第25話 天運


 のんびり過ぎる朝を満喫していた寝室内へ現れた第二執事の槇土まきとが、一礼したのちにレイエスを目視だけで呼び、秘密裏なやり取りをしているのをレイリアは見逃さなかった。

「なぁに? 僕に内緒話なの?」

 レイエスの影で透明のタブレットを操作していた槇土は、再び一礼を施してから主人の前へと進み出た。

「恐れ入ります、マスター。グレイディアの大司教が身罷られました」

 その一言により、平穏な時も終わりを告げる。

 穏やかだった顔色を無念の色に変えたレイリアは、これよりトゥエルヴ家の公主にして、黎明王として発たねばならない。

「そう……。一時は持ち直したって話だったけど。また随分と急だったね? 依頼が来てるの?」

「はい。大葬の前に、是非ともマスターにお別れの儀を、との所望ですが――如何なさいますか?」

 述べ終えた槇土の視線は、家長のレイエスに向けられていた。


 銃撃事件以降、トゥエルヴ家が行う公務に対する出席の有無や、それらの活動許可を判断する決定権の全てが、家長レイエスに委ねられている。

 レイエスは、程良いマッサージと爪切りを施されているレイリアを見据えた。

「ご体調のほどは?」

「問題ないよ。話を聞くだけなんだから」

 ゆうに五秒を数える沈黙を挟んだレイエスは、レイリアの意向に沿うことを決めた。

「かしこまりました。マイロード。では、これより法省と手筈を整えます」

 一旦、領墓の主が公務で動くとなれば、数百人の守護騎士たちが一斉に動き出し。時には数千規模の動員となる警官を含む警備態勢が敷かれ。メディアと世間は、黎明王の一挙一動を注目の的とするトップニュースにもなり得る事態へと発展するものに、手違いの一つもあってはならない。


 喜びの儀式や、めでたき祭り事は大抵、年単位で日程が取り決められているのに対して。悲しみの行事は突発的であり実に流動的であるので、即座の対応が求められる。

 身を翻したレイエスは、寝室の外で控えていた碎王さいおうに告げた。

「ティグの用意を。公務にてグレイディアへ赴きます。出発予定時刻は十一時、滞在時間はおおよそ二十分として。帰城は正午といったところでしょうか。細かい調整はのちほど」

 レイエスの頭の中では既に、外出へ向けての公路とスケジュールが組み立てられていた。それらを確実に実行し、当主が無事に帰還するまでは家族にとって気の休まる時はない。

「承知しました」


 短く返答をして踵を返した碎王は、己の巨漢で影にすら隠れてしまっている細身の男子に口を向けた。

幸人ゆきと一八いっぱで前後を固めろ」

 無言で顎を引いては足早に去り行く愛弟子の背を見送った次なる言葉は、左耳に装着しているインターカムで繋がる相棒に向けてであった。

宗助そうすけ二八にはち三八さんぱちで出る。残りは留守番だからと言って、気い抜かせるんじゃねぇぞ?」

 多くを語らずとも、エルヴァティックライトの副団長は、碎王が団長に就任する以前からの戦友にして同郷の同窓でもあり。何事も心得ていて、騎士団をまとめる副参謀長としても申し分のない男であると、仲間内からの信頼も厚い声だけがインカムを通じて返ってくる。

