騎士の御心

第32話 襲撃


 法衣を纏ったレイリアが、フレアのドレープもたわわな裾野を翻しながら大階段を下りていた。向かう先の正面玄関には、横づけされたティグが出発を待ってる。

「午前中に黙祷の儀を行ったあとで、駐留大使と昼餐をしてから、祈祷だね?」

「はい、マスター」

 執事のウィルに槇土まきと、従者のアニーを連れ立つレイリアが玄関先に姿を現す。

 碎王やカールと念入りな打ち合わせと確認をしていたレイエスが一礼を施した。

「マスター。ご調子のほどは?」

「うん。もう平気」

 レイリアは小首を傾げて笑顔で応じた。

 銃弾を受けてから半年以上が経ち、レイリアは公務を行えるまでになっていた。けれど、後遺症となった痛みは強烈な根を持ち、残っている。

「寝起きに、思わず右手をついただけだから――。そんなに心配しないで?」

 とは言われても。起きがけのベッド上で、三十分以上も苦痛で悶え、のたうち回って苦しんでいたレイリアの姿を知る者たちの憂悶も尽きない。

「途中でお体がお辛くなられましたら、いつでも中止に致しますゆえ」

「ん。ありがとう」


 真新しい首輪に、トゥエルヴ家の紋章の入ったチャームを下げたディッシーがレイリアの足元に纏わりついた。

「くぅーん」

「やぁディッシー。帰ってきたら、一緒にお散歩しよう? それまでは、良い子で待っててね?」

 引き取った日より一回りも大きくなったディッシーは、日々すくすくと成長していた。

「レイー。甘やかしちゃ駄目だよ? 犬はね、小さい頃からビシバシ厳しく躾けないと、甘ったれの我儘っこになるからね?」

 それをお前が言うか――なる半眼が。カールたちから射られているものを無視したアニーが小言を挟むと、レイリアは呆れながらに言った。

「なに言ってるの? ディッシーはまだ子供だよ? それに、ディッシーは良い子だから。ちゃんとお留守番できるって?」

「なぁーにが良い子なんだか。まだトイレもしっかり躾けられてないのにぃ――って! ちょっ!」

「わっ!」

「マスター!」

 はためく法衣の裾野に興味を持ったディッシーが、かぷりと被りついては。左右に首を振りながら、ぐいぐいと力いっぱい引っ張っていた。


「わっ、とと! 凄い力だね? ディッシー?」

 力任せに後方へと引きずられたレイリアが、後ろのめりに倒れ込みかけるのをレイエスやアニーらが支え。ウィルと槇土が法衣に被りついて離れないディッシーを引き離した。

「レイってば、褒めないで!」

「悪い子でしたね?」

 槇土は片手の中で「くぅんくぅん」と啼くディッシーを、メイドのアーヤに手渡した。

「いけません、ディッシー。マスターの大事な法衣に噛みつくだなんて。いけない子!」

「アーヤ。そんなに叱らないであげて? きっと歯が生えかけだから、こそばゆいんだよ」

「いいえ、マスター。叱る時はきちんと叱りませんと」


 レイエスはあるじの身体状況を気にしていた。

「マスター、お怪我は?」

「ないよ? あれしきの事で――」

 言いかけた途中で、アニーが絶叫していた。

「あーっ!」

「なに。どうしたの?」

「法衣に――」

 言わんこっちゃない、とアニーはレイリアにも見える形で。食い破られてほつれたマントの端を掲げた。

「穴が!」

 ウィルは、即座に「アニー。予備をお願いいたします」と告げ。アニーも「全くもう!」と言いながら、下りて来た階段を五段飛ばしの猛スピードで駆け戻って行った。


 これから半日の公務へと出掛ける際に、そんな騒動があったなどと世間は知る由もなく。

 黙祷の儀を予定通りに行ったレイリアは、駐留大使との昼餐会場へ向かっていた。


 リムジンティグを運転しているカールの隣に座るロイは、後部座席の槇土へ小言を告げていた。

「予定より十分遅れだぞ?」

