少女自縛
機乃遙
上
九月十一日、わたしは渋谷ハチ公前で、ある男性と待ち合わせていた。わたしよりも、一回りも二回りも年上の男性と。
朝六時前。これから通勤ラッシュという渋谷には、人がごった返していた。そんな有象無象を後目に、彼は作業着姿でわたしの前に現れた。右手には真っ赤なツールボックスを持って。
「……始めようか」
彼は低くくぐもった声で言った。
わたしは小さくうなずく。これが最後の確認だと思う。彼は口べただけど、用心深いから。これで、本当に最後の確認。わたしが本当にやるのか、やらないのか。
でもわたしの腹はもうとっくに決まっていた。
今日、この日。九月十一日、わたし――宮崎彩夏は、自殺する。
*
これからあなたが読むことになるであろう文章は、小説というには漠然としすぎ、骨子もなく。かといって散文というには気取りすぎて、しかし詩と呼ぶには美しくなく、思想性が強すぎる。では何かというと、これはわたしの遺書である。それも、遺産の分配であるとか、埋葬の方法であるとか、葬儀の執り行い方であるとか。そういったふつう遺書に書くべきである事項を一切書き記していない、わたしの遺書である。だから、あなたはこれを読んでどう思うかわからないけれど。こんなものを書く人間が作家を目指していた人間の端くれなのかと疑うかもしれないけれど。ただ、自縄自縛に陥ったわたしの半生を垣間見、わずかながらその言の葉が水面に波紋を残すのであれば、魂が浮かばれるように感じるところである。
*
むかしから自分が他人とちょっと違うという感覚はあった。自覚し始めたのは、たぶん小学校四年生のときだったと思う。ちょうど年の位が二桁にさしかかったときだ。
わたしの通っていた小学校は、一学年に一つしかクラスが無かった。田舎だったから、人がいなかったから。だから妙にクラス内の連帯感が強くて、わたしは辟易としていた。当時は、それを言語化できるほどの感性も知性も持ち合わせていなかったのだけれど。
でもそんな少女にさえ、この世界がわたしには噛み合ってないと感じさせた瞬間があった。
二分の一成人式をやりましょう。
そう言ったのは、クラス担任であり学年主任の竹中先生だった。わたしはこの先生が好きではなかったけれど、特筆して嫌いというわけでもなかった。でも、この瞬間から憎むようになり始めた。
二月に参観日があったのだけれど、それに合わせてイベントをやろうという話だったのだ。それも、十歳になった少年少女に両親への感謝の言葉を述べさせようというイベントである。そのために、児童たちは冬休み明け、その準備に没頭するようになった。A4の方眼紙を一枚渡され、そこに自分の赤ん坊だったころの写真や、名前の由来、親との心温まるエピソードなんかを挿話して、感動を演出せよということであった。もちろん、演出家は担任の竹中先生。わたしたち生徒は、あくまでも取材記者の一人にすぎなかった。
初めはわたしも真面目にやっていた気がする。自分の名前の由来を知ったのも、このときだった。
「鮮やかで彩り豊かな夏のような、そんな元気な女の子になってほしいから」
母は、由来を尋ねたわたしにそう答えた。
隣にいた父は、ただ気恥ずかしそうにうなずくばかりだった。
わたしはそれを書き取り、方眼紙に清書し、また幼稚園のときのエピソードを書き添えてやった。わたしも記憶にない、幼稚園の運動会の話だ。母に聞きながら、わたしはそれを書き下すだけの存在になっていた。
そうして当日、わたしはそれを一言一句違わぬように読み上げ、最後には「産んでくれてありがとう」という心にもない言葉を述べた。
それが全クラスメート、二十七人分続いた。そしてそのたびに、教室の奥からは嗚咽のような泣き声が聞こえてきた。
あの瞬間、違和感を感じていたのはわたしだけだったのだろうか。いまならハッキリとわかるけれど。
でも、わたしは確かにあのとき感じていた。これは茶番だと。そこにわたしはいなくて、大人のご機嫌をとる都合の良い宮崎彩夏がいるだけだと。
そんな思いを抱きながら、わたしは残りの小学校時代を過ごした。
しかし中学生にもなっても未だそのような思いを持っていると――いや、それよりもなお屈折した思いを持つようになると――わたし自身自分を疑うようになった。わたしって何なんだろう。宿題して、学校に行って、部活に行って、塾に行って……。そこにわたしはいたの? と問いたくなる自分がいつもいるようになった。
学校に行くのは、義務教育だから。部活に行くのは、部活に入るのが絶対だから。テニス部はまだ楽だと思ったから。塾に行くのは、親が行きなさいと行ったから。
――そこにあなたはいるの、彩夏?
