第43話 震撼


「こりゃあ、また――お見苦しいところを」

 碎王さいおうが姿勢を正して無礼の非を詫びると、この騒ぎを取り巻いていた守護騎士たちも一斉に、一人を除いて頭を下げていた。

 涼樹りょうじゅは、白銀に近いプラチナブロンドを持つ少年を不思議そうに眺めていた。

 ――まさか、これが祈りの王だと? ふざけるな。

 もやしみたいに貧弱で、今にも消えそうな存在と威厳のなさに愕然とした。


 碎王は、呆然としている涼樹へ足早に近寄った。

「おら。頭が高ぇ」

「ちょっ!? おま、何す――っ!」

 ぼさぼさ頭を鷲掴みにして無理矢理、立礼を施せと力尽くに打って出る。

「すいやせんねぇ、わか。騒がせやしたか?」

「ううん? ちっとも――」

 森の中を抜けて来ていた若きレイリアは。木々の間から姿を現したレイエスらの、ルナザヴェルダの追跡を見て目を細めた。

「やっぱり。ついて来てた」

「当然でございます。お一人で外に出るなど」

「外って……。ここも領地内でしょう? 領主が自由に敷地内を散歩して何がいけないの?」

 兄が灯す能面より、ぷいと背いたふくれっ面の童顔は。白く透き通る陶器のような肌を持ち。最も印象深きダイヤモンドのような瞳こそ、一度見ると忘れられなくなる。


 この当時のレイリアは、まだ反抗期も後半最中。長く修行に出ていたレイエスが守護騎士となって家に戻ってはいても、まだ一介のルナザヴェルダ団員に過ぎない。

「小川は越えぬよう申しております」

「そんなの知らない。僕が敷地のどこへ行こうと勝手でしょう?」

「勝手ではございません」

「まぁまぁ。――若」

 幼少からの名残と親しみを込めて、レイリアを唯一『若』と呼ぶ碎王が、兄弟の絆を妙にこじらせている両者の間に立つ。

「レイエス様も、ここは一つ。あっしに免じて……」

 それこそレイエスがまだ赤子で、先代の許しを得てその逞しき腕に抱き上げ、おむつも替えていた碎王は。トゥエルヴ家に二十年来仕える執事のウィルと共に、レイリアにとってもさながら父親代わりと言っても過言ではない。

「午後のお散歩でしたか?」

「うん。降りだしそうな曇りの日は、僕にとって絶好の散歩日和だからね?」


 レイリアが、強い日射に弱いのは肌だけではない事を、碎王とて充分によく知っている。

「――にしても、今日は随分と遠出なことで」

 おっとり、のんびりな性分は生まれ持ってのレイリアは、碎王にほほ笑む。

「うん。歩けるところまで行こうって気分でね?」

「ここまで随分と歩きやしたでしょうに? 有意義なことで」

「でも、正直に言うと。途中まではティグだから」

 レイリアは、視線を涼樹と槇土まきとに定めた。

「新しい騎士さん?」

 そう問われた周囲もざわつき、碎王が慌てて場を取り繕う。

「あぁいや。それはまだ――」

 碎王の発言を背にして。従者の静止も無視したレイリアは言った。

みなと、涼樹? 素敵な名だね」

 突然に名を言い当てられた涼樹は、ただただ驚いていた。

「は?」


「あなたは槇土? へぇ……案内人さんなんだ?」

「恐れ入ります」

 俺の名を何故に――と困惑しきりの涼樹と。一方は全てを覚ったかのように恭しく礼を施す槇土を見つめたレイリアは続けた。

「そう――。で、涼樹くんのその剣は、武勲で授かったものなんだね?」

「……」

 涼樹が手にする剣や身なりを流し見るなり。独り言を呟くにしては、誰かと会話を交わしているかのレイリアは流暢に告げている。

「ふぅーん? 色々と渡り歩いてきたんだ」

 それこそ生まれたての赤子のような。汚れなき無垢で澄んだ瞳に見上げられると、汚れた現場で荒れ狂ってきた涼樹は思わず目を逸らしてしまう。その第一印象が、光り輝く綺麗なもやし――否、絹かシルクか、はたまた雪の結晶が化身でもしたかのくせに。

「あ、……?」

「でもそれは。行き着くのに必要だったんだよ」

 出会いがしらに。何を言っているんだ、この子は――。

 それが、涼樹とレイリアの初対面であった。


 古くから、誠の騎士の星とされたファージアでは世襲制も常ではあった。けれど高座は、就くべき者が就くことを最もしていて。相応しいと認められた者こそが頂点に立つ、真の実力主義でもあった。

 よって、親がどれだけ立派でも。子に才能がなければ一代限り。家督は実子でなくとも、養子なりの相応しき者へ受け継がれ。本家の血筋が絶えることもままあった。

 それは王家であっても例外ではなく。星の代表である王すら、民意を取り入れた投票によって決まるほどで。相応しくないとされた者は、自ら相応しき者に座を譲るのも騎士道とするのがファージア流だ。

