偽りの恋人_3


「うう、首がもげる……」

「ロロロ!?」

 私の言葉に驚いたようで、タツノオトシゴ(仮)が尻尾を離してくれた。言葉がわかるのかな。かしこい生き物だ。──そのひように私は窓からころんといしだたみの地面へ転がり落ちた。

 ひじを思いっきりりむいた気がする。袖が長くてまくらないと見えないけれど、痛い。

 でも、これで逃げられる。

 そう思った直後、タツノオトシゴ(仮)の尻尾がぐるりと私のどうに巻きついた。

「は、離して?」

「ロ」

 って言われた気がする。もがいたけれどタツノオトシゴ(仮)の力は強くて、おなかめつけられて気分が悪くなってきた。暴れることもできなくなった私はぐったりした。

「ひっく……ルイス……」

 何もできなかった……と泣いていたら「こちらです!」とあせったような声が聞こえた。

 何事だろうと顔をあげると、くろかみの男の人がけ寄ってきた。彼のひとみはヨアヒムさんよりもい緑色をしていた。

 傍に立った彼は心配そうな顔をして、尻尾に締め上げられた私を見上げた。

「ご無事……ではなさそうですね。おいおまえ、この方を下ろしなさい」

 タツノオトシゴ(仮)は私をそっと地面に下ろしてくれた。お腹の締めつけがなくなり、私は思わずせきをした。

「けほっ……あの、あなたは一体?」

「私はデトレフ・ウラスと申します。ルイス様の側近の者です」

 ボロッとなった私の身なりを整え、デトレフさんはためいきいた。

「このたびのヨアヒム殿どのの暴走について、私が代わって謝罪させていただきます。まことに申し訳ございません」

 デトレフさんが道の真ん中で私に頭を下げると、周囲がザワッとした。

「あいつ、竜族だよな!? 竜族が人間に頭を下げた……!?」

「いや、あのも竜族なんだろう。じゃなきゃありえん……」

 さるごこの悪い視線の数々にまどっていると、また向こうの方からざわめきがせまってきた。

 力強い足取りで、けれど血の気を失った顔をして歩いてきたのは、ルイスだった。

「ルイス! だいじようだった!?」

「大丈夫? 俺が? ……俺の方は何もない。それより、おまえ」

 駆け寄った私の腕をつかんで、ルイスはくちびるふるわせた。

を、しているな。……どうして、こんなことに」

 ルイスが私のほおかわぶくろしになぞると、ピリリとした痛みが走った。ガラスを割った時に、少し切ってしまったのかもしれない。

「──おまえを信じたのはちがいだったようだな、ヨアヒム」

 ルイスの赤い目がギョロリと動いて背後をうかがう。

 ルイスの後についていたヨアヒムさんはうなれた。

「俺の大切なものを命をかけて守る、などと──よくも言えたものだな」

 ルイスの腕が私のかたに回り、手が私の首にれている。そこからルイスへ力が流れていく。

 空が、暗くなっていった。まるでルイスのいかりを表しているみたい。

 空気が冷えて、空からきりさめが降ってきた。

 急激に寒くなった。ルイスの表情もこおりついてしまったかのように冷え冷えとしている。

 ヨアヒムさんはじゆうに満ちた顔をして、ゆるゆると頭を下げ直した。

「言い訳のしようもございません」

「弱く小さなりゆうとはいえ、仕事はできるとごうするから傍に置いていたというのに……このか弱い生き物が怪我をしたのは誰のせいだ? これが原因で死んだらどうしてくれるッ!?」

「……ほかならぬ、俺の責任です。お望みとあらば、いくらでもこの命をささげます」

 責任と命という重い単語が飛び出したから、ぽかんとしていた私も我に返った。

「あ、あの、ルイス! ヨアヒムさんは、一応、ルイスのためを思ってて」

「俺のためにおまえと引き離したというのだろう? ひどい言い訳だな」

 私の肩をき寄せる、ルイスのてのひらが熱いのが、革の手袋越しでもわかった。うろこが熱くなっているのだ。そして、その熱が私の身体からだの中にある力を動かしている。ぐるぐるとめぐる熱に眩暈めまいがしてきそうだった。熱すぎて、冷たい空気がる頰に気持ちよく感じられるほどだ。

