ⅶ 言葉に出来ない疑問
「おかえり。はい、お水。どうせ酔ってないんだろうけど、一応ね」
「ありがとう、有夏ちゃん」
僕は船木伸一との飲みを終わらせ、ひんやりとした空気を吸いながら、夜を行きかう人々の中を歩き、トラブルなく無事に帰宅した。家に帰ると、電気を消した部屋でオルメアを操作していた有夏は、テーブルに水や胃腸の薬などを用意して待っていてくれた。有夏のその優しさに触れ、僕はつい彼女に抱き付く。急な出来事にも関わらず、有夏は優しく僕の頭を抱き寄せ、その安堵の空気で癒してくれる。
「彼らの件だけどさ」
「何か分かったようね」
「うん。僕の予想が当たっていてね。恐らく、船木伸一と川嶋玲奈はDVカップルだと思う」
「随分断定するのが早いわね。暴力を受けたと言っても、私たちが知っているのはあの一回だけよ」
「……うん。だから、これは僕の直感なんだ。船木くんは川嶋さんに対して、DVを行っている可能性が高い。そして、少なくとも川嶋さんは、そのことを公表していない」
「そうね。もし川嶋さんがそのDVで困っているのであれば、手を差し伸べる必要があると思う」
「でも、多分川嶋さんはそのことについての本音を漏らすことはないと思うよ。だとすると、考えられる行動は――」
「――ダブルデートね」
「え……」
「いっそこちらから近づいちゃいましょう。だから、ダブルデート」
「……うん。そうだね」
なぜそういう考えにたどり着くのか、むしろダブルデート中にそんなボロを出すとは思えないが、有夏はもうそのプランで行くつもりらしい。しょうがないので、有夏の考えに乗るとしよう。どうせ、この状態で僕が意見を言っても却下されるだろうから。とにかく今は、船木伸一がどれほどのDVを行っているのかを確認だけでもする必要がある。いくらそれが彼にとって素敵な行為であっても、程度によっては最悪な事態に陥ってしまう可能性だってある。特にあの超力でビンタをされるなんて、どれほど辛いことかは想像に難くない。とにかく今は、不安定なこの心を落ち着かせ、明日に備えて寝よう。
「ごめん、有夏ちゃん。もう落ち着いたよ」
「あらそう。……今日は早く寝ましょう。ほら、お湯もさっき温めておいたから、入っておいでよ。布団、敷いておくから」
普段は手厳しい有夏も、心が不安定だと気付くと、気を利かしてくれる。僕自身を愛していないはずなのに、僕に対して優しさの泉を注いでくれる。
「有夏ちゃん」
「なに?」
「ありがとう」
僕はとても自然に、穏やかな笑顔を表出しながら、この世で最も美しい笑顔を見せてくれる女神に感謝を述べる。その女神は、不意に向けられた感謝の意に対して、少し照れたようで、顔を少し背け、返答する。
「どういたしまして。最高芸術を持つ人さん」
その時に見せてくれた有夏の笑顔は、いつも僕が提供する臓器を見ているあの高貴で美麗なものとはまた違った、どこか無邪気で子供っぽさのあるものだった。その笑顔を見た僕は、いつもと違った鼓動を感じ、それを隠すように、洗面所へと入る。付き合い始めて一年。大学一年次では見なかったとても珍しい表情を初めて向けられて、僕の心に、新たな熱を帯び始めていることを、湯船につかっている時に理解し始めるのだった。
――
「おう、狭間! 調子はどうだ!?」
「やあ、太一くん。最近はあまり大きな事故に巻き込まれていないから、調子は最高だね。そちらはどう? うまくいっている?」
「そりゃもう絶好調だぜ! 昨日なんて、夜からまた試合やったんだけどよ! また今日の朝までかかっちまってな! 結局また負けちまった! 本当、あいつありえない態勢でかなりいい球を返してくるんだぜ!――」
とても良い天気なのに、昨日よりも冷え込み、コート類とマフラー系の着衣を抱え込んだ学生たちが集まる学食。僕はいつもの温かいうどんを購入し、ガラス張りで外を眺めることが出来る、中庭側の端の席に座り、先ほど偶然居合わせた津南太一と共に、昼食をとっている。結局、有夏が提案したダブルデートを実行し、そこで最終確認とするらしく、今、彼女は川嶋さんの所へ相談しに行っている。まあ、有夏が持ちかけるのであれば、ほぼ間違いなく予定されるだろう。彼女はそういう根回しはとてもうまいと僕は思っている。
