第31話 家族


 天寿を全うした大司教との別れを済ませ、教会を後にする黎明王は退出の道を粛々と歩んでいた。

 辞去するレイリアの儚き姿が、教会天井からの薄明光線で浮かび上がると。稀有な存在を認めた神父たちから、溜息すら漏れ聞こえた。

「誠に、そのお姿は月光のよう」

「まだあのお若さであるのに。やはり亡き方々の御威光を、しかと背負われておられる」


 通常であれば、そのまま退場するはずのレイリアが、ふいに歩んでいた足を止めた。

「レイ?」

 斜め後ろから追従していたアニーが問いかけたのに、レイリアは別の者に訊ね返した。

「ねぇ司祭?」

 見送りの行列で先頭をゆく司祭が、いそいそと御前に参上して来る。

「はい、陛下」

「……」

 今度はレイリア自身が、どこと定まらない視線を泳がせたまま黙り込んでしまう。

「陛下?」

「――あぁ。ごめん。とても小さきものの、泣いている声が聞こえたものだから」

「小さきもの、でございますか? はて……」


 小首を傾げて考え込んだ司祭は、あっと気付いて改まった。

「もしや。昨日に保護を致しました子のことでございましょうか?」

「子ども?」

「はい。昨日の夕方でございました。教会裏手のゴミ置き場で、何やら声がするとして、シスターが見つけました」

 そこまでを聞くと、レイリアの中で興味と言う名の冒険心にぽっと火が付く音が、従者にも聞こえた。――また寄り道か。

「その子を、この教会で面倒を?」

 司祭は首を横に振った。

「いいえ陛下。我らも巡教なりにて留守をする事も多く、面倒を見兼ねますので。里親を探しておる最中でございます」

「その子、どこにいるの? 僕、会ってみたいんだけど?」

 やはり。面倒なことになった――と、アニーは露骨に怪訝な顔色を晒し。槇土まきとはすました顔で進路変更を伝えた。


 レイリアがダイヤモンドのような瞳を爛々と輝かせていた一方で。トゥエルヴ家で留守を預かっている者たちは困惑に踊らされていた。

「――マスターが、子供を?」

 料理長の声は裏返っていた。

「そうなの……」

 厨房で顔を見合わせている料理人たちに告げているのは、小麦色した肌も瑞々しいメイド姿の女性だった。

「それで、槇土から哺乳瓶とミルクを用意しておいてくれって、言われたんだけど……」

 最前線から逐一、送られてくる情報に戸惑った料理長は、頭の上に乗せていた白い帽子を取って薄い頭髪を撫で回した。

「ミルクと言っても、生後どの程度かで。与えていい成分や量も違うしなぁ? その辺りの情報は入ってないのか?」

「――あぁ丁度、いま来たわ? 生後二週間の男の子ですって!」


 騎士ではないメイドたちも共通で使用している手の平サイズのデバイスには、外出している一行の滞在場所が今どこであるのか、何時に出発して到着するかなどの予定も全て表示されている。