わたしは日頃から自然とそう問いかけるようになっていた。
でも、当時もあまり気にしていなかったように思う。なぜなら、「中学生とはそのような葛藤を抱えるものだ」という論説がまかり通っていたからだ。テレビや映画、ラジオ、ネットとそこかしこで。中学生とは余計な苦悩や葛藤を持って、大人はわかってくれないとわめき散らす、面倒くさい存在だと。そうであると断言するように、巷には中高生の青春を描くフィクションがあふれていた。
だからわたしは麻痺していたのだと思う。わたしの屈折した葛藤は、一般的なものだと。いつか治って、疑問に思うことすらなくなるのだと。
――あのときまでは、そう思っていた。
*
世界がもう少しだけ広いと知ったのは、大学生のときだった。
そして、世界がやはりわたしとはズレているとわかったのも、大学生のときだった。
わたしの行動範囲は、十八歳のときまでずっと地元とその周辺だった。遠くへ行ったとしても、電車で一時間ほどの都市部ぐらい。それ以外は、ほとんど地元という檻のなかに折檻されていた。
それが東京に出たのが、十八の時。大学に進学したときだった。
大学に行くことに、特に理由はなかった。進学校にいたから。両親が行けと言ったから。そこに合格したから。だから、行くことにした。そこにあなたはいるの、彩夏?
しかし、少なくとも中高の時よりはそこに自分がいたように感じられた。わたしには、一応にも世間が言うところの夢というものがあったからだ。非常に漠然としたものだったけれど。作家になりたい、という非常に空漠とした思いがあった。
でも、考えてみればそれも空虚な夢だった。実のところ、わたしは文章が書きたくて、モノが書きたくて作家になりたかったわけではなかったのだから。ただわたしは、体制に対するファイティングポーズがとれればなんでも良かった。まわりが「やめろ」というものに手を出せれば、それで良かったのだから。だからもし中学のときギターに手を出していれば「ロックスターになりたい」と言い出しただろうし、八ミリビデオなんかぞ手にしていたら、「映画監督になりたい」と言い出したに違いない。
わたしの夢というのは、そういうものだった。だからわたしは、文学部に入った。と言ってもわたしがやりたかったことと言えば、サリンジャーの著書にガソリンを浸して、火をつけ、図書館に投げ込むぐらいだったのだけれど。
ともかく、そういうわけでわたしは大学に進学し、上京した。初めての一人暮らしには、別段ホームシックのようなものは感じなかった。
むしろわたしは、いままで感じていた違和感を、二倍濃縮のツユにして飲まされる感覚に苦痛を覚え始めていた。
大学の入学式後、そわそわとした新入生は、やがて友人を築いていき、サークルに加入し、いつしか声は大きくなり始めていった。髪はきらびやかな黄金色に変わって、衣服も脱皮をはじめて、そこここで求愛の盃が交わされる音が響き始めていた。
それ自体には、わたしはなんら違和感を覚えなかった。確かに騒がしい学生は好きではなかったけれど、わたしは恋愛には肯定的な人間だったから。
わたしも何度か、告白されたことがある。一応、容姿には最低限の注意は払っていたから。
*
はじめて男子に言い寄られたのは、たしか高校二年生のときだったと思う。わたしの高校は地元に二つある普通科高校の一つで、もっと言えば地元で唯一の進学校だった。それ以外は、商業科と工業科の高校しかなかった。
一応の進学校ということだったけれど、しかし校内には校則というものがなかった。学生手帳を見れば一応は一通りの規則が記してあるのだけれど、その多くは形骸化し、もはや意味をなしていなかった。その根底には学生の自主性尊重という創立者の思いがあるらしいけれど。でも結局その自主性がどこに現れているのかといえば、頭髪と衣服だった。
