この世界は危機感を煽ることで回るようにできている。アメリカで銃がバカみたいに売れたのは、先住民を皆殺しにするため。移民奴隷を威圧するため。そして銃を持ったお互いを脅すため。安心を与えるために危機感を煽ることで、モノはドンドン売れていった。

 いまの日本社会もそうだ。生きるためには自分を殺して、画一化されたマシンにならざるを得ない。そのマシンになるノウハウを売りさばく業者がいて、そこが私腹を肥やすわけになる。あとに残されたのは、マシンにされた個性のない人間の死骸だけ。

 でも、いつしかわたしもその流れに飲まれていた。ケータイはひっきりなしに企業情報を送ってきて、履歴書を書けと責め立てる。就活生の何割が内定がでているとはやし立てる。

 そして、いつの間にかわたしも一社だけ面接を受けることになっていた。働きたくもないのに、そこへ行きたくもないのに、わたしは体制へのファイティングポーズをとっていたいだけなのに。まんまとライフルを買わされて、そこへ弾丸を詰めるところまで来てしまっていたのだ。

 そこは、このあいだ訪れた就職支援課が提示してきた会社だった。彼らは何社かわたしに受けるべき企業を提示してきて、それらに履歴書を提出するように求めた。手書きでと言われたが、わたしの反骨精神はそれを許さず、結局大学内の学生用プリンターで出力した。

 どうせ落ちるものだと思っていた。わたしには、企業に誇れるものなんて何一つ無い。協調性、リーダーシップ、積極性、その他諸々……。わたしは、ずっとそういたステロタイプな観念に疑念と敵意を向け続けてきたのだから。


 面接は渋谷であった。騒がしいスクランブルを渡って、だんだんと静けさを帯びつつある街のはずれへ。正直、わたしは自分がこれから面接を受ける企業が何なのか、これっぽちもわかっていなかった。説明会とやらにも行かなかったのだから。

 小さなビルの三階が、その会社の事務所だった。受付で面接にきたと言うと、おそらく派遣であろう受付嬢がしわがれた声でわたしを案内してくれた。

 それから、わたしはある部屋の前で放置された。そこで呼ばれるまで待てと言われた。しかたなく待っていると、扉の向こうから声が響いた。

「どうぞ」

 わたしは深いため息をついてから、ノックを返した。

「失礼します」

 失礼なのだろうか、これは。


 実のところ、面接というやつをしたのは、これが初めてだった。小中学生のときの面談や、高校のときの面接をのぞけば、これがヴァージンだった。

 部屋の向こうでは、スーツを着た中年男性オッサンが四人座っていた。わたしの想像通り、肥え太った、薬漬けの、健康的な豚。彼らは左から年齢の若い順に座っているようだった。特に右端などは、ラードの塊とでも言うような男だった。例外は左端だけだった。

「宮崎彩夏さん、ですね」

 と、中央左の男が尋ねた。

「はい、そうです」

「では、自己紹介をしてもらえますか?」

「はい。わたしは――」


 わたしの面接のようすを描写するのであれば、『ライ麦畑でつかまえて』でのホールデンとモーリスとのやりとりを思い出すといい。あのインチキなぽん引きとのやりとりだ。あのとき、ホールデンは頑なな態度を見せていたが、最終的にはモーリスに押し負けてしまう。それで、自殺さえも考える。わたしのした面接とは、つまりそういうものだったのだ。

 わたしは、常に体制への敵意を持ち続けたかった。そういう思いが常にわたしを駆り立てていた。しかし、いざ実際にそういった強大な敵と対峙したとき、わたしはどうにも手も足も出ず、結局は唖のフリをするほかになかった。


     *


 面接を終えてから、わたしはしばらく渋谷をさまよい歩いた。メディアフォーラムで誰も見ないような映画を見てやってもいいと思ったけれど、結局は通り過ぎた。そしていつしか日は暮れていて、わたしは誘蛾灯に群がる蟲のようにして、駅前の喫煙所に吸い込まれていった。

 タバコを吸い始めたのは、二十歳になった翌日だったと思う。タバコを一本吸うと寿命が十四分縮むというので、では二十七で死ぬにはいったい何本吸えばいいのかと逆算したりもした。でも結局、それは途方も無い数であるわけで。しかしそれでも肺ガンで死ぬということに一抹の希望を覚えて、わたしはタバコを吸い始めた。銘柄は、始めたときと変わらずハイライトだ。

