第13話「陰謀は深い霧の中へ」

 ロンドンで一報を知ったフリメラルダは、激怒した。

 表情こそふてぶてしい涼しさを湛えていたが、激昂げきこうしていた。

 それで今、スーツ姿で車を走らせている。呼び出した相手をピックアップする予定で、サヴィル・ロウを疾走していた。

 秋の深まる街並みは、今日もきりに包まれていた。


「……ヤな霧ね。昔を思い出しちゃうわ」


 それは、フリメラルダが若かりし頃の思い出だ。

 ウルスラ王国の国民の中では、ちょっと有名なエピソードがある。千湖せんこくにと呼ばれるウルスラの姫君として、オーレリアの人柄を語る観光客向けの話だ。

 だが、当時爵位しゃくいを継いだばかりのフリメラルダ女男爵おんなだんしゃくは、肝が冷えたのをよく覚えている。

 オーレリアが友人リシュリーをともない、幼子二人だけで湖へボートを出したのだ。

 おりしも深い霧が湖を白く塗り潰した。

 旧世紀の新型爆弾でできたクレーター湖の数々は、その奥へと姫君をさらった。


「あん時は助かったからまだマシですわ。でも、今回は……っと、いたわね」


 フリメラルダはレンタカーのプジョー106を停車させる。

 すぐにトレンチコートの男が助手席に乗ってきた。


「久しぶりだな、フリメラルダ。この間の通商交渉つうしょうこうしょうの時以来じゃないか」

「ええ、ロレンツ。あの時は素敵な提案をありがとう、馬鹿みたいに高い関税であきれたわ」

「よく覚えているよ。君が随分とタフな交渉をするから、うちの外相が先に音を上げた」

「小国だから買い叩こうなんて、わたくしの目が黒いうちはさせませんわ」

「車を出してくれ……盗聴されない密室が必要だ。それと、どうしてフランス車なんか? ミニクーパーとかジャガーとか、もっといい英国車があるだろう」

「ロータスを置いてない店が悪いのよ。運転はわたくしの数少ないストレス発散なの!」


 すぐにフリメラルダが小粋なハッチバックを走らせ始める。

 ロレンツと呼ばれた男は、しきりに後ろを気にしながら帽子を脱いだ。壮年そうねん口髭くちひげをたくわえたジェントリで、絵に描いたような英国紳士である。だが、美貌のフリメラルダと逢瀬おうせという訳ではない。


「さて、ロレンツ……サー・ロレンツ英国王室経済顧問」

「おいおい、私と君はオクスフォードの先輩後輩だぞ? ……まあ、いい。尾行はいないようだし話そうか」


 飛び級でオクスフォード大学にフリメラルダが留学したのが、14歳の頃だった。その時、学生のリーダーだったのが英国貴族のロレンツである。一回り以上歳が違ったが、よき友人になれたし、時には恋人だったこともあったかもしれない。

 ただ、あまりにフリメラルダは子供過ぎたし、ロレンツも紳士的にならざるを得なかった。そして、二人は卒業後は政治と外交の舞台で合う度に議論の応酬になる。

 だが、フリメラルダはロレンツを兄のように慕っていた。

 もっとも、そのことを絶対に彼に伝えないようにしていたが。


「ロレンツ、ロシアが動いたわ。艦隊が南下してるし、国境線にも機甲師団きこうしだんが迫ってる」

「演習だろ? そう聞いているが」

「しらばっくれないで頂戴ちょうだい、いいこと? 本気の本音以外に興味はないの。腑抜ふぬけた言葉で逃げるなら、身体のアチコチに手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わせんだから」

「……変わらないなあ、君は。とんだじゃじゃ馬の跳ねっ返りだ」

「みんなそう言って褒めるわ」

「やれやれ」


 だが、ロレンツは僅かに逡巡しゅんじゅんを見せた後に語り出す。


NATOナトー各国は静観の構えだ。……というのは表向きで、ロシアに同調したがっている。百年の相互不可侵条約を反故ほごにするつもりだねえ」

露助ろすけも露助なら、欧州も欧州ね。蹴っ飛ばしてやりたいわ」

「……それだけの価値がウルスラ王国の占領、及び滅亡にあるってことだ。魅力的らしい」

「いい迷惑だわ」


 そう、ウルスラ王国にいったい何が?

