ⅴ 宴の出来事

「やあ、川嶋さん」

「お隣、良いかしら?」

「あ……うん」


 川嶋玲奈の声は、周りの学生たちの喧噪によって、消え入りそうなほどに小さく聞こえた。

 僕たち二人はご飯を食べ終わり、食器を片付け、自販機で飲み物を買った後、川嶋玲奈に話しを聞きに彼女に近づいた。彼女は僕たちに気づくと、眼を伏せてばつが悪そうに顔を背ける。恐らく、昨日行われた鍋パーティーで、何かあったのだろうと予測する。有夏が何気ない会話を始めて彼女に話しかけた。


「あら、ハンバーグ定食じゃない。おいしいよね、ここのハンバーグ定食。私も週一で必ず食べるの」

「そ、そうですね……」

「――でも、川嶋さんはあまり好きじゃないみたい。ハンバーグに伸びる手に元気がないように見えるわ」

「す、好きですよ? 好きですけど……」


 川嶋玲奈は言葉を紡げずに俯く。僕たちは言葉が続くのを待つ。


「心と頭では好きなんです。でも、どうしても、態度とか、第三者にも理解されるほどの態度をとることが出来ないんです」

「確かに私から見ても理解できないわ。その傷は一体誰から受けたものなのかもね」


 有夏がいきなり相手のパーソナルなところへ足を踏み入れ、話し始めたので、僕は驚き肝が冷え、注意を促す。全く、そんな急に話しを持っていかれたら誰だって困るだろう。


「ちょっと、有夏ちゃん」


 しかし、川嶋玲奈はいやな顔をせず、その言葉を受け入れ、一口水を飲み、丁寧に対応する。川島玲奈の大人な対応に、僕はほっと心を安心させた。


「……いえ、良いんです。そうですよね。昨日、あのことを言った翌日に、こんな姿を見ると、誰でもそう思いますよね」

「教えてくれる?」

「――はい。ここでは人の眼があるので、運動公園場にある第3公園のベンチに行きましょう。あそこは人もあまり来ない、私のお気に入りの場所なんです」


 そういい、川嶋玲奈は残りのハンバーグの塊を口に入れ、ご飯も残っていたすべてを口に入れて咀嚼する。食べている時の表情はとても楽しそうで、嬉しそうに見え、本当にハンバーグが好きなんだということが伺える。その表情を見ていると、こちらまで笑顔が伝染するほどの力を秘めているらしく、有夏はその姿を静かな笑顔で見守っていた。


 ――


「いいですよね、ここ。穏やかな風に揺られ動く木の葉たちを見ていると、とても落ち着くんです」


 三限の時間。講義のないこの時間を利用して、運動公園場エリアにいくつか作られている公園へとやってきた。少し冷たい風を青空が運び、心を落ち着かせる世界の心遣いに感謝しながら、景観に合わせて舗装された遊歩道を歩き、三人が座れる長ベンチに腰かけると、川嶋玲奈はゆっくりと話し始めた。


「昨日、予定通りに鍋パーティーを始めました。男性が船木くん合わせて四人。女性が私含めて三人。一人だけ、彼女さんが来れなくなったらしく、男性が一人多い状態で始まったんです」

「それだけで色々と危ない雰囲気がするわ。川島さん、よく居られたね」

「ええ。船木くんが居てくれたから、安心してそこにいることが出来ました。鍋に具材を入れて、お酒を開けて乾杯して、最初は皆気分よく飲んで食べていました。でも……」


 そこで川嶋玲奈は言葉を切り、眼を伏せる。よく見ると、微かに体が震えているとことも分かる。


「無理しないでね、川嶋さん。はい、飲み物」

「あ、ありがとう、狭間くん」


 少し遠慮がちに受け取り、川嶋玲奈はその飲み物を飲む。体の震えは収まり、再び話しを続ける。


「……お酒が回ってきたみんなは、各々落ち着くために外に出たりしました。私はあまり飲んでいなかったので、片付けられるものを片付けていました。そして、キッチンに入った時、急に……後ろから抱き付かれたんです」