 喫煙所で油と煙にまみれた男の群れにまぎれて、一人マッチで火を点けた。ひと吸いして、時計を見て、十四分経っていることに気がつくと、わたしは人生を無駄遣いした気分がして楽しくなってきた。

 しばらく一人で吸い続けていると、誰かがわたしの肩をたたいた。何か落としただろうかと思いつつ、わたしは振り向いた。

 そこには、意外な顔があった。

 先ほど、面接で左端にいた若い男だったのだ。


 若い男、とわたしは初め認識していたけれど、よくよく見ればそうでもなかった。頬はこけ落ち、額にはシワが寄って、髪は所々に白いモノが見えた。三十後半ぐらいだろうか。かけているメガネは比較的新しめのブランド品のようだったけれど、彼にそれは不相応に見えた。

「宮崎彩夏さん、ですね?」

 彼は言って、わたしの瞳をのぞき込んだ。

 その言葉は、先ほどの面接での第一声と同じ。しかしその声音は、面接官とはどこか違う気がした。そういえば、彼は面接中一言も言葉を発していなかったと、わたしは思い出す。

「木嶋です。さきほど、面接でお会いした」

「……何かご用ですか。まさか喫煙者の女性は採用しない、と勧告しにでも?」

「まさか。採用とは関係ない」

 木嶋と名乗った彼は、左腕の時計に目を落とした。ホームセンターで売っているような安物だった。針は午後五時半すぎを指している。

「いまから少し時間ありませんか? 話したいことがあるんです」

「はぁ」

 わたしは間の抜けた返事をし、その一方で考えを巡らせていた。この男の目的は何か、と。

 そういえば、先日のニュースで選考にかこつけて女学生に性的暴行を加えたとして、某社の人事担当者が逮捕されたなどとやっていた。よもや、そのたぐいだろうか?

 そう思ったが、しかしすぐに考えはぬぐい去った。面接で最悪の答弁をし、あまつさえその後駅前の喫煙所でタバコを吸っている女だ。そんなヤツを誘うか? 誘うなら、もっとオドオドした、真面目そうな学生を狙うはずだ。

 あるいは、わたしが尻軽にみられたか。まさか。


 結局わたしは木嶋に言われるがまま、ファミレスに入った。駅から少し歩いたところにあるサイゼリアだった。

 席は喫煙席。木嶋は吸わないらしいが、わたしに配慮してかそうしてくれた。そして着くなり、お互いドリンクバーと軽食だけを注文いた。

「それで、だけど。宮崎さん、君はどうしてウチを志望してくれたんだい?」

 彼は開口一番そう尋ねてきた。選考には関係ないとは、聞いて呆れた。

「べつに」

 わたしは、もう就職する気など失せていたから――というよりも、二十三で自殺したい気持ちでいっぱいだった――つっけんどんに返した。

「べつにって……。ウチの会社は、どうやって知ったんだい?」

「大学の就職支援課です。応募しろと言われたので、したまでです。特に深い意図はありません。わたし、就職したくて就活――就職活動しているわけではないので。……就活って言葉、嫌いなんです。体制が生み出した虚像、あるいは人生を囲い込む檻のような気がして……。すみません、なんでもないです」

 上着のポケットから、ハイライトを取り出す。そして木嶋の許可を得ることもなく、わたしはマッチで火を灯した。

 正直、こういうふうに言葉を弄したのは、はやくこの男から逃れたかったからだ。言われるがままやってきたが、正直、今になって恐怖が増してきていた。この男の目的は、なんだ?

 しばらくしてピザが運ばれてきて、それから木嶋がコーヒーを淹れにいった。わたしのカップも一緒に。そして食事が一通りそろったところで、ようやく彼は本題に話を移した。

「正直に言おう。僕は、君に近い人間だと考えている。僕も十年以上前、君のようにリクルートスーツに身を包み、炎天下の中、行きたくもない会社にデマカセの志望動機を述べ、その甲斐あって内定を貰った。内定を貰ったのは、十年以上前の十一月のことだ。正直なところ当時の僕は、心身ともに疲弊していた。だからまともな思考能力を失っていた。だから、この会社で充分だと思ったんだな。でも、それが間違いだった。……君は、ウチの会社がどういう仕事をしているか、わかっているかい?」

