ⅳ 二人だけの勝負事
日も傾くはずの時間帯でも、緋陽が照らす午後。鳥たちは元気に飛び回り、構内の建物の間を飛び回る。求愛をしているのか、デートをしているのか、集団の内の二匹はお互いを追って追われてを繰り返し、鳥たちにしか分からないスキンシップを激しく繰り広げていた。
僕は再びテニスコートへと戻ってきた。津南太一と湯沢南の勝負事の行く末を見守るために。そして、純粋に、うまい人たちのテニスを見るために。テニスコートは、先ほど以上の人混みを成していた。話しが広まる早さに一種の恐怖感を覚えると同時に、これだけの人が、二人の対決に興味を持っているということに、改めて二人はすごいテニスプレイヤーなんだと再認識した。
「お、おい狭間! こっちこいよ!」
出来るだけ前で見たいために、人を掻き分けている途中、津南太一に見つかり、コート内へと招き入れられる。多くの人の視線を感じ、苦みを飲み込む。
「ここで見ていてくれ! 狭間には一番近くで見ていてほしいんだ。頼む!」
「……うん、分かった。ここで見てるよ。頑張ってね。初心だよ?」
「おう!」
津南太一は快い返事をして、青いラケットを手に持ち、コートへと歩いていく。ネットにはすでに湯沢南が挑戦的な目線を送りながら待っている。
「来たわね! さあ、やりましょうか! あの時の特別ルールのシングルで!」
「いいぜ! ダブルスコートのデュースゲームだな! ウィッチ!?」
「ラフで!」
「……よし。サーブはくれてやる!」
テニスのことは動画サイトで解説付きの動画を見ているので少しは分かるつもりだ。デュースゲームとは、簡単に言えば、点を連取すれば勝ち。ウィッチは、サーブをどちらが先に打つかを決めるやり取りのことだ。流れるようなやりとりで進め、彼らは手馴れた手つきでボールを扱い、軽く練習をする。
様子を見るに、津南太一のサーブは力強いフラットサーブを、湯沢南は多彩なスピンを駆使してコースをつくという、誰が見ても正反対なプレイスタイルだった。
ラリーの練習では、湯沢南は片手バック、津南太一は両手バックというスタイルで、まるでプロの試合を見ているほどの迫力がある。そして、二人はボールを止め、ポケットへとしまう。ついに始まる。有名なテニスサークルの一位と二位の戦い、そして、お互いの気持ちをかけた戦いが。
「デュースゲーム、プレイ!」
湯沢南の掛け声とともに、サーブが始まる。無駄一つない華麗なフォームから繰り出された湯沢南のファーストサーブは、伸びるスピンらしく、ライトサービスコートのセンターぎりぎりに入ったサービスは、バウンドしたあと、妙にまえに伸びるように見えた。その強烈なサーブを津南太一はバックハンドで危なげなく返す。そして始まった終わりの見えないラリー。湯沢南は自慢の身体能力で際どいコースの球も難なく返す。津南太一はその動体視力を用いていち早く球に追いつく。鳴り響く打球音。一度も止まらない二人のラケット。動体視力と身体能力の殊力者がスポーツで戦うと、こうも勝負がつかないなんて。そんな感想を漏らしていると、ついにボールがフェンスにぶつかる音が聞こえた。先制したのは、湯沢南だった。
「ふう。まあ、頑張った方じゃない? でもやっぱり動体視力で見えても打ち返せなきゃ意味ないものね! さあ、まだ始まったばっかよ!」
一番初めのラリーでまさかここまで内容の濃いものが見られるとは思ってもみなかった。これは、予想以上に時間がかかるだろう。今のうちに二人に飲み物を買ってこようと思い立ち、ベンチを立とうとすると、誰かが僕の肩に手を置き、半ば強引に座らせた。
「はい。飲み物です。どうぞ使ってください」
