第14話「裏切りのシヴァンツ」

 列強各国の慌ただしい動きは、すぐにウルスラ王国にさざなみとなって寄せた。

 そして、小さな観光立国にとっては、それは津波にも等しい打撃だったのだ。

 オーレリアは今、無数の臣下に囲まれ決断を迫られていた。


「姫殿下、ついにロシア軍が動き出しました。国境に機甲師団きこうしだんが迫っております!」

NATOナトーおよびアメリカが、ウルスラの安定のために助力すると武力介入の提案を」

「何が安定に助力だ! 体よく占領するための口実ではないか!」

「中国も部隊を展開中……そうか、連中も空母を持っていたな。海からか!」


 執務室を怒号が行き交う。

 そんな中でも、オーレリアは冷静だった。

 冷静でいることしかできない自分を呪いつつ、落ち着いて打開策を探す。

 エディンが整備を進めている王立海軍の準備は、現段階では七割というところだろう。しかし、敵は不可侵条約の失効を待たずに攻め込んでくる。

 そして、助けてくれる国などいないのだ。

 18歳の王女に、遅れて現れた近衛長アシュレイの言葉が突き刺さる。


「姫殿下……今しがた国連から、査察を受け入れるようにとの連絡がございました」

「査察? 国連は何を」

「我がウルスラ王国に、

「馬鹿な! 何故このタイミングで……査察を受け入れれば、どうなる?」


 自分で自分の中に言葉を反芻はんすうして、必死でオーレリアは考えた。

 国連の査察を受け入れるのはやぶさかではない。ただ、当然のように国連は正規の手続きに則って武装解除を勧告してくるだろう。そうなればもう、民を守る者は誰もいなくなってしまうのだ。

 そして、さらに最悪のシナリオがある。

 査察団が、本来あるはずのない何かを見つけてしまうことだ。

 父の治世ちせいを引き継いだオーレリアは、この国に武力がないことを知っている。

 軍隊のない国がどうやって、核兵器や生物兵器を管理するというのだろうか?

 断言する、そんな危険なものは存在しない。

 だが、捏造ねつぞうすれば話は別だ。

 執務机の上でオーレリアが腕組み考え込んでいると……不意にドアが開く。


「オーレリア姫殿下……こちらでしたか。進退窮しんたいきわまったとは正にこのこと。さ、脱出の御準備を」


 現れた男はシヴァンツだった。

 彼はいつもの余裕の笑みを浮かべている。そして、その隣には……見慣れぬパイロットスーツの少年が立っていた。酷く冷たい目をした、カミソリのような視線を注いでくる。彼が誰かを思い出そうとした、その時だった。