「なあ、狭間。お前、最近船木と絡んでるんだって?」
「そうだね。彼と会うことが最近多いからね」
「あいつさ、心理学科の誰かと付き合ってるよな。教室から一緒によく女子と一緒に出てくるの見るんだ」
「付き合ってるよ。川島さんって人」
「そうだ! 川嶋って人だ! 俺さ、その人と何度か会ったけど、なんか避けられてる感じがしてな。話しかけても、なんか業務的な反応でさ。個人的には、男子が苦手系なのかと思ったけど、まさか船木と付き合ってるなんて知らなくて、驚いたことあったなって思ったんだ」
「そうなんだ。彼女とも話したけど、どうも男性が苦手な節があるみたいだよ」
「やっぱそうか! ……ん? でも、狭間は川嶋と話せたのか?」
「話したよ。なんか、僕に対しては拒絶反応示さないみたい」
「なんだそれ! はぁぁ! やっぱり女子ってお前みたいな冷静系イケメンが良いんだな……
「いやいや、僕は別にイケメンじゃないよ。なんで話せたのか、僕も分からないんだ」
そう、川嶋玲奈はかつて、男性に対して苦手意識があったと言っている。そもそも、なんでそんな彼女は、他の男子たちが集まる鍋パーティーに参加したのか、はっきりと理解できていない。船木伸一が居たからと言われればそれまでだが、どうしても、言葉に表現できない何かが引っかかる。このことも、ダブルデート時に分かれば良いのだが。
「ん? おい、あそこにいるのって、宇津木じゃないか?」
津南太一に促され、ガラスの向こう側に目をやる。すると、広い中庭の向こうに、ベージュのステンカラーコートとマフラーを身に着けた、有夏がこちらに歩いてきていることが分かった。彼女は近くのベンチの前で止まり、こちらに向けて右手を伸ばしている。
(まずい! 早く食べないと!)
僕は、彼女が何をするのか見当がつき、急ぎでうどんをすする。ちょうどあと少しで麺が無くなるくらいには減っていたので、うどん自体は食べきることが出来た。その瞬間、体が有夏の方へと引っ張られる感覚に襲われる。
「ごめん、太一くん。また今――」
「おぃ……」
津南太一に別れを告げたところで僕は、有夏の超力により、吸い寄せられる。彼女の超力は、物体を瞬間移動させて取り寄せるため、間に障害物があっても、関係なく取り寄せることが出来、最近、その効力はどんどん上がっているようだ。しかし、この瞬間移動するときの感覚がとても特殊で、簡単に例えるなら、濡れない水中で無理やり引っ張られている感覚で、僕は苦手だ。今も僕は眼を強く瞑り、彼女の所へ到着するほんの一瞬を待つ。そして、その苦手な感覚が終わったと感じ、眼を開けると、僕は彼女の右腕の中に取り寄せられていた。彼女の左手には、僕の荷物を持っている。
「次の日曜日、フラベンで一日ダブルデートになった。船木くんも了承したみたいだわ。しっかりと確認するわよ」
「……うん、分かった。でもさ、ご飯の時はこれ、やめてくれるかな。気分が悪くなって……ね?」
「あら、失礼。じゃあ、座って」
そう言われ、僕は強引に近くにあったベンチに座らせられる。幸いなことに、うどんを食べていたために、気分が悪くなっても、逆流することはなかった。それにしても、流石有夏だ。手が早い。これなら、僕が思っていた以上に早く、色々と判明出来そうだ。
「もし、程度が酷かったら、止めに入って話しを聞く。良いわね?」
「うん。身近にDVがあるとしたら、見てみぬふりなんて出来ないもんね。取り越し苦労で終わってくれればいいけど」
僕たちは決意を確認し、その決戦の日まではあの行為をしないことにした。明確な理由はないが、気分的にも乗らなかったのだろう。そして、その決戦の日までは、お互い落ち着いた生活を過ごし、とうとうその日を迎えたのだった。
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