「しっかし、マスターも急だよなぁ? いきなり養子だなんて?」

「そもそも。気に入ったからって、すぐに連れて帰れるものなの?」

「いや。まずいだろう。養子縁組の手続きとか色々、うちは公家だから余計に審査も厳しいだろうし。素行だとかも調べとかないとなあ?」

「そうよねぇ。後から問題でも起こったら、それこそ大変だものねぇ……」

 困惑しきりな留守番組の心配など知りもせずに。外出組の一行は一路、帰城へ向けて教会を出発していた。


 レイリアは帰城の際も、必ず正門要所で出迎えるエルヴァティックライトの面々に挨拶を交わす。

「ただいま、宗助そうすけくん」

「おかえりなさいませ」

「みんなも、ご苦労さま」

 遠くで控える守護騎士たちにも気配りを忘れないレイリアは、小腰を折っている宗助に密やかと告げた。

「ねぇ宗助くん。実は、新しい家族のこと、まだレイエスに言ってないんだ?」

 ティグの中では、少し寂しげで不安そうな声が上がっていて、エルヴァティックライトの副団長は笑顔で応じた。

「承知しております、マスター。我らはまだ何も、見ても聞いてもおりません」

 するとレイリアの顔がぱっと明るく弾ける。

「ありがとう! 正式にうちの子になったら、改めて紹介するからね?」

「はい。お待ちしております」

 リムジンティグが出発して行けば、黒服の騎士たちによる一糸乱れぬドミノ礼式が披露される。

 護衛車も引き連れた行列を、姿が見えなくなるまで見送った宗助は、やれやれと頭を掻いた。


 エルヴァティックライトの本陣でもある正面をくぐり抜けたティグは。ところどころで枝分かれする本道を、ただひたすら北上して行く。

 野を越え、丘を登り。深い緑の森の中で滾々と流れる小川を横目にもして。手付かずに見えてごく自然的に整えられた道すがら。ループの一部が崖なり滝となった岸を渡る石橋さえ越えたその先に、ようやく。白亜の主が根城とするトゥエルヴ城の姿が現れる。

 胴の長いリムジンティグを、車体ごとすっぽりと覆ってしまう大きな軒下を持つ城の玄関前では、既に家長レイエスを筆頭にした留守番組の一部が出迎えのために並び立ち。あるじの帰城を待ちかまえていた。


 玄関扉の真正面に、ティグが到着する丁度のタイミングを見計らった第一執事のウィルが、ドアの開閉をするために進み出る。

 ティグが停止すると同時に。無駄のない流れる動きでドアを開けやる一連の動作は彼だからに尽きた。

 第二執事の槇土が、「あれこそ。洗練された騎士とて、おいそれと真似できようものではありません。経験と熟練かつ、真の執事である証の所作。一夜の見よう見まねで習得することなど不可能です」と言って、心から尊敬に値する賛辞をしてやまないほどだ。

「ただいま」

 足を揃えて降りたレイリアが姿を見せれば、出迎える家族たちは「おかえりなさいませ」と頭を下げた家長に倣い、もう一度の声も揃えて深々と礼を施すのだった。

「おかえりなさいませ」


「ねぇレイエス?」

 間を置かずにしてレイリアは、家長に向けて上目遣いで訊ねた。

「……」

 三十センチ近くもある身長差より、喜怒哀楽の変化に乏しい面の家長は当主を淡々と見下ろしている。

「あのね? 実は――」

 なかなか言い出さないレイリアに痺れを切らしたレイエスは、長いため息を吐いてから切り出した。

「マスターがお気に召したのなら、それはそれで結構なこと。我らが主のあなたがお決めになったことですから。我らは従うのみ。なれど正式な養子縁組手続きもなく、いきなり連れ帰るとは――せめて。受け入れ態勢を整える、我らの身にもなっ……」