 少年は退屈そうに肩をすくめながら低く笑う。


「なあ、姫さんよぉ……オヤジが逃げろつってんだ、ちゃっちゃと用意してくれねえか? 護衛なら俺が"ハバキリ"で飛んでやるからよ」

「……思い出しました、貴方はシヴァンツの」

「おうよ! 俺の名はセルジュ、この国の宰相さいしょうの息子だ」

「確か、シヴァンツには二人の御子息が――」


 オーレリアが言いかけた、その時だった。

 セルジュは突然、全身から殺気を叫んだ。


「いねえよ! 俺だけだ! 俺がオヤジの息子だ! そうだろ、オヤジィ!」


 何も言わずに薄い笑みを浮かべて、シヴァンツはうなずく。

 オーレリアを囲む臣達から「無礼な」と声があがった。

 だが、まるで抜き身の刃のようにセルジュは眼光鋭く周囲をにらむ。

 そして、シヴァンツはそれをとがめるでもなく冷たく言い放った。


「姫殿下、脱出を。亡命先にて臨時政府を立ち上げるがよろしいかと」

「待てシヴァンツ! 民を置いてはゆけぬ。民の安全が保証されなければ、私はこの場を動けない。何より、民を見捨ててはいきたくないのだ」

「でしたらご安心を。姫殿下の名誉を守るべく、このシヴァンツ……一計を案じました」


 そして、一人の少女が部屋へと入ってきた。

 その顔を見て誰もが驚きの声をあげる。

 粗末な白い病院服を着せられた、酷く痩せたその人物にオーレリアも目を見張った。


「こ、これは!?」

「オーレリア姫殿下が……二人!?」

「いや待て、まさか……シヴァンツ、貴様! 不敬な……姫殿下のお顔を」

「この娘は誰だ? い、いや……まさか、この者は」


 オーレリアは畏怖いふした。

 目の前に今、自分と同じ顔の少女が立っている。生気の感じられないうつろな目が、おびえきって震えていた。

 そして、

 シヴァンツは彼の……そう、少年の背をそっと押す。


「我が忠義の証です、姫殿下。身代わりは我が子ヨハンが務めましょう。そのために顔を作り変えさせました。身長や体重もほぼ同じ……胸は何かを詰めればよろしいかと」


 セルジュの舌打ちに、ヨハンはビクリと身を震わせる。

 そう、シヴァンツには確か二人の息子がいた。兄のヨハンと、弟のセルジュだ。全てにおいて才能豊かな優れた弟と、気は優しいが凡才でしかない兄……母を早くに亡くした兄弟に、オーレリアは国の行事で何度か会っていた。

 だが、どちらも思い出せなかったのも無理はない。

 セルジュは平時に会った時の純朴そうな仮面を脱ぎ捨てた……あれは演技だったのだ。そして、ヨハンに至っては既に姿形が違ってしまっている。


「さ、姫殿下……我が子ヨハンが身代わりを務めますれば」

「……シヴァンツ! お前は何をしたかわかっているのか! 私はそんなことを頼んだ覚えはない! それに、私が守りたいのは私や王家の誇りではない! 民なのだ!」

「……ヨハンはセルジュと違い、亡き妻に瓜二つでしたので……手術も楽だったと」

「シヴァンツ! 今よりお前の宰相としての任を解く! 謹慎きんしんして頭を冷やすがよい」


 だが、シヴァンツは驚くどころか、笑いだした。

 静かに肩を震わせ、のどの奥からこみ上げるような笑いを最後には執務室に響かせる。


「オーレリア姫殿下、ご冗談を。姫殿下には亡命していただき、後は私が万事滞りなく……


 この時になって初めて、オーレリアの危惧が具現化した。現在進行形で危険な男として、シヴァンツは国と民を裏切ったのだ。

 彼は両手を広げると、滔々とうとうと語り出す。


「ロシア軍が口火を切る前に、こちらから降伏して戦闘を避けるのです。多くの民が救われましょう。そして、列強各国が分割統治し、ウルスラ王国はバラバラに……しかし、誰も、誰ひとりとして! ……死にはしません。如何いかがでしょうか? 姫殿下」

「……シヴァンツ、今まで御苦労だった。下がってよい」


 シヴァンツが片眉を跳ね上げる。

 オーレリアは周囲の臣下を見渡し安心させると、再度強い言葉を切った。


「下がれと言った。私は戦いを望まない。それは、民のための国、何より民そのものを守るためだ。分割統治? 故国を引き裂かれて民の暮らしはどうなる? 命さえ助かればいいなどと、私は思わない! 故郷を、暮らしを! ……日常を一緒に守ってやらねばならんのだ」


 シヴァンツとオーレリア、二人の視線が交錯する。

 激しい感情が行き来する中で、二人は無限にも思える一瞬を睨み合った。

 緊張感のない声が響いたのは、そんな時だった。


「たりーぜ、オヤジ。姫さんはよぉ、いっそっちまうか? 殺してここのバカ兄貴をえときゃいいだろ。なあ、オヤジィ!」

「セルジュ、落ち着きなさい……ひとまずここは引きましょう。しかし姫殿下。お忘れですか? この国は百年前より狙われし、秘密を抱えた呪いの地」


 そう、ウルスラ王国は先の大戦が終わった百年前より、当時の大国に狙われていた。この地に何かがあって、それをどこの国も奪い合ったのだ。そして、あらゆる国家が『相手国に渡すぐらいなら』と、悲劇的な決断を下した。

