第44話 侵入


 このあるじにして。この人こそ、生涯仕えたいと心から湧き踊る感情を抑えきれなくなった涼樹りょうじゅは、ごく自然な流れで剣の切っ先を地に立てて跪いていた。

「湊涼樹。たった今、湊の名をここに捨て。心身命尽き果てるまで。健やかであらんと病め入り時に悲しみ、尊びし喜びとする如何なる時も、尽くすことをこの剣と共に誓う!」

 ひれ伏す涼樹は興奮のあまり額ずき。魂からの傅きを眄ていた槇土も礼式にのっとり、しめやかに跪いた。

「この身心朽ち果ててもなお、お仕えいたしますことを御誓い申し上げます」

 それは、騎士が唯一とする主に奉ずる許しを得る宣誓にして宣言。そして主が承諾すれば、ここに何人の介入も許されない主従の契りが誓約される。

 レイリアは嫋やかに述べた。

「許すよ。守護騎士として存分に励むといいよ。僕から与えられるものがあるのなら、天稟の名に縁あったことくらいしかないからね?」

「精進いたします。マスター」

 主を『マスター』と呼べるのは臣下のみ。己の名字を捨てるのは、全身全霊をトゥエルヴ家のためにとする、入団の証しでもあった。


 誓言が下りたその場所に、新たな家族を歓迎するかの。薄曇りとなった空の隙間から、黄金の陽が射し込む天使の梯子が掛けられていた。


 予定外と想定外だらけの、波乱の入団選考会をきっかけにしたエルヴァティックライトは、大幅な編成替えが行われる運びとなった。

 情報操作の腕を見込まれた槇土が入団直後に、ルナザヴェルダへ移ったのも二年前のこと。

 涼樹は告げた。

「――しっかし、本当に不思議なものだな?」

「ん?」

 長きの回想を終えた時には、宗助そうすけの器もすっかり空になっていた。どんぶり器の底で緩いでいた黒々しいつゆも、かぴかぴに干からびかけている。

「マスターの、先人から得る知恵と言うか。祈り、手繰り寄せる力ってぇーのは誠に神秘だ」

 実体験すれば接するほどに、常人には理解しがたい。


 形あるものはいつか尽き、姿無きものは影もなくなり。命尽きれば土へと還り、その魂は思いを馳せる者の中で永遠に生きる。

 生きまた死せるものの語りの中で。レイリア・フォン・トゥエルヴという者だけが、生と死の境界線を容易く打ち破ってしまう。

 見えぬものは見えず、声なきものは聞こえないはずだのに。不思議と感じ取ってしまうのだ。

 そんなレイリアを護る守護騎士も、絶対的存在でなければならない。

「おうよ。我らが主は――」

 宗助が口を開いたとほぼ同時に、発令された警報を促す自動アナウンスが大音量で流れた。

『――侵入者。侵入者です』

 それはトゥエルヴ領地内に不審な者が進入したとする合図であった。


 宗助と涼樹は警報音の冒頭が鳴り響くと同時に。食堂を出る方角へ向けて、全速力で駆け出していた。

 猛然と自動扉を出るのも同時に、宗助は右手へ、涼樹は左手方向へと分岐して行く。

「シドレミ、場所はどこだ――クレイド?」

 副団長が向かう先は、己の巣にして指揮所の心臓部。語りかけているのは、警備の最前線だ。

「――んな細けぇ事は後でいい! 場所はどこだって聞いてんだ!」


 涼樹もまた快速の足を緩めることなく。次に曲がるのは鋭角も直角のカーブだけれど、速度は緩めず、壁に体当たりをしてでも曲がりきりながら。インターカムを通じて己の班へ指示を出していた。

「途中でも構わん。補給回路なんぞ、緊急パージでぶった切れ!」 

 通信先は補給点検中の巡衛艦、天空である。

「とにかく上げろ! 俺の到着なぞ待たんでいい!」

 どのような時でも、出遅れた騎士が置いてきぼりを喰らうのは世の常だ。間に合わなければ、己で道を作るか、策を練れば良いだけのこと。

 あとは直線。一目散に駆ける涼樹の目と鼻の先で。高い位置のボーディングブリッジが今まさに。食いちぎらんばかりの勢いで切り離された。

 それでも涼樹は駆け走った。そして踏み切る躍動の一歩に力を込めて、大空へと舞い上がりかける天空目掛けて飛んでいた。


 長く、長い弧を描いた跳躍の果てに。涼樹の体は、天空の後方貨物扉が閉まりかける隙間に滑り込んだ。

 スライドした態勢を強引に立て直し、そのまま。ブリッジへと向かう間も指揮を執りながら問いかける。

「宗助!」

「東門より一点五キロ地点だ!」

「天空をハンガーアウトさせた!」

「了解。陸禅は現高度のその場で待機――」

 副団長との会話に、守護騎士全員が共有する専用回線にてシドレミからの通信も割り込む。

三八さんぱち、ユリウス。コンタクト!」

 それは侵入者とエルヴァティックライトの騎士が実際に接触した意味を表す。

「何!?」

 指令所に到着した宗助の強面が一層厳しくなった。

 ――突破されただと!? そんな馬鹿な! 

 宗助の目は、シドレミが表示した侵入者の現在地を示す点に釘付けとなった。


 そんな奥深くにまで入り込まれ、気付かなかったとは――の、口惜しき後悔は後回しにする。しかし、腹の中での算段はすぐにある一点に辿りつく。

 外周より内陸一点五キロにまで到達するまで、必ずや強固なセキュリティを突破しなければならないものを。簡単に掻い潜っての侵入ならば。

「まさか、騎士か!?」

 シドオンとレミオンが、双子ならではの合唱共鳴で「交戦中です!」と答えれば。副団長の絶句に似た瞳孔は、瞬いた後には怒りで満ちていた。

 ――恐らく、ヴルヴだ。くそったれ!

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