第46話「愛する面影は二度消える」

 シヴァンツは夢を見ていた。

 遠い昔、まだ愛と希望を知っていた過去の夢だ。

 彼には愛をはぐくむ妻がいて、二人の男児をもうけた。家族の全てが希望に満ちていた、それはもう遠い過去の話になってしまったのだ。

 忘れもしない、郊外のサナトリウムに妻はずっと療養中だった。

 簡素で味気ないベッドの上で、妻は身を起こして微笑ほほえんでいた。


『まあ、海軍? だってあなた、ウルスラには海がないのよ? ふふ、おかしな人』


 妻の名は、マーニ……たしか、北欧神話に出てくる月神と同じ名だ。そして、シヴァンツにとってマーニは月のような存在だったのだ。いつも闇夜を明るく照らして、進むべき道を示してくれる。普段は控えめに姿を見せず見守ってくれるが、暗がりに闇が強くよどむ程に輝いてくれるのだ。

 そんなマーニを、シヴァンツは心から愛していた。


『マーニ、考えてみてくれ。あのまわしい戦災で、この王国には無数のクレーター湖がある。それは全部、運河で繋がってるのさ』

翠海ジェイドシーの外には出られないわ、そんな海軍さんがあるかしら』

『今はない、でも必要だ。もう二度と、この国を戦で焼かせたりはしない。君みたいな人間を絶対に出してはいけないのさ』


 若い頃のシヴァンツは、理想に燃えていた。

 王をよく補佐して、ウルスラ王国の未来のために働いていたのだ。王は慎重で、新たに軍を持つことをよしとしない。だが、シヴァンツは違う……再びこの国に戦争の魔の手が伸びる時、故郷を守る力が必要だと考えていたのだ。


『陛下はあなたのことは、信頼してるわ。でも、条約があるもの』

『あの終戦から百年、絶対に攻められない国……だからウルスラは、軍事費を計上する必要がなかった。経済の全てを復興と民のために使えた、それはいい! けど』

『あらあら、まあまあ……ふふ』

『おかしいかい? マーニ』

『だってあなた、まるで子供みたい。出会った頃のままの、少年の目をしてるわ』

『そりゃ、うん、まいったな』


 だが、急にマーニは咳き込んだ。

 生まれた頃から病弱な彼女は、二度に渡る出産で生命力を使い果たしていたのだ。特に、次男のセルジュを生んだ時の消耗が激しく、すでに残された時間は少ない。

 マーニだけではない。

 彼女の母親も、祖母も、そのまた母親もそうだ。

 戦争の記憶が薄れても、その傷跡は深く刻まれている。出血が止まらぬままんで、何世代もウルスラの民を苦しめるのだ。シヴァンツの妻だけではなく、一定数のウルスラ人が今も苦しんでいる現実があった。


『すぐに先生を呼んでくる! 待っててくれ、マーニ!』

『いいの、大丈夫よ……』

『しかし!』

『平気よ、ほら。もう、大丈夫……ちょっと咳き込んだだけだわ』


 無理に笑うマーニの顔が、今も脳裏に焼き付いていた。

 それは、シヴァンツに未来を目指す力にもなっていた。彼女が生きている間に、子供たちの世代へよい未来を渡してやりたい。その道を全速力で疾走する、それがシヴァンツのあの時の生き甲斐だったのだ。

 今は、違う。

 向かうべき未来など、なかったのだ。

 だから、全てを破壊する。

 死んだ妻が天国から見下ろす、この場所を地獄の炎で焼き尽くそうというのだ。

 その決意と覚悟を思い出したところで、目が覚めた。

 シヴァンツは、アヴァロンの制御中枢システムに持ち込んだ執務机で、どうやらうたた寝をしていたようである。


「フッ、あの時の夢を見るとは……マーニ、僕をとがめているのかい? 僕は……君に想われるなら、それが軽蔑や憎悪、失望でも構わない。僕にまだ、君を感じさせていてくれ」


 我ながらセンチメンタルなことだと、失笑してしまう。

 そして、思い出した過去に因果を感じた。

 今、シヴァンツが敵対している故国の海軍……。当時まだ存命だった王は、その提案を拒絶したのだ。百年の平和が終わった後に、王は対話と融和で世界に向き合おうとしたのである。

 だが、シヴァンツにはそれが無理だと知っていた。

 ウルスラ王国には、このアヴァロンが眠っていたからである。

 再び争奪戦が起こる前に、海軍を作る。内海だけの限定的な運用でも、最新鋭のイージス艦ならば空からの攻撃をほぼ完全に無効化できる筈だ。クレーター湖だから津波の心配もなく、いざとなったら民の全てを艦隊に収容しての籠城も可能だ。

 翡翠ひすいの海に浮かぶ平和の城……それがシヴァンツの思い描く王立海軍だったのだ。


「さて……先程の試射はなかなかだったが、まだだ。まだ、このアヴァロンには奇跡の技術が無数に眠っているはずだ」


 連れてきた技術者たちは、その解析に難儀している。

 だが、時間がかかっても構わない。

 各国の首脳が今も欲している力、アヴァロンはもはやシヴァンツのものなのだから。

 改めて報告書の精査を再開しようとした、その時だった。

 気付けば、制御室のドアが開いている。

 そこには、震える少女の姿があった。


「おや? ああ、よく戻った……オーレリアを殺したそうだな? ヨハン」


 そこには、この国の女王の顔があった。

 そして、女王の形に切り刻まれた少年はシヴァンツの息子である。

 だが、様子がおかしい。

 すぐにシヴァンツも気がついた。

 隙を見ての暗殺も、可能であればと指示した。しかし、ヨハンは生まれて始めて父親であるシヴァンツにそむいたのだ。彼が本当にオーレリアの影武者をやり、国のために身をにして働いていると報告にはあった。

 だが、それすらもオーレリアを油断させる演技だとしたら?