そう話しかけてきたその人物の方を見やる。そこには、女性と見間違えるほどにとても美麗な顔立ちをした、ちょうど平均身長くらいの黒髪の青年がいた。彼はにこやかな笑顔を見せ、コンビニの袋をこちらに差し出している。
「ありがとう。君は?」
「狭間君と同じ心理です。人の流れを追っていたら、ここに行きついたんですよ」
「えっと、名前は……」
「彼らは心理でも有名なカップルでしたよね? まさか勝負事もここまで人を巻き込んでいると、ただの迷惑ですよね。まったく、殊力者はこれだから……」
名前を一向に言おうとしない青年は、どうやら殊力者になにか嫌悪感を抱いているように見えた。
「君は、殊力者が嫌い?」
僕はつい、そんな質問をしてしまっていた。
「いえ、殊力者全員が嫌いという訳ではないですよ。狭間君みたいにしっかりと周りを考えることの出来る人が居ることは分かっていますから。ですが、やはり野蛮な人たちがいるのも事実。この間も、殊力者たちの身勝手なせいで、僕の彼女たちと彼氏が迷惑をこうむったんです。全く、人の邪魔だけはやめてほしいものです」
「そ、そうなんだ……なんか、ごめん」
「いえ、同じ殊力者でも、君は彼等とは違う。理解していますから、狭間君は謝らないでください」
妙に僕の肩を持つ青年。僕はこの青年を知らない。同じ学科でも会わないひとはいるし、おそらく今までの講義でも近くにはいなかった。共通の友人もいないのだろう。なのに、青年は、あたかも僕のことを知っているような口ぶりをしていた。そのことが、テニスコートで起きている出来事も頭に入らないほど、とても気になった。
「君は、一体……?」
そういいかけた時、テニスコートを囲んだ観衆の歓声が耳に無理やり入り込んできた。何事かコートに目を戻すと、中心のネットの根元にボールが落ちていた。落ちていた側のコートは、津南太一側であった。それだけで、津南太一がボールをネットにかけたと分かったが、二人の行動で観衆が沸いた意味が分かった。
「いくらボールが追えても、対応出来なきゃ意味ないわ! さて、少し休憩しましょう、太一!」
「く……くそ……まあ、まだ点が取れないわけじゃない。いつか逆転してやるさ!」
流石サークル一位の実力だ。これが、身体能力の殊力者。僕は、自分が思っていた以上の力を、湯沢南が持っていることに、ある種の恐怖を覚える。
「あんな野蛮な奴らが、基本的な殊力者だよ、狭間君。君は、あんな風にはならないでね」
「う、うん。ん?」
青年の声が聞こえた方へ顔を向けるが、そこにはすでに青年の姿はなかった。残っていたのは、綺麗に飲み物が入ったコンビニの袋だけだった。
――それからずっと試合は続いた。激しいラリーの応酬。強烈なサーブによる決め合い。時に津南太一は飛び込んでボールを拾う場面や、湯沢南が大股で足を開いてボールを取る場面が見られた。
二人の試合は制限なく続けられた。すでに日は落ち、大学の最終講義の時間も過ぎ去っていく。この時間ともなれば、観衆となっていた人混みは散り、大学帰りの学生群となって、帰路に着いていた。そしてここに残ったのは、津南太一、湯沢南、そして僕の三人だけとなった。いつの間にか点いていたテニスコートの照明は、疲労感をやっと出してきた二人の汗を照らし出す。
「ふう! 流石に疲れが出てきたわね!」
「そうだな! だがここで中断する気はもうないぜ南!」
「当然! 終わるまで続けるわよ!」
まさか夜通し勝負をするつもりだろうか。二人の気の余裕さに僕は顔を歪める。一体、二人の体力はどれだけあるのか。ここまで来たらそれを確認したくなってくる。特に津南太一は殊力者と言っても動体視力だけで、他は一般人と変わらないはずだ。これが才能なのか。
「狭間! お前は帰ってくれ! これ以上付き合う必要はないだろ! 体弱いんだから、家でのんびりしてくれ!」