一年生も二学期になると、わたしは校内で何人もの金髪を見かけた。もっといえば、クラスで席につくと、髪を少しでも明るくしていないのはわたしぐらいになっていた。特に女子はハッキリ別れていたと思う。金に近い色に染めるモノから、男子への受けを狙って綺麗な黒髪を保持する者まで。わたしはそのどちらでもなかったのだけれど。
そんな高校時代、私の唯一の楽しみはと言えば図書館に行くことだった。思えば作家になりたいという漠然とした思いは、このときに生まれたのかもしれない。
放課後に図書館を訪ねると、わたしは決まって一冊の文庫本を開いた。ページは日に焼けて、帯には破けた跡がのこされた、青とクリーム色の文庫本。野崎孝訳の『ライ麦畑でつかまえて』。
それを見つけたのは、父の書斎だった。ある時――中学二年の冬だったと思う――父は、突然所蔵していた本を売りに出すと言って、壁一面のコレクションを段ボール箱の中に移した。そして、その中から一冊だけわたしにプレゼントすると言った。
父からプレゼントを受け取るのは、誕生日かお正月か。だから、まるで自分の記念日のようにうれしくなって、わたしは段ボールの中身をあさった。その中から見つけたのが、このキャッチャー・イン・ザ・ライだった。
わたしは初めてこの本を見つけたとき、秘密の宝物でも見つけたような気分になった。その気分はいまでも続いていて、わたしは『ライ麦畑でつかまえて』ばかりを繰り返し読むようになっていた。他の本は、あまり読まなかった。いや、コクトーやヘッセ、それから三島は読んだ気がする。でも、基本的に図書館の本は読まなかった。わたしが読んだのは、家にあった本。それも、とりわけ父が古くから大事に持っていたような、そんな本たちだった。
わたしは数多くの本は読まなかったけれど、同じ本を繰り返し読んだ。あるときは、一週間にライ麦を四度も読んだ日があった。
図書館に来るのは、塾にいく時間までの暇つぶし。それと、静かで心地よいから。それ以外に理由はなかった。図書館で本を借りるつもりも無かったのだから。
話を戻そう。
彼に話しかけられたのは、そんな放課後の図書館でのことだった。文化祭を前にした、九月の上旬。図書館は校舎から少し離れた場所にあるのだけれど、それでも文化祭実行委員の嬌声が聞こえてくる、そんな季節だった。
わたしが図書館を好んだ理由は、静か以外にもう一つある。扇風機がずっと回っていることだ。特に図書館の周囲は木陰になっているので、クーラーをつけずとも涼しげな風が吹き込んでくる。冷房を設置する金もない貧乏公立高校では、もっとも涼しい場所とも言えた。
わたしはそんな図書館の一番すみの閲覧席に座って、いつも自前の本を読んでいた。隣にある棚は社会科関連の本で、そうとうな物好きでなければ借りていくことはない。基本的に生徒が借りていくのは、入り口近くのヤングアダルト/ライトノベルコーナー。あるいは、一般文芸書コーナーだった。
わたしはそんな人気のある書棚からは、いつも距離をとっていた。理由を問われたら、答えられないけれど。でも、きっと純粋にいやだったのだと思う。大衆に迎合するというか、流行に乗るというか。わたしは、体制にファイティングポーズをとりたくて、作家をめざしたりするような人間だったから。
わたしに告白してきた彼は、そんな図書館の住人の一人だった。わたしもいちおうは図書館の住人であったから、彼の存在ぐらいは知っていた。黒縁のメガネをかけた、あまり目立たない少年。図書委員で、ある月は彼がずっとカウンターに立っていたこともあった。
