04-1.1980年代のこと(出生~幼少期)
序章で書いたとおり、私は実母に抱かれた記憶がない。
だが、どうやら2才程度までは実父と実母の元で育てられたようだ。時々、母が「床やベッドに寝かせるとすぐ泣いてしまい、一日中抱き続けた事があった」と話していたのを思い出す。
だが、それはもちろん、私の記憶外の話だ。
私の記憶は、4才から始まっている。一番最初の記憶は、幼稚園に行きたくなく、電柱や祖母の自転車にしがみつき、号泣する記憶。
あの時、どうしてそんなに泣いていたか、当時の感情までは思い出すことができない。ただ、祖母も幼稚園の先生も、苦々しい思いでいっぱいだっただろう事は想像がつく。
なにせ「親ではない」身内の人間が毎日送迎に来るのだ。先生の頭にはおそらく「虐待」という言葉すら浮かんでいたのだろう。
それを裏付けるのが「お弁当」の記憶だ。私が通っている幼稚園では確か、隔日でお弁当の日があった。
当時の担任の先生は、必ずいただきますをする前に、先生が私のお弁当だけ、中身をチェックしていた。
おそらく、違和感があっただろう。お弁当箱の8割を占める白米と、2個ほどの卵焼き、煮物が4~5個。
今考えればまともな内容ではないのだが、別に普段からこうだった私にしてみれば、何も考える事はない。
何度も何度も私のお弁当をのぞき込んでは、隣の組の先生と相談をする。
ほぼ間違い無く、公的機関に通報か否か、の相談をしていたのだろう・・・。
年少から年長に上がる時、金曜日だけ、実母が迎えに来るようになった。
それは「ママの日」と呼ばれ、その日だけは実父と実母、そして実妹がいる家に行って泊まり、土曜日の午後に、また祖父母の元に戻るという段取りだ。
双方で相談があったのか、児童相談所からの勧告があったのか、はたまた何かの「気まぐれ」だったのか。
今となっては知る由も無いが、私にとっては正直「行きも地獄、帰りも地獄」である事には変わりなかった。
実父は気難しく、神経が細かい。そして重度のアルコール中毒者でもあった。
(精神科主治医によって、おそらく実父は「病的酩酊」と呼ばれる精神病者であることが推測されるが、これは後に詳しく記す)
結局、実両親の元に行っても蹴られ、殴られ。
祖父母の元に行けば祖母の嫉妬と執着、執念による精神的な「いたぶり」(あえてこう記す)が待っている。
そんな中で、私が唯一逃避した世界が「ゲーム」と「活字」の世界だった。
4才から始まった、閉じた世界への逃避。
それが、結局私を地獄へと落とし、現世へと繋げる細いクモの糸となる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます