10:黒い靄を視る

 夜の学校は静まり返って、昼間のにぎやかさを知っている分、まるで別の建物のように見えた。


「んー……」


 裏門に回ったクロは、眉を寄せて鼻をひくつかせている。

 どうやら中の匂いを嗅ぎ取ろうとしているようだった。


「やっぱりそうだ」

「なんですか?」

「狐の匂いが濃い。案外、あの野郎の「いたずら」かもしれないな」

「いたずらって……彼女に怨霊をくっつけたことですか?」

「違うよ。元はただの浮遊霊を唆して、怨霊にしたのかもしれないってこと」


 だとしたら、とんでもない話だ。


「いたずらで済まないでしょう、それ」

「いたずらだよ。その怨霊が何をするかまでは干渉してねぇだろうし。騙される浮遊霊のほうが悪い」


 どうやらカミサマの理屈では、生み出した怨霊が人間に憑りつくのは、自分の責任ではないらしい。

 でも、カミサマに何かいわれたら、信じ込んでしまう人って多いんじゃないだろうか?少なくとも私は信じてしまう気がする。


「狐の野郎はいたずら好きなんだ。姉様がいる時は比較的大人しいけどな」


 クロは身軽に門の上に飛び乗ると、私に手を差し伸べた。

 その手を恐る恐る握ると、あっさりと宙に持ち上げられる。急に軽くなった足元に慌てつつ、なんとか門の上に足裏を乗せることに成功した。


 ギシリと錆び付いた音が校庭に響く。


「お姉さんは狐より強いんですか?」

「よく知らないけど、俺が生まれる前に一悶着あったらしい。三日三晩かけて大喧嘩して、最終的に姉様が勝ったとか言ってた。今は俺しかいないのわかってるから、狐の野郎も好き勝手してるんだ」

「舐められてますね」


 素直にそう言うと、クロの舌打ちが聞こえた。


 門から降りる時は手を貸してもらわずともどうにかなりそうだったので、慎重に飛び降りた。

 少し膝が痺れるような感覚がしたけど、問題はない。

 伊達に渡り巫女などしていないのだ。石段を毎日登ったり下りたりして鍛えた足は、下手な運動部員より頑丈な自信がある。


「池はどっちだ?」

「あ、こっちです」


 体育館の方に足を向けると、にゃんこ火が律儀についてきた。

 この子は可愛い。人使いの荒いカミサマなんかより、よっぽどいい子だと思う。

 後で何かあげよう。カリカリとか食べるかな。


 そんなことを考えつつ、目的地まであと数メートルに迫った時だった。

 急にクロが私の左肩を掴んで引き止めた。


「な……」

「静かにしろ」


 闇の中でクロの目が剣呑に細められている。

 その視線の先には、あの池があった。そして幡野さんも。


「小さい声で話せ」


 私の耳元で囁くクロの声は真剣そのものだった。

 にゃんこ火はクロに何か言われたのか、光を弱くして物陰に隠れてしまい、私はクロによって近くの木の後ろに押し込まれる。


 少しだけ首を伸ばして、木の陰から池の方を伺う。

 幡野さんは、ぼんやりと池の傍に立ち尽くしていたが、その背中には昼間見たのと同じ、黒い何かが覆いかぶさっていた。


「見えるか?」

「えっと……あれって……」

「ミドリがよくわからなかったのも無理はない。あれは小さい動物の霊が集まって出来てるんだ」


 昼間は一瞬だったのでわからなかったが、よく観察すると黒いものの正体が見えた。

 金魚の尻尾、鼠の耳、鳥の羽、兎の耳。

 黒い靄の縁は、そんなものが見え隠れしていた。もちろんそれは一見してわかったものだけで、他にもよくわからない魚や動物も混じっている。


「あの女子生徒は動物好きで、自分でも色々な動物を飼ってるんだろ?となると当然、死んだ動物もいるはずだ」

「じゃああれは、彼女のペットということですか」

「それにしては数が多すぎる。野良や、学校で育てていたようなのも含まれるだろうな」


 黒い靄が蠢きながら寄せ集まって、鋭い爪を持った手に変化する。


「大量の動物に攻撃されたから、金魚は無残な姿で見つかった。そしてその金魚も、あの靄の一部になったんだろうな」

「どうしてそんなことを?」

「嫉妬だよ、嫉妬」


 クロは爪の先が池を掻きまわすのを見据えながら、そう呟いた。

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