そしてその日、とつぜん彼はわたしの座っていた閲覧席の隣に腰を下ろした。ほかに席はいくらでも空いていたというのに、よりにもよって。
「宮崎彩夏さんだよね?」
彼はそう言って、わたしの顔を仰ぎ見た。彼は、わたしよりも少し背が低かった。彼は三組で、わたしは四組だったけれど。全校集会で背の順で並ぶとき、彼は決まって先頭だった。ちなみにわたしは、平均よりすこし高いぐらいだった。
「そうですけど」
わたしは、そのとき読んでいた『フラニーとゾーイー』から目を離さぬまま答えた。村上春樹の新訳で、わたしとしては所々に挟まれる訳者注が鼻につく作品だった。
「いつも図書館に来てるよね」
「そうですけど」
目線は字を追っていた。
けれど、思考は彼によってかき乱されて、わたしの中のフラニーは作中以上に言葉を病み始めた。なので、わたしは読むふりをしつつ、字を追うのはやめた。視線は決して本からずらさなかった。
「えっと、僕のこと知ってる?」
彼はオドオドした様子で言った。
とてもじゃないが、彼はナンパをするような男には見えなかったし。かといって、女性への興味を失った男性にも見えなかった。なぜなら、彼が机上に置いた文庫本には、セーラー服姿のかわいらしい少女が描かれていたのだから。
じゃあ、罰ゲーム? 図書館の利用者カードでも調べて、わたしの名前を割り出した?
そうこう考えていると、彼の方から勝手に話を切りだしてきた。
「まあ、わかんないよね。えっと……僕、高橋っていうんだけど。高橋一樹。図書委員で、いつもここにいるんだけど」
「知ってる。で、それで?」
「いや、いつもここにいるからさ。……何読んでるの?」
そう言って、彼はわたしの本をのぞき込もうとした。
わたしはとっさに本を閉じ、そのまま裏表紙を上に向けて机に置いた。あらすじは手のひらで隠した。
それから数秒間、わたしと彼は見つめ合った。わたしはにらんでいたのだけれど、彼はじっと見つめていた。その視線は熱く、青さを帯びていた。
「ごめん、いやだった……?」
「べつに」
「ごめん」
謝ることでもないのに、彼は謝り続けた。
ところで、日本の謝るという文化もわたしはどうかと思う。悪いことをして謝るのはわかるけれど、そうだけではなく、自分の地位を守るために、身勝手な理由で攻撃を仕掛けてきた相手にさえ一歩譲る。そして謝る。何の解決にもならず、喧嘩をふっかけてきた相手が得をして帰る。これが釈迦やキリストの言う赦しだと言うのなら、わたしは今後とも宗教とはうまく付き合っていけないように感じる。むろん、この社会に通底する不可視の原則にも。
「ごめん」
彼は矢継ぎ早に謝罪を続け、わたしの機嫌を取り持とうとした。だけど、わたしは気後れするばかりだった。
「たださ、本が好きな友達がほしかったんだ。それで、声をかけたんだけど……。いやだった?」
「べつに」
目線を彼の本にやる。セーラー服の少女が、詰め襟姿の男を引っ張っている。でもその男の容姿は、とてもじゃないが男のようではなかった。スカートをはかせれば立派な女になりそうなぐらい細く、か弱く、意志薄弱に見えた。
「ああ、これね」と、彼はその本を手にとって、わたしにもよく見えるようにした。
「おもしろいんだ。これ、四巻なんだけど。読む? 一巻は確か借りられてると思うんだけど、僕持ってるからさ」
「そう。どういう話?」
「学園モノだよ」
「学校で、何をするの?」
「えーっと……部活とか、文化祭とか、そういう」
「そう」
――わたしは、学校をドロップアウトする話を好き好んで読んでいる女なのよ?
