第22話 意志


『――アニー。ロックはかかってない』

「え? 嘘でしょ? 本当に? だって――」

 アニーとて全うな騎士である。小柄な体とはいえ、常人以上の足腰で踏ん張り、引き戸式の扉を力任せに開けようとしてもビクともしない。

「全っ然、開かないんだけど!?」

 内部スキャンで扉の状態を視認したシドレミは交互に告げた。

『――何か、物理的な物が引っかかってる』

『無理に開けないほうが――』

 助言を受けたアニーは、はっとしてこじ開けようとする行為をやめた。


 この頃になると、城内外の全ての守護騎士たちにもレストルームで起きた緊急事態が伝わり、緊張を走らせていた。

「そっちで体温検知も出来るんだよね?」

 アニーの言わんことを、シドレミの双子も察する。

『――今、レミが再スキャンしたのを見てたけど。マスターの体が扉側に』

『丁度、頭部が、開閉扉のふちにかかる態勢になってる――』

 やはり。無理やり扉をこじ開けると、中で倒れているレイリアの頭部に、扉そのものが当たってしまう懸念が判明したところで。駆けつけたレイエスらが到着していた。


 騎士でもあり、医療の資格も持つドクターティムは開口一番に言った。

「倒れてからどのくらい経過しました?」

「一分ちょっと」

 城内警備に当たっていたカールやロイらも集い、扉の状況を目視で確認しては、打開策を話し合う。

「どの道、マスターが更に怪我をする恐れがあるのなら、無理に扉は開けられん」

「屋根裏側からとか通気口とか。レストルームに進入できそうな隙間か、他のアプローチ方法はないのか?」

 一つしかないレストルームの出入り口付近で、大の男たちが折り重なるようにして策と案を出しているものを横目にしたレイエスは、短く言い切った。

「カール。時間をかけたくありません」


 家長の鋭き眼は、ルナザヴェルダの中心的存在であるカールに決断を迫っていた。

「……了解しました」

 今やトゥエルヴ家の一切を仕切り、かつ全責任を負う立場の家長となり。ルナザヴェルダの団長でもあるレイエスの意志を汲んだカールは、アニーへ告げた。

「扉を切断する。お前は火花が飛び散る前に向こうへ行って、マスターに火花がかからないよう、盾になれるな?」

 師が何を言わんとし、何をさせようとしているのかを、かつての弟子も既に心得ていた。

「まかせて。ひと欠片も浴びせやしない」

 真剣な眼差し同士が、阿吽の呼吸ならぬ頷きだけで視認し合えば。あとは淡々とそれぞれの活動へと移るのだった。


 開かない扉を前にして。武剣ぶけんの達人カールは、ルナザヴェルダの紋章が入ったつるぎを手に腰を低く落とし込み、足元は一打に相応しき間を取って構えた。

 レストルームの扉とは向かい合う反対側の壁には、一打と同時に内部へ飛び込む態勢を整えた、アニーの屈伸運動にも余念がない。その手には、レイリアを切断で生じた火花から守り、覆うカバー変わりとするブランケットも握られている。

「三でいくぞ」

 扉に吸盤をつけて、切断した破片がレストルーム側へ落ちないよう引っ張る役を引き受けたロイも目で頷く。これで準備は整った。

「三、二、一」

 やり直しなどきかない一度限りの救出劇は、それこそあっという間の出来事だった。


 真一文字に振られた、カールの鮮やかなひと太刀剣術によって。頑なに閉じていた扉は、大人の腰辺りの位置ですっぱりと斜めに切断された。

 電気系統の配線が組み込まれていた扉は、断線によって偶発したオレンジ色の火花スパークが、パチパチと弾けながらレストルーム内側にも散り落ちる。

 切断と同時に、閉ざされていた向こう側へと飛び込んだアニーによって、火花がレイリアへかからないよう素早くブランケットもかけられ、覆いかぶさり事なきを得た。

 破断した扉がカールの足元、通路側にごとりと重き音を立ててずり落ちるより早くに。目にも止まらぬ速さで跳躍したアニーの足は、割れたガラスや鏡の破片も踏んでいた。


 流石は俊足の騎士――と、ウィルが無言の感心と感服で頷いたのは事が終わってからのこと。

 剣を後ろ腰に収めたカールは、切断面より上半身だけを覗かせて内部を窺った。

「アニー?」

 レイリアの容体を確認していたアニーは顔を上げる。

「呼吸は落ちついてる。貧血っぽい。額の出血は、倒れた時にガラスで切ったんだね。それ以外に怪我はないみたい」

 切断した扉を片隅へと置いた長身のロイは、長い脚を見せつけるかのようにして切断箇所を一跨ぎで乗り越えてしまう。

「とにかく、マスターを外へ」

 ドクターティムは慎重を求めた。

「そっと頼みますよ?」

「勿論。ロイ、そっちはいい?」

「いいぞ。しっかり持った」

 二人によって丁寧に抱え上げられたレイリアは、こうして、閉じ込められたレストルームから救出された。


 幼き頃から血の気が薄く、日頃より立ちくらみの多いレイリアだった。

 リハビリに励む元気が空回りしているのは、接する誰もが感じていたこと。

「レイエス様。このガラスの破片が、挟まっていたようです」

 カールが開閉のきかなくなった扉の、原因となった大きな破片をレイエスに見せていた。

「所用を終えて立ち上がった瞬間に、ブラックアウトしたようですね」

 レイリアが倒れる際に、無意識のうちに倒れまいと手洗い所の棚に手を伸ばしたことで。丁度そこにあった花瓶や、芳香剤などの陶器類や調度品の数々を巻き込む過程で。鏡ガラスも大きく割れてしまったようだ。