「正直、ぜんぜん」

「ますます気に入ったよ。ウチは、化学薬品を売っている、まあ流通関係の商社になるわけだけど。僕がここに入ったのは、危なそうなクスリにふれられるかもっていう、実に不純な動機だったんだ。つまり何が言いたいかっていうと、僕も就活なんてクソ食らえって思ってたし、いまもそう思ってるってことだ」

「……つまり、何がいいたいんです? わたしを激励しようとでも?」

「ちがう」

 そう言うと、彼は周囲を何度か見回した。まるで、盗み見られていないか確認するように。

 それからわたしに耳を貸すように言った。不服ながら、わたしはハイライトを灰皿にねじ込み、彼に耳を預けた。

「テロを起こす。それを手伝ってほしい」


「……はぁ。なんですって?」

「だから……言った通りだ。事件を起こすんだ。この社会に、一撃を与える。僕はこの社会が狂っていると思う。でも、みんな声を上げたり、行動に打って出たりしない。どうせ変わりっこないって思ってるからだ。このままだと、この国は緩やかな死を迎える。老人たちは逃げ切って、若者には多額の負債ばかりが残る。僕はそれが許せない」

「……あなたは、わたしを中核派か何かと間違えてませんか?」

「でも君の思想は、それに近いところがあるんじゃないか?」

 当たらずと云えども遠からず。わたしは何ともいえず、黙ってコーヒーに口を付けた。

「モノは用意しようとすればできるんだ。会社にある薬品を使えば、簡易的な爆発物が生成できる。フランスでのテロにも使われたものだ。あとは、それに釘なんかを合わせたりすれば、殺傷性のある爆発物ができる」

「それで、どうするつもりなんです?」

「あそこで起爆する」

 言って、彼は窓の向こうを指さした。スクランブル交差点だった。

「はあ。じゃあ、やったらどうなんです?」

「何度もやろうとしたさ。でも、ダメだった。僕はいつも行動に移せなかった。大学の時からずっとそうだ。

 ……僕は、大学時代バンドどを組んでいた。ベーシストでね、中学のころからずっと弾いてる。いつかこれでメジャーデビューするんだって、思ってた。大学四年の春ぐらいまではね。でも、それも無駄なことだってわかったとき、いままでため込んできた沢山の夢や希望みたいなものが、すべて見せかけのゴミクズであると気づいた。そして就活戦線に送り出されたとき、はたと気づいた。ここに僕は必要とされてないのではないかってね。個性は完全に殺され、必要とされるのは画一化された奴隷マシーンのみ。同じ色のスーツに身を包み、同じ髪型をし、同じメイクをし、同じように写真を撮り、同じように希望を言って、同じような性格を作り出す。そしてそれに準ずることができない人間は、社会不適合社だとか、発達障害だとか、いろんなレッテルを貼られて迫害されることになる。そういう社会なんだよ。

 いまの会社はかろうじて僕を拾ってくれたけれど、それにも理由があった。つまり、彼らがほしがったのは無給で働いてくれる奴隷だったわけだ。残業代なんて出やしない。なのにあいつらは、自分たちが法律に反したことをしてるなんてこれっぽちも思っていない。サービス残業っていうのは、つまり労働者の収入を盗んでるってことなのに。万引きは捕まるのに、違法労働は捕まらないんだ。イジメと一緒だ。暴行事件のことを、イジメと呼んで合法化している。違法企業を、ブラック企業なんて呼んで合法化してるんだ。……でも、僕には再就職のアテもないし、技術や知識もない。あるとすれば、十年近いブランクのあるベースだけだ。そんな男を、雇ってくれるはずがない。だから奴隷であることを迫る。ここは、そういう社会なんだ。

 いまでも僕は、そういう構造を憎んでいる。学生の頃は、いつか生活に余裕ができて、かつてのそういった青臭い憎悪や嫉妬みたいなモノは失せるとばかり思っていたけれど、そうはならなかった。その感情は確かに失せたよ。仕事に忙殺されて、それしか考えられないようになったんだ。でも、その感情は消えたわけじゃない。それはガソリンを流し込まれ、今にも爆発しそうに燻ってる。でもバケツリレーをさせられて、何とか爆発せずに済んでいる。でも、いつかそのリレーも途絶える。」