津南太一から有難い言葉をもらうが、ここまで来ると意地でも見たくなる。
「ありがとう。でも、最後まで見たいんだ。邪魔にならないようにするから、見させてほしい。ダメかな?」
津南太一は顔をしかめるが、すぐに返事をくれた。
「分かった! お前がそういうならもう何も言わないさ! 最後まで見ててくれ!」
「それじゃあ、私のサーブから行くよ!」
そして始まる二人の勝負事。湯沢南は「fifty to fifty」とコールし、フォア側からサーブを放つ。今まで以上にしなやかに体を曲げ、体全体を使って放たれたスピンサーブは、津南太一のフォア側へとバウンドした後、僕からでも分かるほど急激に津南太一のバック側へと進路を変えていく。津南太一はそれをなんとか相手のコートへと返すが、当然ボールは浮く。すかさず湯沢南は得意のフォアハンドで強打する。
「まだまだぁ!」
津南太一は声を出して気合を入れ、目で追うのがやっとなほどの打球に追いつき、ラケットに当てていく。そして浮いた球を湯沢南は再び強打する。それも津南太一はバック側へ返球する。今度は切れのあるバックスライスで返したため、津南太一は次の球に対応する余裕を作った。跳ねない返球を掬い上げるように打つ湯沢南。返球した早くない球は津南太一を苦しめるように、バック側へと猛進する。その球を今度はフォア側へと打ち返す。フォア側へと向かった球を、待ち構えていたかのように追いつき、際どいクロスに打ち返す。その球を拾うために全力で走り、ぎりぎりで返球する。勝負に出たのか、とても力強くスイングをして放たれた球は、バック側へと直進していく。流石に決まったかと思ったが、そこは身体能力の殊力者。自慢の反応速度で対応し、走りながら片手バックを打つ。その返球はとうとう、誰もいないコート内へ入り、フェンスに衝突した。これで、カウントは fiftyone to fifty。
「わお……」
「さあ、次で終わりにしましょう! 結局、太一は私には勝てないわ!」
「ぐ……まだ終わらせねえ!」
そう意気込む津南太一。しかし、次のサービスも湯沢南だ。不利なのは変わらない。
「すう……はあ!」
湯沢南はお得意の伸びるスピンを津南太一の正面へと叩き込む。津南太一は瞬時にフォアに回り込み、攻めに転じる。早い返球にも臆せずに拾い上げる湯沢南。そこからは、均衡したラリーが始まった。お互いが緩急の付いたラリーを展開し、隙を探り合っている。
「ねえ、聞いて良い!?」
「なんだ!?」
湯沢南はラリーを続けながら津南太一に話題を振ってきた。
「なんで、今までやっていた勝負事をやめようって言ったんだっけ?」
「周りに迷惑がかかるからだ! そんなことしなくたって、普通にデートすればいいだろうって思ったんだ!」
「ああ、そうだったわ!」
「そんで、お前は、勝負事をやめるなら別れるっていったんだぞ!」
「それは覚えてる! ……今ではそれを言ったこと、後悔してるわ!」
ラリーをしながら顔を赤らめる湯沢南。よくもまあラリーをしながらそんな器用なことが出来るものだ。
「そうなのか!? ……でも、俺は考え変わっていないぜ! お前が何故そこまで勝負事に執着するのかきくまではな! おら!」
津南太一は湯沢南の隙を見逃さず、ラインぎりぎりの所へ球を叩き込む。湯沢南も反応はしたが、追うことはしなかった。
「聞きたい?」
「ああ、聞きたい。聞かせてくれ」
「……良いよ。じゃあ、サーブ打ったら、一から全部話すよ」
そういい、球を津南太一へ送る。津南太一はやれやれといった顔をしながら、今までと比べて弱めのサーブを打つ。そして、そこからラリーが再び始まった。お互いの、本心の打ち合いを。