わたしは彼にそう言ってやりたかったけど、ぐっと押しこらえて、自分の本に目を戻した。
「ねえ、宮崎さんはどういう本を読んでいるの?」
「エウリピデス」
*
初めて言い寄られたのは、高橋。次が宮本で、三人目はもう忘れてしまった。状況だけは覚えている。二十歳になって、せっかくだからと物の試しに近所のバーに行った。そこでフローズン・ダイキリを飲んでいるところで、話かけられた。あとは覚えていない。
だからわたしも、色恋沙汰に無関心であるとか、否定的というわけではない。むしろ男の子という存在は興味をそそられるものであるし、もっと調べるべきものだとは感じている。ただ、深い関係になることについては、少し懐疑的というだけだ。
二人目の宮本とは、高校三年生の時。受験を控えてナーバスになっていたわたしたちは、お互いの傷を舐め合うように唇を交わし合った。けれど、彼がわたしの胸元に手を伸ばしたとき、わたしは幻滅してしまった。なぜかはわからないけれど。彼もそういう、有象無象の男の一人なのだと。結局、女性を性愛の対象以上に見れない存在なのだとわかると、とたんに興が冷めてしまった。彼とは、その一件以降会っていない。
とにかく大学という場所には、そういうわたしの興が冷めてしまうような男と女ばかりがいたというわけだ。髪を染め、過剰に見目を気にし、覚え立てのアルコールを飲む。それが楽しみ……。
わたしはそれが、一種のマスターベーションのようなものだと思った。大学時代を、偉ぶった大人たちは『人生の夏休み』と呼ぶけれど、わたしはそうは思えない。むしろ、人生においてマスターベーションを覚えた時期であると感じる。ちょうど中学生のときのように。
前に読んだ本で、男子は中学生になるとむさぼるようにマスターベーションに興じると聞いた。わたしは、当時そこまで意識はしなかったけれど、眠れない夜にクリトリスを摘むことはあったように思う。あのときは、初めての快楽にただただ興じていた。
そんなふうに大学時代とは、今後とも付き合っていく快楽を純粋に楽しめる時期であるとわたしは思う。自慰行為におけるオルガズムだけを感じれる時期であるように。残りの後かたづけとか、あとはセックスの際の避妊であるとか。そういう面倒なことを気にせず、純粋に快楽を楽しめる時期であると。
ただ、わたしが大学生活にマスターベーションのような心地よさを感じていたかというと、首肯しがたいところがある。わたしは、そういった括弧付きの大学生にはなれず、いつまでも青臭い感情を胸に抱いていたのだから。
違和感。葛藤。苦悩。
そういったものは、そういったものとして忘れねばなるまいと。思考を停止し、ただ眼前の痛苦に耐えねばならないと。それが大人になるということだと知ったのは、大学四年の春のことだった。
卒論は、結局サリンジャーをやることになっていた。けれどわたしはロクに授業も出ていなかったせいで、卒論単位もギリギリというふうだった。おかげで一年生と同じ授業を受ける日もあった。
そんなおり、わたしが感じ始めた違和感がそれだった。いつか訪れるであろうとは予感していた、予定調和的な、画一的な違和感。
卒論のゼミが始まったとき、わたしは教室をたずねた瞬間、どうしようもない吐き気を覚えた。というのも、ゼミ生が全員スーツに黒髪、ポニーテール、あるいは短髪という姿で、姿勢を正して座っていたからである。そうか、就職活動かと、わたしはそこでようやく自分が四年生になったことを再確認した。
先日まで髪を明るい茶色に染めていた男子学生たちは、いつのまにかポマードで固めたような艶のある七三分けになっていた。そこに彼らの個性はなかった。
