新たな家族
第28話 参礼
グレイディア大司教の大葬を明日に控えた教会へ向かう白亜のリムジンティグは、前後に黒色が艶めく護衛車を従え。さらには公家専属の警察隊などの先導も受けながら、予め規制が敷かれていた貸し切りの道を進んでいた。
普段は生活道路として多くの人々や物が行き交う道路は、予め往来が厳しく制限された規制も敷かれていて。歩道は、祈りの王を一目見ようとする人の群れからなる壁も出来ていた。
トゥエルヴ家のティグが近くと、規制線の縁いっぱいから多くの者が手を振り。親しみ深く名を口にしては、手を合わせて拝む民衆で辺りは一瞬、騒然となる。
そんな人だかりは、車列が過ぎても余韻を楽しむかのようで、そうそうに波は引かない。
「――随分な人出だね?」
ティグの中で興味津々と口を開いたレイリアは、アニーに訊ねていた。
「今日はお祭りか何かあるの?」
アニーは、主人がティグをスムーズかつスマートに乗降できるよう、補佐する役目も担っている。
到着するまでの間には、眩き白の布目に施されている細やかな黄金の刺繍に、解れがないかなどのチェックも行いながら。マントをしわ無きようにと整えてもいる。
「何かってそりゃあ皆、レイを一目見たいからに決まってるでしょ?」
「そうなの? そんなに珍しいかな?」
「そりゃあ、レイを生で見られる機会って限られてるもの。詰めかけたくなるってものでしょ?」
「ふぅん? そんなものかな……」
進行方向とは逆向きの、簡易補助席に腰かけている
「到着一分前です。マスター」
ティグの運転席でハンドルを握るカールも口を開いた。
「到着一分前。現行予定通り。
助手席側で無言ながらに警戒の視線を方々へ散らしているロイも、緊張の糸をぴんと張り巡らせている。
リムジン隊列の直上、高度一万フィートの上空には、ルナザヴェルダとエルヴァティックライトの活動をバックアップしている
「こちら天空。異常なし」
守護騎士たちの片耳に装着されている専用インターカムで通信を受けたカールは、既に現地入りしている先発隊にも促す。
「予想以上に人出が多い。充分留意しろよ?」
すると、巡衛艦天空の艦長にして六四の長、
「おいカール。お前らルナザヴェルダは、我らがマスターをしっかりお護りすることだけに徹しとけ。あとの周りのことは全部、俺らエルヴァティックライトにまかせときゃいいんだよ。よそ見なんかしねぇで、真っ直ぐ前だけ見て運転してろ」
「何だと?」
二人の会話に割って入ったのは、全エルヴァティックライトを統括している団長であった。
「二人とも」
通信装置を介しても、腹の底をくすぐる重低音の声色で発した
「そこまでだ」
「――ねぇ、停めて」
到着を待たずして、窓の外を見ていたレイリアが急に口走った。
「レイ?」
「お願い、停めて! 僕を降ろして!」
切羽も詰まった、切実なる言葉を受けたリムジンティグが予定外の場所で急に停まった。
先導車に続き、後続していた碎王の護衛車と白のティグとの間に距離が開いてしまい、ティグより後方の車列もたちまち渋滞を起こしてしまう。
「カール? どうした?」
何事かを問いかけ振り返った碎王の目に、白い法衣を纏った
「陛下だ!」
「黎明陛下が、ティグを降りられたぞ!?」
そんな噂は一瞬で広まり、上空にヘリを飛ばしていたメディアのカメラも、法衣姿のレイリアがティグを降りてゆく場面を捉えていた。
「これは大変、珍しいことです。黎明陛下に何かあったのでしょうか?」
主の意には基本、背かないのが守護騎士の指針であるものの。銃撃事件以降もレイリア然り、トゥエルヴ家を脅かす存在がなくなったとは言い難い。
「アニー。槇土、何やってんだ! マスターを早くお戻ししろ!」
「そうは言っても!」
「陛下。教会はまだ少し先です。ティグにお戻りを――」
目の前でトゥエルヴ公主が突如に降車した興奮の坩堝に、詰め寄る民衆も後を絶たない。
「あぁくそ、まずい!」
碎王は混沌と化す場を収めようと指示を出す。
「先行の
「了解」
黒服の守護騎士たちが動き出す間にも、人だかりは増えてゆく。
「公主様ぁあ!」
「押さないで! もっと下がって!」
付近を警備していた警察官たちも、大混雑と化した沿道を制御しきれず応援を呼ぶ無線に手を掛けた。
「増員をお願いします! 持ちません!」
騒動の発端となったレイリアは、沿道の一点をじっと見つめていた。
「レイ? ティグに戻ろ?」
左腕を引くアニーの言葉など耳に入っていないレイリアは、法衣のマントをひるがえしながら歩みを進めた。
すると、思いもよらない距離までに近付いた祈りの王に向けて、沿道の最前列にいた民衆の一列、二列が頭を垂らして膝をついた。
そうして跪く波が、波紋のように広がる中心でレイリアは。街灯の傍に設けられていた鉄製ベンチに腰掛けている老婦に近寄っていた。
周囲も、レイリアが何に気を取られていたのかを察して鎮まった。
唇に赤い紅をひく化粧も施した身綺麗な老婦は、穏やかな表情で寝入っていた。心地よさそうに首をもたげ、安らかなる面持ちで腰かけている。
レイリアは老婦の前で跪き、左手でしわの年輪も深い手を取り。反応のない彼女を見つめてそっと呟く。
「ご安心ください。息子さんは、理解してくださいましたよ?」
そう言ってレイリアは、老婦に祈りを捧げだした。
微動だにしない老婦が、ただ眠り込んでいるだけではないのだと察した槇土は、インカムで状況を説明していた。
偶然にも通りすがった街角で息を引き取った者の鎮魂を願った、主の行動を援護するのも守護騎士の使命である。
