偽りの恋人_4


 妹と弟は私にとって空気みたいなもの。いないから息ができなくなる……そんな夢を見た。

 朝起きるともうルイスはいなかった。目じりに溜まっていたなみだをぬぐいながら、寝室からそっと出ると、そこにいたのはデトレフさんだけだった。

 彼は部屋の内装を整えていて、私が起きてきたのにすぐ気づいた。

「おはようございます、デトレフさん!」

「おはようございます、エミ様。ルイス様は湯あみを終えたらすぐにもどられますよ」

 いくら片時も離れない心づもりとはいえ、おの中まではついて行けない。

 だから代わりにデトレフさんがいてくれているのだとしたら、ルイスはデトレフさんのことをそれなりにしんらいしているんだろう。

 デトレフさんには、薬を盛られたことを言うのかな、と思いながらデトレフさんの仕事ぶりをながめていたら、不意に窓の外をきよだいかげがよぎり、私はおどろいてバルコニーへ出た。

 すると空には、巨大なりゆうが何頭も……って言ったらルイスたちに怒られるかな? 何人も空を飛んでいた。

 たぶん、どの竜もすごく大きいのだと思う。先ほど屋根をかすめるかのように飛んでいた姿を見る限り、三メートルか四メートルぐらいはありそうだった。

 緑色の竜たちは、青い空に糸を通していくかのように、うねるように、あっという間に、遠くけていった。

「すごい……れい

「綺麗、ですか?」

 デトレフさんは意外そうに緑の目を見開いた。

「はい、綺麗です! 今飛んでいた人たち、前に森で見た竜の倍くらい大きかった!」

「もしやヨアヒム殿どのを見たのでしょうか。そのことはヨアヒム殿には言わない方がよいですね」

「え?」

つうの成人の竜族が竜化した時の大きさが、今飛んでいた者たちぐらいです。ヨアヒム殿はその半分ほどしかありません」

 そういえば、森の中で聞いたルイスをさがす声は、ヨアヒムさんの声と似ていたかもしれない。

 あの時見た感じだと、一・五メートルか二メートルぐらいだったろうか。

「ルイスは、どれぐらいの大きさなんですか?」

「昨年測られた時には確か、五セタ五十になるかならないかぐらいだったかと思います」

「……ヨアヒムさんは何セタ?」

「二セタより少ないぐらいですね」

 一セタ=一メートルぐらいだ!

 人の姿の時の身長はヨアヒムさんの方が大きいのに、不思議だなと思いながら空を飛んでいる人たちを見ていたら、デトレフさんは「緑竜が多いでしょう」と声をかけてくれた。

「この領地には緑竜が多いのですよ。シュテルーン家の祖先が緑竜だったそうです。ですが、ルイス様は赤竜なのですよね」

「もしかして、ルイスの目は赤いし、手のうろこも赤いから?」

「ええ、関連しています」

「じゃあ、デトレフさんは目と同じ色の緑?」

「そうです。──ルイス様のてのひらの鱗をご覧になったことがあるのですね」

 頷いたら、デトレフさんはしようした。

ずいぶんと親しくされていらっしゃるようですね。エミ様、一体どのようにしてあのじんの心を解きほぐしたのですか? 竜族のにすらなびかないかたぶつな上、人間ぎらいのはいせき派ですらあったルイス様のお考えを変えてしまうなんて」

「親しくしているように、見えますか?」

 こいびとのふりをしていこうと思っている今、そう見えるのは悪いことじゃないけれど、どうしてなのかよくわからない。

「見えると言いますか、人間の女性にはわかりにくいかもしれませんが、私たち竜族にとって掌ににぎる鱗はとても大事なものなのです。みだりに他人に見せるようなものではありません。ですからこうしてぶくろをしています」

 確かにルイスもかわの黒い手袋をつけている。それは知っているので頷いたけれど、デトレフさんはさらに苦笑を深めてしまった。

「人間には私たち竜族のこのみような心の動きがどうにも伝わらないのですよねえ。具体的な例として挙げますと、私たち竜族は、配偶者以外にこの鱗を見せることはほぼありません」

「……そんな感じなんですか?」

「そんな感じです。これを機会にルイス様がもう少し丸くなられるといいのですが」

 ヨアヒムさんも悪い人だとは思わなかったけれど、デトレフさんはすごく話しやすい。

 すすめてもらって座り、おなかがくうと鳴ったら、そのまま朝食の用意までしてもらってしまった。自分でやろうとしたけれど、「ルイス様にしかられますので」とやさしく笑ってくれた。

 美味おいしくモリモリ朝ご飯をいただいた。うずきの形をしたパンにベーコン、野菜のスープに果物のとうけ。だれかにご飯を用意してもらえるなんて、弟か妹にでもなった気分だ。

