第29話 言葉


 思いがけない場面に遭遇してから、トゥエルヴ公主を乗せたリムジンティグは大聖堂を構える教会に達していた。


 ティグ後方の扉が開くと、まずは槇土が降り立ち。それとなく周囲に目を配りつつ、あるじの乗降を手助けする手を差し出す。

 槇土の手を借りて、ファージアが誇る祈りのきみが姿を現すと。沿道に詰めかけた観衆からも、教会関係者の人垣からも出迎えの歓迎と声援がより一層、歓声となって轟く。

「黎明陛下ぁあー!」

「公主様あああっ!」

 アニーの手慣れたマントさばきによって、長い尾もひく裾野の広がりを舞わせたレイリアは。どっと沸いた大歓声に応じるべく、左手を上げた挨拶で応じるのだった。

 各局のメディアも中継車とレポーターを出して、視聴者に報告をもたらしている。

「療養により、長らくご公務から遠ざかっていた黎明陛下が、その御姿を公の場にお見せになられました。こちらへ来られる前に、ちょっとしたハプニングもありましたが――とてもお元気そうです」

 

 光の当たる角度によっては七色に輝いてみえる瞳と、白に近いプラチナブロンドを眩く艶めかせ。レイリアが控え目に笑みを綻ばせたのは、この場が喜びを共に分かち合うものではなく。悲しみと別れを惜しむ時であったからだ。

「司祭どの」

 レイリアは、神父たちの先頭に立って出迎えた司祭たちの手に手を取って、まずはの労を労った。

「この度は――誠に残念です」

「これもお導きでございましょう。陛下」

 司祭たちの取りまとめ役が、まだ若い公主の手甲へ親愛なるキスを落とした。

「陛下にお越しいただき、教会としても、心から感謝申し上げます」

 司祭に案内されるがまま、長らくの寿命を終えた大司教の亡き骸が安置されている祭壇への道が開かれ。高い天井アーチの下を過ぎゆく黎明王の登場に合わせて、参列者たちの起立が波となって広がった。


