に いつか嵐で小さな心が舞い上がった先に一緒になれる日がくるのでしょうか』

 愛する誰かを失った哀しみを誰にも打ち明けられずに、引き裂かれそうな心を抱える人を妖精はいくつか見てきた。哀しみは瞳に宿り、優しさは口をこぼれ、手の指からはその先に歩いていく決意がある。誰もが様々な悲しみを乗り越えてきたからこそこの世は光りや純粋な微笑みで溢れている。

 妖精は再び光りに紛れて舞い飛んでいき、女性が並べる貝殻に近づいて、闇の哀しむ心を大切に身体に収めた。誰かの悲しみの魂を受け取って、共に癒すことでその魂が報われるとおもうことは、おかしなことなのだろうか……? 闇の心はゆるゆると静寂な心となって、妖精の内側で目をとじて眠りについていった。

「これからいろいろな美しいものを、一緒に見ていこう」

「Isso é um sonho?」

 妖精は女性を見上げると、彼女は驚いた目で見下ろしてきていた。

 なので、妖精は言葉を理解できるように感覚を研ぎ澄ました。すると、女性の言葉がわかるようになる。妖精の言葉は自然の音だから、誰にでも理解できるけれど、他の者の言葉は意識しなければ分からない。

「あなた、夜に出逢った妖精ね?」

 妖精はにっこりと頷いてジャカランダの裾をひろげて挨拶をした。

 女性は昨日よりもちょっと理性のありそうな顔をしていた。貝殻を集めていた手は、今は優しげな空気に充ちていた。何かに愛着をもったときは、その対象の魂はふわっと軽くなるから。

 花の間から花の妖精たちの歌声が微かに聞こえる。

「あなたは水辺の妖精なの? しばらく、ともに過ごしましょう」

 女性は転寝に入って、夢の続きをみはじめたみたいだ。


fin

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