 妻の面影おもかげを色濃く残す我が子が、急にシヴァンツには愛しく思えた。

 だが、投げかけられた言葉に突然全てが凍りつく。


「……本当に我が子と私の区別もつかないのですか? シヴァンツ」


 ヨハンは声帯さえも、外科手術でオーレリアと同じものにしている。

 だが、空気の振動数が同じでも、そこに宿った生来の気品と風格は別物だった。

 そこには間違いなく、この国の女王であるオーレリアが立っていた。

 顔が同じでも、表情がたたえる優雅さが違う。

 体格が同じでも、華奢きゃしゃな少女の痩身そうしんがずっと大きくシヴァンツには見えていた。


「これはこれは、女王陛下。どうやってここへ?」

「王立海軍の機動戦闘機モビルクラフトは複座です。アシュレイに少し、苦労をかけましたが」

「なるほど。では、目的をうかがいましょう」

勿論もちろん貴方あなたを止めるためです。私にはその義務がありましょう。例え汚泥おでいにまみれて地べたを舐めようとも、この国の女王として貴方を……ちます」


 オーレリアは不意に、スカートをたくし上げた。

 あらわになる下着は、下腹部が僅かに膨らんでいる。

 だが、彼女がその股間から取り出したのは、意外なものだった。


「覚悟なさい、シヴァンツ。今ならまだ、全てを止めてくだることを許します。罪を裁かれる気があるなら、命までもは取りません」


 オーレリアは今、

 その銃口が、震えている。

 武器を持つのも、人に向けるのも初めてなのだろう。

 だが、物言わぬ銃の輝きが無言で伝えてくる。

 オーレリアは本気で、戸惑とまどいはあっても躊躇ためらいはないということを。


「……強くなられましたな、陛下。このシヴァンツ、知略や謀略でおくれを取ろうとは」


 混迷の戦場に流れた出所不明の情報、オーレリアが暗殺されたという一報はデマだったのだ。正確には、

 しかし、それをシヴァンツは信じてしまった。

 疑わない訳ではなかったが、父のためにそれをやってくれる子だと思ったのだ。そう思いたかった……長男のヨハンは、亡き妻にとてもよく似ていた。臆病で物静かなヨハンは、毎夜毎晩のなぐさめとなったのだ。


「だが、陛下。貴女あなたに人は撃てませんよ。その資格がない」

「私は女王です。国と民のためならば、撃てます!」

「やれやれ、こまった女王様だ。……笑わせるなっ!」


 すかさずシヴァンツも、執務机の引き出しを開ける。

 そこには、装飾過多な銀色のリボルバーが仕舞われていた。文官であるシヴァンツには必要のないものだが、ウルスラの貴族が一部すり寄ってきていた時の、いわばびとへつらいが具現化した献上物である。

 それがまさか、こんな形で役に立つとは思わなかった。

 ゆっくりと持ち上げ、片手で無造作にオーレリアへ向ける。


「チェックメイト、ですかな? キングとキングをぶつけ合う、恐ろしく大胆な、そして愚かで全時代的な手です。ゆえに、私さえも予想だにできなかった」

「民に必要なのは、平和。そして未来です。ここで例え相討ちになろうとも、私には貴方あなたを止める義務があります!」

「王家が滅びますぞ?」

「皆を守るためならば、構いません。国が栄え民が笑えることこそ、なによりも肝要なのですから」


 オーレリアは銃爪ひきがねを引き絞った。

 そして、シヴァンツから遠く離れた背後で、部屋の壁に小さな煙が立ち上る。

 銃というものは、対象に向けて撃てば当たるというものではない。まして、一度も訓練を受けたことがない素人しろうとでは、この距離でも難しいだろう。

 何度も銃声が響いて、徐々に着弾がシヴァンツに近付いてくる。

 だが、まだシヴァンツは撃たない。

 撃つ必要すら、感じない。

 そして、必死で撃つオーレリアの表情が凍りついた。彼女の小さな拳銃は、カチン! と乾いた金属音を響かせ沈黙してしまったのだ。


「やれやれ、当てて終われば悲劇で幕を引かずに済んだものを」


 自分でも不思議だった。

 この場に現れた息子が、実はオーレリアだった。自分の野望のために、息子に妻と同じ顔を捨てさせた結果があだとなったのである。

 それで全てが決着するのなら、それでもいいと思った。

 妻の元へ旅立てるならば、ついえた野望を抱えて死んでもいいと思えたのだ。

 だが、今は気が変わった。

 すでに死神は去り、今は女王の背後でこちらを撃てと笑っている。


「では、お別れです。さようなら、オーレリア女王陛下」


 そして、銃声が鳴り響いた。

 鮮血が舞い、シヴァンツの起こした戦いが終焉しゅうえんへと向かう。

 その先にさらなる戦いを見据みすえて、シヴァンツは笑みで口元を歪めるのだった。

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