 ルイスの目がらんらんと光り、どうこうが縦に割れていく。

 竜族の人たちは、おこるとこうなるらしい。

「俺のためだと? 俺の命令にそむいておいてか!」

「る、ルイス……」

 私の肩を摑む力が、どんどん強くなる。痛くなってきたから声をかけたけれど、ルイスはヨアヒムさんをしかりつけていて気づいてくれない。

「今すぐにここで命を絶て。そうすれば家ごとほろぼすことはない」

「家のことはどうか、お許しを! ご命令の通りにいたしますので!」

「待って! ちょっと待って、ルイス!!」

 目の前で起こりそうになった何かがこわすぎて、私はさけぶように声を張り上げた。それでもルイスがヨアヒムさんをにらんだままだったから、とつに手をばして、ルイスの手をギュッと摑んだ。そうしたらもうきんるいみたいな目は私に向いた。

「ルイス、駄目。やめて、お願い」

「……なぜ? 害されたのはおまえだろうに」

 ルイスは心底不思議そうに言うと、触れていた私の手をはらった。そして、意味がわからないと言いたげにまゆひそめた。そんな顔をしたいのは私の方だった。展開が早すぎて頭が追いつかないし、心臓はものすごい速さでどうしている。

 私はかなり本気で、震える声でうつたえた。

「顔見知りの人が死んだりしたら……びっくりして心臓が、止まっちゃう」

「──心臓が止まったら死ぬだろう!?」

 ルイスがすぐ近くで大きな声を出すから、また心臓がびくっと動いた。

「今、心臓がすごく速く動きすぎてて、つらい」

「──ヨアヒム、おまえのは追って下す! 死ぬのはやめろ、許さない。これ以後はデトレフがそばに仕えろ。おい、エミ、これで心臓は動きそうか?」

「私の心臓、今すごくがんってる」

「そのまま頑張り続けろ。……もどって手当てするぞ」

 ルイスは私の頰の傷を見て深い溜息を吐くと、私をき上げた。彼の怒りが収まったのを見てホッとして、私の身体から力がけてしまったのに気づいたらしい。

 私は抱き上げられたまま運ばれた。ぐずぐずと泣いていると、宿に戻り部屋で二人きりになったたん、ルイスは言った。

「泣くほどいやな思いをしたのだろう。それなのにどうしてヨアヒムの処分をさまたげたんだ?」

「このなみだはそういうのじゃなくて……ルイスが無事でよかったって思っただけ」

 ルイスはますます疑念が深まったと言わんばかりにけんしわを寄せると、私をにそっと下ろした。そして、げんそうに言った。

さらわれたのはおまえで、弱く死にやすいのもおまえだ。そのおまえがなぜ俺を心配する? おまえの中には力があるが、使えるわけでもないだろう。俺を心配できるような力などない。比べるまでもなく、歴然としている。明らかにわかることだろう……たまに思い上がった者たちが俺に近づくことはあるが、おまえほど酷いかんちがいは初めて見るぞ」

「えっと、私より強いからって、心配しなくなるわけじゃないんだよ?」

 弟の身長が私よりこぶし一つ分小さいままで、私よりうで相撲ずもうが強くなったとしても。

 妹の身長が私より拳一つ分大きくなって、そのスパイクが空気をうならせるほど強いとしても。

 私は二人を心配し続けるし、いつになったら心配をやめられるというわけでもないのだ。

 弟には、ねーちゃんちょーうぜーって言われるけど。

「私がいないところで、私のせいで力を使わなくちゃならない事態になったらどうしようって、ルイスのことがすごくすごく心配だった……ルイスが私より弱いから心配したんじゃないんだよ。ただ、無事でいて欲しいから心配だっただけなんだよ」

