第42話 騒動


 出されたものは仕方がなしにと、宗助そうすけが。異様に塩辛さの増した、親子だか他人だかの判断もつかないどんぶり飯に箸をつけたところで。

「――しっかし。本当に大丈夫かね?」

 改まった涼樹りょうじゅに視線を上げた。

「ん?」

 食堂から姿を消した幸人ゆきとを「あれ」と指し示す指を見て、宗助は視線を丼に戻した。――くそ不味い。ただし、涼樹によってふりかけられた塩胡椒の塩梅により、多少はマシな食い物になった気がする。

「……心配ねぇよ。碎王さいおうが自ら後釜にって決めたんだ」

「それにしたって実質、実践の経験はねぇんだろ?」

 涼樹が言う実践が、真の修羅場を意味している事などすぐに理解する。

「騎士の器量はお墨付きだ」

「それでも現場では経験がものを言う」

「まぁな。いざって時に躊躇うもんなら実際、使いものにならんわな?」


 涼樹は沈黙した。

 上の者が承知でいるのなら。それはそれで周りがどっしりと構えていれば良いだけのこと。

 けれど守護騎士たちは、あるじを護るのが何よりの役目である。同僚が危なっかしく、経験の浅い身に危険が及んだとしても。咄嗟に庇い助けてやれるかと言えば否である。最優先事項は、何をも差し置いて主なのだから。

「――ま。俺ぁ碎王のする事に、いちいち口出しはしねぇよ?」

 団長と最も付き合いの長い宗助は言い切った。

「お前ん時みたいにな」

 涼樹は、空にした丼器の淵を指の腹でなぞった。

「――懐かしい話だ」


 時は三年ほど前に遡る。

 トゥエルヴ家の先代当主、明光めいこう王が没してから早くも六年が経った頃の話であった。


 どんよりとした灰色の雲が低くたれこみ、日射の乏しい日であったその日。トゥエルヴ領地内でちょっとした騒動が起きていた。

 エルヴァティックライトに久しく退団者が出たことで、新規に募集がかけられたのが、そもそもの発端となった。

 公家直属の守護騎士になれる機会はそう多くない。空きが出ない理由は、守護職へ身を投じる騎士の殆どが、生涯に渡って一人の主に尽くし尽くす宿命意識が強いからに限る。


 よって空席はそうそう出ない。たまに、空きが出そうだとする噂が立つと。その旨が公にされる頃には既に、知り合いや伝手を頼りにした我こそはと、名乗り出る立候補者が殺到する状態に陥る。

 エルファージアの守り神、トゥエルヴ家のお抱え騎士団に入れる確率は、所属騎士数最大規模を誇る星王の二大騎団よりも尚低い。


 採用基準において、個人の品格が問われるのは言うまでもなく。執事としての器量や医師免許を保有しているなど、騎士以外の腕でも秀でた二次資格を持つ者でさえ。次々に振り落とされてゆくのだから、その道のりも遥かに厳しい。


 そも。これまでの素行に問題があった者など、一次審査の段階で門前払いである。

「あ? 多少着崩してるだけだろ? 身だしなみが何だってぇーんだ? 見てくれ格好だけで人を判断するんじゃねぇよ」

 元星軍の空挺部隊長だったみなと涼樹。

 入団希望者は集え、とする指定日時に遅れることなくやって来たものの。求められた黒のスーツ姿でありながら、肝心の上着に袖を通さず、開襟させた首元はノーネクタイ。上着も肩にひっかける出で立ちで現れた審査会場入り口にて、落選が決まった瞬間でもあった。


「お堅ぇーんだよてめぇらは。要は見た目じゃねぇ。中身、ハート、忠誠心だろうが?」

 すまし顔、と表するよりも明らかな。困惑と迷惑の色を混じらせた受付担当の守護騎士は、分を弁えながら出口の方角へと誘った。

「あなたのような荒くれ者はもとより願い下げです。お帰りを」

「何だと? お前は俺の何を知ってるってぇーんだ」

 面接会場へと続くはずの受付付近で、勃発したひと悶着は「上等だ。表へ出ろや」なる、場外乱闘紛いへと発展していた。


 受付を通れない者は他にも多数いた。大抵はそこで素直に引き下がるものを、今回は一癖も二癖もありそうな、曰くつきの問題児がいるとの報告を受け。最終的に表へ出ての対応を引き受けたのは、エルヴァティックライトの団長になって早くも十年になる碎王さいおうだった。

「――で? お前さんも門前払いが不服だって?」

「いいえ? 不服はありません。私は最終的に採用される者であると確信していますから。ただ、こうした騒動が起きた場合に。どのような対応を取られるのかを、実際的に見ておこうと思いまして」

