大樹の誓い

第36話 手紙


 トゥエルヴ城内の執務室で、レイエスはレイリアに関する公務日程の調整に追われていた。

 安定的とは言えないレイリアの体調を考慮して、無理なスケジュールを組めない現状において。次から次に押し寄せる、奇跡の右肩を持つ黎明王への公務依頼を効率的に捌き、如何にして官と民の声に応えるかが問題であった。


 半年どころか、数年先まで予定が詰まってしまうタイムラインを流し見したレイエスが、凝り固まったこめかみを指で揉んでいたところへ。第一執事のウィルが、第二執事兼、渉外担当及び公家報道官の槇土まきとを連れ立ち訪れていた。

「失礼いたします」

 風通しの良い風潮を好むレイエスは、家長に就任してから一度も執務室のドアを閉めたことがない。

 ウィルと槇土は、開かれている扉の前で入室の許可を得る礼を施す。

「レイエス様」

「どうぞ」

 執務用机で決済の手も進めたレイエスのもとへ、歩み寄るウィルが手にする銀の盆に、一通の手紙が載っていた。

「こちらの件にて、ご相談を致したく」

「手紙、ですか?」


 電子メールやネットワークサービスが主流になったファージアにおいても、紙でのやり取りが全く以て撤廃されたわけではない。

 今でも格式ある招待状や、名誉ある賞状などを形として残す風潮は根強く、郵便事業自体も機微あるものとして、細々ながらに生き残っている。

 ウィルは「恐れながら――」とかしこまり、盆上の封書をレイエスに差し出した。

「マスター宛てでございまして」

 危険物でないかの、検査を通ったものであれば特段、問題などないはず。それをこうして持参するならば、何か臭う曰く付きか――。

 ファージア星のみならず、星団外にもレイリアを慕い、敬う者は多く存在している。

 それら熱狂的ファンから日々、幾百、幾千にも及ぶ献上品や信奉のメッセージなどが多方面より届くのも日常であった。


 レイエスは、封書の表と裏を念入りに見つめてから盆に差し戻した。

「こういったものは、宮内省の担当では?」

 槇土が入室してから初めて口を開いた。

「はい。礼状やファンレター、プレゼント類の多くは、まずは念入りな検査、検疫チェックを行い。その後に、一筆を添えたカード形式の御礼状で返すなどした諸作業は、一貫して宮内省が代行しています。ただ――」

 レイエスが後を引き取った。

「マスターと、個人的なお付き合いのある方からの封書であれば。検査さえ通れば、本家へと届くのでしたね?」

 そもそも、祈祷や参列を願う公務依頼であれば、家長のレイエスが窓口となっている。

 ウィルが懸念を告げた。

「しかし、差し出し人の名がございません。こういったものは本来、弾かれておるはずなのですが、当家への郵便物の中に混じっておりまして」

 盆に載せられている封書の表面には、手書きで『レイリア・フォン・トゥエルヴ公主様へ』と、それは見事な文書体で美しく書かれていても。肝心の差出人の記載はない。


 意図的を勘繰った従者たちは、敢えて届いたと考えた。

「……内容は何と?」

 レイリア宛ての封書が届くと。本人を目の前にして、執事が初めて封を切ってから中身を取り出すのが通例であった。

 別段、検査の段階で予め中身が何であるのかの、内部透視スキャンも当然行われている。

 そこでの従者は、主人のプライバシーを尊重し。あれこれの詮索は一切しない――はずの槇土が、興味ありげな口調で述べた。

「それが、たったの一文なのです」

「一文?」

 レイエスは、楽しげに告げた槇土の心を読んでいた。レイリアにしか理解できない暗号ではないのだろうか――なる、期待感が薄々と滲んで見て取れる。

 腹の中で「全く」と呟いたレイエスは言った。

「誹謗中傷的な内容でないのなら。構いません。本人に確認してみましょう」


 残暑もほどほどにした寒露も過ぎ、霜降の夕刻は早々と降りたかんによって、夏の間は使用していなかった暖炉に火を入れるほどの寒さが到来していた。

 炎を灯し、パチパチと薪を弾くほのかな火を背景にした夕食を終盤にしたところで。レイエスはウィルを呼び、レイリアに先の封書の件を告げていた。

「マスター宛てに、こちらが」

「手紙? 僕に? 珍しいね。開けてみて?」

 レイリアは手紙が届く予定などなかった不意打ちを受けた様子で、ウィルがペーパーナイフで封書の口を切る仕草をじっと見つめていた。

 封書の中から取り出されたのは一通の。一枚の紙を二つ折りにした乳白色の便箋であった。


 恭しく差し出された手紙を、左手で受け取ったレイリアは紙を開いた。

 たったの一文をものの二、三秒ほど見つめた視線をウィルに戻す。

「誰からだって?」

「封書にも、差し出し人の名がございませんで……」

 ウィルの手から封書も受け取ったレイリアは。徐に立ち上がっては暖炉へと向かって静かに歩み、封筒と手紙を火の中にくべていた。


 レイリアは普段、物静かで突飛な行動などそう滅多に取らない。

 一連の動きを静かに見守っていた従者たちはただ、沈黙していた。

 ウィルは暖炉へと近づき、早くも灰になった紙の欠片をじっと見つめて佇んだレイリアの肩に羽織を掛けた。

「悪戯でございましたか?」

「ううん? どうかな……」

 食堂の入口で早々に夕食を平らげては、太くなったしっぽを振っている愛犬のディッシーに向けて。「散歩に行こうか?」と告げたレイリアは、この一件に終止符を打っていた。

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