第38話 大樹
「――その時の事、ぼんやりとしか覚えてないんだよね……」
当時を思い起こすに必要な。眠れる記憶を顧みるための、原点へ向けて歩むレイリアは、裏庭へ通じる石畳の道を進んでいた。
「父が健在で、レイエスもまだこの城にいた――ううん違う。その時はもういなかったね。丁度、出されてから直ぐくらいの頃だったと思う」
回顧するレイリアに付き添うレイエスも告げた。
「わたくしが家を出たのが十二ですから。マスターは五歳ですか」
「うん、そうだね。そのくらいの話だね」
手紙の件を憂いた碎王たちも散歩に付き合っている。
「そいつぁ記憶も薄れますな。ロイよ、お前さん――五歳の頃の記憶、あるかい?」
間もなく三十路になろうかという守護騎士は、即座に否定した。
「いや。全くないな」
家族のやり取りを微笑ましく眺めたレイリアは、ディッシー用のボールを芝の庭先へと投げてやり、回想を続けた。
「その当時の僕は、父に最も反感を抱いてたんだ」
生まれ持っての体質が、常に並みの下を下回っていたレイリアは所謂、温室育ちで良くも悪くも囲われて育った。
祈りの素質は言わずもがな、歴代の中でも抜きん出る最上だとされたレイリアは一人、城の中で雁字搦めな生活も余儀なくされていた。
「僕とは違って。自由に城の外へ出入りできるレイエスが羨ましくて――」
レイリアは寂しげに、裏庭から城の一角を見上げた。
「いつも。僕が唯一自由に出入りできた、あの屋根裏部屋の古書室から――」視線が目の前の大樹に注がれる。「この木の下で、一息をつくレイエスの後ろ姿を、いつもね。羨ましく見てたんだ」
当時のレイエスも、窓越しであっても弟の視線には気付いていた。
なれど、先代の父は厳格な人となりで。祈りの力を持たない兄は、弟の役に立つその日が来るまで近づくな、と命じていた。
――ならば。傍に寄り添える騎士になる他にない。
レイエスは寡黙に、恨み節も泣き言も押し殺し、ただひたすらに。立派な守護騎士となっては認めて欲しい一心で、父の言いつけを守っていた。
幼くして時期公主の足枷に囚われた弟を哀れにも思いながらも。トゥエルヴ家に生まれし者の宿命だとして、レイエス自身も、受け入れるのに必死であった幼少期。
「どうして僕は、自由に城の外へ出られないのだろう。どうして僕だけが、特別扱いをされるのだろう。どうして長男のレイエスをのけ者にして、家から追い出してしまうの――って」
レイリアは裏庭のシンボル的な存在へとなり、見事な年輪を重ねた大樹に手を添えた。
「反抗したよ。その頃の僕は、世間体だとか大人の事情だなんてもの、考えも及ばないからね」
当時は、例え実の親兄弟であっても、全員が食堂に一堂と介して一家団らんの食事を取る風習もなかった。
それを撤廃した今にしてみれば、レイリアが一緒に住み暮らす者を家族として大切に思う反動の起点も、そこにあったのかもしれない。
「レイエスがね? 城の周りを走ったり、武術のトレーニングをした後にいつも、この木の前で休んでたんだ」
「一息をつくのに、丁度良い地点でしたので……」
「暑い日も、寒い日も。雨の日も風の日も。毎日欠かさず」
騎士の素質は生まれ持ったもので決まる。しかし、より強くの質や品格を上げる鍛練、修練、精錬は成した分だけ身につく。
「まだそんなに大きくなかったこの木に手を添えてね。レイエスは頭を垂らして、何かを願うような仕草をしてて――」
レイエスは無言で、思い出を語らう
――確かに。いつも願っていた。レイリアと、レイリアの心が穏やかであらんことを、と。そして、必ずや一人前の騎士になって戻ってくると毎日誓っていた。
「だから――僕もね? ちょっと真似してみようかなって……」
こっそり抜け出した、その先で。
「その日、城は昼間からすごく賑やかだったよ。父の知り合いか友人、知人? とにかく、普段出入りのない大人たちが沢山やって来てた」
レイリア生誕を機に、専属執事として任命されたウィルが言葉を挟んだ。
「はい。先代は年に数回でござましたか。迎賓館ではなく。この城で、ご友人方を招かれ、宴や昼餐会を開かれておいででした」
「そう。それでね? 僕も騒ぎに便乗して、ウィルの目も盗んで。この木にまでやって来たんだ」
ウィルも当時を偲んだ。
「はいはい。わたくしも思い出してございます。あの頃のマスターはしきりに、一人で外に出たいと申されて、冒険心も旺盛にございました」
「僕にしてみれば。ここに来るだけでも、それはそれは大冒険だったよ」
懐かしい話で一行は気を和ませた。
「でも。この木の根もとには、先客がいたんだ」
その一言で、和んだ空気に緊張感が走った。
「高い陽の照りが、ギラギラしていて眩しくて。逆光でその人のこと、シルエットでしか見えなかったけど。声の感じからして、男の人だった」
思い起こしながら、レイリアは小首を振った。
「でも大人じゃない。スラリとした体格で、がっしりと頼もしい感じ――は、騎士かな?」
碎王が訊ねた。
「当時の警備状態が今より緩かったとは言え。敷地内に入るには、厳しいチェックもありやしたから。招待客の連れ子でしょうや? ちなみに歳は幾つくらいで?」
レイリアは目を閉じた。
「うーん。何となくだけど」
告げてから閉じた眼を開け、感じたままを素直に述べた。
「多分、レイエスくらいだったと思う」
ならば現在の歳は二十七、八。三十前後か。最良の騎士ならば最も成熟する頃合いだ。
レイリアは大樹を前にして続けた。
「この木の裏側で、何かしてたから。訊ねたんだ。何をしてるの? って」
するとその青少年は、「坊やもこの宴に招待された子か?」と問い返したと言う。
「僕が違うと言ったら、この家の子か? とも訊かれたね」
アニーが先を急かす。
「そして?」
レイリアは俯き、石畳にも大きく根をはった大樹の足元を眺めた。
「それが、他にどんな話をしたのかを。詳しくは覚えてないんだよね。ただ――」
悩めるものをふっ切るようにして、レイリアは連れ添った一行と向かい合った。
「その人も。家訓だとか、世襲のしばりだとかに反抗心を持っていた、って言う覚えはあるんだ」
「それで?」
「いつか。俺は家を出て、自分なりの力だけでのし上がってみせる、ような事を言ってたと思う」
レイエスは無言で碎王と視線を合わせた。互いに、腹の内で考えているものは同じのようだ。
レイリアは続けた。
「――それで彼は、僕にこうも言ったんだ。この家を出たいかって」
アニーが怪訝に眉を潜めた。
「何でそんな事を?」
「分からない。きっと、その人も僕と同じように。家系に縛られて、もがいてたんじゃないかな?」
レイエスは確信をもって問い掛けた。
「何とお答えを?」
「勿論、その時は出たいって言ったよ。そんなものでしょう? 不満だらけの五歳児が考えることなんて――。アニー」
レイリアは、手に持っていた一文の手紙を従者に手渡した。
「光に透かして見て? 文字の上に入ってる紋章みたいなの、この木の後ろ側にない?」
陽の光を借りて透かした模様を確認したアニーが、大樹の後ろに回り込んだ。
「あった!」
レイエスと碎王たちも追従したのちに、その目で掘られていた刻印を認めた。
「あの時、彼は。ナイフか何かで、この模様を彫ってたんだね」
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