 資源もないし、農業や畜産といった一次産業と観光だけしかとりえのな小国だ。それが百年前、非公式の各国首脳会談の後、不可解な新型爆弾の大量爆撃を受けた。

 そして今、もう一度国をかれようとしている。

 全く見に覚えのない喧嘩を売られようとしているのだ。

 勿論、ウルスラ王国は王室と国土、なにより国民を守るために戦う。

 たとえ、今まで百年間軍隊のなかった国でも、だ。


「あまりに機密レベルが高すぎて、私程度では話の真相を暴けないのだよ。だが、暴けないだけで確かにある……何か裏があるとは感じている。イギリスでは王室の一部と首相しか知らぬ何かが」

「それ、わからないの?」

「無理だよ、私はあくまで経済が専門の顧問に過ぎない」

「なによ、使えないわね」

「酷いな、相変わらず君は。……そういう風にはっきり私にものを言ってくれる人間など、君くらいのものだがね。地位や権力は、時に人を孤独にする」


 フリメラルダは王家に使える人間として、先代の王の頃より外交の舞台に立っていた。そして、そのつてをフル活用して世界中を飛び回ってみたのだ。

 結果、一つだけわかったことがある。

 

 どの国でも、親しい知人や友人は口をつぐむ。

 それなりの地位にいる人間が口をそろえて、わからないと言うのである。

 ただ一つ、理解できないなにかがあるということだけが突きつけられた。


「ま、いいわ。そっちは知ってそうな人間に心当たりがあるの」

「ほう? ……あの宰相さいしょう、シヴァンツかね?」

「食えない男よ。腹の底が見えないの。何かをたくらんでるような気がするんだけど、彼の手元にオーレリア姫がいるわ。人質にとられてるようなものなのですの」

「なるほど。ま、そっちの線で進めたほうが良さそうだね。それより、メールの件だが……かなり危ない橋を渡ったぞ? 一つ貸しだ」


 ロレンツは鞄の中から書類を取り出した。

 いわく、MI6エムアイシックスの友人を介して手に入れた極秘情報だという。


「君が言う通り、日本の八神重工やがみじゅうこう以外でも機動戦闘機モビルクラフトとやらを作っている。もともとは垂直離着陸VTOLが可能な音速戦闘機計画だったらしい。で、単純にエンジンとノズルが可変の構造になる中で……脚になって、手が生えた」


