異世界平和のためならば_1


 用意してもらったぶくろを着けたら、かわかたすぎて指が曲がらない事件が発生した。

 だから新しくやわらかい手袋を用意してもらえるまで、指先をワイルドに切った穴あきの黒の革手袋を装備することになった。弟が好きそう。

「次の町スタブに着いたら人間の市長から報告を受ける。おそらく食事だなんだとかんたいを受けるだろうが、いつさいの飲食物に口をつけるな」

「うん、わかった」

 私たちは今、竜落子車に乗って移動中だった。乗っているのは私とルイスだけ。

 デトレフさんとヨアヒムさんは別の車に乗っているか、馬に乗っているようだ。

 ついてきているのは二人だけじゃない。私たちの前後には馬車が長い列を作っているし、荷物もたくさんある。何がそんなに必要なのかは知らないけれど、全部ルイスの荷物だという。

 また、使用人としてついてきている人は大勢いた。みんな竜族らしく、私を見ると信じられないって顔をしてじろじろ見てくる。ルイスの手前何も言わないけれど、みんなヨアヒムさんと同じような気持ちなんだろう。

 ルイスの身の回りのことは、今やデトレフさんが一手にになっているけれど、毒を盛られるまではあの大勢の人たちにかしずかれていたらしい。

「食事の後は町に流れる気のかくにんを行う。食後におまえと二人きりの時間を設け、ためられるだけの竜気のじゆうを行うが、その後どれだけ気の補充を必要とするかはわからないので、視察の間は常にせつしよくを保つように」

「手をつなぐ?」

「……仕方がないな」

 ものすごーくいやそうにだくと言うルイスに、私はしをした。

こいびとと手を繫いでるのに、そんな顔をしてる人はいないと思うなあ」

「笑えばいいんだろう? おもしろくもないのにみをかべる術は心得ている」

 そう言って、ルイスはにこりと笑顔を見せた。

 びっくりするぐらいかんぺきな笑顔だった。うれしそうだし幸せそうに見える。

 けれどルイスはすぐにその笑みを引っ込めて私をじろりとにらんだ。

ほうけるな。口を閉じていろ、みっともない」

「今のが作り笑いだなんて信じられない……こんなの詐欺だよ……」

「おまえこそ演技はできるのか? 俺にれているようにわなくてはならないんだぞ」

「うううん……できると思うんだけど。だれかを好きになったことってないからな……」

 うーんとうなっていると、不意に指先であごをくいっと持ち上げられた。

 ルイスの顔がとつぜん近くなって、おどろいた心臓がキュッと音を立てた。

「演技とはいえ俺の連れいだ。間違ってもうつむくな。無様に振る舞うのは許さない。笑顔は武装だ──弱者であるおまえでもよろうことが可能だ。幼い俺にもそれだけはできたのだから」

 いいな? と念押しされて、なんとかうんと頷く。

 顔をぱちんと叩いて気を取り直した。笑顔はたぶん、得意だと思う。暗い顔をしていたら両親を心配させてしまう。私を置いて仕事に行きにくくなってしまう。私が泣いたらていまいも泣いてしまう。二人を支えるべき姉の私が弱っているのを見て、不安になって泣いてしまうのだ。それではいけない。私はいつでも笑顔でいないといけないのだ。

「大丈夫。私、エミだもん! 私の名前には笑うって意味があるんだからね、笑顔は得意だよ!」

「それはいいが──はあ、やはり手袋の上からでは竜気の補充がうまくいかないな」

 ルイスが私のほおに触れていた手を離した。そして、ひざの上に置いていた私の手をつかみ、ぎゅうっとにぎった。

 ルイスの掌と重ね合わせて、長い指で包み込まれる私の手ってすごく小さい。

「手も、繫がないよりはまし程度だな」

 黒い手袋に包まれたルイスの手は、とても大きかった。




 ずっと心臓がドキドキしてる……。

 男の子と手を繫ぐ機会なんてないもんね……考えてみれば弟の組み体操の練習に付き合ってあげた時以来かも? とはいえ弟の手はあんまり大きくないからなあ。妹は片手でバレーボールやバスケットボールを持てるけどね。

