第46話 残影


 伊吹はすぐさま月炎げつえん陽雪ようせつに駆け寄った。

 大きな図体をしたシェパード二頭は、それぞれ伏したまま「きゅうんきゅうん」と悲痛を呻かせているのだろうけれど。伊吹自身も、爆発によって生じた耳鳴りが、まだわんわんと響いていて聞き取れなかった。

 しかし安堵した。二頭は生きていた。聴覚と視覚にどれだけのダメージを負ったのか、この場では測れずとも。

「よくやった。よくやったぞ?」

 伊吹は動けない二頭を撫でつけ、精一杯褒めてやりながらユリウスとクレイドの様子も窺った。


 爆風をまともに受けて地に伏していたユリウスも、ゆっくりとではあっても自分の意志で動いていた。

 クレイドは立ち上がり、しきりに目を瞑っては開き、また閉じては頭を振る行為を繰り返し。もやもやとしている意識を目覚めさせようとしている。

 そこへ、碎王さいおう率いた一八いっぱと、内周警備で領地の方々に散っていた三八さんぱちの騎士たちが集ってくる。

「おい、大丈夫か!?」

「何があった!?」

 唯一まともに応対できる状態にあった伊吹は、一方通行であっても、身振り手振りで目と耳をやられた旨を伝え。爆発した閃光弾の最前線にいたユリウスに至っては、爆発物に仕掛けられていた棘針により、全身に傷を負っていることも知らせた。

