第23話 黙礼


 遅めの朝食兼、昼食を軽く取ったレイリアは、城に隣接する黙礼堂に赴いていた。

 エルファージアに葬られ、奉られている全ての万物を隔たりなく偲ぶために、教会風な聖堂建屋の内外には宗教的シンボルはひとつも施されていない。

 ただシンプルに黙し、ひたすら祈る空間がひっそりと開けているのが黙礼堂の特徴でもある。


「ねぇ。こんな時にも祈らなきゃ駄目なの?」

 黙礼堂の唯一の出入り口で、アニーは念を押すかにしてレイリアへ訊ねていた。

「駄目って訳じゃないけど。これが僕に出来る、唯一のことだからね?」

「分かってるけど――」

 アニーが口ごもると、レイリアは。お世辞にも顔色が良いとは言えない頬を綻ばせた。

「大丈夫――って、ごめん。つい口癖が出ちゃったよ」

 心配でならないアニーの手を、レイリアは深き傷を負った右肩の手でゆっくり取った。

 そうした細かな動作全てに、負担と痛みが伴っているにも関わらず。

「僕も学んだんだよ。一人じゃないって」

 だからこの腕は、傷を負ってもなお動くんだ――と告げてから。レイリアは優しき視線をウィルにも向けて微笑んだ。

「ウィルも。そんなに心配しないで?」


 元来、黙礼堂へ入室できるのは、代々トゥエルヴ家の当主のみとされている。

 万が一に、レイリアが祈りの最中に倒れでもすれば。入室の許可なき者は、駆けつけることが適わない。

「先人たちは意地悪しないし。もしも倒れそうになったら、ちゃんと呼ぶから」

 信じて欲しい――なる眼差しは。後方に控えていたレイエスにも向けられていた。

「すぐ済むから」と述べられた後で、名残惜しそうにレイリアの手を離したアニーも同じく。黙礼堂の中へ一人歩んで行った主の背を案じながら見送った。


 大の大人が二十人と入れば満員御礼になる小さな三角建屋は、中央に黙礼台をぽつんと一つ置く他に、腰かけられる木製ベンチが並ぶ以外、何もない堂造り。

 電気もなく、夜になれば蝋燭などで火を灯さない限り人工的な明かりはなく。昔は、高い天窓から覗く月明かりだけが頼りであったシンメトリー様式は、現代においても貴重な建屋となっている。

 よって昼間は、日差しさえあれば多少に陰っていても、陽明りだけでも木造木目が確認できる。


「――まだ療養中なのに。どうしても祈らなきゃならないものなの?」

 アニーは黙礼堂の入口扉に背を預け、黙礼台の前で膝を折り、祈り始めたレイリアの後ろ姿をじっと見つめながら。隣に並んだレイエスに問いかけていた。

 その態度と物言いも、目上の者に対しての礼儀も全く以て正しくない。

 しかしながらレイリアが望んでいる事に対して、レイエスも目を瞑っている。

「これだけは、わたくしとて触れられぬもの。あの子が成しようものを、止める術はございません」

「ふぅーん」とは鼻で応じたアニーは、ここぞとばかりに普段、胸の内に収めている意見を明かした。

「前からずっと不思議に思ってたんだけど。祈りって、具体的にどんなことしてるの?」

 それは誰しもが思うところでもあった。


 黙礼堂の中で、鎮魂を捧げているレイリアの表情を間近で窺える機会はない。

 時折、代々受け継がれし祝詞をぼそぼそと、ささめく声で口にはするものの。常人には何を呟いているのか、聞き取れない文言だった。

「さぁ。わたくしにはさっぱり――」レイエスは鋭き眼をアニーに向けた。「何しろ、ここへ連れられ。中に入ったのは一度きりですので」と告げた。


 レイエスが幼き頃。それこそ物心がつくか、つかないかの幼少の時期に。今は亡き先代の父に手を引かれ、この黙礼堂へとやって来たことがあった。

「祈ってみろと言われ、見よう見まねで目を閉じ、耳も澄ませましたが。わたくしには何も見えず、何も聞こえませんでした」

「それってやっぱり。亡くなった人の声が聞こえたり、具体的に姿が見えたりするってこと?」

「そうと言う訳でもないようです。それこそ、わたくしには祈りの力が、全く備わっていなかったのですから」

 一呼吸を置いてレイエスは続け、アニーは主を見やる。

「初代より受け継がれし鎮魂の祝詞も、先代より言葉をもってして受け継ぐものではなく。全ては継ぐべき者が、継ぎし者より黙する中で。己の形にしながら受け継ぐもののようですから――」