「……私はね。中学生の卒業と共に、能力開発の手術を受けたわ。中学の頃は、やっぱり普通の恋愛に憧れていたし、短い間だったけど、付き合ったりもしてた。でもね、その手術を受けて、殊力者として覚醒したその日から、考え方が変わったの」
考え方が変わった。おそらく、能力開発手術を受けて能力に覚醒した者なら誰でも感じるであろうこと。今までの自分にはなかった感性、思考が溢れ出す。
「そして、その日以降、私は、普通の恋愛に対して憧れを持たなくなった。高校生の夏、ある同級生から告白されて、付き合ったけど、もう、何もかもが楽しめなくなっていたわ。手をつないでもなんも感じないし、お互いに食べさせ合うことも、ハグをすることも、瞳を見つめることも、キスをすることも、何もかもよ。流石に、性交渉はしなかったけど、でも、あの様子だったら、そっちも楽しめなかったかもね」
湯沢南の場合、恋愛に関する感性が変わったということだろう。おそらく、中学時代の友人たちの誰もが驚いたと思う。人が、こんな急激に変わってしまうことに恐怖したことだろう。その気持ちは僕も分かる。中学の友人たちのほとんどがそうだったし、なにより、僕がそうだからだ。
「自分も戸惑ったわ。違和感が強すぎて気持ちも悪くなったしね。そんな悩みを抱えながら、私は殊力を生かすため、硬式テニス部に入部した。私は瞬く間に強くなったわ。それと同時に、テニスをやってる時、自分の心がとても熱く燃え滾る感触を自覚したの」
硬式テニス部に入部したこと、それが、己の変化に気づくきっかけだったのだろう。
「でも、残念ながら、私のこの燃え滾る心を受け止めてくれる人は、部にはいなかった。みんな、私と打ってくれなくなったの」
強すぎる力は人を突き放す。健力者にとって、能力者は等しく強い。湯沢南の能力は、スポーツをする人にとって絶対にほしいものだ。その嫉妬と追いつけない力の前に、部のみんなは屈し、自分の劣等を見たくないがために、打たなくなったのだろう。
「退屈だった。テニスをしている時以外、なにをしてもね。でも、太一と大会で戦って、私の中の熱は、弾けたの」
二人が戦った大会。やはりきっかけは、あの大会だったようだ。
「この人となら、私は全力でぶつかることが出来る。そう思ったわ。だから、私はあなたと一緒に居たいと思ったの。太一は、普通にデートをすればいいって言ったけど、私は、普通のデートなんかよりも、太一とずっと“勝負事”をしていたい。それが、私にとって、何にも代えがたい大切な時間なのよ」
そういうことだったのか。湯沢南にとって、津南太一と勝負事をすることは、デートをすることと同義。性交渉よりも、勝負事をすることが、湯沢南にとって最大の愛情表現なのだ。だから、その愛情表現を否定したことに怒りを感じて、つい別れを切り出してしまった。
「ふーん。そうなんだな。知らなかったぜ。あのちょっとした勝負事に、そんな意味があったなんてな」
津南太一は納得した表情でそうつぶやく。ラケットを振る腕は未だ止まらない。
「分かったぜ、南! 俺は決めた!」
急に大きな声を出す。迷いない瞳は湯沢南をしっかりと捉える。
「お前のその熱く燃える心に、俺はこれから挑戦し続けるぜ! どんな勝負事でも、俺は全力で勝ちに行く! 毎日、お前に挑戦し続けるぜ!」
「……ええ、受けて立つわ!」
「よーし! まずはこの勝負に勝つ!」
そう宣言し、フォアの強打を叩き込む。すかさずそれを大股開いて返球する湯沢南。
彼らは、彼等の愛の形を今ここで表現し、お互いを求め、会う。“全力で相手と勝負をする”これが、二人にとっても最上の愛情表現であり、僕はまさに、その最たる時を、ここで一緒に過ごしてるのだと、二人の姿を見て思ったのだった。
・あとがき
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