 するすると進んで行く竜落子車が予定の町に着いた時には、昼過ぎだった。

 私たちというか、ルイスをむかえた町の一番えらい市長さんにうながされるままにしきに行った。

 食後、ルイスは市長さんに食休みのための部屋を用意してもらっていた。

 デトレフさんがいれてくれたお茶を飲んで食後のまったりとした時間を楽しんでいると、ルイスが不意に口火を切った。

「……犯人に盛られた薬の味を、俺は知らなかった」

「けほっ、ごほ」

「その茶が原因でき込んでいるのであればき出せ。吐き方はわかるか?」

「びっくりしただけだよ! ……いきなり何の話?」

「むざむざ盛られた毒におかされ力を失った時の話だ。この件を確認せずに、よく俺の毒見で安心して食事を口にできたな?」

 あまりにおなかが減っていたので、ルイスの許可が出たものだけ食べさせてもらったのだ。

 お腹が空いていたから……何も考えていなかったよね。

 あえては言わなかったけれど、ルイスは私の表情から察するものがあったらしい。

「何しろ禁制の薬だ。……だがもう俺はあの薬の味を覚えた。二度目はない」

「うん、それなら安心」

「……もう少し疑え。たとえ俺の身体からだに害はなくともおまえのか弱い身体には負担になるものもあるかもしれないんだぞ!」

 たぶんルイスが考えるよりはか弱くはないと思うんだけれど、そう言いつつ風邪かぜを引いたりをしたりしてしまっている。

「──とびらの外に気配が。そろそろ時間のようだ」

 私はぴたりと口をざして、うんとうなずいた。

 ルイスが「入れ」と言うと扉が開いた。外にはデトレフさんといつしよにヨアヒムさんもいて、その姿を見たルイスはまゆひそめたけれど、何も言わなかった。ヨアヒムさんもルイス思いのいい人だもんね。

「次のご予定はりゆうみやくの視察です、ルイス様」

「ああ」

 デトレフさんの言葉に頷きながら、ルイスは私に革の手袋をした手を差し出した。

 私がその手を摑むと、デトレフさんとヨアヒムさんがぎょっとした顔をした。

「行くぞ」

「あ、……ええ、かしこまりました」

 デトレフさんは驚いたようにぱちぱちと目をまばたきながらも、にっこりと笑った。

 その後ろで、ヨアヒムさんは目をむきながら歯を食いしばっていた。

 たぶんヨアヒムさんの反応の方がつうの竜族のものなんだと思う。つかずはなれずルイスのそばに待機しているほかの竜族の人たちも、顎を外しそうな顔をしている。

 町の人間のみなさんは、竜族の人たちの反応で私が人間だと気づいたみたいだ。

「いやはや、人間を対等にあつかってくださる方を領主様としていただくことができるなんて、我々は幸福な市民ですなあ」

 市長のおじさんがにこにこしながら言う。ルイスは「竜族は人間を対等などとは思っていない」とき放すような口調で言った。それでも、市長さんは私とルイスが繫いだ手を見て「そうですかぁ」とにこにこしっぱなしだった。

 町に数か所あるほこらのようなものを回った。立派な門のある囲われた区画に、ほらあながあった。地下へ下りるゆるやかなこうばいになっている。つるつるとした茶色いいわはだに囲まれたその穴を下りていくと、金色に光る水が見えた。四か所はき水が池となっていて、一か所は地の底からあふれる水が流れの速い川を作り出していた。竜脈と呼ばれ、大地の下を流れる竜気というファンタジーな力が混じった湧き水だ。

 他の祠よりも地中深くにある川の祠で、ルイスはそのかわべりに立つと、金のさかずきで水をすくって飲んで表情を暗くした。

「領主様、この町の竜脈に、何か問題が?」

 市長さんやその周りに付き添う人たちが不安そうにルイスの顔をのぞき込む。

 彼らの視線を受けて、ルイスは「特に問題はない」と言って市長さんたちを安心させた。

 はじめ、市長さんたちがルイスを出迎えた時に見せていたおびえはもうそこにはない。

 ルイスがやさしいって気づいたからだと思う。でも、普通の竜族はちがうんだろうか。

「人間と竜族ってどうして対等じゃないの?」

 祠を出ながら聞いたら、近くにいた市長さんがあわあわしていた。

 ルイスは足をすべらしそうになった私の手を引っ張りつつ、冷めた目をして言った。

「なぜ対等だと思ったんだ? おろかで弱くて寿じゆみようも短いおまえたちを対等に見る理由がない」

「竜族は寿命が長いの?」

「俺は今年百歳になった」

「えっ、ルイスおじいちゃんじゃん!?」

 思いきり繫いでいた手を引っ張られ、かたが痛くて私は泣いた。

「いったーい! うでとれる! とれた!」

「──まさか。いや、とれてはいないぞ」

「本当に? とれてない?」

 とれていない、とルイスにかくにんしてもらって安心したけれど、肩が痛いのは変わらない。でも、あせりをふくんだ顔をしたルイスを見てりゆういんが下がった。

 ──そんなことを考えながら見ていたルイスの顔から、次のしゆんかんスッと表情がけ落ちる。私はびっくりして肩をふるわせた。肩が痛い。

 ルイスはすぐに、張りつけたようなみを顔にせた。れいな作り笑いだ。

 その作り笑いのままルイスは空を見上げた。気づいた時にはかなり近くに接近している存在があった。黄緑色の、日の光を受けて金色にも光って見える竜だった。かつくうして、近づいてくる。

