第49話 回雪


「――で。何で僕だけこんなスコップ?」

 完全防寒で武装した、と言っても過言ではない幾重もの防寒着で身を包んだレイリアの手に握られているのは。尖った部分のない安全面にも配慮された、幼児用のおもちゃスコップだった。

 玄関脇の、比較的平坦な広場の一角に専用の遊び場を設けられたレイリアは。アニーとディッシーを連れ、雪と戯れている。

「いいじゃない。見た目も鮮やかで軽量だし、扱いやすいでしょ?」

 素っ気なく、棒読みに近いアニーの返答を受けたレイリアはしゃがみ込み。発色も豊かなスコップで雪の面をさくさくと弄りながら。城の周囲そこかしこで除雪している騎士たちをじと目で眺めた。


「僕だって。みんなみたいに、おっきなスコップでざっくざく出来るのに……」

「無理無理。羨ましそうに見ても無駄だよ? あんな大人用の雪かきスコップじゃ、レイなんかせいぜい一、二回掻いただけで体壊すから」

「……」

 天下の黎明王が頬をぷーっと膨らませながら渋々、目の前の雪をおもちゃのスコップで掬っては。アニーに向けて「えいっ」と投げやる姿を帝都民は想像出来ようか。

「ちょっとレイー」

 普段から何をされようとも、傍付きの守護騎士は反撃に転じることなどない。

「おんっ!」

「って! ディッシー?」


 あるじの真似をしたのか、犬本来の本能であったかは定かではないけれど。ディッシーは自分も雪掻きをしているつもりの、前足でせっせと雪を掻く――と言うより。穴を掘る勢いで掻き出される雪が容赦なく、ばっさばさとアニーにかかっていた。

「ちょっ――お前! 何すんの!」

「おん!」

「ははは! ディッシー、凄いね! 良い子だね!」

「ちょっと誉めないでよレイー!」

 どちらが従者として有能か――を、日々競い合う間柄となっているアニーとディッシーの攻防を。レイリアは愉快そうに眺めていた。


「そうだ、アニー。雪だるま作ろうよ? これだけの雪があれば、かまくらも作れるんじゃない?」

「かまくらぁあ?」

 おもちゃのスコップで戯れるのも早速飽きたレイリアは、傍で遊んでいたディッシーにも声を掛けた。

「ほら。ディッシーも雪、集めるの手伝って?」

「おん! おん!」

 雪の中でも元気に吠えたディッシーを、アニーは蔑む半眼で睨む。

「今朝のお前はよく吠えるね? どこにも危険なんてないんだから。めったやたらに吠えないよう、もう一回、躾け直されたほうがいいんじゃないの?」

 呆れながらも、アニーは新雪集めに勤しみ出す。

「まぁ――これだけ雪があれば、かまくらだって作れるだろうけど。雪だるま作るのだって体力いるんだから。大人しく雪兎くらいにしてよ?」

 ――こう、掌サイズの。とジェスチャーも添えたアニーは、自ら発言しておきながら直ぐに後悔していた。

 ――まずい事を言ってしまった。


「雪兎ねぇ……」

 その発想はなかった――との思いを閃かせたレイリアは、徐々に除雪されてゆく雪道へと歩み出した。

「そっか。そうだよね? 雪兎か。それもいいね!」

「ちょちょちょっ、レイってばどこ行くの?」

 主の後を追ったアニーが行く手を遮る。

「川面へ行っちゃ駄目だってば!」

「おん!」

 ディッシーも、レイリアの足元に纏わりつきながら。主の歩みを妨害している。

 それを、ただの制止だと受け止めていたレイリアは笑みで諭す。

「みんなの雪かきの邪魔もしないし、川には降りないよ。でも雪兎を作るのに、赤い目になる実と、耳の葉っぱがいるでしょう? 確かほら――、小川の近くにあったでしょう?」

「それなら僕が取ってくるから。レイは胴体作っててよ? ね?」

 しかしながら。右肩に不自由を患ってからも、自分のことは自分でやろうとするレイリアの。意志の固さとも言うべき好奇心は時に空回りもする。

「いいよ、それくらい自分で出来るから。すぐそこじゃない」


 阻まれるものを強硬突破しようとする姿勢も。ある意味、相手がアニーであるからなのか。双方、どちらも譲らなくなった。

「だーめだってば、もう! そっちはまだ除雪もしてないから! 積雪で小川との境も解らなくなってて、危ないから!」

「おん! おん!」

 レイリアが小川の方角へ向かうと、より一層ディッシーも哮り立つ。

「ディッシー、そんなに吠えないの。どうしたの? 今朝はやけに機嫌が高ぶってるね? 雪の所為かな?」

「それはレイもでしょ?」

「いいからいいから」

「良くないってば」

「ちょっとだけだからいいの!」

「良くない! 本当にもうっ、駄目だって――ばっ、わ!」

「おん!」

 そうこうしている内に、ついにとも言うべきか。新雪の柔らかい雪につんのめったレイリアと。怪我がなきようと咄嗟に庇って受け身を取ったアニーの二人は、見事に。まだ誰も踏み入っていない新雪の層へ転がり倒れていた。


