第41話「国は歌う」

 夜が明けたというのに、翠海ジェイドシー全体を白い闇が覆っていた。

 濃密なきりは、国連軍を離れ独自に動き出したシヴァンツの、その悪事を覆って隠す。

 アラートが鳴り止まぬ中で、エディンは飛行甲板へと戻ってきた。

 狭そうに並んで立っていた機動戦闘機モビルクラフトは、すでに一機も見当たらない。

 エディンの"エクスカリバー"を残して、全機が最後の全力出撃で飛び立ったあとだった。そして今、カタパルトへと空戦形態ファイター・モードの"エクスカリバー"が接続されている。


「……これが最後の戦いになる、かな」


 ふと、エディンは母艦の舳先へ目を細める。

 かすむ向こうへと、その艦首は霞んで見えない。

 だが、その先には確かな明日があって、未来へと続いている。ただ、あそこから飛び立っていった仲間たちのうち、何人が生きて戻ってこれるだろうか? それは誰にもわからない。

 ただ、はっきりしていることは、今やこの戦争はウルスラ王国だけの問題ではなくなっていた。マーリンのアヴァロンは、既にシヴァンツたちの手に落ちつつあるのだ。

 珍しくセンチメンタルになっていると、背後で聞き慣れた声が響いた。


「おっと、お客さん。一人で出撃ですかい? あっしを忘れたたぁ、言わせませんぜっ」


 振り向くとそこには、おどけて笑う姉の姿があった。

 エリシュはパイロットスーツを着てヘルメットを抱えている。大きく開けた胸元のファスナーを引き上げつつ、彼女はエディンの前までやってきた。


「あたしも行くよ? 置いてったら怒るから」

「怪我は?」

「痛い。けど、それだけじゃん? 怪我はお互い様でしょ」

「……僕はとっくに怒ってるけどね。あの時、どうしてあんなことを」


 黙ってエリシュは首を横に振った。

 彼女は先日、撃墜されつつあった"カリバーン"一号機から、エディンを強制的にベイルアウトさせたのだ。結果、オーレリアに合流することもできたし、幸運にも生きて戻ってこられた。

 だが、敵地に捕らわれたエリシュは、本当に危険な状態だったのだ。

 まかり間違えば、あの場所で命を落としていた。

 そうでなくても、戦場で捕まった女性の最後は悲惨である。


「あたし、あんたのお姉ちゃんじゃんか。エディン、あんたが国と民と? ああ、あとついでに女王陛下も守るってんなら……あたしがあんたを守るんだ」

「姉さん……」

「それに、どうせ最後でしょ? 一人じゃ勝てないわよ、あの黒い機動戦闘機……"ハバキリ"とかってのには。シヴァンツのせがれが乗ってるんだし」

「腕のいいコ・パイロットは嬉しいね。ただ、もう二度とああいうことはしないで」

「ん、わかってる。……逆も絶対やだよ、エディン?」


 とりあえず、乗ったら真っ先に脱出装置の点検をしよう。

 そう思いつつ、自然とエディンの口元に笑みが浮かぶ。

 これから最後の戦い、決戦だ。

 それなのに、どうだろう……まるで姉弟そろって朝市マルシェに行くような、なんら普段と変わらない空気を感じていた。エディンには小さい頃から、お調子者で明るくて優しい、美しい姉が一緒だったのだ。


