第35話 武勇
レイリアのリハビリも兼ねたディッシーとの散歩と、ボール遊びは日課になりつつあった。
「よーし。良い子だね? ディッシー。もう一回いくよー?」
実質的には、弾力性の強いボールを利き腕で投げることなど到底叶わず。左で投げたボールを手近な所へ放り出すのが精一杯で、あらぬ方向へと弾んで行くものを。全力疾走にも及ばない拙い足のディッシーが、健気に追いかけてじゃれつくところへアニーが駆け寄り、ボールを奪ってからレイリアへと手渡すのが定番だった。
「伊吹くんにちゃんと躾けてもらったら、その内。ディッシーもフリスビーとかをキャッチできるようになるのかなぁ?」
「なるでしょ? そういうのも訓練の一環にもあるみたいだし。エルヴァティックライトの警備犬は、すっごい賢いんだから?」
「アニーは
「あー……、うん、何回かね」
アニーが言い淀んだのは、その昔。従者の仕事を放棄して領内をぶらついていた時に、何度か実際に遭遇した経験による。
「えー? いいなぁ……。僕も会いたいなぁ?」
「伊吹が来る際にでも頼めばいいじゃない? どの道、ディッシーとは顔合わせしとかないと。散歩コースを外れた森の中で鉢合わせでもしたら。今のディッシーなんてイチコロだからね?」
「えー? そんなに凄いの?」
「そりゃそうだよ! そのための警備犬なんだから。不審者でも見つけようものなら、騎士より先に突進してがぶり! だからね」
「えー……。なんだか、僕が想像してる番犬とはちょっと違うなぁ……」
レイリアの足元で、ふんふんと匂いを嗅いでいたディッシーは。ボールはまだかとせがんでいた。
「あぁ、ごめんよ? ディッシー。もう一回投げようか?」
アニーは、庭先に姿を現したウィルの視線だけで時間を察した。
「レイー? そろそろ昼食にしないと?」
「ええ? いいじゃない、もうちょっとくらい」
「駄目だってば? 薬の時間が遅れる」
「ディッシーはまだ遊び足りないみたいだよ?」
アニーは、「じゃあ、これで最後にして?」と言いながら、レイリアからボールを奪い、高らかと遠くへ大遠投した。
「ほーらディッシー、取って来ーい」
騎士渾身の力投で飛んだボールは空高く、より遠くへと弧を描いた先の。深い森の茂みの中へとその姿を消してしまう。
「――ってお前! なに、茫然と見てんの?」
ディッシーは、あまりに遠くへと放り投げられてしまったからか。レイリアの隣で座り込み、「あれを取れと?」とも取れる表情でアニーを見上げていた。
「アニー……。ディッシーに意地悪しないで? あれ、お気に入りのボールなのに」
レイリアに戒められたアニーは、じと目でディッシーを見下げていた。
語らずとも「犬の分際で、あれくらいも取って来られないの?」と発する殺気を無言で放つ。
するとディッシーは立ち上がって「わふん!」と元気に吠えた。
「わーお! 一丁前に吠えてやんの!」
「アニーってば。どうしてディッシーと仲良くしないの? ディッシーはこんなにも良い子なのに?」
と言うよりも、一方的にアニーがディッシーを敵視していた。従属は自分のほうが先輩であるという拙き理由も一つある。
「僕のほうが良い子だし。どんなに遠くに投げられても取って来られるよ?」
流石のレイリアも少々呆れた。
「そりゃそうでしょう。アニーは騎士だし? 騎士団の中でも一番素早いんでしょ?」
「そうだよ。レイの世話だって、僕のほうが役に立ってるし?」
「どっちも立派だから。アニー、お願いだからディッシーと仲良くして」
アニーが、何と言ってやろうかとの口を開こうとした時に。本日の英雄が帰城していた。
「――ディッシーに、殺気を察知されるお前が甘いんだろうが」
「カール。おかえり」
主を前にした守護騎士の額には、小指の爪幅ほどの小さなメディカルテープが貼られていた。
「ただいま戻りました。マスター」
規定の黒スーツを折り目も正しく着こなし、手足をきっちり揃えての一礼を一同で見守る。
「悪漢を二人も伸したんだってね?」
「マスターがご無事で何よりです」
「無事じゃないでしょ?」
レイリアは、傷ついたカールの頬に左手を添えた。
「これは僕の傷でもあるのだから。――心配したよ?」
己は無傷でも、盾となり庇った者が傷つく事で心を痛める主人であることを、カールはよく知っている。
「申し訳ありません。ですが――」
守護騎士の言い分をレイリアは制した。
「カール」
主と
「――さ。昼食を取りながら、武勇伝を聞かせて?」
アニーは、レイリアが昼食を遅らせていた理由を。カールの帰りを待っていたからだと悟った。律儀な人だ。
「語るほどでは……」
熟練の騎士は、これからもと滾らせた主への忠誠と思いを謙遜に乗せていた。
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