「マスター!」

 雪粉をひらひらと舞わせ。転がった二人の最も近くで、除雪をしていたカールとロイは即座に駆け寄り。言わんこっちゃない雰囲気が存分に漂う周辺からも、レイエスや碎王さいおうたちが駆けつけてくる。

「大丈夫ですかい?」

 更には、緊急時にしか吠えないよう訓練されているはずのディッシーが。ここぞとばかりに「おん! おんっ!」と激しく吠え続けることで一瞬、辺りは緊迫の色を濃くしていた。


「マスター、お怪我は?」

 カールらに差し出される手も借りたレイリアは、まっさらな雪に尻もちをついたまま破顔した。

「ごめんごめん! ないよ、僕は全然平気。アニーは?」

 緩やかな斜面でなだれ転がったレイリアに心配を寄せるも。つんのめった原因の張本人は頭から雪を被ったまま、何事もなかったかのように笑って見せたので一応の安堵が充満する。

「僕も平気。レイ、本当にどこも怪我してない? 肩、痛めてない?」

「うん。アニーのお蔭で、どこも何ともないよ?」

 主の身を案じたアニーは、邪魔な雪を手でかき固めた斜面で膝をつく。

「――さ。ほら」

 雪まみれになった自分の事など後回しにして。尻もちをついているレイリアを、アニーらが立たせようとした時だった。


「ありが……、ん?」

 立ち上がろうとしたレイリアが、雪に埋もれてしまった右足を眺めたまま固まった瞬間に、それを察知したアニーが訊ねた。

「どうしたの? 足、痛めた?」

 相変わらずディッシーは「おん! おん!」とけたたましく吠えている。

「ううん? そうじゃないんだけど……ディッシー。良い子だから大人しくして?」

 主からの命あれど、ディッシーは激しく「おん! おん!」と危機を発するかの威嚇で吠え続けているので、怪訝な眉を潜めたのはレイエスだった。

「如何なさいました?」

 レイリアは、転んだ勢いで脛から下が埋もれてしまった雪を左手でぱっぱと掃い始め。気づいたアニーも雪を退かす加勢の手を伸ばした、そこに。公主の足首にはあってはならないものが――。それは人の手だった。――いったい誰の。


 さっと血の気を引かせたアニーは即座に、腰より剣の柄を抜き取った勢いのまま、切っ先を伸ばし。レイリアの足首を掴んでいる手に向かって叫んでいた。

「その手を放せ! さもなくば腕ごと斬り落とすぞ!」

 三つを数える余裕も与えぬ断言を下し。先制を繰り出そうとするアニーを宥めたのは、レイリアだった。

「アニー。そんな物騒なこと言わないで?」


 そうは言ってもの事態であった。レイエスを含めたルナザヴェルダと、碎王率いるエルヴァティックライトらも。それぞれ持ち手のスコップを剣に代え構え。うち数人は、氷を張らせた小川を挟んだ向こう岸へ素早く飛んで陣を敷く、万が一に備えた臨戦態勢に入っていた。

「もう一度だけ警告する! 今すぐその手を放せ! さもなくば――」

 レイリアの左足首を掴んで放さない手に向かって、もうあと一秒の猶予も与えず。一刀両断してしまおうとするアニーの切羽に相反して。レイリアは、顔も見えない手だけの相手に向かって優しく問い掛けていた。

「どうされました?」


 はっきりとした返答はなく。「ううっ」と唸る、うめき声が雪の層も深い位置から聞こえていた。

「もしや、遭難でもされました?」

 そんな事ある訳が――、の半信半疑で周囲の守護騎士たちも聞き耳を立てると。確かに、微かに蠢き、震える細き唸りが新雪の下から漏れていた。

「……たす、け……」


 今にも事切れる寸前な声は明らかに人のものでもあり、数人で手から下を掘り起こしてみたところ、疑いもなく人間であった。ただし、よそ者には違いない。

 靴が小川に水没している状況を鑑みると、何らかの理由で上流に落ち。流され至った小川の縁で這い上がろうとしていたのだろう、その途中で力尽きたか――。

 ともかく。凍死寸前、藁をも縋る思いでレイリアの右足を掴んだ手も悴み、足先や指先に至っては凍傷になっていた男の身柄は保護された。

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