9:命名「にゃんこ火」
「お前、そんな顔だっけ?」
深夜一時半。私の顔を見て首を傾げるクロに、寝ぼけ眼で睨み返す。
「放っておいてください」
「あ、化粧か。化粧してねぇの?目が小さいけど」
「カラコン外したからです!夜中に化粧なんかしたら肌が荒れます。肌への負担は少なければ少ないほどいいんです」
「何怒ってるんだよ……」
呆れ返るクロと違って、私は実に陰鬱な気持ちで目を擦る。
運動用の七分丈のパンツに、シャツ、夜は肌寒いのでパーカーを羽織ったものの、どこからどう見ても深夜にジョギングをする人間だった。
「それで、何処に行くんですか」
「学校に決まってるだろ」
「初耳です」
「あれ、そうだっけ?でも金魚ちゃんは学校にいるんだろ?だったらそこに、あの女子生徒も来るはずだ」
「怨霊が彼女から離れて殺しに行っていたとしたら?」
「それはない」
クロはきっぱりと言い切った。
その自信は何処から来るのだろう。
「怨霊は彼女から離れない。だから金魚を殺すんだ」
「よくわかりません」
「行けばわかるって」
私より先に立って歩き出したクロは、鳥居を潜り抜けて石段を下りていく。
流石、猫なだけあって足取りに迷いはない。
でも忘れていませんか、カミサマ。私は人間です。
「一人で先に行かないで下さいよ。こっちは足元見えないんですから」
「ん?」
振り返ったクロの目は、金色に光っていた。
「あぁ、そういや人間って暗いと視界がダメなんだっけ?不便だな」
「懐中電灯つけるから、ちょっと待ってください」
「あー、いいよいいよ。俺が照らしてやるから」
クロはそう言ったと思うと、何かを呼び寄せるかのように手を叩いた。
すると鳥居の上から青白く輝く何かが勢いよく降ってきた。
「ひゃっ」
思わず飛びのいた私を揶揄うかのように、その光るものが旋回する。
よく見てみれば、何のことはない。鬼火である。
人魂とも呼ばれることがあるけど、神社や墓場などでよく目撃される、握りこぶしほどの火の玉だった。
巫女にとっては珍しいものではないが、いきなりだったので驚いてしまった。
「鬼火ですか」
「鬼じゃねぇよ。猫だよ。俺の使役する使い魔だ」
「あぁ、一応いるんですね。使い魔」
「まぁこれ一匹だけどな」
猫の鬼火はなんて言うんだろう。猫火?にゃんこ火?
あ、にゃんこ火は可愛くていいかもしれない。
「にゃんこ火」
「変な名前つけるなよ。烏帽子っていう名前があるんだから」
「なんでそんな名前つけたんですか」
「人間だってココアだのプリンだのつけるだろうが」
にゃんこ火はふよふよと漂って、私達の足元を照らしている。
少し明るい蝋燭、程度の明るさだが、歩くだけなら十分だ。
石段を下りて、道路に出る。
車も人も通っていない静かな道だ。普通に見るのであれば。
「神様が多いだけあって、夜は賑やかですね」
電柱の上や、空き地などに視線を向けると、そこには魑魅魍魎が我が物顔で寛いだり、遊んだりしていた。
にゃんこ火も仲間たちがいるのが気になるのか、そわそわと私の足元を揺らめいている。
子猫がじゃれついているみたいで可愛い。
「こら、烏帽子。今日は仕事なんだから遊びに行くのは今度だ」
クロが叱責すると、にゃんこ火は大人しくなった。
神様の命令には逆らえないのだろう。ちょっと可哀想な気がするけど、我慢してもらおう。
「学校に忍び込むつもりですか?」
「だってこんな時間に人なんかいないだろ」
「防犯カメラとかあったらどうします?」
「俺は防犯かめらには映らない」
「だから私は人間なんですけど」
すると妙な「クルルル」という声が聞こえた。
どうやらクロが喉を鳴らした音のようだった。
「面倒くさいなぁ。なんで人間なんだよ」
「そんな無茶苦茶な」
「烏帽子、その面倒くさい巫女をかめらに映らないようにしてやれ」
命令されたにゃんこ火が、くるくると私の周りを回って、陽炎のようなものを作り上げた。
「映りにくくはなったけど、勘のいい人間なら気付くからな。十分気を付けろよ」
ぶっきらぼうに言いつつ、先を急ぐクロに私も続く。
なんだかんだで同行を許したり、こうして世話を焼いてくれるところは、良い神様なのかもしれない。
これが人を呪いに行く道中でなければ、尚更そう思えただろう。
幸いにして学校に辿り着くまでの間、誰ともすれ違わなかった。
この世ならざるものはいたけど、そんなのいちいち数えていられない。彼らはこちらから危害を加えなければ、そもそも人間に興味などないのである。
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