 流暢な身のこなしと同様に、自信で満ち溢れ過ぎる文言を受けた碎王は訝しげに、片目の端をぴくりと反応させては細くした。

「……お前さん、槇土まきととか言ったな?」

「はい。リーシー院の元諜報員です」


 碎王はその目をぐるりと回して呆れ果てた。リーシー院と言えば、やる事なす事の全てが劣悪で、卑劣極まりない機関の代名詞だ。

「いいのか? そんなご大層な身分明かして? 圧倒的に不利だろうが。それに、まだ受かった訳じゃあねぇだろう?」

「今後の情勢を鑑み、然るべき者が選ばれるものとの確信と覚悟の上でこちらに参っています。公家騎士の選抜で、不正があってもいけませんから」

 碎王は、随分とやっかいな者が釣れたものだと。長びく梅雨空の天を仰ぎ見た。

 ――あぁ、澄んだファージアの晴天がひどく恋しい。


「その――優越意識が高いのは別段、悪いことだとは思わねぇがな。ちっとは自重しろや?」

 碎王が巨体を揺らして改まる。

「うちはな、でしゃばりはいらねぇ。控えめにして厳格な者が望ましいんだ」

 それを聞きつけた涼樹が口を開く。

「訳ありも多いと聞くが?」

「否定はせん。表だってあれやこれやの条件がつくも。全部に当てはまるヤツなどそうそういねぇから。諸事情込みでやってりゃ、たまには規格外の輩も入り込む」

「そらみろ。結局はこれがもの言う」

 涼樹が掲げて見せたのは騎士の魂、つるぎだった。


 不敵な笑みと、凛然たる態度を崩さなかった槇土も口を挟む。

「剣術も武術もさる事ながら。情報統括に長けた者かつ、執事としても役立つ者を必要とされているのでは?」

 どのような者を求めているかなどの内々話が、外へ漏れるはずなどない。この槇土という男――いったい、どこからその情報を仕入れたのか。碎王は平然を取り繕いながら言った。

「主をお護りするに必要なのは剣に盾、何より揺るぎなき忠誠心はもとより、品格云々には相違ない。だがな、ここではちと訳が違う」

「あ?」

 涼樹は威厳漂う碎王を見つめた。――この巨漢、穏やかに飄々としている風体を晒しているものの隙がなく、臨戦態勢じゃねぇか――。

 そう思った涼樹は、剣なる柄を握る手にぐっと力を込めていた。


「やめとけ、若ぇの」

 碎王の重量級に相応しい腕や背は、その両肩にかけられている裾野も広い羽織で覆われていて覗えない。けれども左手に持つ、身丈よりも遥かに長大な長尺の剣は、いつでも一打を繰り出せる体勢であるのを――涼樹は見抜いた。

「腕試しに一手やろうぜ? そうすりゃ、俺の真価も瞭然」

 涼樹は一人、足場を踏んで気を吐いた。当の碎王は最初から乗り気すら見せていない。

「おい。人の話、聞いてたか?」

「あんたの刀剣、燈魂とうこんだっけか? 初代の騎士団長より受け継がる、伝説の宝刀なんだろ?」

「てめぇ調子に乗ってんじゃねぇぞ!」

 遅れてやって来た副団長が騒動の渦中へと割り込み、碎王の前に進み出ていた。

「大体なぁ。この聖なるトゥエルヴ領地で、緊急時以外に鍔競り合う行為事態が、どれだけの罪になると思っ――」その先は太き腕に遮られた。

「宗助」

 たったのそれだけで副団長は引き下がり、碎王は嫋やかな表情に威圧を乗せて述べていた。

「俺の名に含まれるさいはな、砕け散った不完全なものとしての意も含む。だがそれは、初代トゥエルヴ公主より賜った栄冠――」


 手合わせを申し出ておきながら、涼樹は前にも後ろにも踏み出せないでいた。

 碎王。その名はエルヴァティックライトの団長になった者が代々、受け継ぐ名であると言う。それを宝刀と共に受け継いた男は、他の守護騎士たちとは一線を画し、佇んでいるだけでも抑止力となる存在感を放っている。

 戦場で怖気づくことなどない涼樹にしても、じわりと手に汗が滲み。槇土も覇気を感じ取っているのか、先から身じろぎひとつもせず、微動だにしていない。

 碎王はここではない、どこか遠くを見据えていた。

「そして。鎮魂を生業にする主の足元や、手元を照らし続ける燈台守りとして。その魂をも護り抜く志に報いた名だ」

 語られる間に、第三者が割って入っていた。

「――碎王が言いたい要は、名も劈頭ってことでしょう?」

わか?」

 木々の間から、ひょっこりと頼りない姿を現したのは。御歳十七の現、トゥエルヴ公主だった。

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