第8話「人の意思は枷か、それとも」
今日もエディン・ハライソを包む空は青い。どこまでも続く天空を、彼は三機編隊で飛んでいた。後部座席では、姉のエリシュが上機嫌で鼻歌を歌っている。
とても、これから模擬戦があるとは思えぬ雰囲気だった。
だが、一つの国家の命運を決める戦いは、確実に目の前まで迫っていた。
回線を通じて、ヘルメットのレシーバーに女の声が走る。
『エディン・ハライソ、準備はよくて? なんなら三機で同時にかかってきても構わなくてよ』
声の主は、フリメラルダ・ミ・ラ・アヴァタール
エディンは僚機に目を走らせてから、改めて返答した。
「フリメラルダ女男爵、一騎討ちといきましょう。僕が証明したいのは、
『そう言うと思っていたわ。では、楽しんで頂戴』
「了解」
通信が切れると同時に、エディンは背後の二号機と三号機に声を掛けた。
やはり、
無理からぬ話だと思うし、エディンはそれを責めはしない。
ただ、模擬戦に参加してもらうには、まだまだ練度が足りないと思った。
当然のことで、三号機のパイロットは完熟飛行未経験の
「六華先輩、三号機を……リシュリー様をフォローしてあげてください。模擬戦には僕が出ますので、そうですね……適当に飛んでてもらえれば。訓練のつもりで」
『んだと、ゴルァ! 聞こえてるぜ、エディン! オレにやらせろ!』
『……エディンさん、そうさせてもらいます。リシュリーさんもいいですね? 三号機、壊したら……怒りますよ? 勿論、エディンさんの一号機もです』
バルドゥール伯爵の娘でオーレリアの親友、リシュリーもチームの一員になっていた。
だが、これが酷い。
空戦のセンスがまるで感じられず、操縦技術もでたらめだ。機動戦闘機の高度な電子制御とAI技術がなかったら、この場まで飛んでこれなかっただろう。
そのことを誰よりも思い知っているのは、教官役をやっている六華だ。
二号機と三号機を置き去りに、エディンは一号機を加速させる。
まだレーダーに敵影はないが、
「リシュリー様ってさあ、エディン。……すっごい
「まだ訓練を始めてから間もないしね。それと、彼女にも長所はある」
「あー、確かに。がさつに見えて料理は上手いし、洗濯も掃除もまめにやるしね。あとは――」
「それもあるけどね、姉さん。
「言われてみれば……でもねえ、ずっと陸地を歩いてる訳にもいかないでしょう?」
リシュリーは、機兵形態での白兵戦、格闘戦がずば抜けて上手かった。技術的に高度な訳ではない……野生の感覚とでも言うべき才能を発揮するのだ。狙いも定めず撃てば当たるし、
多分、猪突猛進な性格の
そしてそれは、ウルスラ王立海軍のライトスタッフたちにとっては大歓迎だ。
そんなことを考えていたら、姉の声が不意に
「エディン、レーダーに感あり。敵も一機ね……20秒後に
「どれ、じゃあお手並みを拝見しようかな」
エディンも愛機を加速させる。
見る間に背後に、僚機の翼が遠ざかった。
エディンたちが
だが、それでもエディンは相手を侮ることはない。
そして、強敵を期待している。
手強い敵であれば、それは国防を
そして、模擬戦は敵の先手で始まる。
「姉さん、少し振り回すよ……どうやら手強い相手みたいだ。エンゲージ!」
「はいはーい、好きにやんな。火器管制は任されたっ!」
エディンは不意に機体を投げ出す。
ダイブした瞬間、空に火線が走った。
ペイント弾をばらまいた敵意は、あっという間に擦れ違って背後に回り込む。それも、常人では理解も模倣も不可能なマニューバで。
出来の悪いCG映像を見ているかのようなターンだ。
そしてエディンの耳元に、余裕の笑みと共にフリメラルダが語りかけてくる。
『エディン、逃げ切れるかしら? わたくしのXFA-38"ケルビム"から。もっとも、逃げてるだけじゃ駄目ですわ……少しは
――XFA-38"ケルビム"
それが敵の名。
すぐに後部座席のエリシュが調べたデータを読み上げてくれる。
それは、アメリカが開発した次期主力戦闘機だ。地上からコントロールする、完全な無人機である。高度な人工知能を搭載し、自らの判断で与えられたターゲットを破壊、撃墜するのだ。
無人機故に、加速や旋回のGに制限はない。
人間という名の
そして、幼子をあやすように優しい声で、フリメラルダは言葉を続ける。
『エディン、貴方……ウルスラ王国の
当然だ。
そして今、それがエディンには不可避の未来に思える。
来年、不可侵条約の失効と同時にウルスラ王国は
