第41話 次席
「――まっ。今じゃあ、
「そうだったんですね。やっと謎が解けました」
謎多き御仁から解放された張本人は素っ気なく告げる。
「そいつは良かったな」
「はい。
「そうかい。自ら学べ体のあの人も大概だな」
ぶっきら棒に吐き捨てる涼樹とは対照的に。幸人は終始穏やかに、まだ水を含んでいないスポンジの如く。水を注げば注ぐほどに日々、自らも進んで水を求めては吸い上げ、経験と知識を蓄えようと邁進している。
あの人は、きっとそれが嬉しいのだろうな――と、心の内で碎王を思った宗助は。純心さを失っていない幸人が眩しく見えて目を細めていた。
そんな守護騎士としてはまだ駆け出しの、笑顔が爽やかな好青年には、料理がとんでもなく下手と言う大いなる欠点があった。
別段、料理の得意不得手が、騎士なる腕の良しあしに直接関係することはない。
ただ、騎士たるものは大概、どこかで一度は自炊の道を経験することにより、人並みのものが作れるはずであるのに。
どうしてだか幸人は、綺麗に整った顔立ちに反して食には疎く、大雑把なのであった。
繊細にして華麗なる剣術を器用に繰り出すのに、いざ厨房に立てば豪快な異物を作り上げてしまう。
焼くだけなり、注ぐだけなりのシンプルなものは問題ない。米も普通に磨ぎ、炊き上げられる。だのに、そこからの複合技に入ると途端に様子が一変する――の要するに。今日のランチははずれに値するとして。食堂がガラ空きだった理由と不運を、今になって嘆いても時すでに遅し。
どんぶり飯から漂う匂いだけで、本来は空腹の虫が旺盛に鳴るところも。みるみる内に食欲が減衰してゆく宗助は、テーブルの中央に備え付けられている調味料の瓶に手を伸ばした。適当に味付けを変えれば、何とかなるか――と考えながら、中断させた続きも促す。
「そう言やさっき、何か言いかけたよな?」
「あぁ、えぇっと――」幸人は身につけていたエプロンを取り外しながら言った。「内周、して来てもいいですか?」
それに答えたのは涼樹だ。
「あぁ? それこそ今日は、
「勿論そうなんですけど。俺、まだ領地内を隅々まで熟知してなくて」
幸人がエルヴァティックライトに入団したのは、つい二年ほど前のことである。すぐにルナザヴェルダへ出向してしまったアニーと唯一、二人だけの同期入団であった。
騎士としての腕と人柄を見込み、幸人を養子にまでしていた碎王は、入団して一年足らずの若者を
「一八はいいねぇ。碎王の御膝元。色々自由で」
「涼樹。そんな風に言うんじゃねぇよ。一八から三八までは、少数で穴の空いたとこを埋める万能班なんだ。お前んとこみたいに、いち領域専任じゃねぇんだから。一番ハードなんだぞ?」
「こりゃ失敬。次席どの」
表だって、碎王の采配に異議を唱える者は今でもいない。しかしながら、最年少班長の記録を塗り替えた幸人にしてみれば。若さゆえに受ける嫉妬や嫌みも真摯に受け止め。一日も早く諸先輩方に追いつき、追い越そうとして必死な日々である。
その真面目すぎる一直な姿があればこその、周囲も次席呼ばわりしておきながら認めざるを得ない。
「夜勤までの貴重な休憩時間も利用して、自主的に見回りをってか? はっ。絵に描いた優等生だな」
「おい涼樹――」副団長は戒めた。「てめぇこそ、そのふてぶてしい態度、改めろや」
そこまでを告げた宗助は鼻で笑った。
「あ。ひん曲がり過ぎてもう更生、無理だっけか? くくくっ、悪い」
顔の前で手をひらひらと振っては、にやついた宗助に対して。涼樹は手にしていた丼の椀をテーブルに勢いよく置き。無言の反撃を繰り出した。
湯気を立てているどんぶり飯の上に、塩胡椒の瓶より振り出る粉を存分にふりかける。
「――何すんだこら!」
即座に、瓶を持つ涼樹の手を払っても。鳥だか何かも分からない正体不明な肉と、玉ねぎらしきものや、卵の黄身と白身であろうものの上に、塩と胡椒の粉が盛大にふりかかっていた。
「ったく――」
「栄養増やしてやってんだろうが。礼くらい言えよ?」
「ただの塩分取り過ぎじゃねぇか! 折角の飯も台無しだわ!」
「おいおい。俺らの飯は、我らがマスターの報恩なんだぜ? それが食えねえなんざ、宗助。例えてめぇと言えども米粒一つ残したら、この俺がその首はねてやんよ」
「上等だこら。誰が誰の首取るって? 寝言言ってる暇があるならさっさと上に戻ってろ」
「言われなくても上がるってぇーの。陸禅が、荷が重いって泣いてんだろ? もとより昼食時間の規律も守れねぇ、副団長様のお言葉とは思えねぇ」
「うるせぇーよ。外堀でゴタゴタがあった所為で、遅れちまっただけだろうが」
「観光客が誤って進入しちまった件くれぇで。いちいち副団長自ら赴くことかね?」
「どんな些細な事だろうと、最後はこの目で確認しねぇと気が済まねぇんだから。仕方ねぇだろ」
「因果な性質だな。貧乏くじ引くの得意だろ?」
「てめぇにだけは言われたくねぇって言ってんだろうが!」
「それは俺のセリフだ」
これが、かつて戦場で鬼神と呼ばれ。
「……はぁ」
二人の傍でやり取りを見つめていた幸人は、思わず肩を落としてため息を吐いていた。
厳粛にして、かつ高貴なイメージしか抱いていなかった憧れの職場は、案外野暮でがさつな塊でしかなかった。
守護騎士という世界に、きらびやかな想像を勝手ながらに抱いていたのがそもそもの間違いであったのだと、幸人は入団早々に打ちひしがれた。実際には全くの正反対で、地味で質素、素朴な面は
日々に変化がないと言うのは誠に平坦で、退屈なものである。けれど己たちは万が一に備えての事なき要員であるがゆえに。日頃は鬼の角など上手くひた隠しておけ――とは碎王の言葉だ。
実際その通り。休憩中にぼろぼろと個人の素が出て、無骨で柄の悪い連中が多くとも、それも適材適所らしく。一歩と仕事について外へ出れば、ピシリと背筋を伸ばしてスーツ姿を正す姿勢や、足音さえも揃え、一糸乱れぬ団結力を見せる変貌ぶりには驚く。
「……何だ幸人」
「その面は」
副団長と隠密部隊の長、双方に睨み上げられた幸人は。参戦と退散の選択肢を与えられて、後者を取った。
「いえ。内回り、行ってきます」
すると宗助と涼樹は、これまでの舌戦などなかったかにして。互いに冷静さを取り戻し、食事を続ける体勢に入った。
「おう。きばって来い」
「しっかり見て回れ。自分の足でものにするのが一番だ」
若き背にかけられる先輩たちからのエールは、癖があってもありがたきもの。
食堂を後にする幸人の口元には、いつも絶やさぬ笑みが綻んでいた。
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