 ルイスも心配されたくないおとしごろなんだろうか。弟を思い出させるようなことを言うのはやめてほしい。ますます涙もろくなってしまう。

 早く家に帰りたい。私がそう思うのと同じぐらい強く、ルイスだってこのじようきようをどうにかしたいと思っているにちがいない。

「……今回のことの非は、ヨアヒムにあるだろう」

「ヨアヒムさんは私にひどいことをするつもりはないって言ってた。怪我をさせるつもりなんかなかったと思う。……私が勝手にさわいで、勝手に怪我をしただけなの」

 あれがヨアヒムさんの本心なら、ひどいことをしているのは私たちじゃないだろうか。

 本当にルイスのことをおもっているのだろう。それなのに、ルイスの物言いもずいぶんだった。

「ルイスの力を預かっているのに、余計なことをして、ごめんなさい」

「騒ぎを起こしたことは……評価する」

「え? でも」

「見苦しい騒ぎではあったが、あれでおまえの居場所がすぐに知れた」

 なるほど、と思う。ほとんどパニクっていただけだけれど、よかった。

「私、頑張るからね。ルイスに力を返せるように。どうしたらいいかわからないけど、もっと頑張るから!」

 涙をぬぐいながら宣言し、決意も新たにルイスの顔を見ようとしたら、頭を押されて顔をあげることができなかった。

「うう?」

「……おまえは、りゆうのおとしみたいだな」

「りゅうのおとしご? たつのおとしごじゃなくて?」

「リュウの落とし子だ」

 あのきよだいなタツノオトシゴは竜の落とした子と呼ばれているらしい。

 馬みたいにあつかわれているし、ルイスたち竜族の子供じゃないだろうけれど。

「自分のしつとの追いかけっこを延々と続けるおろかな姿とおまえが重なるな」

「それ、めてる?」

「頭の中身がおめでたいところもそっくりだ」

「褒めてなかった! もー、頭をぐりぐりしないで、かみの毛がぐしゃぐしゃになるー!」

 部屋をノックする音がひびくと、ルイスは私の頭からそっと手をはなした。

 髪の毛を整えながら、触れられたところに残るぬくもりにあんを覚えている自分に気づいた。

 部屋に入ってきたのはデトレフさんとお医者さんだった。先日まで私の風邪かぜてくれていた人間のお医者さんだ。私はまたしんさつされた。負傷はれた額と頰の切り傷とみぎひじり傷だ。