「それは、彼氏さん……ではないわね。流れからして」


 真面目な表情で冷静に分析する有夏。それに応える川嶋玲奈。


「はい。その人は、彼女さんが来なくなった人でした。その人は結構ハイペースで飲んでいたので、結構ひどい回り方をしてしまったんでしょうね……」


 これは勝手なイメージだが、川嶋玲奈のような落ち着いた雰囲気の女性は、男性から見ると抵抗しなさそうに見えてしまうため、そういうトラブルに会いやすいのだと思うし、まさに今回、それが起きてしまったということだろう。

 

「そんなことが……」

「まあ、そういう危険性はあるだろうなとは思ったわ。まさか本当にしでかす猿がいるとは思わなかったけど」


 有夏は手厳しい評価を言い、川嶋玲奈は乾いた笑顔を見せる。


「私は船木君と付き合うまで、異性恐怖症で、異性の人が近くにいると何もかもの機能が満足に機能しなくなって、その癖がまだ出てくることがあるんですけど、その時もそれが出てしまったんです。怖くて私は何も言えず、体も動かすことが出来ずに、相手のされるがままでした……その時、船木くんが彼を引きはがしてくれたんです」

「あら意外」

「船木くんが彼を離してくれたおかげで、私は助かったんです」


 ここまで聞いて僕は疑問を持つ。恐らく誰もが引っかかったでろうことに。


「それなら、川嶋さんのその絆創膏は……」

「これは……船木くんから受けたものです。友人を引きはがした後、外に連れ出されて、そのまま平手で叩かれました」


 そういい、川嶋玲奈はその絆創膏をゆっくりと剥がす。そこにあったのは、手形がくっきりと入った火傷痕だった。恐らく、熱を帯びた手でビンタされたのだろうか。超力の熱で作られたその手形は、絶えず手形に沿って動いているのが分かる。その痛々しい姿を見て僕は、思わず顔を背けてしまう。


「やっぱり、この痕は人に見せてはだめですよね。ごめんなさい、すぐに新しいのを貼ります」


 川嶋玲奈はリュックから同じ種類の物を取り出し、有夏も一緒になって、頬に貼る。顔を背けてしまったという、してはいけない反応をしてしまい、僕はとても申し訳ない気持ちになった。有夏も、「そんな反応するなんて」という厳しい視線をこちらに向けている。張り終えた有夏は続ける。


「その、川嶋さんを前で言うのも失礼だけど、最低な男ね。女性の頬に、超力の傷をつけるなんて」

「流石にこれは……まずいと僕は思うよ」

「ええ、やっぱりそう思ってしまいますよね……」

「ここに居たんだな、玲奈。――お、狭間たちもいたのか。最近よく会うな」


 川嶋玲奈と話しを続けようとしたが、船木伸一が姿を現したため、中断された。彼はいつものカジュアル系に包まれ、陽気な笑顔を咲かせている。こんな彼が、川嶋玲奈の頬に火傷痕を付けたなんて、信じられないし、信じたくない。


「次の講義さ、課題出てただろ? ちょっと分からない所があるから、来いよ、玲奈」

「う、うん、分かった。――それじゃあ、狭間くん、宇津木さん。じゃあね」


 リュックを持って足早に船木伸一の方へ遠ざかる川嶋玲奈。その時の彼女の表情は、とても明るいとは程遠く、影が落ちているように見えた。その表情を見た僕は、頭で考えるよりも早く口が出ていた。


「あの。船木くん。四限の講義が終わったら、二人でご飯食べに行こう」


 言った後に自分が言ったことに対して驚く。何も考えていない状態で、二人で話し合うとか、僕には難しいのに。有夏の方に目を向けると、「全く無謀なことを」と呆れたような視線を送っている。ごめん、有夏。完全に勢いで言ってしまった。うまくやれるか分からないよ。


「おう、良いぜ。あ、だったら今コネトクのID教えようか」


 案の定、彼は快く受けてくれた。彼の笑顔が今の僕には重圧にしか感じられず、IDを交換してから二人が居なくなるまで、口の中が乾ききって嫌な味しかしなかった。


・あとがき

https://kakuyomu.jp/users/yuji4633/news/1177354054884525066

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