第24話「海なき海軍の方舟」

 ウルスラ王国には海がない。

 にもかかわらず、国土の半分近くが水面である。翠海ジェイドシーと呼ばれる、巨大な多重連結湖たじゅうれんけつこ……ウルスラが『千湖せんこの国』と呼ばれる所以ゆえんだ。

 その正体は、旧大戦末期に投下された無数の新型爆弾のクレーター湖である。

 そして、山国であるウルスラには、透き通る翡翠ひすいの湖面を舞う海軍が存在した。


「……って訳だがよう。さてここでクエスチョンだぜ。どうやってこのデカブツを、山の向こうのウルスラまで持ってくか、だが」


 その男、エドモン・デーヴィスはやれやれと頭を抱えた。

 彼は、少し硬いオブザーバー席のシートに身を沈める。

 彼がデカブツと呼んだのは、巨大な原子力空母だ。半世紀も前に建造された骨董品こっとうひんな上に、すでに原子炉を取っ払われて廃艦処分、解体を待つばかりだった。ノーフォーク港でほこりを被っていた、元アメリカ海軍所属……艦名は、ドナルド・トランプ。

 ブリッジで途方に暮れるエドモンを見て、年老いた艦長はしわだらけの顔で笑った。


「フォッフォッフォ、それはほれ、お前さん達が考えることじゃろう。ワシは雇われ艦長じゃから、まあ……多少の川なら逆上れないでもないがの」

「よしてくれ、じいさん……素人しろうとの俺でもわかるぜ。川底に座礁ざしょうしちまう」

「それこそ、素人に言うんじゃな。ここにいるのはUSユーエスネイビーの古強者ふるつわもの一騎当千いっきとうせん古参兵ベテランじゃ。ま、皆が退役済みロートルで年金ぐらしじゃったがなあ」


 軍服の似合わない、とても小さな老人だ。

 名は、オルソン・ブレイク。

 そして、周囲のクルーも全員年寄りばかりである。中には、湾岸戦争やイラク戦争を経験した者達までいた。

 今回、エドモンが少ない軍資金をやりくりして購入したのは、中古の空母。

 一緒に、穏やかな余生でくすぶっていた海の男達である。


「ほれ、なんじゃったか……新しい例の動力源で飛べんのかのう」

「無茶言わんでくれ、じいさん。磁力炉マグネイト・リアクターは魔法のつぼじゃねえんだ。飛べねえよ」


 現在地は、バレンツ海……凍れる北の大洋である。

 ここから白海に入って山をいくつか超えると、小さな小さなウルスラ王国がある。

 つまり、これからエドモンは山国の海軍に旗艦フラッグシップを届けようというのだ。

 だが、今やウルスラ王国はあらゆる国と戦争状態である。このまま進むにしても、ロシアの領海内に突入してしまうだろう。空が飛べたなら、領空侵犯は間違いなかった。


「くっそぉ、エディンの野郎……いや、待てよ。ここで上手くやりゃあ、エリシュも俺に惚れ直すって訳か。へへ、なるほどな、ふむふむ」


 エドモンは腕組み知恵を振り絞った。

 ドナルド・トランプは基本的に、動力部と推進機回りを改修した旧型の空母である。機動戦闘機モビルクラフトの運用を想定しているため、一部の哨戒機しょうかいきやヘリコプター以外に、艦載機かんさいきを搭載していない。