 以後、言語道断まで長々と続くはずだった文句は。ティグの中で「きゃん!」とひと際、甲高く啼いたひと声で辺りの空気もぴたりと止まった。――今のはいったい。

「そう、この子のことなんだけど……。アニー?」

 子犬を抱えたアニーがティグから降り立った。


「まぁ! ラブラドール?」

 黄色い声を上げて、メイド服姿のアーヤが子犬の傍へと寄った。

「なんて可愛い!」

 ミルクの準備で悩みに悩んだ料理人たちも、哺乳瓶を手に「なんだ。子犬か……」と、安堵とも取れる肩を竦ませ合ってもいた。

「うん。聞いた話だと、事故にあったらしくてね。親兄弟とも離れ離れになっちゃったらしいんだ?」

 一匹で寂しくしていようものを。レイリアが放っておけるわけもない。

「ねぇ――」

 レイリアはもう一度、首を竦めながらレイエスを見つめ上げた。

「うちの子にしちゃ駄目かなぁ? ほら。犬が苦手っていう人もいるだろうから。とりあえず、みんなにもね? 意見、聞こうと思って――」

 主が連れ帰ってきたものを、おいそれ駄目だと突っぱねる家長もいない。

 短期間でフル回転した杞憂が、泡となって消えて良かったとする、返事代わりの沈黙が長く落ちた。


 その脇で、アーヤが子犬の頬を指で撫でながらレイリアへ訊ねていた。

「マスター? この子のお名前は何と言うのですか?」

「ディッシーだよ」

 レイリアは子犬にも問いかけた。

「ねぇディッシー? 僕の家族たちだよ、初めましてしようか?」

 ラブラドールレトリバーは、人間のする事など知ったことかと興味の向くまま。あっちこっちに鼻を寄せては、まだ短い手足としっぽをバタバタと動かす。

「ねぇきみ。この家はどう? 気に入ったのなら、うちの子になる?」

 そうと訊かれた子犬は、レイリアの鼻先をぺろりと舐めていた。

「わぁ! くすぐったいよディッシー」


 じゃれる当主と子犬を目の前にしたレイエスは、三度目となる長い息を吐いていた。

「……マスターが名を授けたのなら。その子はもはやトゥエルヴ家の一員」

 仕方なしにのニュアンスが盛大に含まれているのも反面、弟のする事に対して、兄が寛大で甘いことも知れている。

「本当? うちの子にしてもいいの?」

 嬉々としたレイリアは、レイエス以外の家族にも報告をもたらした。

「やったね! ディッシー。今日からここが、きみの家だよ! それに僕の家族たち――は、沢山いるから。急には覚えられないね?」

「わふん!」

 元気な子犬は、アーヤの腕の中で、料理人の一人が差し出した哺乳瓶より受けるミルクに夢中となった。


 愛らしい姿をみなで歓迎する一方で。レイリアは、一人踵を返したレイエスに追いすがった。

「ありがと」

「最初から隠し事などせず、子犬なら子犬と言ってくだされば」

「ごめん、ね?」

 おずおずと反省の色なき上目遣いが、再び兄に向けられる。

「ちゃんとレイエスの意見も聞いてからじゃないと、って思って?」

「わたくしの意は当主と同意にございます。一度は公家に受け入れたものを、それ簡単になかったことにもできません」

「あ。そうだ縁組――手続きだっけ? あの子の場合、どうすれば良いの?」

 主に背を向けながら一人、城の奥へと歩み進んで行く。

「子犬はその限りではございませんので、不要にございますよ。お忘れ置きを」

「ちょっとレイエス」

 弟は。大きくて頼もしき兄の背中を、可能な限りの速足で追いかけた。


「待ってよ。怒ってるの?」

「いいえ、何ともございませんが」

「怒ってる感じがする」

「もとより仏頂面は生まれ持ってのもの。お気になさらず」

「気にするよ。別に意地悪しようとか、びっくりさせようとかした訳じゃなくて――あ、もしかしてレイエスってば子犬、苦手だったりした?」

「まさか。首輪も付けられぬものなど、一匹増えたところで対して変わりません」

 その一匹とはよもや己のことか、と。遅れて追従しているアニーが反応している横で。槇土が薄くほくそ笑むのも今は捨て置く。

「またまたー。本当は怖いんだ? 怖いんでしょう?」

「マスター。お早くお着替えを。昼食が遅くなりますよ」

 はたと気づいたレイリアは、空腹の腹を擦った。

「あぁそうだった! みんなを待たせてしまってるよね。ごめんごめん――」そして従者たちの名を呼び、呼び寄せた。「アニー、急ごう。ウィルー?」

 

 何事も、レイリアには集う。本人にその自覚がないにしろ。

 遅かれ早かれ。縁ある者はレイリアによって導かれる。

 追いすがるものを野暮にも追い払おうとはしない、その者も。紛うことなく。

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