「じゃあ、行こう」

「あいよー! ちょーっち片付けてきますか!」


 エディンは立ち止まり、一度だけ振り返る。

 ブリッジを見上げれば、そこにオーレリアの姿はいないようだった。先程、アメリカ大統領からホットラインでの直通通話が入って、今は確か回線を通して会談中かもしれない。

 今、こうしている間も多くの人たちが戦っている。

 飛行甲板でも、作業員が大忙しで働いていた。


「エディンー? 行くってば」

「ああ、うん」


 新たな愛機は今、武装された姿で静かに翼を広げている。

 タラップを駆け上がり、エディンはそのコクピットへと身を納めた。僅か1mメートル四方にも満たぬ密閉空間は、まだ真新しい素材の香りがした。

 背後では、エリシュがすぐにシステムのチェックを始める。

 エディンも、機体のコンディションを確認しつつ離陸準備に入った。


「ねえ、エディン。この戦いが終わったら、さ」

「そういう話、まずいんじゃないのかな」

「えー、いいじゃん! 少し女王陛下からお給料もらってさ、どっかに旅行に行こうよ」

「そういうのは、エドモンさんを誘ってあげれば?」

「まーた、すぐそう言う。……エドモンはさ、多分あたし、あの人のこと好きだよ?」


 意外な話だと、内心でエディンは驚いた。

 王立海軍の財政を一手に引き受けているあの男は、エリシュにぞっこんだ。岡惚れしているのだ。だが、脈はなさそうだと思っていたのだ。

 だが、現実は違った。


「ベッドで意識を取り戻したら、すぐ側にいてくれたのは……エドモンだった」

「そう」

「二重の意味でホッとしちゃってさ、あたし。いつもいつも、飽きもせずモーションかけてくるけど……エドモンのその気持ちは本物だったんだ、って。あと」

「あと?」

「エディンじゃなかったから、ホッとした! お姉ちゃんからはそろそろ卒業しないとねー」

「……ちょっと待って、逆でしょう。姉さんが僕から卒業するなら、話はわかるんだけど」


 なんてことはない、いつもの二人だ。

 幼少期からずっと変わらない、この姉あってこの弟あり。

 エディンはでも、感謝している。

 姉のエリシュがいなければ、生きててくれなければ……この戦いを、こうして最後の局面まで戦い抜けなかっただろう。

 そして今は、決意を新たに身を引き締める。

 必ず二人で、生きて戦い終えると。


「システム、オール・グリーン。いつでもいけるわよ、エディン」

「こっちもOK。やれやれ、最後の出撃か……」

「それも、先行したスェインとかに遅れて、ドンケツよ。ま、真打しんうちは遅れて登場しなきゃね」

「そういうこと言ってていいのかなあ。……ん?」


 気付けば、閑散としてしまった航空甲板に人々が溢れていた。

 恐らく、格納庫ハンガーの避難民たちだ。

 甲板のクルーたちが下がらせようとしているが、その数は徐々に増える。皆、ウルスラ王国の王都から焼け出された市民たちだ。

 彼等の目に、この"エクスカリバー"はどのように映るだろうか。

 "カリバーン"は航空力学的にも、洗練された戦闘機の側面を持っている。風を掴んで大気を泳ぐ、粘りのある翼が特徴だ。

 だが、"エクスカリバー"はまるでSF映画の宇宙戦闘機だ。


「ん、音響センサーに感あり、っと……はは、エディンって人気者じゃん?」

「どうしたの、姉さん」

「ほら、これ」


 エリシュが機内のステレオに外の音を入れる。

 霧が満ちる中、集まった人々が歌っていた。

 誰からともなく集う歌が、大きく膨らんでつむがれてゆく。


「これ……国歌だ」

「ウルスラ王国国歌『友よ前を、上を向け』よねぇん? こりゃー、ますます負けられないわね。行こう、エディン!」

「だね」


 多くの国民の歌に見送られ、"エクスカリバー"が発進準備に入る。

 接続されたカタパルトは、僅か数秒でこの機体を急加速、時速数百kmキロで宙空へと射出するだろう。そこから先は、戦場……生きて帰れるかどうかは、腕次第だ。

 見れば、甲板の作業員たちも整列して、敬礼しながら歌っている。

 敬礼を返しつつ、エディンはブリッジの航空管制官へと無線を繋いだ。


「こちらアーサー01、これより出撃する。……この大音量はまずいね、敵に位置が知られてしまう」

「なんじゃ小僧、無粋なことを言うんじゃないわい。この霧じゃから、飛んでくる馬鹿はおらんじゃろ」

「……いや、まあ……これから僕たちはその中を飛ぶんだけど」

「なぁに、歌はいい……国歌は、国と民を結ぶきずなじゃ。歌えば心がたけり、血潮が燃えるわい!」

「ふふ、そうですね。じゃあまあ、そういうことで」

「死ぬなよ、小僧。よーし、発進ヨシ!」


 ドンッ! と一瞬、"エクスカリバー"の機体が沈み込む。

 同時に、強烈なGがエディンを操縦席に押し付けた。

 カタパルトによって加速された機体が、乳白色に染まる空へと放り投げられた。

 歌が、故郷の歌が遠ざかる。

 だが、小さくかすかになっても、聴こえている。

 もう、エリシュがセンサー系を切り替えたから、耳に直接聴こえてはこない。

 けど、エディンの脳裏に、この胸に……確かにその歌は届いている。


「離陸完了、姉さん」

「あいよ! 磁力炉マグネイト・リアクター、ツインドライブ安定! フル装備だし推進剤も満タン! あとは野となれ山となれ、よねっ!」

「いや、行き当たりばったりなのは困るけど……そうだね」


 "エクスカリバー"は今、その前進翼にずらりとミサイルを並べている。ステルス性を考慮した昨今さっこんの戦闘機ならば、まず見られない光景だ。

 それに、背には専用の改良型シールドブースターが搭載されている。

 白銀の騎士王アーサー01は今、浮上せし理想郷アヴァロンを取り戻すために飛んだ。


「この先で戦闘よ、エディン! もうおっぱじまってる!」

「了解。飛ばすよ、姉さん」

「ええ、ガンガンやって頂戴ちょうだい!」


 スロットルを叩き込めば、"エクスカリバー"が暴力的な推力を解放する。

 スーパークルーズで飛ぶ翼は、レーダーを通してあるじに敵の存在を無数に教えてきた。

 だが、なにか妙だ……味方機の識別と戦っている敵は、王立海軍の機動戦闘機以外にも攻撃している。

 どうやらシヴァンツは、この最終局面で国連軍すらも切り捨てアヴァロンを独占するつもりのようだった。

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