アッシュヘアーの女子学生も、いまや濃紺のスーツに着替えている。長く垂れた髪に、大きめのメガネももうどこにもない。あるのは、髪をかきあげ、そばかすのあとを見せる女性が一人、二人、三人……。蝋人形が乱立しているようなその光景は、わたしに目眩を起こさせた。そして実際、わたしはそのまま大学の医務室に駆け込んだ。
大学の医務室には、あまりいい思い出はない。前にどうしようもなく具合が悪く駆け込んだことがあったけれど、そのときもひどい仕打ちを受けた。担当医は髪の薄い白衣の女性で、早口言葉がうまかった。イブプロフェンだの抗ヒスタミン剤だの長ったらしいクスリの名前を間違えもせずに口にしたのだから。
その日の担当医も同じく早口の彼女で、投げやりにビタミン剤だけを渡されて、医務室を追い出された。
それからわたしは、ぼんやりと医務室前のベンチに座り込んだ。医務室のある第二棟は、文学部棟と学生部、それから就活支援センターなどというものがある。学生部は、まだ授業中だからかひっそりしていた。そのとなりの就活支援センターは、なぜか活気があった。
どうしてだろう。就活なんて、わたしがもっとも嫌う物の一つだというのに。みんな好きでもないのにスーツを着せられて、個性を破壊されて、それでなお個性を求められて。しかしその個性も、個性というべき個性でもなくて。企業は良い顔をしてその競争馬たちを見ている。それも速さでなくて、毛並みを。
そんなに嫌いなことなのに。わたしは体制に抗いたくて、漠然と筆を執ったり、執らなかったりしているというのに。
気づけばわたしは、就職支援課とやらに足を運んでいた。
わたしが部屋にはいると、若い女性職員が快活な声で迎え入れてくれた。その元気さは、しかしバックボーンのない空虚なものに思えた。
「今日はどのようなご用件ですか? 面談ですか?」
「えっと、はじめてで。よくわからないんですが」
「三年生の方ですか?」
「いえ、四年です」
「お名前と学籍番号を教えていただけますか?」
囚人番号のようなナンバーを答える。
「では、面談をいたしますので。あちらで少々お待ちください」
指されたのは、カラフルな円形のソファーだった。
それに腰掛けしばらく待っていると、一人の男性がやってきた。バインダーを手に持った彼は、頭に白い物が目立つ男だった。
「えーっと、宮崎彩夏さん?」
「はい、そうです」
「じゃあ、こちらへどうぞ」
ついたてに仕切られた個室に招かれ、わたしはイスに腰掛けた。対面して彼も座った。
「えーっと、宮崎彩夏さん? ここへ来るのは初めて?」
「はい」
「四年生でしたよね? 就職活動はどのように進んでますか」
「なにも」
「はあ、なにも。では、何か希望している業界や職種などはありますか?」
「特にはありません」
「そうですか……。えーっと……では、将来の夢とか、なりたい職業は?」
そこでわたしは、作家と答えれば良かったのだろうか。それとも、ロックスターか。映画監督か。どれを言っても、変人に過ぎない。わたしは自分で言おうとした言葉を鼻で嗤った。
「作家になりたいんです」
「作家ですか……。なにか新人賞に応募したとか、出版社に持ち込みをしたこととかは?」
「ありません」
「作品を書いたことは」
「多少なら」
「そうですか。……では、出版社などはどうでしょうか。または、印刷業界や、広告、制作会社など……」
男はそう言うと、バインダーの上に載せたタブレット端末を手に取り、それから小一時間いろいろと説明を始めた。
わたしはそんなことが聞きたいんじゃなかった。わたしは、少なからず強制されることを望んでいたのかもしれない。作家になりたいなどと漠然とした希望を語る人間をたしなめる、そんな言葉を。
わたしは彼に対し、「はあ」とか「へえ」とかテキトーな相づちを打ち続けた。まるでホールデンみたいに。
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