「今後一切、割れ物類は、マスターの傍に置かないようにしましょう」

 指示を待っていたウィルは深々と頭を下げた。

「かしこまりました。早速、そのように致します」

「こうなる前に対処すべきでした」

「わたくしも配慮不足で、申し訳ございません」

 懸念がありながらも、日々の生活や多忙なる業務に追われ。手近な案件が後手になってしまったことに、レイエスも心の内で悔やんでいた。


「修理は――、如何なさいましょう?」

「ユニット交換なら短期間で済むでしょうが――それでも。工事の音が出る日中は、騒音も気になるでしょうから。しばらくの間、マスターには迎賓館で過ごしていただきましょう」

 トゥエルヴ領地内には、公主が日々を過ごす城のほかに。ゲストルームを多く完備しては、国家の主賓などを招くこともある歴史的建築物の別棟、迎賓館などもある。

 ウィルは、必要となる備品や手順を脳裏に浮かべながら応じていた。

「すぐに整えます」

 家長の証しである肩掛けマントを翻したレイエスは、談話室のソファー上で横になっているレイリアに近づいた。

「――ドクター。マスターのご様子は如何ですか?」 

「貧血と言うよりも、立ちくらみですね。安静にしていれば。額の傷も僅かなもので、他にお怪我はないようですから。特に問題はありません」

 血圧や脈を確認しながら問題ないとの返答を受けて、ようやく。万が一に備えていたルナザヴェルダとエルヴァティックライトの面々が、抱いていた緊張の糸を解いた。


 それから数分の時を経てから。レイリアは薄っすらと意識を取り戻した。

 ソファーの上で「あれ?」と戸惑い、彷徨った左手をアニーが掴む。

「レイ?」

 ぼんやりとした眼を何度も瞬かせたレイリアは、絨毯の上で膝をついては屈み込んでいるアニーの顔をじっと見入った。

「……僕、もしかして――、倒れた?」

 アニーはレイリアの視界に入るよう、心配そうな面持ちで覗き込んだ。

「うん。酷い立ちくらみ――」肩をすぼめて「良くあることさ」とも続けた。

「……そう」

 手放された左手で、レイリアは額を覆った。

「キーンと凄い耳鳴りがきたから。いけないと思って――」

 その額に、白いメディカルテープが貼られているのにも気づいた。

「もしかして。ガラス、割っちゃった?」


 アニーは再び肩を竦めた。

「うん、まぁ……花瓶が倒れて、ほら。色々、割れ物が置いてあったから――」

 仕方がないと続くものを。レイリアは耳にしながら、横になっている体を起き上がらせようとした。

「ちょっ! まだ駄目だってば!」

 上半身を起こそうとした途中で、再びの立ちくらみがレイリアを襲う。

「あっ……」

「ほら、もう……」

 アニーの添え手で、レイリアの体はソファーへと沈んだ。

「……参ったな」

「無理するから」

「無理なんかしてないよ」

「してる」

「僕なんかより、みんなのほうがよっぽど……」

 レイリアは自身より、他の誰かを気遣うそれを。従者たちもみな、よく知っていた。


 しばらくの間、横になり続けたレイリアは。ドクターの許可を得てから上半身を起こし、ソファーへ座り直した。

「すっかり、体がなまってしまったようだね?」

「なまってるんじゃなくて。今は弱ってるんだから、大人しくしてよ?」

 かの一件以降、すっかり気が置けない盟友となったレイリアとアニーが言い合う。

「大丈夫だってば?」

「信じない」

「え?」

 レイリアはアニーを見据えた。

「どういう意味?」

 アニーも、主人をしっかりと見つめながら告げる。

「レイのことは信じてるよ? 祈りの黎明王としてならね。でも、これは別。レイが自身に大丈夫って言うのは僕、信じないから」

「……」

 レイリアは宝石のような瞳を丸々と丸めて、ウィルに視線を寄こした。

「今の聞いた?」


「はいマスター。僭越ながら、わたくしも同感でございます」

 ウィルがそう言うと、レイリアはぷいと顔を背けては、幼子のように拗ねて見せた。

 けれどもすぐに、体の力を抜いては「だよね。やっぱり」と告げ。「僕もそう思うよ」なる頭を、ソファーに預けていた。

「アニー。今、何時?」

「もうすぐ十一時半」

「もうそんな時間? 起きなきゃね――ごめん、手を貸してくれる?」

 立ちくらみを気にしたレイリアは、ウィルとアニーの手を借りながら、ゆっくりと立ち上がった。

「黙礼堂へ行くよ」

「こんな時に?」

 アニーの声は上ずっていた。

 破損したレストルームの片付けを行っていた守護騎士たちや、今後の日程を話し込んでいたレイエスたちも当主の発言を受けて、手や口を一旦止めていた。

「こんな時でも――、だよ。アニー」

 レイリアは青白い顔で言った。

「僕の努めは、祈ることだもの」

 その意志は、止められるものではなかった。

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