5.弦巻神社の蛇神

 山の上の神社に辿り着くころには、小雨が私達の髪や服をしっとりと濡らしていた。

 花咲神社より広くて立派だが、お祭りの時期ではないからか、人気はない。

 私は境内を見回して、ふとあることに気が付いた。


「ねぇ、クロ。桜の木がないですよ」

「待ってろ。先に蛇を起こす」


 クロは社に近づくと、中を覗き込んでから、徐に右足を振り上げて社の戸を蹴り飛ばした。

 扉が壊れるんじゃないかと錯覚するような大きな音が響き渡る。


「何してるんですか!」

「手が塞がってるんだもん」


 当然のように言いながら、二撃目。

 その少し後で、中から「はぁい」と間の抜けた声が聞こえて来た。

 社の扉が開かれると、一人の若い男が顔を出す。真っ白な長い髪に、白い肌。赤い瞳をしたその人は、クロと同じように和服を身にまとっていた。


「あれ、クロネコじゃないか。一年ぶりだね」

「花見に来たんだよ。いいだろ?」

「うん、丁度綺麗に咲いているところだよ。……そっちの人間は?」


 蛇神らしい青年は私を見て首を傾げた。

 私は丁寧に頭を下げる。


「渡り巫女の美鳥れんこです。花咲神社の管理をしております」

「これはご丁寧に。ボクはこの神社の主である青瓶彦(アオカメヒコ)。アオとでも呼んで」

「カメでもいいぞ」


 横から口を挟んだクロを、アオが睨み付けた。

 しかし、目敏く荷物に目をつけると、いそいそとそちらに近づく。


「ねぇねぇクロネコ。餡子の匂いがするんだけど?」

「ミドリが作った。これと酒やるから、花見しようぜ」

「餡子で一杯やるのは最高だねぇ。さぁさぁ、こっちへ」


 アオが嬉しそうに歩き出すので、私は大人しくそれに従う。

 てっきり神社の敷地の中に桜があるのかと思ったら、アオは社の裏手に回って、そこの柵を乗り越えてしまった。


 山の上だけあって、柵の向こうは傾斜が厳しい。というか人が入らないのか、道らしいものが無い。

 私は慌てて二人を呼び止める。


「あの!道がないんですけど!」

「大丈夫だって。足腰頑丈だろ?」

「頑丈ですけど、転ばない自信はないです」

「逐一面倒くせえ……。だから人間ってのは嫌なんだよ」


 それからクロが何か言いかけたが、アオののんびりとした声で阻まれてしまった。


「ちょっと失礼」


 数歩進んだ山の中を戻ってきたアオは、私に触れたかと思うと、あっという間に抱き上げてしまった。

 背中と膝裏に腕を入れる、所謂お姫様抱っこである。


「餡子作ってきてくれたお礼だよ」

「あ、ありがとうございます」


 神様にお姫様抱っこされるなんて、なかなかない体験じゃないだろうか。今度実家に帰った時に自慢しよう。


「アオ。重たくて落とすんじゃねぇぞ」


 何やら口調荒くクロが声をかける。

 私はそっちに視線を向けた。


「妬いてます?」

「そんなんじゃねぇよ!」

「クロネコはまだまだお子様だねぇ」


 アオは余裕の表情で言いながら、足場の悪さを物ともせずに斜面を下りていく。

 段々と谷底へと向かう中で、私の視界はその時を捉えた。


 雨の降る夕暮れ、薄暗い谷底に鮮やかな色が急に現れる。

 木々の間から覗く淡紅が次第に広がって、私の視界を埋め尽くす。


 そこに何年も前から立ち続けているのであろう桜の木は、まるで私達を待っていたかのように枝を広げ、その花で惜しみなく谷底を彩っていた。

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