 ルイスがそれをじっと見つめていて、私自身を心配しているのではないかもしれないけれど、ありがとうと思ったし、やっぱりごめんなさいという気持ちがぬぐえなかった。

 お医者さんが私の傷の手当をしてくれて、デトレフさんも出て行った後、ごこ悪くぽつんと座っていた私をルイスが指さした。

「なに?」

「ベッドへ行け」

 ルイスの指がベッドのある部屋に向く。ルイスはどこでるんだろうと思っていると、彼はソファに寝転がった。

「俺はここで寝る。……おまえをここで寝かせてまた熱を出されては、俺の命がいくつあっても足りん」

「そんな……」

「体調をくずされてそのまま死なれる方がよほど困る」

 だからそんな、簡単には死なないと思うんだけど、心配をかけているのは事実だ。

 お言葉に甘えて私がベッドをお借りする。

 スリッパをぐと広いベッドに上って、シーツをがした。うわけはそれだけで、ちょっと寒そうだった。うーん、どうしよう。まあえられないはだざむさじゃないけれど。

「おい、何か気になることがあるのであれば言え」

 どうやら知らない内に唸り声でも出していたらしい。ルイスがしんしつの入り口に立っていて、何でもないと言おうとしたけれど、じっと睨まれて観念して口を開いた。

「あのね……ちょっと寒いかな」

とうするのか」

「凍死はしないけど! ……うん、もっとあったかくしないと、また風邪は引くかもしれない」

「デトレフ! デトレフ!」

 ルイスが声をあげると、自分の部屋で休んでいたはずのデトレフさんがやってきたから、私は申し訳なさ過ぎて頭をかかえたくなった。

「シーツを、いや、毛布を持ってこさせろ」

「そんな、どこかにあるなら自分で取りに行ったのにー!」

「……そちらの方が冷えをうつたえられているということですね。かしこまりました」

 デトレフさんは急に呼び出されたかいさをおくびにも出さず、胸に手を当ててゆうな仕草でおをすると、一分後には腕に毛布の山を抱えて戻ってきた。

「エミ様、いくつか種類をご用意いたしましたのでお好きなものをお選びください」

「わあ、色もさわり心地も色々──ヒッ」

 毛布の山を崩したら、でろんと黄色い目玉の飛び出た白いかたまりが出てきた。悲鳴をあげて手を引っ込める。

「エミ様は女性でいらっしゃるので、ぬいぐるみなどの人形が心のいやしになるのではないかと思いお持ち致しました」

「おまえのおぞましい習作か。持って帰れ」

「女性は人形があるとあんみんできると言いますよ、ルイス様」

「……エミ、おまえはそれがあると安眠できるのか」

 ルイスがおそろしいものを見たと言わんばかりの顔をして私を見た。そもそもこのにょろんとした造形の生き物はなんなんだろう? この世界にいる不思議生物なのかな?

 物言わぬでろんとしたひとみが私に何かを訴えかけてくるようなはくりよくがある。これが傍にあるとねむき飛んじゃいそうだよね。

「だ、だいじよう……」

「人形があれば大丈夫、ですか?」

「い、いらないです大丈夫!」

 そうですか? と残念そうな顔をすると、デトレフさんはぬいぐるみを回収しわきに抱えた。

「もし白鳥くんが必要な時はおっしゃってくださいね、エミ様」

 鳥だったんだ! という言葉はがんってみ込んだ。デトレフさんは好意で自分の作ったぬいぐるみを私に貸してくれようとしたんだから、傷つけるようなことを言ってはいけない。

しきの者に温かい茶をいれさせましたので、よろしければお飲みください」

「あ、ありがとうございま──」

「飲食物はおまえが用意しろ。そう命じたはずだ」

「それは……ルイス様のお口に入るものだけではなく?」

 私がお礼を言おうとしたら、ルイスがさえぎって、用意してくれたお茶を片づけろと指示を出す。

「そうだ。俺とエミの口に入るものは、おまえが用意しろ。俺かエミか、その両方か──いずれにせよ毒が盛られた場合、おまえが犯人だとわかるようにな」

 あんまり失礼な物言いだから、デトレフさんがおこるんじゃないかと思ったけれど、彼はルイスの言葉におだやかに微笑ほほえんでうなずいただけだった。

「大切な方と離ればなれになってしまうところだったのですから、ルイス様が心配されるのも致し方ないことですね。おおせの通りに致します。それが私の喜びですから」

「それが本心だと良いがな」

「もールイス。やめてよ、デトレフさんは親切で言ってくれてるんだから」

 赤い瞳にぎろりとにらまれて背筋がぞくりとしたと思ったら、それが寒気にかわってぺちり、というくしゃみが出た。

 怒っていたルイスはたんに顔をしかめて、ためいきいて立ち上がった。デトレフさんが机の上にせた毛布の中から一つを取り上げると、それを私の上にバサッとかけた。

「それを引っかぶってさっさと寝ろ」

「う、うん。ありがとう」

「まだ寒いか」

「暖かいよ!」

さけぶな……聞こえている」

 深い溜息を吐いたルイスは、もう怒った顔はしていなかった。

 のどもとを過ぎるといかりが収まるタイプなのかもしれない。弟タイプだ。妹タイプの人間はだんはあまり怒らないけれど、一度火のついた怒りは延々と燃え続けて中々消えないので、決して怒らせてはいけない。

「おやすみなさい!」

「おやすみなさいませ、エミ様」

 デトレフさんからあいさつが返ってきたから、期待を込めてルイスを見つめたら、やがてあきらめたように「おやすみ、早く寝ろ!」と睨まれた。

 うれしくて、満面のみで頷くと私は毛布を被ったままいそいそとベッドに寝転がった。

 ルイスが選んでくれた、モコモコの赤い毛布は暖かかった。

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