 

 そうして選ばれなかった者は、己に相応しき椅子はどこかと求めることとなる。すぐに道が決まるものは運の良いほうで。定まらない者は騎士でありながらにして、仕方なしに騎士でなくとも務まる一般職に就く者もいる。


 涼樹が生まれた湊家は代々騎士を輩出し続け、先祖には陸海空それぞれのファージア軍に従事した偉人もいれば、守護騎士も多く出した名門であった。

 名家出の涼樹は、騎士の腕は確かであるのに、喧嘩っ早い刺々しい性格が災いしてか。どこへ行っても何かと誰かと衝突しては、最後には隅へと厄介払いされてしまう境遇に。本人とて嫌気がさしていたところであった。


 流れ着いた空挺部隊は性に合った。命がけの最前線で、それこそ血湧き肉踊る経験をして。馬鹿言い合い、どんちゃん騒ぎをして初めて仲間と呼べる者に出会った気がした。

 しかしそれも、一時の夢物語りに過ぎなかった。

 激戦を繰り広げた第一線で、振り返った時には味方が誰一人として残っていなかった虚しさといったら、なかった。


 自分一人にだけ撤退命令が伝わらなかったと言う、のちの行き違いなども聞きたくなかった涼樹は。自ら得た唯一の席を捨て、それでもせめて。騎士であり続けたい魂の叫びに縋ろうと、エルファージアへ戻っていた。


 無論、己の素行の悪さは自覚している。それがすぐに直るものなら苦労はしない。それでも信じてくれる者があれば、いくらだって騎士としての身を捧げるものを――。

「僕は。樹っていう名、好きだよ?」

「あぁ?」

 レイリアは朗らかな表情を灯しながら、手と手を合わせて告げていた。

「最初はね? 小さく頼りなくても。木は互いに手を合わせて、打ち立つんだ」

 合わさった手が柔らかく孕み、花を咲かせる形を模して開く。

「どんなに小さな豆や苗でも。土から自ら力を付けて、成長して大樹を目指す。真っ直ぐに、ぴんと伸びて強くなるから。その身を以てして、誰かの、何かの役に立とうって思う、優しい人なんだよ」

 それを聞いた涼樹は鼻で笑った。

「はっ!」

 心の中は、一瞬にして名を言い当てられた由来よりも、真髄を突かれた動揺と驚愕で揺れている。

「……だがな。それを言うなら涼の字は。清々しいイメージがあっても実際には寂しく、幸薄きの意味もある」


 負けるのが人一倍嫌いだった。アドレナリンが全開となる戦場では全身が真っ赤に染まろうとも、殺伐とした弱肉強食の最前線で生きていることを実感できたからこそ、よりスリルを求めて強さも求めた。

 そうして、我武者羅に強い相手と刺激を求めた先の手元に転がってきたのは。血に飢えた獣としての評価だけであった。

 置き去りにされた過去が脳裏に浮かんだ涼樹の拳が震えるも。聖なる領墓地の領主にして祈りの君は、慎み深く微笑んだ。

「だから、あえての涼を付けたんだよ。そんなものも、涼しい顔で跳ね返す子であるとしてね」

「……っ」

 すぐさまの切り返しを受けて、涼樹は絶句していた。――何なのだ、お前は。


 目の前にいる白亜の者は、まだ十七そこそこの少年だのに。随分と大人びているのとは違った威厳、でもない。堂々たる威風や貫禄もまだ小指の爪ほどもないのに。どうしてだか、発する言葉にずっしりとした重みが感じられた。

 レイリアは、涼樹に定めていた視線を槇土に向けた。

「槇もまた、自ら盾となる意。真なるまことは嘘、偽りなき清き精神。己を介して、他を助けんがために満を持す支援人として。その足をしっかりと地に付けて――の、土までついているんだもの。驚きだね?」

「恐れ入ります、マイロード」

 槇土は感動しているのか、やや頬を紅潮させて深々と威儀を繕う。

 観念する様を見届けていた碎王は、レイリアを主として定めてしまった槇土を認めざるを得なくなって目を伏した。

 ルナザヴェルダにしろ、エルヴァティックライトにせよ。レイリアの御世にて守護騎士職を許し得る条件はたったの一つだ。主に、名を認めて貰うことである。


「二人とも。第一印象で誤解されちゃっただけなんだよね?」

 そう付け足した物言いも、単に気取っている訳でもなく、うそぶいても見えず。その場しのぎで、でまかせを並べているようにも思えず。まだこの世に誕生して十七年余りの子のどこに。往年の騎士らを従わせるだけの知識や経験が詰まっているのか、涼樹には不思議でならなかった。

 ――面白い。

 そう思った涼樹の全身に、ぞわわと鳥肌を立てる震撼が走った。

 ――この御仁、最高に面白ぇ!


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