日の始まりに

第24話 譲歩


 自然に目が覚めたベッドの中でレイリアは、まどろむ眠気と温もりを楽しみ。十五分ほど経ってからようやく、起きる決心を固め。左腕だけで体を起こすことに成功していた。

 右腕以外の躯体を伸ばしていると、ウィルが寝台に近づいてくる。

「お目覚めでございますか? マスター」

「おはよう、ウィル」

 いつもの燕尾服を正しく着こなした片腕には、真っ白なナプキンが掛けられていて。もう一方の手には、銀の盆上にティーカップなどを乗せていた。

「ご気分は如何でしょうか?」

 レイリアはゆったりとした笑みを綻ばせながら返答した。

「ありがとう。上々だよ」

 ウィルは、手際もよくベッドサイドのテーブルを己の領域に変えてしまう。

「お目覚めのミルクティーでございます」

「うん。お願い」


 第一執事より遅れること数秒で登場したアニーも、毎朝の日課である起床後の体温や脈拍測定に入ろうとしていた。

「アニー。爪切り取って?」

 レイリアがそう言うので、アニーはサイドテーブル側にいるウィルに合図を送り。テーブルの引き出しより取り出した爪切りをアニーが受け取る。

「どこ切るの?」

 レイリアはおどけた。

「よして? 爪くらい自分で切れるよ?」

 左手で爪切りを渡して欲しいと要求しているレイリアに、アニーは半眼を灯しながら告げた。

「利き腕の右手が使えないのに、どうやって爪を切るのさ? そもそもレイは、刃物を手にしちゃいけないんだからね?」

 レイリアは眉をひそめた。

「刃物って……、まさか。この爪切りが?」

「そうだよ。立派に刃がついてるでしょ?」

 敬語の使用を願って禁じた傍付き従者は、爪切りの刃を指で示めした。


 レイリアは、爪切りをまじまじと見入ってから呆れた。

「こんな小さなもので? アニー、よしてよ冗談は」

「大きさは関係ないの。レイはね、誤って怪我でもしちゃいけないから、刃物類は一切持っちゃ駄目だって決まってるんだから!」

「誰が決めたの、そんなこと……」

 呆れ果てたレイリアの問いに答えたのは、七つほど歳上の兄であった。

「わたくしです」

 トゥエルヴ家の政と家事の一切を束ねる家長となったレイエスは、祈りの王の健康管理も含む、身辺警護の法を事細かく改定、改正していた。


 レイリアが母親似のおっとりな傾向であるのに対して、「それが何か?」なる文言を発せずとも、威圧感をごく自然に遺憾なく発揮しているレイエスは父に性格もよく似た。

 曲がった事を嫌う完璧主義者で、洒落や融通の効かない堅き者であるのは世間でも有名である。

 しかしながら温情に厚く、隅々まで気を利かせる万能な点も確かなもので。王であり当主である弟に対して、やや過保護になってしまうのは大切に思うからこその。感情表現が不器用なりの、兄からの愛情、思慕、思いやりでもある。


「余計なことして。家長の座、譲渡するんじゃなかった」

 ころころと表情を変えて愚痴をこぼすレイリアに相反して、喜怒哀楽の変化が乏しい能面は鋭き眼を携えながら言った。

「気に入らないのであらば、いつでも返上いたします。陛下」

 あえて協調した敬称で呼んだのは、別段忌み嫌った訳ではない。


 歳離れた弟であっても、レイリアは紛うことなくはトゥエルヴ家の当主であり、エルファージアの領主である。

 それを護りたい一心で、レイエスたちが日々、尽力していることをレイリアとて充分に知っている。

「いらないよ。一度あげたものを返せだなんて。もとより、返上したいって言っても。受けつけてあげないんだから」

 レイリアはそう告げながら、肩をマッサージしようかと申し出るアニーの懐にどっかりと背を預けた。

「自分の爪も自分で切れないなんて」

 差し出された寝起き用の茶は、いつもミントをアクセントにしたミルクティーだと決まっているものを。生まれた時からの付き合いである執事より受け取る。

「みっともないって思われない? ウィル」

「思いません。むしろ、それでよろしいのでございます。爪切りなど、わたくしめどもにおまかせくださいませ」


 それこそレイリアのおむつも替えてきたウィルは、トゥエルヴの名を持つことが許された至高の執事。

「そうやって、みんなで僕を甘やかす」

 一度甘えてしまうと、一人で成し遂げる努力を怠り、元に戻れなくなるのが頭では解っていても。現実問題、出来ないものは仕方がない。

 背後より、アニーがマッサージの手は止めずに口を挟んだ。

「言うほど甘えてないくせに?」

「そう? 随分とみんなの手を借りてるように思うけど?」

 レイリアが身の回りの一切や衣、食、住に不自由しないのは変わりないのに。銃弾を受けてからの生活と価値観は一変していた。


 あの一件以降、変わったアニーも告げる。

「何でもかんでも、前みたいに全部、自分でやろうとしないでよ?」

「はいはい」

「はいは一回」

 これではどちらが従者なのか分からない、何でもないやり取りが。レイリアにとっては殊更、嬉しく思えてならなかった。

「それで? 爪はどこを切りたいの?」

「足……と、手もお願いしようかな?」


 レイリアが一人意固地に強がり、父への反抗と題した持論を掲げたことにより、孤立した時代は決して短くはなかった。

 それでも見捨てず、後遺症に悩む肩や腕の可動領域を広げるリハビリ過程のマッサージを優しく施してくれる者もいる。

「アニー。解すの、凄く巧くなったね?」

「本当? そう言ってくれるのは嬉しいけど。こんなことなら、修行中にもっと真面目に整体の勉強、しとくんだったよ」

 アニーは、レイリアのために術後のリハビリストレッチを猛勉強していた。時間の許す限りでドクターから直接の指南も受け、筋肉や骨格形成、血流などの基礎医療知識を、短期間に収得するほどの熱の入れようだった。

「充分だよ。凄く、気持ちいいよ。ミルクティーも最高に美味しいしね」

 好みの温度と味で茶を入れてくれる執事や、警護職に明け暮れる守護騎士たちが傍に寄り添ってくれていることに、どれほどの感謝を寄せても足りない。


「ありがとう」

 レイリアが呟くと、従者たちは一応に頭を下げた。

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