 帰国したエディンから報告を受けて、フリメラルダは怒っていたのだ。各国がウルスラ王国侵攻を前倒ししたがってる中で、虎の子の機動戦闘機に異母兄弟がいたのである。

 機動戦闘機の優位性、圧倒的な高性能だけがウルスラ王国のアドバンテージだ。

 敵国が同じ機動戦闘機を投入してきた場合、国力がそのまま戦闘力となって勝敗を分かつ。数の戦いでは絶対に勝てない。


「しっかし、一番腹が立つのはあれね……エディンってば『やっぱり敵にも』って言ったのよ? かわいくないったらありゃしないわ。最初から想定内ってことかしらん?」

ちなみに、出処ははっきりしない。八神重工ではない組織が、以前英国空軍に接触して売り込みをしようとした事実がある。恐らく、他の国にも」

「やあね、本当に……なにそれ、写真?」


 数枚の写真を手に、ロレンツは書類と一緒に両手で広げる。

 よそ見運転をしながら、フリメラルダはデルタ翼の機動戦闘機にまゆひそめた。

 確かに写真では、かなり画質が荒いが変形してるところが見て取れる。

 ロレンツがその機体の名を教えてくれた。


「なかなか仰々ぎょうぎょうしい名前がついててね……"ハバキリ"というらしい」

「"ハバキリ"?」

天羽々斬あめのはばきり……日本神話に登場する、八本首の大蛇オロチを退治する際に用いられた神剣だ」

「……なかなかいいセンスね」

「君のところの"カリバーン"もなかなかだよ。騎士王の聖剣だからな。ジョンブルとしては肩入れしたくなるネーミングだ。ところで、フリメラルダ」

「ええ……しっかりつかまって、ちょう、だいっ!」


 不意にフリメラルダは、ギアを下げてフルスロットルを叩き込む。

 自慢の猫脚ねこあしを粘らせながら、しなやかにプジョーは……スペシャルチューンのプジョー106ラリーは急加速を始めた。

 同時に、背後でガラスの割れる音が銃声を連れてくる。

 バックミラーをちらりと見れば、黒塗りのセダンが三台迫ってきていた。

 ご丁寧に黒服の男が、窓を開けて拳銃を向けてくる。


「やれやれ、フリメラルダ。まことにすまない、謝るよ」

「やっぱ尾行されてたのかしらん?」

「いや、違う……ただ、彼等は英国の組織、SASだと思う。スーツが似合わぬ野蛮な軍人さ。さて、どこで足がついたか……とっととと、フリメラルダ! 危ない運転だな、相変わらず!」

「お褒めに預かりどーもっ!」


 激しいスキール音でプジョーは小さな路地へと入った。

 車幅トレッドギリギリしかない中を、迷わずフリメラルダはアクセル全開で駆け抜ける。

 小さなハッチバックで横幅が現界なのだから、当然セダンは入ってこれない。

 だが、その考えは甘かった。


「見ろ、出口がふさがる! トレーラーだ! バック、バックだ!」

しゃべってると舌みますわよ!」


 左右のレンガ造りが連なる先、路地の出口をゆっくりトレーラーの車体が閉じてゆく。瞬時にフリメラルダは判断して、サイドギアを引っ張り後輪を滑らせた。

 前後のバンパーが接触して、火花と悲鳴があがった。


「ロレンツ、頭下げて!」


 そのまま横滑りに、トレーラーへと激突。

 一瞬だけ身を屈めたフリメラルダの上で、ルーフが基部ごと根こそぎ木っ端微塵になった。それでも、オープンカーになってしまったプジョーはトレーラーの下をくぐり抜けて再び走り出す。

 気付けばフリメラルダは、自分がたけたかぶる中で高揚感を感じる。

 それは、隣でぼやくロレンツがぐったり背もたれに沈んでも止まらない。


「風通しがよくなったねえ、フリメラルダ……うちの屋敷にとりあえず逃げ込もう。信頼できる人間を通じて、君を空港から送り出す」

「お言葉に甘えようかしら。助かるわ、ロレンツ」

「……なんなら、ずっとうちの屋敷にいてくれてもいいんだがね。こう言っちゃ悪いが、ウルスラ王国は――」

「言わないで頂戴、ロレンツ。わたくしはあなたを逃げ場所にだけはしたくないわ。それと、逃げるのは嫌。国と民を残して逃げちゃ、益荒男嬢爵ますらおじょうしゃくの名が泣くわ!」

「それ、まだ使ってるんだ……気に入ってるの? 趣味悪いなあ」

「あなたがつけたあだ名ですもの、当然じゃなくて?」


 ロンドンの霧がより濃くなる中、追手を引き剥がしてフリメラルダは走る。

 その先に逃げ込み全てが終わるのを待ってもいい。

 ロレンツは最後まで妹分を守ってくれるだろう。

 だが、フリメラルダ・ミ・ラ・アヴァタール女男爵は決して逃げない。

 唯一、国と民を救うためにしか逃げたくない。

 そういう女に生まれたことを、彼女は荒々しいドライビングで自覚しながら発散し、なによりも誇りに思って兄貴分へと微笑ほほえむのだった。

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