 載せるべき天空の騎士達は、まだまだ海と山の向こうである。

 さてどうしたものかと考え込んでいると、レーダー手がしょぼついた目を擦りながら振り向いた。


「オルソンさんや、これこれ……ちょいとまずいことになったわい」

「むむ、どうした? ええと、少尉殿はなんという名じゃったかのう」

「はい? 耳が遠くなっちまってのう。とにかくお客さんじゃ」

「おお、そうじゃった。その耳が遠いというので思い出したぞ。ジャクソン少尉、報告は正確にじゃあ。……やれやれ、物忘れが酷くていかん」


 エドモンの予想通りだ。

 そして、次の瞬間……養老院ようろういんみたいなブリッジの雰囲気が変わった。

 オルソンは小さく息を吸って、吐いて、そして背筋を伸ばす。艦長席からマイクを取り上げると、そこにもう頼りない老人の姿はなかった。


「艦長より達する! これより本艦は、ロシア海軍の追跡を振り切り……ウルスラ王国へ向かう。総員、奮起せぃ! ボケてる奴ぁ、氷の海に叩き落とすから覚悟するんじゃあ!」


 周囲の年寄り達も、見違えたように働き始めた。

 鉄屑ジャンクとして解体される筈だった老巧艦ろうこうかんが、再び実戦の空気に包まれる。

 同時に、ブリッジのすぐ近くをロシア海軍の艦載機がすり抜けた。距離は100mと離れていない……最新鋭のSu-101ステルス戦闘機だ。

 丸太みたいに大きな対艦ミサイルを装備してて、エドモンは正直生きた心地がしない。

 だが、オルソンは不敵に笑ってマイクを持ち替える。


「あー、さて……甲板で作業中の諸君、寒い中ご苦労じゃった。仕上がったかね?」


 返事を聞いてオルソンは、満足げにうなずく。

 甲板で作業? エドモンにそんな話は届いていない。

 いったいなにをと、立ち上がって窓に駆け寄った。

 そして、絶句。


「おっ……おいいいいっ! じいさん、あんたぁ! なにを勝手に――」

「艦長と呼ばんか、若造。話は全部、ニュースで見とるよ。ワシ等はこれより、あのはたの元に集いて戦う。これよりこのふねは、ウルスラ王国海軍総旗艦……じゃ」

「……は? お、おう。いっ、いい、いいんじゃないか、ハハハ……おっ、面白え! じいさん、いや艦長! まずは露助ろすけを振り切るぜ!」


 飛行甲板に、巨大なウルスラ王国の紋章が描かれていた。

 冷たい海風の中、女王陛下の名を頂く巨艦が疾走はしり出す。


「艦長、後方にミサイル駆逐艦が三隻じゃ。追いつかれるのう、このままじゃ」

「敵艦より通信、即時停船して臨検りんけんに応じよ……なんじゃあ、定型句もここまでくると一周回って滑稽こっけいじゃな」

「機関室より連絡、磁力炉は条件付きで安定。全力運転可能だそうです」


 ふむ、とうなってオルソンはエドモンを振り向いた。


「なにか言ってやるかね? 若造」

「へっ、そうだな……うーむ、ここは……よし、決めたっ! こう返答してく――」

「馬鹿め、と言ってやれ! 馬鹿め……鈍足の空母と思って、余裕を決めこんでからに。馬鹿め、と返すんじゃ!」

「お、おいっ! 艦長! 俺が今、すっげえ格好いい台詞を」

「さあ、お客さんは座ってもらうかの。少々揺れる……機関室! 出力全開!」


 エドモンはやれやれと、オブザーバー席に戻る。

 そして、思い出す……磁力炉に換装されたドナルド・トランプ改め、クィーン・オブ・ウルスラは、ようするに普通の艦じゃない。

 最新鋭のミサイル駆逐艦でも、撃沈は不可能だろう。

 それ以前に、追いついてこれない筈だ。

 オルソンは弱った足腰を忘れさせる姿で、堂々と立ちながら叫んだ。


超電導推進装置ちょうでんどうすいしんそうち、最大出力! このまま白海へ突入じゃあ!」


 ――

 そう、この巨大な空母は既に、電磁炉によって中身は最新鋭へと刷新されている。スクリューは持たず、指向性を持たせた磁場を自在に展開できるのだ。そして、発生するローレンツ力で界面をすべるように進むのである。