 レイエスも祈りを捧げているレイリアを眺めた。

「それがどのような形で亡き方に語りかけ、言葉なき声を紡ぐのか。わたくしとて、今でも不可思議でなりません」


 先代は、レイエスに祈りの力がないと知るや否や、黙礼堂に立ち入ることも禁じた。

「今でもはっきりと覚えています。あの時の父の、失望にも似た悲しそうな。それでいて決別を誓った目の色を――」

 レイエスは鋭き眼をふつと緩めた。

「あの時。わたくしも悟りました。わたくしは、父に。この家にとって、必要とされていないのだと」

 まだ五歳にも満たない我が子に対して、先代は厳しい仕打ちを施した。

 幸いにも、レイエスには騎士としての比類なき才能が備わっていたので今に至る。

 レイリアは、レイエスが騎士となって戻ったことを頼もしく、嬉しく思ったけれど。その父が、立派な守護騎士となった長男の姿をその目にする機会は永遠に来なかった。


 レイエスたちが黙礼堂の出入口で言葉を交わしていると、中にいるレイリアから声が掛けられた。

「レイエス。ウィル、アニー?」

 それぞれが一礼を施してから黙礼堂の中へ歩むと、レイリアは木製のベンチに腰かけるよう奨めた。

「ちょっと、随分早くない?」

 アニーが驚くのは当然だった。

 日頃は最低でも三十分から一時間、長い時は半日以上も祈り続けるものを。今日に限ってはものの十分も経っていない。

「なぁに? みんなが心配してるから。先人たちも遠慮してくれたんじゃない」

「何それ! そんな融通も利くの?」

 アニーとウィルの手を借りて、ベンチへ腰掛けたレイリアが微笑む。

「まぁね。長らく生き得たものには、話題や想い出が沢山ある分、話も長くなるのは当然のことだし。故人が多いほど、耳を傾ければ貸すほどに祈りの時間も長くはなるけど。別段、形式とか時間制限があるわけでもないしね?」

「なんだ! 短くできるんじゃんか!」

「それより――」

 レイリアは着席を薦めながらも、ベンチに腰かけなかったレイエスを見上げた。

「なに話てたの? 二人が親しげに話してるの、珍しくない?」


 確かにそうかも知れないと言う視線を二人は交わした。

 そして寡黙なレイエスは堅く口を閉じたままで、その分。お喋りなアニーが切り出した。

「レイが。どんな祈りをしてるのかって話」

「どんなって言うと?」

「あー……ほら。祈りを捧げる相手の姿が見えるのか、とか。故人からの言葉は、どんな風に聞こえるのか――って」

「ははは!」

 レイリアは、さも愉快そうに声を上げて笑った。


 兄のレイエスが滅多なことでは喜怒哀楽を顔に出さない性分に反して、レイリアは日頃からおっとりとした性格にも比例して、穏やかにしてにこやかな表情も豊かである。

「姿が見えるだなんて、そんな。幽霊じゃあるまいし! むしろそんな風に現れたら僕が驚くよ。不気味だし、いちいち怖いじゃない。脅かさないで?」

「えぇ? じゃあどんな風に見えるのさ?」

 レイリアは黙礼堂の天井を仰ぎ見た。木目格子がとても風靡な、歴史を感じる三角屋根だ。

「んー。そうだなぁ……。言葉にするのは難しいけど。見えるというか、感じるというか――。言葉もね。別に、はっきりと言葉として明確に聞こえるわけじゃないんだけれど。なんとなく、伝えたいことが解かるんだよね?」