それはエディンたち一部の人間にとって、確実な未来と言えた。
来るべき未来、国土と王室、なにより民を守るため……多くの犠牲が払われるだろう。そのことに対するフリメラルダの答が、感情も自我もないコンピューター兵器という訳だ。
『百年軍隊のなかった国で、臣民を兵士へと教育、訓練するコストは? そうしてお金と時間をかけた者たちが、戦場ではあっという間に死にますのよ。その機動戦闘機とやらが
「……犠牲は出ます。むしろ、犠牲を払わなければこの国は守れません」
『つまらない答ね、エディン。失望したわ』
右に左にと、エディンは急旋回を繰り返しながら逃げる。
だが、背後の"ケルビム"はまるで影のようにピタリとついてきた。
姉の説明では、"カリバーン"の映像を解析し、その挙動を先読みしているのだとか。現代の発達したAIでは、そうした芸当も可能だろう。現に今、エディンの乗る"カリバーン"一号機もAIの補佐を得て飛んでいるのだから。
振り切れぬまま、徐々に機械の殺気が忍び寄る。
二度三度と発砲され、ペイント弾が機体を
『無人機のみで構成された空軍により、領土および領空に入ったものを無条件で撃墜……これがわたくしの考える国防論ですわ』
「フリメラルダ女男爵、この"ケルビム"のコストは」
『誰も死なないというのなら、大金を払う価値があるんじゃなくて? 安い買い物ではないけれども、それは貴方の機動戦闘機も同じでしょう?』
「
エディンはフリメラルダへ返事をしながら急上昇。
同時に、追いすがる"ケルビム"へと振り返るように変形した。
中空で逆さまに倒立する形で、四肢を広げた"カリバーン"が翼下のライフルを手にして弾丸を放つ。天と地とがかき混ぜられる中で、エディンは頭上の翠海に吸い込まれる
だが、ロックオンした敵機は……不気味な粘度を感じる動きでぬるりと避けた。
敵の弾道計算は完璧だ。
そして、人間業を超えた動きで肉薄してくる。
再び
背後を振り向きつつ、エリシュはヒステリックな声をあげた。
「ちょっとエディン! 追いつかれちゃうわ。機体スペックだけならこっちの方が強いのに! どうなってんのこれ!」
「腕の差、というか……僕たちが人間である限り、機械に勝てないことがあるのさ。でも……その逆もしかりだ」
バレルロールで逃げ惑う"カリバーン"の
全身が翼でできたような三角形の"ケルビム"は、苦もなくエディンの操縦をトレースしてきた。しかも、より速い速度で迫ってくる。
既に先程、変形しての射撃を見せてしまった。
不意打ちのつもりだったが、敵はAI……見てから避けるという芸当で難なく乗り切ってみせたのだ。今後、二つの形態を織り交ぜて攻撃しても、向こうが取得したデータを増やすだけである。
だが……エディンは回線の向こうへと叫んで、愛機を危険な領域に放り込んだ。
「フリメラルダ女男爵、僕は……ウルスラ王国を守るためには、人が血と汗を流すべきだと考えています。勿論、それがないにこしたことはないし、必要最小限に留めるのは大前提ですが」
落ち着いた声音とは裏腹に、エディンは必死の形相でGに抗う。急旋回と同時に急上昇、そして……急減速。変形した全身をエアブレーキにして、通常の戦闘機ではありえぬ制動に奥歯を噛んだ。
戦闘機動中での変形は危険だと、六華には釘を差されていた。
だが、不可能ではないと日々の訓練が教えてくれる。
機動戦闘機は、二つの形態が相互に片方を補完する形で強さを発揮するのだ。
「無人兵器で守られる者たちは、痛みを知ることができない。守られていることすら意識しないかもしれません。それは僕の理想とも、オーレリア姫殿下の願いとも違う……国を守るのは、あくまで民! その先頭に立つのが王家なら、それを含めて国を守るのが僕たちの務めでしょう」
失速した"カリバーン"を、"ケルビム"はロストした。
突然、予測範囲内の戦域から"カリバーン"が消えたように見えた
現行の戦闘機はほぼ全て、三次元ベクターノズルによる高い運動性を誇る。
だが、手足を伸ばして任意の方向へ推力を得る機動戦闘機の方が、小回りでは圧倒的に上だ。
決着と同時にエディンは、珍しく安堵の溜息を
それは、エリシュが悲鳴に近い声を叫んだのと同時だった。
「敵機直上! 太陽の中に……なにかいるわ! エディン!」
それは、
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