 無数の新型爆弾で、ウルスラ王国は蹂躙じゅうりんされ尽くした。

 千湖せんこの国と呼ばれる由来は、無数にできたクレーターが翡海ジェイドシーと繋がったからだ。

 誰もが沈黙する中で、オーレリアは静かに詰問きつもんの声をとがらせる。


「……その秘密を知っていると言いたげだな? シヴァンツ」

「ええ。この国には世界の軍事力を一変させるものが眠っているのです」

「くだらぬ……そんなもののために、列強各国は我がウルスラをこうというのか!」

「逆は考えられませんか? 姫殿下……その力があれば、ウルスラ王国こそが世界の覇者として君臨できるのです!」

「シヴァンツ、お前は夢を見ている。それも、邪悪で虚しい夢だ。下がれ!」


 シヴァンツはうやうやしくこうべれると、セルジュをともない行ってしまった。

 そして、ヨハンだけが取り残される。

 彼は酷く落ち着かない様子で、何かを言いかけては口をつぐむ。

 そんなヨハンに歩み寄って、オーレリアは手を取った。

 少年の手とは思えぬ、自分と同じ白い柔肌だった。


「あっ、あ、ああ、あの……姫殿下」

「ヨハン、すまぬことをしました。貴方あなたにはなんら罪はない。ただ、シヴァンツのところには帰り難いと思います。私の方で――」

「ひっ、姫殿下! ぼ、僕を……僕を、使ってください」


 意外な言葉に誰もが顔を見合わせた。

 ヨハンはおどおどと、オーレリアの手を握り返してくる。


「と、父さんに、言われました。オーレリア姫殿下のためにと……そ、そのために、この顔を作りました」

「それは人が人に強制してはならぬこと。無理をしなくてもよいのです、ヨハン」

「ぼ、ぼっ、僕は……セルジュさえいれば、僕はいらない人間だから。だから……何かできることを、探していました。そんな時、父が初めて……昼間に会いに来てくれて。で、でも……父さんに必要な人間でいるだけなら、夜の僕だけでいい、けど」

「ヨハン……貴方は」

「ぼ、僕は、父さんに必要とされる僕より……宰相の息子として働ける僕になりたい……です」


 オーレリアが優しい言葉をかけても、不思議とヨハンは首を横に振った。そして、オーレリアの役に立ちたいという意思だけは自分の物だと譲らない。

 オーレリアが根負けすると、それを見ていた臣下の者達も動き出す。


「姫殿下! まだ諦めてはなりません、そうですな? 引き続き外交ルートを探り、交渉を続けます。ロシアへも正式に抗議いたしましょう」

「国連本部へは私が出向きましょう。戦を止める手段が何かある筈です」

「各国の大使館にはまだ帰国命令が出ていません。まだ交渉の余地があります!」

「我らウルスラ王家につかえし家臣の力、今こそ見せる時! 皆の者、ゆくぞ!」


 悲観と絶望で途方にくれていた男達が、息を吹き返す。誰もが皆、必死でウルスラ王国の生き残る道を探り出した。諦めることなく、探してなければ作ろうと足掻あがき出したのだ。

 オーレリアは黙って感謝の念で頭をさげる。

 そして、ヨハンの瞳を真っ直ぐ覗き込んで言葉を選ぶ。


「では、ヨハン。貴方の力をお借りします。シヴァンツの子という話は、私には気になるものではありません。頼りますが、いいですね?」


 ヨハンは黙って何度も頷いた。

 そして、この日の夜遅く……北の国境へとロシアの機甲師団が押し寄せた。宣戦布告と同時に進軍すべく、無数の戦車や武装車両が集められたのだ。

 ウルスラ王国の平和は今、無残にも踏みにじられようとしていた。

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