「名前はどうなの?」

 レイリアはアニーに視線を移した。

「名前?」

「そう、名前。レイってば、初めて会った人でも名前、言い当てちゃうでしょ?」

 レイリアが持つ、神秘的な特技の一つだった。


「ほら。僕の時だって名乗る前に、名前の由来まで知ってたじゃない?」

「あぁ――でも、だって。アニーはアニーでしょ?」

 首を傾げたレイリアに合わせて、アニーも傾げる。時に主人は、その時が来るまで意味不明な言動を起こすことが度々ある。

「ん……いや、だから。どうして、それがわかるのって話で……」

「どうしてと言われてもねぇ――」

 レイリアは弱り顔を呈した。

「アニーはアニーだから。アニーだとしか言いようがないじゃない?」

「……」

 これはもはや、堂々巡りになりそうだと察したレイエスが先手を打った。

「マスター。そろそろお戻りに――」


「えぇ? 折角外に出たのに。もう少しいいじゃない?」

 レイエスは表情をひとつも変えずに述べた。

「つきましては、このまま。迎賓館へお送りいたします」

「えぇ? どうして?」

 ここまで一言も口を挟まなかったウィルが発した。

「レストルームの修理に、いち二日ほどお時間をいただきたく」

「えー?」

 血の気の乏しい白き頬を、ぷうと膨らませたレイリアは言った。

「寝室が駄目なら下に居るよ。それに、僕が壊したんだから。僕も修理、手伝うよ?」

 アニーは「何を言い出すのか」とした、じと目で主を射抜く。

「手伝うって、そんなの出来るわけないじゃん!」

「出来るよ、僕だって――」

「出来ないよ。レイってば怪我人だよ? 療養中だよ? さっき立ちくらみでぶっ倒れたばっかだよ?」

「あれは僕が不注意だっただけで……」

「駄目だめ。絶ー対っ駄目! 第一、そんなことやらせられっこないし?」

「出来るよ僕だって。みんなのお手伝いしたいし?」


 レイリアは好奇心旺盛な御仁でもあった。初めてのことや、初めて目にする物へ大変興味を抱く、少年心は失くしていない。

「手伝うって……」

 呆れ果てたアニーは、最後の砦ならぬ助け舟を寡黙な家長に求めた。

「マスター。家の事などは万事、我らにおまかせいただければ宜しいのでございます」

「僕だって当主だよ? 家長の座こそ譲ったけど。家のことくらい少しは――」

 レイエスは、当主の発言が終わらないうちに言葉を被せた。

「マスターは祈りしことが本命。それ以外のことはどうぞ、我らにおまかせください。マイロード」

 それこそ、信頼してはくださいませんか――。との文言は折り込まなくとも、レイリアには伝わったことだろう。

 しばしの沈黙が訪れた。


 黙礼堂の外は、梅雨明け間近となった熱い日射で気温もぐんぐんと上昇している。

 堂の中こそは穏やかな鎮魂に包まれていて。黙礼堂の傍らでは、主人のためにと用意された移動用のリムジンティグや守護騎士たちが、出番はまだかと待機している。


「ん……」

 レイリアは右肩に走った痛みで顔を歪め。アニーが心配そうにレイリアに寄り添う。

「ほら――、頑張らないって約束もしたでしょ?」

「……約束はできないけど、僕もようやく。こんなになって初めて、やっと学んだんだ」

 痛みが引くのを待ったレイリアは、一度大きく深呼吸をついた。

「右腕を失くさずに済んだのは、沢山の人たちのお蔭であって――」少し寂し気に微笑んだ。「なに不自由しない生活を送れているのも、感謝してる。今まで、どれだけ我儘でいたのかも……」

 そう述べてから、長い息を再びついて続けた。

「だから、これは戒めなんだ」

 眺めた先は、不自由を患った右肩である。

「独りよがりだった償いであって。罰でもあって」

 アニーは口を挟んだ。罰だなんて――。

「そんなこと!」

「いいんだよ、アニー。よく言うでしょ? 事は必然だって」

 レイリアはきっぱりと言った。

「僕は神様じゃない」


 それを冒頭にした吐露は、多くのが者そうだと信じてやまない誤解や、思い違いを招いているものを。自ら否定していた。

「ただ鎮魂のが読めるだけであって、みんなが不思議に思うことを、容易く成しているかも知れないけれど。それは全て、魂の言霊が教えてくれる、先人たちの名残なだけで――」

 世間の大半は、あたかもレイリアに過去や未来を察する予知能力があるかの、勘違いをしている傾向にある。

「僕は。予言者のように明日のことや、一寸先のことを見通して。助言することなどできやしないんだ」

 レイリアにそのような力があれば、歴史すら大きく動かしたあの日を回避することも容易かっただろう。

「同じだよ。僕もみんなと。起きた事に対してしか、成す術がないんだ」

「でも……」

 アニーは悔しさを滲ませながら言った。

「レイが負ったその傷や痛みは、どんなに祈っても、僕に来いって願っても、一向にきやしないし。何より一生消えないんだよ?」

 ずっとこの先。長らく続く痛みを主に与えてしまった自責の念も消えない。

「あぁ、アニー」

 レイリアは、動く左腕を伸ばしてアニーを抱き寄せていた。


「だから僕は。家族の大切さを知ると共に、甘えることも覚えたんだよ。見捨て、見放されても仕方がなかったこんな僕を。諦めることなく支えてくれた温かな志とか、根気強く耐え続ける信念を……思い知らされたんだ」

 それは、一人で頑張り過ぎないものとは違い。寄り添うことが、口で言うほど以上であることを。レイリアもアニーも。あの日を境に知った。

「まだ間に合うでしょう? だから呼んだの。この右肩のお蔭で、体のバランスもまだ上手く取れないしね?」

 レイリアは抱き寄せたアニーの体を放しては改めて、左手を差し出した。

「僕ね? さっき、倒れる前に。アニーを呼んだの。助けてって」

「……聞こえてなくて、ごめん」

「ううん?」

 レイリアは首を横に振った。

「でも、一番に駆けつけてくれたでしょ? 皆も。僕を心配してくれて。こんなにありがたいことはないんだと思う」

 これからも支えてくれるようにと、笑みをもって願い。見上げたウィルにも視線を寄越した。

「久しぶりに。メイプル入りのミルクティーが飲みたいな?」

 主に頼れられることほど、従者にとっても嬉しいことはない。

「すぐにご用意いたします」

 時間をかけてベンチから立ち上がったレイリアは、退出する足で述べた。

「鎮魂はね、生あることへの感謝と同じだから。僕は祈り続けるよ。今――、とても幸せだからね」


 最上の主を失わずに済んだ奇跡に、従者たちも感謝を寄せる日々に違いない。

 レイエスは無言で礼を施しながらレイリアが歩む進路を先導して行き、誰もいなくなった黙礼堂の扉を、ウィルは一礼してから閉めるのだった。

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