 やがてレイリアは一人、故人が横たわる棺に近づき。亡き人の穏やかなる表情を見入った。

「お久しぶりです。グレイディア卿」

 レイリアの記憶によれば、温厚な人柄で万人に好かれた御仁であったはずだ。

「このような形でお会いすることになろうとは。残念でなりません」

 狂気の銃弾による一件もあり、生前に対面する機会は断たれてしまった。

「お説教の一つでもと思っておりました」

 棺に寄り添ったレイリアは、今も酷い後遺症で悩む右側の腕を使い、温もりを失った故人の頬に手を添えた。

「あなたらしく、最期まで穏やかだったと伺いました」

 病に伏してから息を引き取るまでを看取った司祭は、レイリアの一言一句に耳を傾けている。

「――えぇ。何のご心配もいりません」

 まるで生き人と会話を弾ませているかのように、黎明の君は声を発している。そのやり取りを、眉つばものだとして信じぬ者も確かにいる。

 しかし、トゥエルヴ家とは元来、こうして死者を弔い、残された者を慰め、悔いある者の言葉を伝える役目を担う一族であった。


 初代より受け継がれてきたものは、受け継ぐ者が背負いし役目と慰霊の伝辞。

 死者へ捧げる祈祷の文言は、逝く者と、歴代トゥエルヴ当主の間だけで取り交わされるものであって。第三者には何を呟いているのか、聞き取れもしない囁きともなる。


 目を伏してわずかに頭を垂らしたレイリアが長く、静かに穏やかに。魂礼と送りの言葉を捧げていたものを、ふいに中断した。

「司祭」

 呼ばれた司祭は祭壇へと進んだ。

「はい、陛下」

「生前に。グレイディア卿から、珠を授かりましたね?」

 司祭は聖職衣の首元に下げているロザリオを手にした。

「はい。こちらを――」

 指先で摘まんだ玉は、ロザリオをペンダントトップにしている革ひもに通されただけの玉にすぎない。

「一つだけ、色の違う玉がありますね?」


 レイリアの言葉通り、司祭が改めて連なる玉を一つ一つ見直すと。光を反射する加減によって、一つだけ輝きが異なる玉が存在していた。

「はい、確かに……」

「その珠は、この教会が建てられた際に。建設者と初代の教皇が、いつまでも平穏たれと取り交わした半ば、約束の至宝」

「まさか――」司祭は震えた手で数珠玉を撫でては、続きを語るレイリアを見つめた。「そんな、私が?」

「この教会を継ぐべき者への宝珠ですから。どうぞお大切に」

 静かに祭壇でのやり取りを見届けていた信者や神父たちを含めた教会内が、一斉にどよめいた。

「なんと! 彼が後継者とな!?」


 守護騎士たちは鋭い気を方々へ漲らせて、周囲の一喜一憂にくまなく視線を配った。

 本来、トゥエルヴ家の当主であれ家長であれ、公家は政に介入してはならないという定めがある。ましてや、後任人事への口出しなど以ての外であるのに、レイリアは公の場で堂々と宣言したのだ。


 レイリアは周囲の動揺などさて置き、故人にしばしの黙礼を施してから姿勢を正した。

「司祭。僕はね、グレイディア卿の意を伝えたまでのこと。それは、僕個人の意見ではなく。その珠が、何よりの意志である遺言を、ここに導いただけ――」

 続きは、司祭の後ろで控えている複数の神父たちにも向けられていた。

「この教会はそうして。建立を決めたその日より、現代まで受け継がれてきたとても大切なもの。そしてこれからも」

 レイリアは主軸となった左ではなく、動かすだけでも痛む右手で司祭の手に手を添えた。

「何度消えかかっても、その都度。灯ってきた火を消してはなりません」

「しかしながら陛下、私は……」司祭は首を横に振った。「自信がないのです。私などで、迷える信者たちを導けるかどうか――」

「ご安心ください」

 おっとりとした口調が静かに落ちる。己より倍以上の人生を歩んでいる大先輩に、エールを贈る。

「あなたは一人ではありません」


 ほぼの確率で失ったはずのレイリアの右肩機能は、徐々にではあっても回復傾向にあるその右手に、力がこもったことで。司祭にも、表現し難き感動がこみ上げた。

「あぁ、何と温かな……」

「僕もこうして、日々を支えてくれる者たちによって今、手に手を取ることが叶っています」

 自然と、司祭の目から涙が零れていた。

「私に、務まるでしょうか?」

「グレイディア卿が、あなたに宝珠を授けたのは何も、後任だけの意にあらず。あなたという人柄に、教会の明日を託されたのです。どうかそのままお受け取りを。そして次なる者へ、授けるまでの間。御腰もお大切に――」

 司祭は涙を浮かべたままに黎明王を見つめた。

「陛下……」

 大司教を看取る間に腰を痛めてしまった司祭は、そこまで見抜かれていたのかと感心しきりで若き黎明の君を見やった。

「ありがとうございます、陛下。ありがとうございます!」

 これで後任人事で揉めた醜い骨肉の争いも収まるだろう。

 迷いが晴れたところで再び、親愛なるキスを落とされた右手は、手放すと力なくだらりと下がり。そのまま白き黄金の法衣の下に隠されるのだった。


「お言葉をいただけますでしょうか、陛下?」

 晴れ晴れとした表情で「勿論」と頷いたレイリアは、祭壇に背を向け、スピーチ台の前に立った。

 大司教の訃報を聞きつけ、別れを惜しむべく詰めかけた多くの信者や家族、各関係者の大勢が見守る教会の祭壇上で一人、白き衣を翻して改まると。列席しているほとんどの者が、トゥエルヴ公主が直接発する弔辞を、今か今かと待っていた。

 しんと静まり返った教会内に。今日の日を共に悲しみ、そして先人への感謝や思い出を語ろうとする、物腰も柔らかい優しげな声が。スピーチ台のマイクを通して響き渡り始めた。


 大司教への哀悼を述べる弁より始まった冒頭の挨拶は、いつしか多くの人々が疑問に思う項目へとも移り変わる。

「僕が――鎮魂の祈りや祈祷、祈念の際に先人たちと、どのようなやり取りをしているのかの、興味を持たれる方が多くいらっしゃるようなので、ここでお話したいと思います」

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