「……したらいいじゃないですか、爆発」

「したいさ。でも、君はできるか? 宮崎さん、自殺をしようと思ったことは?」

「何度も」

「やっぱりね。僕と同じ人種だ。……じゃあ、それを実行できた回数は?」

「いま生きているのが、失敗の証拠ですよ」

「だろうね。……それと同じだよ。いざやろうとした瞬間、踏みとどまってしまう。怖いからだ。体が本能的に拒絶する。たとえば睡眠薬を致死量飲んで自殺しようとする。しかし、錠剤を何粒か飲めばポックリ逝けるわけじゃない。体は致死量を超えるクスリに拒絶反応を起こし、自然と嘔吐を引き起こす。それが正しい反応なんだ。吐き気とは防衛本能であって、死や恐怖に対面したとき、嘔吐や失禁を催すのはごく自然のこと……。だから僕はできなかった。でも、一人ではなく二人でならできると思うんだ」

「わたしに、あなたとともに、テロに加われと?」

「そうだ。ANFO爆薬なら、会社のもので作れる。……どうだ?」

 彼はそう言って、わたしの手を握った。

 わたしはそれを振り払い、立ち上がった。

「考えさせてください。そんなこと、すぐに決断できるものではないでしょう。なにより、自分の立場を考えてください。急に現れて、一回りも二回りも年下の女性に対し、一緒に死のうとのたまうなんて」

 ナンパ以上に質が悪い。

 わたしはそのままファミレスをあとにした。ドリンクバー一人分の会計ぐらい、社会人なら払えるだろうし。

 それから、わたしは渋谷には行かないことにした。木嶋もそれきり連絡をよこさなかった。


     *


 それきりわたしは、ろくに就職活動というものをしなかった。ただ授業に出ては、卒論の参考資料と言い訳してサリンジャーを読み。日が暮れるころになると、人気も無くなった校内の喫煙所でハイライトを吸った。最近は頭が冴えるので、メンソールを愛飲していた。

 夏にさしかかり、周囲に内定者とそうでない者の確執が表れたころ。そのころも、わたしは一貫してアウトサイダーであった。

 講義では比較的前の席に座り、頬杖を突いてサリンジャーを読んだ。たまにおもしろそうな話をしていると、ページを繰る手を止め、いっとき老教授の与太話に耳を貸したりもした。

 個人的におもしろかったのは、元編集者という講師の話だ。その授業は夕方遅くにあるものだから――夜間学部向けである――ゆえに出席者も少なく、たとえ出席していたとしても腹の虫がなったり、暗くなったので眠くなったりと、たいした受講態度の者はいない。その点わたしは、相対的に見れば積極的な学生であったように思える。

 わたしはいつものように古ぼけた『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいたのだけれど、あるときその講師が、突然に深いため息をついた。それはもう、象がくしゃみでもしたのかと思うぐらい、大きなため息だった。マイクロフォンが増幅したそのため息は、居眠りをしていた受講生を叩き起こした。

「いや、この話をするといつもセンチメンタルな気持ちになるんですね。まったく」

 彼はそう言って、入れ歯特有の滑舌の悪さとともに話し始めた。ちなみに、何が彼をセンチメンタルにさせるのか、わたしは聞いていなかった。ちょうどセントラルパークのカモが気になっていたものだから。

「今から四十年近く前ですね。ほら、いまもスーツで授業を受けている方がいらっしゃいますけど、わたしも就活生だったんですよ。履歴書なんて書いて、いそいそと郵送したもんです。でも、まあ、わたしもいちおうは早稲田でしたから。決まらないことはないだろう。とりあえず何とかなるだろうとタカをくくっていたんですね。そしたらね、まあものの見事にどこにも受からずね。結局、そのまま一年が過ぎたんですね。ちゃっかり卒業までしちゃって。

 それでわたし、プー太郎で実家に帰ったんですけど。まあ、働き口もないんで。じゃあ古本屋でもやろうと思いまして。でもまあ、古本売りをするにも元手が必要なんで、オヤジに金を貸してくれと言ったんですね。ウチのおやじは、まあ、昔から寡黙な人で。ずっと押し黙って、怒鳴ることも殴ることもなかった。子どもに興味がないってわけじゃないんですけど、まあきっと照れ屋なんでしょうな。

 で、そのおやじに言ったんですよ。

「古本屋をやるから金を貸してくれ」って。

 言ったのは、おやじの書斎ででしたね。おやじはコーヒー飲んで、ずっと経済新聞から目を反らさなかった。じっと株価やら何やらのページをみて、黙ってた。かと思ったら、突然新聞を畳んで立ち上がって、わたしをバチーン! と叩いたんですね。これが生まれて初めて親に殴られた瞬間でした。