 ブワッと強い風がき抜けて、悲鳴をあげた私をかばうようにルイスが身体の位置を変えた。

『ルイスめ、かんげいせよ!』

 ひびくような声だった。周囲の怯えた顔をした人々が、あわてて退いてできた空き地に着陸すると同時に、竜はするりと音がしそうなスムーズさで人型になった。

 竜の首に引っかかっていた布が服だったみたいで、上手いこと服を着た状態で足をつく。

「おい、おまえくつを持ってこい」

 しばらくキョロキョロしていたけれど、靴が見つからなかったらしい。たまたまそこにいただけの人に、偉そうに命じながら、明るいきんぱつの男は服のポケットの中からぶくろを取り出してそでの中でゴソゴソと身に着けた。

 そしてルイスを見やると、ニヤニヤと笑いながら近づいてきた。見ていて気持ちのいい笑顔じゃなかった。

みよううわさが聞こえてきたから、急いでおまえに会いに来たのだ! もっとうれしそうな顔をしろ!」

「兄上にお会いできて、俺はとても嬉しいですよ」

 お兄さん! 私はびっくりしすぎて少し飛び上がったと思う。

 全然似ていないし、ルイスは嬉しそうにも見えないけれど、お兄さんらしい。私が心の底から会いたいと願う兄弟だ。私は関係ないけれど、兄弟の再会っていうだけでなみだが出そうだった。うらやましすぎて言葉も出ない。

「それが噂の人間か。……まさか本当に人間の女を連れているとは思わなかったぞ。しかも、よくさわる気になるな!」

「触ろうとどうしようと、俺の勝手でしょう。お気になさらず」

 私と手をつないでいるのはルイスのためによくないのだろう。

 赤の他人ならともかく、相手はルイスのお兄さんみたいだ。私のせいでなかたがいなんてさせたくない。ルイスの手を離そうとしたら、強くにぎり直された。ブンブンって離そうとしたらにらまれて、こいびと繫ぎみたいにされて心臓が飛び上がった。

 それを見たお兄さんが、黄緑色の目をぱちぱちさせてこわだかに責めた。

「おまえはシュテルーンの名を背負っているんだぞ。一時的なものだとしてもな。そのおまえが人前で人間なんぞと仲良くおててを繫いでいたら、兄であり次期領主のおれの立場ってものがないだろう!」

「一体だれが兄上を次期領主にするなどというごとを吹き込んだのですか?」

「寝言だと? ふざけるなよ、ルイス」

「ふざけているのはどちらですか。俺が人間と一緒にいるのを見るためだけにこんなところに来たのですか? 領地での仕事はどうしたのです?」

 ルイスがていねいな口調ながら、どことなくしんらつさをにじませて言う。

 ルイスは笑顔だ。作り笑いだけど。お兄さんも笑顔だ。ニヤニヤしているけれど。

「仕事などどうでもいい。それよりルイス、おまえ終わったな。人間の女と仲良しこよししているおまえに、シュテルーン領主の地位はふさわしくない。これで今度の領地会議でみんなを説得できる!」

 ひゃっほう、と飛び上がって喜びながら、お兄さんはするりと竜の姿にへんした。一気に増した質量に風が起きて、また転びそうになった私をルイスが支えてくれた。せっかく靴を持ってきてくれた人は、落としてしまっていた。

 私たちを見て『これはおもしろいことになるぞ!』とかんの声をあげたお兄さんは、すなぼこりを巻き上げながら飛び去っていった。

 お兄さんの背を見送るルイスはすぐに笑顔を消し、こおりついたような無表情になった。

 そんなルイスの横顔を見ていた私は──。

「──エミ? おい、なぜ泣いている」

 どうやら、泣いていたらしい。ほおれたら涙がこぼれていた。ルイスがおどろいた顔をして「具合が悪いのか」と聞いてくれた。その優しさが心にみて、ますます涙がこみあげてきた。

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