「救急車もお願いします」
手遅れであるのは承知でも。旅立ってしまった者をその場所に放って置くことも出来ない。事が済んだあとは、警察と病院に任せるしかない手筈だけを整えていたところへ――。
「母さん?」
人混みを掻き分けてきた、一人の成人男性が仰天の目を剥いて立っていた。
一度は警察官に、二度目はエルヴァティックライトたちに近づくことさえ阻まれた男を、「通してあげて?」と促したのは、祈りを終えたレイリアだった。
「息子さんの、ニール?」
黎明王の尊顔をテレビなどで拝見していても、実際に目の当りにするのは初めてであったニールは、起きている状況が何ひとつ掴めていない。
「あ、の……陛下?」
「こちらへ」
レイリアは、ニールへ近くに来るよう誘った。
訳も分からず、促されるがままにベンチへと近づいたニールは。母親が亡くなったことを知った。
「そんなっ!」
がっくりと膝を折り、ベンチの前で項垂れる。
「病を押して、無理に来るから……」
嗚咽を始めたニールの背に、レイリアは優しく告げた。
「そうではありませんよ? お母さまは、あなたとここへ来ることが、最期の望みであったのですから」
ニールは涙で濡れた眼をレイリアに向けた。
「……ここへ?」
「えぇ」
レイリアは控えめな笑顔で答えた。
「一人息子のあなたと、初めて散歩をした、思い出の通りではないのですか?」
ニールの脳裏に、去りし日々の情景が浮かんだ。
そうだ――。ここは幼い頃、母親に連れられてよく買い物もした思い出の通りだ。
虹色のアイスとジュースを強請って買って貰ったのも。初めておもちゃを買って貰ったのも、この通り添いの商店だった。
「社会人となって、独り立ちをして。仕事のせいで疎遠になっても。お母さまはあなたのことを、一瞬たりとも忘れたことなどありませんでした」
レイリアは静かに語り、唇を噛むニールに述べる。
「進行性の病が治らないことを、お母さまはご存じだったのです。だから最期に、あなたとここへ来たかった――」
末期治療を放棄して、ここへ来たいと願った母を何度も叱りつけてベッドへ縫い止めていた。
「今朝も、それで喧嘩したんです。歩くのもおぼつかないのに。どうしても外出したいって、聞かなくて……」
お気に入りのワンピースを着て、ハットも被り。メイクまでしてめかし込んだ訳を、深く考えなかったニールに後悔が押し寄せていた。
「ただの、我儘だと思ってました……」
「お母さまは、あなたを息子に持てて幸せだったと――」
ニールの落涙は、大粒の滴となって路面を濡らした。
予想外の混雑に合い、疲れたから少し休みたいと言った母をベンチに残し。ニールは妻と息子を連れて、思い出のアイスとジュースを買いに行っていた。
「傍に、いるべき、でした……」
しゃくり上げながら眠る母の手を取ったニールの背中越しで、レイリアは彼の息子と妻の存在にも気づいた。
「いいえ。今日であったのも何かの縁――」
妻子にも、近くへ来るよう手招きで合図を送った。
傍に寄った小さな息子は、祖母の身に起きたことが理解できていない。
「おばあちゃま、寝てるの?」
言葉を詰まらせた妻に代わり、レイリアは「こっちにおいで」と手招きで誘う。
「そう。うんと遠くへ行ったんだよ?」
子供は不思議そうに祖母とレイリアを交互に見やった。
「寝てるのに?」
レイリアはゆったり笑みを携えた。
「そう。眠ったの。もう起きない」
「ふーん?」
幼児にはまだ、死の意味するところも計り知れない。
レイリアは幼子とニール、そして妻三人の手を取り、老婦の手に重ねた。
「肉体は消えても。魂は、思いを寄せる人がいる限り、生き続けます」
自らの手も手に添えて、言葉を紡ぐ。
「彼女は一足先に、黄金の原へと旅立ちました。そこで、あなた方がこの先、何十年と生き抜いて作った思い出話を、聞かせてくれることを願っています」
辛かった事も、楽しかったことも。嬉しき子供の成長や失敗に、喧嘩をしたことも様々に。感情のある者が生きている限り、大なり小なりに話は積もる。
「お母さまは楽しみに待っています。あなた方が、沢山の思い出話を持って、会いに来てくれることを」
だから、そんなに悲しまないで――。そうと願っているのは、優しかった祖母のものでもあるのだろう。
「その涙が止まったら、次は。笑顔で送り出してあげてください」
ニールは顔を上げて無理矢理、口元を綻ばせた。
「それが……。母の願い、なんですね?」
レイリアは力強く頷いた。
「えぇ。お母さまは、あなたの笑顔が大好きなのですから」
小さな息子も「僕もお話、好き!」と言って飛び跳ねるものを、涙で頬を濡らした妻が受け止めていた。
その時、槇土が手配した救急車が付近に到着していた。
「陛下、そろそろ――」
アニーに促されたレイリアは立ち上がり、ニールたちも恐縮しながら遅れて姿勢を正す。
「悔やむことも、心配することもありません。大丈夫――」レイリアは再び頷く。「沢山の思い出話ができますよ」
何度も涙を拭ったニールはぎこちなく礼を施し、妻も息子の手を引いたままで頭を下げた。
「ありがとうございました。陛下……」
「あいがとうございます。陛下」
「ばいばい!」
小さな手を振られ、微笑みながら手を振り返したレイリアと。非礼に動揺した親が慌てる様子までを、民衆もメディアも温かく見守っていた。
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