 で、おやじは続けて言ったんです。

「借りるっていうのは、同時に返すっていう意味でもあるんだ。おまえは、返すつもりはないだろう。だったら、貸してくれなんて言うな」

 そう言って、おやじはわたしに十万円を握らせて、「返さなくていいから、ここにはもう戻ってくるな」ってわたしを追い出したんですね。

 ……そうそう、借金と言えば。最近は国債と年金の積み立てが――」

 と、そこで話はいつものツマラナイ井戸端会議の話題のようなものに変わった。

 そういう授業を受けたり、受けなかったり。卒論は徐々に進んだり、進まなかったりして、わたしの大学生活は終わりを迎えようとしていた。その、夏の終わりのころだった。


 夏休み中、わたしは実家にも帰らず、ただ仕送りの金を浪費するようにしてアパートにこもりきっていた。ときおり卒論に手をつけては止め、本を読み。腹が空いてはタバコを吸ってごまかし、どうしてもダメになるとパスタを茹でた。具はなく、塩茹でしただけのものだ。初めは味気なく感じていたが、続けて食べていると、だんだんとおいしく感じられるようになってきた。

 そんなおり、わたしの携帯に一本の電話がかかってきた。発信者は非通知で、いかにも怪しげだったが、わたしはそれに応答した。

「宮崎です」

「僕だ。木嶋だ。覚えているか?」

「あー」

 わたしは間抜けな声を上げてから、先ほどまで吸っていたタバコをバドワイザーの缶へ押し込んだ。まだ中にビールが残っていたのか、ジュッ……と蒸発する音がした。

「わたしの番号、どうやって知ったんです?」

「履歴書のコピーを見た。手に入れるの、大変だったんだぞ。人事部に聞いて回ったんだけど、人事部長に『あの変な女の子か。どうして彼女の資料なんて?』とか色々言われたよ」

「はあ、そうですか。で、自爆テロのほうは順調ですか? その様子だと、少なくとも成功はしていなさそうですけど」

「モノは用意できる。だけど、実行する勇気がないんだ」

 ――ロクデナシめ。

 わたしはそう心の中で彼を罵ったけれど、しかしわたしの同じ穴のムジナだった。わたしは、体制への反骨精神が持ちたくて、作家になりたいという漠然とした夢を抱いている。それはいまも変わらない。だのにわたしは、ろくな小説を書くわけでもなく。またそれを紙にして公表したり、出版社に送りつけたりなどした試しもない。怖いからだ。自分が、能なしであるとわかるのが。自分が価値のない、つまり無であると認識するのが怖いのだ。その瞬間、作家という肩書きを標榜する宮崎彩夏は消滅するから。

 きっと彼も同じなのだろう。大儀のために暴力に訴え、高潔な死を目指す。三島に感化されたり、あるいは勝手に三島を右翼の象徴に祭り上げたりするタイプだ。正直、そういった手合いは好きではない。

 しかし、わたしにも金閣寺に火をつけたいという願望はあった。より正確に言うならば、わたしは自分の『ライ麦畑につかまえて』にを火つけ、ガソリンの撒かれた図書館に投げ込みたい衝動があった。

 結局、みんなおなじだ。

「宮崎さん、これから会えないか?」

「あなたたちの会社に行くつもりはありません」

「むしろ来ない方がいい。ここは、奴隷を欲しているだけの悪徳の市だ。君が来る必要はない。僕もすぐにでもやめるつもりだ」

「でも、やめる勇気がない」

 彼は黙った。

 そうであれば、就職もせずに大学生活を終えようとしているわたしのほうが、まだ彼よりも高潔であるかもしれない。わたしは、二十三で自殺したいと考えているのだから。あるいは、精神病院から手紙を書いて、誰かに送りたいと考えている。

「……でも、腹は決まっている。なあ、この社会はおかしい。この日本っていう国は、何十年も前のシステムのまま変わろうとせず、あまつさえその基盤は第二次大戦のころから何も変わっていない。なのに老人たちは甘い汁をすすり、武装放棄を訴えて、市民の抵抗を抑圧している。このままでは、ずっと傀儡のままだ。やがてこの国が消滅することはわかっているけれど、僕は抗わずにはいられない」

あなたはYou世の中にdon't起こるlikeことが何もanythingかも嫌that'sなんでしょうhappening

「誰の言葉だ」

「アーネスト・ヘミングウェイ。……わかりました。じゃあ、いまから一時間後。またあのファミレスでいいですか?」

「わかった。一時間後に」

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