第27話 回路
サブレを口にする前に、見た目のきつね色と薫った香ばしさも楽しんだレイリアは、早速ひと口目を頬張った。
「んー」
なかなかの分厚さで、濃厚であったバターのサクサク感にも満足する。
「美味しい!」
二口目でサブレをぺろりと平らげてしまったレイリアは、アニーが手にしている小箱を覗き込んだ。
「こっちのサブレは緑色してる?」
小箱の中でずらりと並んでいる葉の形をしたサブレは、他にも紅色や朱色のものもある。
「えっとね、プレーンに抹茶にアーモンド、レモンにブルーベリーだって」
アニーは、小箱の中に同封されていたしおりを手に取り、グラデーション順に並ぶサブレの目録に目を通していた。
「ふーん? 色々な味があるんだね?」
「霊峰を抱く山深き森の、四季を現してるんだって」
「なるほど。葉の形は森の木々なんだね? なかなか良いお菓子じゃない」
納得したレイリアは黄色味の強いサブレの一枚に手を伸ばし、アニーの口元へ持っていった。
「はい、あーん?」
アニーが素直に応じ、「レモンの味、した?」と問うレイリアに「確かに」と答えていると。二人の様子をじっと眺めていた
するとアニーは「何だと!? 後から来た分際で生意気な!」と突っかかり。すかさずレイリアが気を利かせて話題を逸らした。
「ほら、アニー。僕にプレーンの、もう一つちょうだい? ドクターも槇土も、折角だからいただこうよ?」
「はい、マスター。お言葉に甘えて、頂戴します」
「あ。運転席のカールとロイの分も、取っとかないとね?」
「お気遣いなく。彼らの分は、また別にございますので」
そんなやり取りが交わされ、小川を越える橋を渡り。芝の丘を下っては森林の中をしばし走行して十分余り。ティグの車列は、トゥエルヴ領地とエルファージアを繋ぐ第一関門にさしかかっていた。
エルヴァティックライトが居を構える御殿も併設された正門へと到達すると、レイリアは停車を要求していた。
「停めて?」
ティグが滑らかに減速すると、正門の主たるエルヴァティックライトの副長が歩み寄って来る。
槇土によって開けられた窓から顔を出したレイリアは、正門を出入りする際には決まって出迎え、見送る律儀な男に声を掛けた。
「
わざわざ挨拶などしなくても良いとの、度々の申し入れを受けても。レイリアにとっては、彼らも同じ敷地内で住み暮らす家族の一員。素通りなど出来やしない。
「いつもありがとうね」
「恐縮です。マスター」
こうして自らが踏み込まない限り。レイリアは彼らエルヴァティックライトと顔を合わせ、言葉を交わす機会そのものが少ない。
「そうだ。伊吹くんは?」
レイリアが窓越しより、その姿を探そうと辺りを見渡すのを宗助は遮った。
「申し訳ございません。彼は、外周に出ておりまして」
「そう……。サブレありがとう。美味しかったって、伝えてくれる?」
碎王が右腕として最も信頼を置く守護騎士は、厳しき面の中にもたおやかな優しさを含めて頷いた。
「はいマスター。伝えます」
「じゃあ、行ってくるよ」
「御気を付けて」
「あとをお願いね?」
「万事おまかせください」
たったのそれだけであっても、レイリアは顔を付き合わせ、言葉で伝えたかった。
「みんなも、あとをよろしくね?」
副団長以外にも、各自所定の位置があるのか。要所要所に立ち控えている守護騎士たちにも窓辺から目を配った。
然らば、彼らは一糸乱れぬ頭を下げて、美しくも礼を施した。
「行ってらっしゃいませ」
一旦は立ち止まったティグの車列が、大きく開かれた正門扉をくぐり出る。
そこから五分程度でようやく、エルファージア公道にティグが滑り出た。
その間、アニーの機嫌は斜めのままでいた。
槇土に餌付けと言われたことが、よほど頭にきていたようだ。
レイリアがやんわりと訊ねる。
「アニーはどうして、槇土と仲良くしないの?」
むすくれながら、アニーは言った。
「いつだって、突っかかってくるのは槇土のほうじゃんか?」
アニーとは対角線上の席で座っている槇土は澄まし顔で、絶えることのない余裕の笑みと。絶対の自信がありありと満ちる涼しげな表情も変えずにただ、「恐れ入ります」と述べては流し、アニーは続けた。