 会話はインターカムを介して行われている。

「許容範囲内です。御心配なく」

 端的に返した槇土を、ロイはあまり快く思っていなかった。

 守護騎士として主人を護る使命感と志は同じであっても。どうにも性分や反りが合わない。

「午後の予定も十分押しでいくのか? このままだと、マスターの休憩時間が短くなるぞ?」

 常人であれば、たかだかの十分であろう。なれど、リハビリ中でもあるレイリアの体力はすぐに尽きる幼児並み。動けなくなってしまっては元も子もない。

「調整しています。御心配なく」

 ――嫌な野郎だ。

 ロイは、ちっと舌を鳴らした眉間にしわを寄せていた。


 槇土の仕事が早いのは認める。要領も手際も良く、無駄も隙もない身のこなしと。調子の良い口調で渉外役を難なく熟す凄腕である事も認める。

 しかし、常にその余裕ぶく澄まし顔と、飄々としている態度が鼻につき。中途採用であった槇土を信用出来ずにいる者は、同じ守護騎士内にも多くいる。


 外部の音など一切聞こえてこないティグの中で、レイリアはアニーに訊ねていた。

「――今日も随分な人出だね? お祭りか何かあるの?」

 規制線が敷かれた沿道は、人でごった返している。

「みんな、レイを見たいんだってば」

「そうなの? それにしても凄い人出だよ? 他にも何かあるんじゃないの?」

「ないよ。レイが公務でトゥエルヴ領を出る以外に、特段なにも」

「ふぅーん?」

 レイリアは、窓辺のガラスに顔を寄せて流れる景色に見とれていた。

 今朝方、強烈な痛みに襲われた右肩が、今でも時折ツキンと痛むものの。顔をしかめるほどではない。

 いつの日にか、一生残ると言われたその痛みを。今でも自身への戒めであると考えていたレイリアにも。突如に与えられた衝撃は伝わっていた。


 走行中であったティグの運転席側の窓に、ガツンと一発、強烈な衝撃が走った。

「っ!?」

 公用リムジンティグの窓ガラスはどれも防火防音、対衝撃に優れている大変強固な防弾物であるのに。一打にしてガラスは木端微塵に砕かれていた。

 粉々の砂利となって、飛び散った破片には目もくれず。襲われた運転手のカールは、右手で殴打を繰り出した者の腕をそのまま掴んでひっ捕らえ。ドアを蹴り開けた勢いのまま、襲いきた暴漢者に飛びかかった。

「ロイ! 行け! 行け! 行け!」

 助手席側に座っていたロイは、飛び出したカールに代わって運転席へと滑り込み。アクセルを踏み込んだ猛ダッシュでティグを急発進させた。

 あとは現場を離れる事に専念し尽くす。こうした出来事に対しての初動マニュアル、対処すべき暗黙のルールは規定でも決まっていた。


「――黎明陛下の乗られたティグが、たった今、何者かによって襲われた模様です!」

 襲撃事件が丁度、昼時であった事も重なり。各局のメディアは即座に速報を出しては中継も始めていた。また世間が荒れそうだ。

「陛下に、お怪我があるかどうかの詳細はまだ不明ですが、ティグを襲った犯人は複数人いるとのことです」

「えー……たった今、暴漢者三名は男であるという情報が入ってきました。男らは守護騎士や警官たちによって取り押さえられましたが、現場は騒然となっています」


 護衛車で先導していた碎王さいおうは、インカムでトゥエルヴ家の家長に事の詳細を告げる間もなく、決断していた。

「――レイエス様。マスターにお怪我はありませんが、帰城します」

「構いません。直ちに帰城させてください」

 食堂で留守番組らと昼食を取っていたレイエスは、襲撃の様子を中継モニターで見ていた。

 襲撃犯の狙いが何であるのか――を思いながら。席を立ったレイエスは、午後の予定を中止とする算段を整えるべくの執務室へと向かって行った。

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