『――わーってるよ碎王。六四ろくよんも既に動きだした。それより、また公安が公路で苦情立ててきたらどうするよ?』

 碎王は器用にも、口の端をにやりと歪めて笑った。

「警備警戒の主導権は今や俺たちにある。それでもとやかく言うんなら、宮内省経由で法相に直接文句を言うだけだ」

 レイリアが右肩を負傷し、死の淵を彷徨った事案に関しては幾つかの不運や偶然も重なった。

 しかしながら、元を正せばの要因は。守護警備の主導権が、本来持つべき者たちの手より一時的に取り上げられてしまったからに相違ない。


 二度と同じ過ちは繰り返さないとする思いは、レイリアを慕う者たちにとって共通のもの。

 護るべきものを守れずにして何が守護騎士団か――。碎王は雄々しき面立ちにより一層の厳しさを乗せ、気を引き締めながら歩み出していた。


 様々なものが動き出す気配を察していたレイリアは、公務用の法衣へ着替える前に、窓辺へと寄っていた。

 ガラスを介して見えた空は青く澄んでいて、眩しすぎる陽が城を囲う緑の木々にも燦々と降り注いでいる。

 そこでふと、一本の樹の枝にとまった鳥に目が留まった。

 羽休めだろうか、小さき鳥は。ほんの僅かな時を経て、再び空へと舞い上がって行った。

 思うがままに宙を羽ばたく鳥を、レイリアは羨ましく眺めた。――そうだ。きみは自由に飛んでお行き。


 自分の翼は折れたのではない。これが、天運だったのだと受け入れよう――。

 ふっと息を吐いて伏した目の視界を開くと。その窓辺より、今度は内周の巡回中であろう、芝を歩む守護騎士の一人に目を奪われた。

 ――あれは何だろう?

 それが騎士の魂であることは知っているけれど。くるくると器用に回している、その行動とは――。

「アニー」

 ウィルと共に法衣の支度をしている従者をレイリアは呼びつけた。

「彼って?」

 アニーも窓辺から、敷地を歩む騎士を見とめた。

「エルヴァティックライトが、どうかした?」

「ん、ちょっとね。彼を――、呼んでもらってもいい?」

「え。今?」

「うん」

「……わかった」

 アニーは困惑しながらも、彼を呼ぶ手筈も整えるのだった。


 世界広しと言えども大抵の場合、喪に伏す葬儀の折は黒の衣装と決まっているものも。トゥエルヴ公主の場合は白一択となっている。

 亡き人が心残りの拠り所を求めるのに見つけやすいよう、暗闇の中でも灯台となれるように、との思いと意味も込められていて。祈りの王が表へ出る際には、如何なる時も法衣は白であると定められてきた。


 白の下着を身に付け、裾が長くフレアもたっぷりと入れられた独特な白きシャツを着こみ。その上に幾重にも折重ねられた立ち襟も特徴的なローブマントを肩に掛ければ、現トゥエルヴ当主の黎明王が出来上がる。

「やっぱり重いよ」

 レイリアは、物理的な生地の重さをさして告げたのではなかった。

 代々受け継がれしものや、万人の想い。そこに期待される精神的重圧もなくはない。それが定めと言うなれど、ずっしりと圧し掛かり、息さえ詰まりそうな重荷は、細身の肩にはやや重すぎた。

「今しばらくは」

 これでもウィルが、肩に大傷を負ったレイリア用にと、ローブの裾丈を若干短くしたり。厚みのある生地の裏地を、より軽いものへと特注するなどして幾分。先代までが纏っていた総重量に比べて遥かに軽くはなっている。

 そうして、従者たちが法衣の折目を正しく整え、眩き飾りなども付け終えてから。レイリアは城の玄関へと歩んで行った。


 城の正面に通じる大階段にさしかかると、二重扉の大きな玄関門はすでに開かれていた。

 内と外で出発の準備を整えたルナザヴェルダと、エルヴァティックライトの面々も出揃っている中に。

「あぁ、彼だ」

 レイリアは先に指名した騎士の姿を捉えた。

 長いローブのフレアを棚引かせながら階段下へと降り立つと、エルヴァティックライトの長である碎王が、「何か失礼でも?」と寄り添っても来る。

「ううん? そうじゃないよ」

 レイリアは、深々と頭を下げた守護騎士が名乗る前に告げていた。

「ユリウス? 良い名前だね。カールと同じで北欧出身なんだ?」


 エルヴァティックライトは総勢で二百八十八名もの人員で構成されている。

 レイリアとて、その全員の顔と名前を覚えているわけではないのに何故か、接した人の名が、直感に似た波のようなもので伝わってきてしまう。

「恐れいります、マスター」

 声を聞くのも初めての。ユリウスのつるぎにレイリアは視線を向けた。

「その剣も、叔父様から貰ったんだね?」

「はいマスター。守護騎士になった折に、譲られたものでございます」

「それをね? さっき、くるくる回してたでしょう?」

「は?」

 真面目に受け答えしていた守護騎士の頭上に、明らかな疑問符が浮かんでいた。

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