「なんだ、俺がいないにもかかわらず先に食事をっているんだな」

「おかえりなさい、ルイス。食べてなかったの?」

 あんかつしよくかみの毛をらしてルイスは戻ってきた。髪の毛が首にりつく感じが色っぽくて、少しドキリとする。

「まあいい。されても困るからな。デトレフ、よいように計らえ」

「はい、かしこまりました。今後もエミ様のお腹が食べ物を要求しだい、食事を用意するようにいたします」

 お腹が鳴ったことを言われている! ずかしくて消えたくなる。

「ちょっとルイスを待ってたぐらいで餓死しないし! 次からは待つから!」

「餓死の危険は少しでもはいじよしたい。無礼とは思わんから好きな時に食え」

「ルイスたちと同じように、一、二食抜いたぐらいじゃ死なないもん」

「俺たちはひと月ふた月食わなくても死にはしないが」

「あれ!? 私は死ぬ! ていうか、それじゃどうして一日三食も食べるの?」

こうひんだな。俺たちの身体からだを作る大本はそもそも物質ではない。大地を流れる竜脈からあふれる竜気だ。わかったら俺を待つなどと言うな。死んだら笑えないからな」

 それは本当に笑えない。私はうっかり自分の首をめる約束をするところだったみたい。

 デトレフさんはルイスの朝食の用意を整えると下がっていった。

 デトレフさんがいなくなると、ルイスは手袋の手首部分のひもをするりとほどいた。手袋から手を抜く仕草にどきりとした。デトレフさんの言葉がよみがえる。その掌にある鱗というのは、奥さん以外に見せないものらしい。部屋ではくつろいでいでいることもあるし、何度も見ているけれど、ルイスはどんな気持ちでいるんだろう?

 と、そろりとルイスの顔をうかがったらげんな顔のまま手をガッとばされて、顔の下半分をつかまれた。

「んんんんー!」

「俺のいない間、デトレフに余計な情報をらさなかっただろうな?」

 ルイスの大きな掌で口元がおおわれ、くちびるがひんやりとした鱗にれる。鼻は押さえられていないけれど、息苦しい。この感じ、夢の中で息ができなかった時とよく似ている。

ちがいなく漏らしているな。この世界の常識をまるで知らないりを見せ続けてどういうつもりだ。竜が食わないぐらいでは死なないことなど、つうだれでも知っている。──言ったはずだ。俺には敵が多いとな。デトレフが敵ではない保証などどこにもない。油断するな。元の世界に帰りたいだろう?」

 帰りたいに決まってる!

 こくこくうなずいたら、やっとルイスが手をはなしてくれた。

「んんっ、ぷは! はー、苦しかった!」

「苦しいだと」

「息ができなかったら死んじゃうよ! 鼻がまってたら終わりだったよ!!」

「なんだって」

 なんだってじゃないよ。びっくり顔をするのはやめて。え? 竜族なら一時間ぐらい呼吸をしなくても──?

「私は死ぬよ! 五分ぐらいで死んじゃうよ!!」

「ああもう、人間というのはもろいな。そういうところが嫌いなんだ」

 嫌うのは構わないけれどもっと気をつけて欲しいよね。

 死ぬな死ぬなもいいところだ。たぶんこの世界で一番私に生きて欲しいと思ってるルイスにトドメをさされるだなんて、オモシロ悲劇すぎる。

「これで、またしばらくはだいじようだろう」

 ルイスは私の口を押さえていた掌を眺めてから、手袋をめた。

「何が大丈夫なの?」

「……力の補給率が一番高いのは、俺の鱗におまえの口が触れている時だ」

「そうなの?」

「ああ、りゆうのおとしなつかせる時、その額の鱗に口づけをして気を送るというやり方がある。おまえを竜落子のようだと思っていた時に思いついて、今朝ためしてみたら案の定でな」

「つまり、ルイスが私に懐くってこと!?」

たたつぶすぞ」

 なるほど、私があんなに息苦しくも切ない家族の夢を見たのは、ルイスが朝私の口をふさいでいたせいだったみたい。

 ……竜族なら奥さんにしか見せないようなものを思いきり見せてさわらせてしまって、ルイスは大丈夫なんだろうか。

「……なんだ? 何か言いたいことがあれば言え」

「なんでもなーい……手伝うよ、その手袋の紐結ぶの」

「……ああ、たのむ」

 手首にいろの紐を結ぶのに、口まで使っているから申し出たら、紐を差し出された。

 わたされた紐のしわを伸ばしながら、ルイスの手首を見た。

 線が細く見える人だけれど、なよなよしているわけじゃない。骨ばった手首にそっと紐を回して、手袋がずれないように小さなちょうちょ結びを作った。

 ルイスがもう片方の手と紐も差し出したから、私はそれを受け取った。

「……おまえにも手袋をつくろった方がいいな」

「そう?」

 私が結ぶ姿を見下ろしながら、不意にルイスが言った。

「おまえが竜族に見間違われればぎようこうだし、そうでなくとも手を出しているのは、はしたない」

 てのひらしゆつしているのははしたないんだってさ。

 丸出しの掌を見てみたけれど前より生命線が伸びたかなあ、という印象しかいだかなかった。

 自分の掌をパーにしてながめていると、ルイスに「あまりそういうことをするな」と苦い顔で言われた。竜族の価値観、よくわからないよ……。

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