 その速力は、瞬間的に時速100ノット以上の巡航航行を可能にする。

 エドモンは座席にシートベルトがないので、肘掛ひじかけにしがみついた。

 ただ、直感で確信した……いい仕入れ、いい買い物をしたと。


「後方、左右の駆逐艦が増速します!」

「いよぉし、ブン回せぃ!」


 刹那せつな、不気味なGが負荷となってエドモンを縛った。

 ありえない加速で、クィーン・オブ・ウルスラが波濤はとうを超えてゆく。

 磁力炉というオーバーテクノロジーが、海なき小国に無敵の不沈艦を与えた瞬間だった。


「へへ、やったぜ艦長! 次は山越えの算段だが……さて、正直どうすっかな」

「さてのう。とりあえず、後ろの送りおおかみ共はこれで振り切れるじゃろうが、白海へ逃げ込むことは向こうも想定内。じゃから――」

「敵艦より飛翔体! 数は四! 対艦ミサイルです!」


 いかな超電導推進でも、音速に近い速さのミサイルは振り切れない。

 だが、オルソンはすかさず叫んだ。


「超電導推進、停止! その後、あらゆるシステムをダウンさせろ! 例の手を使うんじゃあ!」


 ここでは回避運動がセオリーだ。

 大きくかじを切りつつ、レーダーと連動したCIWSシウス……近接防御火器システムClose In Weapon Systemによる射撃でミサイルを迎撃する。最悪、目視で弾丸を叩き込むのだ。

 だが、クィーン・オブ・ウルスラは緊急停止で、全ての電源を落とした。

 エドモンは突貫工事の改装作業にも付き合ったし、出港後も工事は続いた。だから、それなりにこの一種異様な奇想艦きそうかんにも少しは詳しい。

 だから、オルソンのやろうとしていることがよくわかった。

 問題は、


「おい艦長!」

「黙っとれ! ……なぁに、当たらんよ」

「なんで!」

「フッ……機関室、磁力炉の回路を切り替え! 15秒後に強磁場拡散! クルーは全員、防護処理された艦内へ退避じゃあ!」


 勿論もちろん、ブリッジにも同様の処理がされている。

 そして、搭載された大型の磁力炉が、周囲の海域に強烈な磁場を広げていった。

 向かってくる対艦ミサイルが、高度を取って上昇する。この手のミサイルはほぼ全てが、接近後に上昇して頭から襲ってくるのだ。

 だが、鼻っ面に強力な磁気を浴びせられ……遥か上空で爆発が響く。

 対艦ミサイルに搭載された誘導装置が、強力なECMイーシーエム攻撃を浴びて動作不良を起こしたのだ。磁力炉を積むからこそ展開可能な、誘導兵器を完全に無効化する磁場のたて。だが、自身も全システムを停止し、動けなくなる。自分が発した磁場で、少なからず艦のシステムにも影響が出てしまうからだ。


「ふむ、こんなもんじゃろ。よし、推進器再始動――」

「艦長! 敵機直上! 艦載機が真上に!」

「ほう? 露助にも使う頭があるんじゃなあ。ピロシキ程度には脳味噌が詰まっとる」

「敵機、急降下! 来ますっ!」


 一難去ってまた一難、今度こそエドモンは死を覚悟した。

 恐らく、高度を取って磁気の嵐をやり過ごしたのだ。

 だが……遠くに小さな爆発音が響いて、窓がビリビリと震える。


『こちらアーサー01、エディンです。無事、ですよね? 着艦許可を願います』


 ブリッジの前に、ゆっくりと機兵形態ストライダー・モードに変形する機動戦闘機が降りてきた。王室円卓騎士ナイト・オブ・ラウンドのエディン・ハライソだ。彼は"カリバーン"を滞空させたまま、いつもと変わらぬ冷静な声を響かせる。

 相変わらずかわいくない奴だと思ったが、エドモンは心の底から救国の騎士に感謝した。

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