 相変わらず、碎王が何かを喋っている声も。インカムに流れて来る断続的な音声も伊吹たちには聞こえない。


 そこで機転を利かせた幸人は、胸ポケットより小型デバイスを取り出し、伝えたい言葉を文字にして伊吹に見せた。

『この場はまかせて。医師の診断と聴取を』

 伊吹は肩を落としてから頷き。碎王は、幸人の案に乗って手短に訊ねる。

『首魁は、ヴリトラで間違いないな?』

 大きく頷いた伊吹は自らもデバイスを手に取り、伝えたい言葉を文字にした。

『捉えた二人は恐らく、ただの雇われ兵』

 碎王は、守護騎士らによって拘束され。連れて行かれる二人の背を見送ってから、続けた伊吹の文言に目を通す。

『ヴリトラが、ミクトランにガセネタを掴まされた、と』

 文面を読んだ碎王は、ぴくりと片目を動かした。


 流れ者たちが行き着く地底の世界とも、亡者の社交場とも揶揄されるリーシー院の情報屋である彼の名は広く知られている。

 ところが、実際にその正体を知る者は乏しく、架空の人物ではないかともされていた。

『警備が手薄になる時間と場所を、事前に掴んでいたようですが』

 伊吹は、酷い耳鳴りと頭痛に悩まされつつも。文字を綴る指だけは動かし続けた。

『自分らと月炎らの守備範囲までは、把握していなかったようです』

 よって、予想していたより遥かに早く、複数の騎士との交戦をせざるを得ない状況に陥ったヴリトラは。捨て駒二人を難なく置き去りにして、自身は早々に逃走を謀った。


 碎王は、インカムで宗助そうすけともやり取りを交わした。

涼樹りょうじゅに伝えろ。深追いするなってな?」

 通信装置を介して、宗助も答える。

「――わーってるよ。既にエルファージア領域を脱してる。あとは空軍に任せて、早々に戻れってな」

「あぁ、それでいい。やっこさんらが背負ってるジェットブースターは、どの道もう十分も持たねえだろうから。どこかで逃走用の、支援船なりと合流するはずだ」

「通達する」

 副団長との通信を終わらせた碎王は、仲間の手を借りて立ち上がったユリウスとクレイドに歩み寄った。


 閃光弾をまともにくらった視界不良は一時的なものであり。落ち着いた今は、残影が残る程度でぼんやりと見え始めているようだった。しかし聴力は依然として戻っていない。

 どちらも侵入を許し、手負いとなった身を恥じ悔いている。

「すぐに現場復帰したい、お前たちの気持ちはよく解る」

 碎王が発する言葉を、随時文字へと変換して流すデバイスを伊吹も眺めた。

「だがな? お前たちのその身は、我らがあるじの大切な御身であるということも、忘れるな」

 最も深手を負ったユリウスが慙愧で俯く。

「落ち込んでる暇はねぇぞ?」

 碎王はユリウスの頭髪をわしゃわしゃと軽く撫でた。まるで駄々をこねる子供を諭すかのような行為であった。


「いいか? これはお前ら個人の問題じゃあねぇ――」

 いぶし銀は、クレイドと伊吹にも視線を流す。

「全エルヴァティックライトの責でもあるんだ。個人プレーが及ばなかったからって、責め立てる主に仕えてねぇよな?」

 俯かせた顔を上げたユリウスは眼に力を漲らせ、ボロボロの体でも呟いた。

「……次は、必ず捕らえます」

「そうさ。その意気でいい。医者のお墨付きが出る、万全の体勢で戻ってこい。それを、我らが命主めいしゅも望んでおられる」


 まずはしっかりと傷を癒して治せ、なる背を押された伊吹ら三名はメディカルセンターへと運ばれて行った。

 月炎と陽雪も動物病院に送られ、手厚い治療を受けることになった。その現場に、ルナザヴェルダの槇土が姿を現していた。


 エルファージア領空は、蜂の巣をつついたかの騒ぎになっている。

 既にメディア各局も、トゥエルヴ領に侵入者あり。騎士、交戦なる見出しをつけて報道を開始していた。

「侵入を許した西方の城壁センサーが、不能にされていたそうですね?」

 槇土からの質問に、碎王は憮然たる態度で述べた。

「逮捕した輩は二人とも。高度な潜入窃盗を得意とする、元は技術屋らしい」

「大金で雇うのは、ヴルヴの常套手段ですからね。その二人は、ヴリトラの真の目的を知る由もなし、と言ったところでしょうか?」

 碎王は飄々と告げる槇土を訝しげに煽った。

「どうにも。うちの内情を知れる、内通者がいるらしい」

 リーシー院絡みになると、必ずといっていいほど。元諜報員の槇土は矢面に立たされる。

 血痕や残留物が残る現場の処理に当たっている守護騎士たちも一時、手を休めて槇土を見据えた。


「落ちぶれた者の勧誘上手な冥界王、テクートリの。帽子を被った骸骨姿は確かに有名ではありますが。躯が歩く姿を見たことはありませんね」

 破裂した閃光弾を調べていた騎士が声を上げた。

「碎王」

 槇土も揃って現場に赴くと、爆発した信管の一部が発見されていた。

「どうした?」

「基盤の裏、見てください」

 爆発によって三分の一は欠けていたものの、はっきりと刻印が残っていた。

 碎王の隣から覗き込んだ槇土が口を挟む。

「海軍、ですね」

 星王がそのトップでもある、ファージア陸海空の一角、海軍を表す紋章が刻まれていた。


 早くも面倒な流れを予期した碎王は唸った。

「……こいつはやっかいなことになりそうだ」

「えぇ。トゥエルヴ家襲撃に使われただなんて。海軍は寝耳に水でしょうね」

 碎王は刻印の信管を槇土に授けた。

「上手くやれよ? 報道の仕方によっちゃあ、ヴルヴの連中がつけあがるだけだ」

 槇土はゆったりと微笑む。

「おまかせください。情報共有で貸しを作らせるのは得意ですので」

「海軍も先に色々あって、ゴタゴタしてんだろうに? 情報操作で信頼できる知り合いはいるのか?」

「えぇ。敏腕の参謀将が――。ただ、嫌な予感がします」


 碎王は怪訝に槇土を見据えた。

「あぁ? 手土産が少なすぎるってか?」

「いえ、そうではなくて――」槇土は侵入行為そのものに疑問を呈していた。「折角押し入ってですよ? タッチアンドゴーですぐさま離脱だなんて――」

 槇土の考えを碎王も読んだ。しかも侵犯して来たのは、ヴルヴの最高幹部だ。

「本当の目的は別にあるって?」

「えぇ。奇しくも星王陛下が今は不在。上で、もう一波乱あるやも知れません。警戒レベルは、最高ランクのままにしておいた方がよろしいかと」

「言われるまでもねぇ」

 話し込む団長を、また別の騎士が呼んでいた。

「碎王」


「何だ?」

「公安や宮内省、星団捜査局の連中が正門に」

「あぁくそ。もう来たのか」

「捜査権争いで睨み合ってもいます」

 一旦、事が起きると忙しなくなるのは仕方がなしにせよ。

「全く――。それしかやる事ねぇのかよ」

 呆れの目を回した碎王は、幸人に内周警備の強化を命じ。槇土には情報操作と報道を一任してから正門に向かった。


 その後。槇土が懸念した通り。洋上へと出たヴリトラは、空中で待機させていた小型飛行機に乗り移り、更なる逃走を図った。

 三機の空軍機に追われるも、これを迎撃で振り切ったヴリトラはぐんぐんと高度を上げ、ついにはファージア星の脱出に至ったそこで。待ち構えるかにワープアウトしてきたヴルヴの鋼鉄騎船が、ファージア軍の宇宙ステーションナンバーエイトに体当たりをかます、という軍事衝突にまで事は発展していた。


 一説には、星王と鋼鉄の魔女が激突した一件の報復である、との見方もあったそこへ、外交を終えた星王旗艦が駆けつけ。ヴルヴ騎船を打ち破るも。首謀者ヴリトラは脱出船で辛くも逃げ切り、被害の大きさだけが余韻に残る結末を迎えるのだった。

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