マルスの朝陽

アルダール

 アルダールが目覚めたのは、鳥の鳴き声とカラカラという音によるものだった。柔らかな日差しがまつげを光りで透かし、頬を照らす。震えひらかれたまぶたから焦げ茶色の瞳が光り、陽の眩しさに細められた。

 微かに前髪が風に揺れる。カラカラとレースカーテンがレールを走る音がして、そちらを見ると窓が開け放たれている。どうやら、昨夜は酩酊のままに眠りこんだようだ。風に煽られたジャカランダが黒い石床に散らばり、薄紫の波をつくっていた。窓からは、そのジャカランダの木が風にさわさわ揺られている。時々、木の枝から花に小鳥が舞い飛び、蜜を嘴でついばむ姿が見えた。

 彼女は響き渡る鳥の囀りに、腕に頬を埋めしばし目を閉じ聞き入っていた。


 ようやく頭の働きはじめる昼下がり。シエスタも気ままにパティオの長いすに横になり、若草の揺れる木漏れ日のした過ごしていた。

 しばしハーブティでたんぽぽとローズヒップをブレンドしたレモングラスをいただきながら、夜酒の微かな残り酔い払うように記憶を辿り始めた。

 そう。あれは森の先をいった浜辺で一人、ライムを入れ込んだジーマを片手に、月の影を踏むように歩いていたのだった。夜の海岸は凪の時間にはまだ早く、かといって満天の星の時間はすぎて月が明るい夜だった。思いついたブルースを口ずさみながらアルダールは白い砂をしたたか蹴り上げては細波の音を楽しみ、ジーマを傾けてはほろ酔い加減でいた。

 その細波と、自身の砂を踏む音とは違う何かの声に気づいたのは、だんだんと流れはじめた雲に月が朧になっていくときだった。

「流れるよ…… 小舟は旅路に オールは底に 漂うよ…… カモメは眠り 雲ゆくうちに」

 それはどうやら、童歌のようだった。

 酔い口の彼女は、首をかしげ微笑みながら「誰かいるの?」と森の茂みに問いかけた。

 背後には黒い海原。眼前にはもっと真っ暗な森……。酔ってもいなければ、もしかしたら声すらかけずにいたかもしれない。その先には家があるから、どちらにしろ森に帰途があるのだが、今はランタンも消して月光のみをたよりにしていたから、雲行きも深くなればすぐさま暗黒へと立ち代っていったのだから。

 それでも、醒めない酒は彼女を限りなくほがらかにして軽やかな気持ちにさせていた。

「わたしが名前をつけるとしたら、一体なにがいいのだろう」

 アルダールは首を逆の方向にかしげ、頬にかかる髪を耳にかけてしっかりと声の正体を探ろうと歩いていった。低い場所から声がして、その茂みの前にやってきた。

「小人? 妖精さんでもいるの?」

 アルダールは声の主を探すように暗がりで目をあちらこちらへ向けた。すると、彼女の白いサマーシューズの先、茂みと砂浜の間に何かが白く浮いているのを見つけた。暗がりでもぼんやりとして、よく見るとそれは貝殻のようだった。

 彼女はそれを拾い上げ、天に透かした。

「あら」

 それは手にすると蒼い光りをまとい、彼女の細い指をほんのりと染めた。夜光貝というものがあるのかしらと、アルダールは何かうれしくなって少女のように貝を見回した。

「おどろいた。いきなり高い場所にきたんだもの」

 蒼い巻貝の口から、その光りに染まった小さな妖精が顔をだしてアルダールを見た。

「……これは幻覚? まさか本当に妖精が出てきたなんて」

「幻というものは、あなた方が決めるもの。全てのものだってうつつか夢かなんて、儚い疑問にしか過ぎないんだから」

 よいしょよいしょと妖精は貝から出てきながら言うと、潮に湿った羽根を広げるように背中を突き出した。

「貝殻に乗ってやってきたんだ。ずっと海鳥の背中に乗って海を渡ってたんだけどね、どこかの島の葉裏で寝坊しておいてかれちゃって、貝殻の小舟にのって揺られてきたの」

 再び出始めた月光に透明の羽根を透かして、涼しい夜風で乾かしている。

「このわたしの羽根じゃ、大きな海は渡れないからね」

「何故、旅をしているの? 大冒険ね」

 妖精は肩越しに見ていた羽根からアルダールを見上げた。

「探し物をね」

「妖精が何を求めて?」

「魂。だれもが時の流れとともに、時に自身の魂を忘れていってしまうんだ」

 妖精はそれだけ言うと、羽根を見て頷いてから微笑んだ。

「わたしはまたこの島を飛んで、欠片を探しにいってみる」

 ふわっと妖精が蒼い光りをまといながら舞い上がり、月の光りと重なって神秘的な環を描いた。

 妖精がふっとその場できらめく粉となり、夜気にさらさらと流れていった。

「………」

 アルダールは瞬きをしばし忘れ、あとは残った月を仰いでその場に立ち尽くした。

 それで、ふらつく足のままに家へ帰り、テラスから掃き出し窓の先の寝台へそのままなだれこんで眠りの底へとしずんでいった。


 アルダールが目覚めたのは、鳥の鳴き声とカラカラという音によるものだった。柔らかな日差しがまつげを光りで透かし、頬を照らす。震えひらかれたまぶたから焦げ茶色の瞳が光り、陽の眩しさに細められた。

 微かに前髪が風に揺れる。カラカラとレースカーテンがレールを走る音がして、そちらを見ると窓が開け放たれている。どうやら、昨夜は酩酊のままに眠りこんだようだ。風に煽られたジャカランダが黒い石床に散らばり、薄紫の波をつくっていた。窓からは、そのジャカランダの木が風にさわさわ揺られている。時々、木の枝から花に小鳥が舞い飛び、蜜を嘴でついばむ姿が見えた。

 彼女は響き渡る鳥の囀りに、腕に頬を埋めしばし目を閉じ聞き入っていた。

 昨夜はなぜ、あんなに酔いが回ったのだろうと、そのときは思うこともせずに、ただただよそ風と鳥の鳴き声を聞いていた。


fin

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