「騎士としては信頼してるけど。あの飄々とした態度とかが気に入らないし、人として合わないだけ。第一、なんか信用できないんだよね? 胡散臭いって言うか。いっつも何か企んでるみたいでさ?」
「そんなこと言わないで? 僕の家族なんだから?」
幾重にも重なる法衣の裾を気にかけて整えていたアニーは、ぶっきら棒に告げた。
「まっ。僕だってもう大人だから? 相手にしなきゃいいだけの話だけど?」
それを聞いて、「ふふふっ」と微笑んだレイリアは、「アニーは良い子だね」と言いながら、動く左手でアニーの頭を撫でてやった。
すると、従者の機嫌がたちまち直った――、その途端に。
「犬並み」
槇土が含み笑いで呟くものを、アニーは聞き逃さなかった。
「なんだと!?」
「ほらもう――。喧嘩しないの」
二人とも、とはレイリアは言わなかった。
槇土が意地悪をしているわけではなく、正直に。思ったことを言葉にしているのも。相手を見極めているからに過ぎない。
つまりは。手元で透明のタブレットを操作しながら、耳では周囲の状況も集約しながら。ついのってしまうアニー相手に遊んでいるだけであることを、レイリアもドクター・ティムも理解していた。
槇土はトゥエルヴ家の公式報道官として、様々な壁や困難が生じる渉外担当役もこなしている。
あの頑ななレイエスが、槇土の自信過剰な面を引いても一目を置く存在としていることを思えば。率直なアニーより一枚も二枚も上手であろう。
「アニーは僕の、大丈夫以外は信じてるんでしょ?」
「それは、そうだけど……」
「だったら――」
レイリアはアニーに、「もっと、僕の家族を信じて欲しい」と願う親愛なるキスを贈っていた。
「……」
突然のことを受けて、アニーはくりくりとした目を丸々と大きく見開く。
「……なっ、……なななななっ!」
赤くも青くも変わった表情は「何をするの!」と言いたげなのに。どもった声は言葉になっていない。
そこで槇土が口を挟んだ。
「何ですか? 額に親愛のキスくらいで。流石は童貞。うぶですね」
「だだだっ、だって! チューとか!」
親友でもありえないと思ったアニーは酷く動揺していて、ただただ狼狽していた。
ドクター・ティムも。アニーの反応があまりに露骨なものであったので、面白可笑しな肩を無言で震わせている。
「おまじない、みたいなつもりだったけど……。駄目だった?」
レイリアは単に、軽い挨拶のつもりだった。
「……だだだ、駄目じゃないけどっ!」
「微笑ましいですね」
「まぁーきぃーとぉおおおお!」
ついには。アニーが席を立って槇土に掴みかかろうとしたので、ドクターが必死に間へ入った。
「こら、アニー! 暴れてマスターの肩に負担でもかかったらどうするんだい!」
槇土は、運転席側より「まもなく到着」なる呼び声に、裏打ちの了解指ノックで応じながら。「アニー。暴れるとマスターの清純な法衣が汚れますよ」と真顔で告げれば。アニーは法衣に顔を埋めて叫んでいた。
「レイのばかーっ!」
「今の発言だけをレイエス様が聞かれては即、憤慨なさるのでは?」
「槇土。そのくらいにしてあげて? ほら――アニー。ごめんね? ごめんってば。機嫌直して? お願い?」
盛大に照れた顔を法衣の中から渋々上げた、ふくれっ面を見たレイリアは心からの笑顔を浮かべた。
こうして、何気ないことで笑い、接するものが。日常になりつつあるのが堪らなく、嬉しくて仕方がなかった。
――僕に残された時間は、そう多くもないから。
この世界と時代に生を受け、それぞれに組み込まれた
それはきっと、沢山の物事を照らし浮かび上がらせるに必要な
だから今を大切に。精一杯に生きようと決めたからには。
いっぱい笑おう。涙も流そう。
そして生ある限りで伝えることこそが、僕の役目なのだから――。
今日という日を終えての明日もまた。
おはようと、ありがとうを伝えたい、愛すべき者たちのために。
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