第50話 雪景


 厳しい監視の目が常時光るトゥエルヴ領内へ、どこから進入したのか――の侵入経路が。空からの目、巡衛艦じゅんえいかん天空の涼樹りょうじゅにより解明されていた。


「――あぁそうだ。北側領地公園内に、放置されている車両がある」

 広大な領地を抱えるトゥエルヴ領墓りょうぼは、南側こそ帝都心に最も近く、居城に通じる道も存在する。

 東と西側は、ほぼ手付かずの自然も豊かな天然の丘陵森林であり。その一部は、公的公園や散策コースとして一般にも開放されている場所もある。

 北側に関しては、小規模ながらの山を抱き。山から湧き出る地下水などが、断崖絶壁を流れ落ちた先でなだらかな小川へと姿を変えて。城の近くへと流れ続いていた。

「本人も、そこから徒歩で入ったと言っている。他意なき誤侵入だろう」


 本来、許可なき者がトゥエルヴ領へ侵入した場合、探知センサーに引っかかる筈のものが。その日に限って、大量の積雪によりセンサーが感知しなかったらしい。

 騒動の公表をどうするかの対応を、レイエスらと交えていた槇土まきとは、あるじにこぼれ話を披露した。

「風景の写真家だそうですよ。滅多にない、エルファージアに降る雪景色を撮っている内に、雪で埋もれていた警告表示も見落とし、誤って領内に入ってしまった――とのことでした」

 撮影に夢中となっている内に、方向感覚を失っていることに気づいた時、既に遅し。

 通信で救助を要請しようとしたものの、深々と降り積もる大雪の中では電波も圏外となり。電波の届くところを探している内にバッテリーが切れた。


「夜通し歩き続け、森の中で遭難同然となりながらも偶然、山腹の滝上へと辿り着き。眼下に広がる帝都の景色が見事でつい、写真を撮るのに夢中になったそうです」

 朝焼ける風景に気を取られ。崖の淵で足を滑らせ、滝つぼへ落下した。

 奇しくも外気は氷点下。水面から顔を出して「おおい! 誰か!」と叫んでも、降り積もる音以外の森はただ静寂で。当然、誰からの応答もなく。吐く息の端から凍り付く。

 悴み、ガクガクと震えだした手足でもがきにもがいてやっと、薄氷の上に乗っては落ちてを繰り返し。緩やかな水流に流され続けてようやく、這い上がれそうな小川の斜面に辿り着き。這い上がったところで意識は朦朧としていった。


 事の顛末を把握し終えた碎王さいおうは、首に手を当て天上を仰いだ。

「万が一にもマスターの御身に何かあったのなら。俺ぁこの首、自らかっとばしまさぁ」

「碎王。そんな物騒なこと言わないで」

 処分の進退を自ら決めようとしていた巨漢に向けて、レイリアは神妙に告げていた。

「それよりも。共に生きて償う罪にして」

 主人に命じられ。恐縮の頭を長々と下げた碎王は。幾百もの部下たちに気合いを入れ直させてから再び、除雪に精を出し始めた。


 青く澄んだ空に高くも昇った陽は陰り。木々の枝や建物の軒から垂れる雪解けの雫がポタポタと、そこかしこでリズムを刻む夕刻に。レイリアは日々の日課である黙礼堂へ赴き、数々の鎮魂を願う祈りを捧げ。夕食を囲む家族団らんの時を迎えた。

「――そう、カメラマンさん。命には別条ないって?」

 レイエスより事後報告を受けたレイリアの頬は綻ぶ。

 ニュースでは人命救助とされているものの、立て続けに侵入を許した守護騎士らの心中は穏やかではない。

 応じるレイエスの表情も若干、憮然たる面持ちに見えなくもない。

「はい。低体温と凍傷が酷いので、しばらくは入院生活となるようですが」

「どんな写真を撮ったんだろうね?」

 それについては――と、カールが口を挟んだ。

「肝心のカメラは滝つぼの中です。春になるまではご勘弁を」

「ふふふ! あの滝つぼ、結構底が深いからね? 何はともあれ、カメラマンさんが無事で何よりじゃない」


 食卓の誕生席に座るレイリアに最も近い、角席のアニーも発する。

「レイもね」

「アニーも。あんな物騒なこと、軽々しく言っちゃだめだよ?」

「物騒とか言ってる場合じゃないし! もしも悪いヤツだったらと思うと、今でもぞっとするんだけど?」

 アニーと対面席に座るレイエスも参戦する。

「全くです。一度ならず二度までも。由々しき事態です。三度目などなきよう再度、徹底的に対策を講じます」

「偶然が重なっただけでしょ? 僕は、みんなが守護騎士職を全うしていないだなんて、これっぽっちも思ってないからね?」

「それに尽きましては、マスター」

 カールが再び、横から口を出した。

「誰かさんとは違って、ディッシーだけは気付いていたようです」


「そうそう!」

 レイリアは大食堂の入り口脇で食事を済ませ、伏せている愛犬に視線を向けた。

「ディッシーが盛んに吠えてたのって、ちゃんと理由があって。ずっと違和感を覚えてたんだね?」

 かつての師匠を睨んでいるアニーは放っておくことにして、レイリアはレイエスに視線を戻す。

「凄くない? 伊吹くん、どうやって躾けたんだろうね?」

「有能な警備犬となって幸いです」

「ディッシーにも伊吹くんにも勲章、授けたいな?」

「早速、手配いたします」

「そう言えば。その伊吹くんもそうだけど。月炎げつえんたちも、怪我から復帰したんだってね?」

「負傷の程度が大きかったユリウスも、数日内には復職する予定です」

「だったら。あの日、尽力してくれた彼らにも、用意してもらえる?」

「かしこまりました」

「あ。アニーも、僕が転ぶの受け止めてくれたでしょ? ご褒美いる?」

 傍付き従者はしかめっ面でそっぽを向いた。

「いらないよ! 何さ、そのついでみたいな言い方!」


 レイリアは弱り顔を灯して親友を宥めにかかる。

「ついでだなんて、そんな。アニーのお蔭で、僕は怪我しなかったんだよ?」

「当然のことをしたまででしょ? レイが無事ならそれでいいよ」

「なら、遠慮なく勲章、受ける?」

「いらないってば! もっと肝心な時にして」

「そう? じゃあ――、今日のところはこれで」

 顔を赤くしたアニーを差し置き、レイリアは乾杯のグラスに手を伸ばして掲げた。

「朝からずっと雪かきをしてくれた家族全員に、乾杯」

 食卓に集った誰もが、主からの労いに応じてグラスを掲げた。

「――乾杯」


 そうした夕食談義に様々な花を咲かせ、いざ散会の流れに傾いた時の事だった。

「――さてと。食後の運動でもするかな?」

 雪の光景が珍しく、何かにつけて外へ出たがるレイリアの意にレイエスは釘をさす。

「散歩は城内で願います」

「えぇ? そんなのつまらな――んっ!」

 腰かけていた椅子から立ち上がろうとしたレイリアが苦悶の表情を灯し、浮かせた腰を再度、ゆっくりと沈めていた。

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