高き天の下で

第21話 昏倒


 敷地の歴史と名所ポイントを語る案内用パンフレットや、ナビゲーションマップを片手にした観光客らを相手に、先導しているガイド役は歩みながら発していた。

「皆さまが今、駐車場から歩いて来られた公園の敷地内も全て、聖なる領墓を意味するエルファージアの領地となりますが。これより先が――」

 折り目も正しい黒色のスーツをきっちりと着こなしている男は、豊かな水を貯えた深い堀の前で足を止めた。

「我らがあるじ、レイリア・フォン・トゥエルヴ公が領主を務めておられます、トゥエルヴ領になります」

 実際にトゥエルヴ領を守護する役目の、エルヴァティックライトによる直接的観光ガイドは、事前応募制の中でも特に人気の高いアクティビティーとなっていた。


「この先のトゥエルヴ領は、完全なる私有地となっておりますので、許可なき方の出入りは固く禁じられております」

 観光客の一人が質問の手を挙げていた。

「トゥエルヴ領の敷地面積はどのくらい?」

 公家の騎士はにこやかに応じた。

「警備上の観点より詳しくは申し上げられませんが。領地の外周をぐるりと徒歩で歩くとすれば、成人男性の足で平均的に、七時間と四十二分ほどかかります」

 観光客らは「へえぇ」とどよめく。

「ちなみに。あちらの――」案内人は視界に入る範囲内にある堀の上に、唯一掛かっている石橋を指差した。「検問所脇あります掲揚搭に、トゥエルヴ家紋の旗がはためいていれば、当主の在城を示しており。御不在の際には、エルファージアの御旗が掲げられます」

 少しでもトゥエルヴ家を間近で見たいと願っていた観光客たちから、わっと歓声が沸いた。

「今日はご在城なのね!」

 風に靡き、ゆるりと舞った旗はトゥエルヴ家の紋であった。


 守護騎士が観光客らを喜ばせている地点より、起伏に富んだ緑も深い森や、せせらぐ小川などの丘陵を経た大地の先に、白亜の城は佇んでいた。

 時は、春に起こった忌まわしき銃撃事件から数ヶ月。夏本番を目前に控えた季節へと移り変わっている。


 病院嫌いなレイリアの意向もあり、傷の完全完治を待たずして一度は仮退院したものの。もともと白血球の少ない体質からか、なかなか癒えない傷口に感染症を患い、再入院をしてからの退院となった数日後のこと。

「おはよう――、ウィル」

 朝の挨拶にしては遅い時間帯に、レイリアは寝室のベッドから抜け出ていた。

「おはようございます、マスター」

 燕尾服を着こなした、初老と称するにはまだ早いトゥエルヴ家の第一執事は恭しく一礼を施した。


 まだ足取りもおぼつかず、眠気に負けかける眼をしきりに瞬かせたレイリアは、高くへと昇りかけている陽が眩しすぎて目を瞑った。

「あぁ……眩しいね。外は、とっても暑そうだ」

「申し訳ございません。本日は梅雨も中休み。夏日になる予報でございます」

 ウィルは、薄暗い寝室から出て来たばかりの主人に配慮する足を窓辺へと進めた。

「すぐにカーテンを」

 すると、眩しいと言った本人が「良いよ」とする手を挙げた。

「少しは陽を感じないと。体も起きないから」

 そう告げている間に、後から寝室より出て来たアニーは。寝着姿であるレイリアの、細く頼りない肩にガウンをかけようとした。

「寒くない?」

 室内は、体調の波が激しいレイリアに合わせた空調になっている。

 傷に触らないよう、そっと優しく羽織らせようとしたものも。レイリアは「うん。ありがとう、大丈夫」と言って、レストルームへと歩んで行った。


 主がトイレを済ます間に、ウィルは城の内外を一括管理、管制しているエルヴァティックライトの双子を呼び出していた。

「シド、レミ? 談話室の窓の遮光を調整していただけますか?」

 片耳に装着しているインターカム通信機を通じて指示を受けたシドオンは、縦に横にとスクロールしては流れ出る情報スクリーンに囲まれた暗い管制室で、幾重にも表示されていた半透明のモニターの中から一つを選び、指で取った。

『――談話室ですね?』

 多くを訊ねなくとも、主人の虚弱体質を知っているからこそ。寝起きで日射を眩しく感じたことを察する。

『――念のために、東南側は全面に施しますか?』

 告げながらのシドオンが、手元に手繰り寄せて浮かび上がらせたのは城全体の立体見取り図と、隅々にまで張り巡らされている警備網の点と線だった。

「そうでございますね。お願い致しましょうか?」

 ウィルからのオーダーを聞きつけたレミオンも、同じ容姿と同じ顔をしたシドオンとは似て異なる暗室の中から答えていた。

『――了解。スクリーン遮光で室内への日照を三十パーセント軽減します』


 用なしとなったガウンを片手に、膝掛け用のブランケットを取りに行っていたアニーが、談話室内の明るさが落ちてゆく間に戻って来る。

「無理して起きなくてもいいのに……」

 大怪我を負う前から、一日元気でいると三日は寝込む法則が定説であったレイリアの、回復自体は微々たる歩みで前進はしていた。

 残念ながら、銃弾を受けた右肩の機能はほとんど回復しなかった。

 肩より下の肘や手を動かすだけでも激痛が走るほどの後遺症にも悩まされていて。長い間、固定が続いた筋肉をほぐし、動作可動域を増やすリハビリ療養が日々の日課である。

 公務への復帰もまだほど遠いのに、当の本人だけが一日も早い復帰を望み、事あるごとに意気込むので周囲をハラハラさせている。

「――見守りましょう」

 短く告げたウィルの内心を、アニーとて充分理解しているつもりだ。

 いつ如何なる時も主人を支え、仕えるのが従者の役目であり使命である。

 そうとは解っていても、より身近で常に接していると。ついの愚痴も出てしまう。

「頑張らなくていいのに……」

 ウィルはゆったりと微笑んだ。

「それが。我らがマスターなのですから」


「それにしても。いつもより時間、長くない?」

 アニーが時計を確認しようとした時だった。

 静寂を切り裂く、ガラスの割れる音がレストルームより激しく、そして大きく響き渡った。

「レイ!?」

「マスター!」

 どさりと床に何かが倒れ込む音も続いた。

 真っ先にアニーがレストルームへと駆け寄るも、扉が開かずに慌てた。

「あ、れ? え? ちょっ! まさか、レイってば内側からロックした?」

 遅れて辿り着いたウィルも心配そうに扉を眺める。

「普段、マスターに内鍵をかける習慣はございませんが……」

 アニーが手をかけたレストルーム扉は、人を感知すると自動で開閉するはずのものであるのに、押せども微動だにしない。

「くっ! 開か、ないっ!」

 特に最近は、個室の中で何かあっては困るので施錠は絶対にしてくれるな――との注意がされていた扉を。アニーは拳を握った手で扉を激しく叩き、声を荒げた。

「レイ? ねぇ大丈夫?」

 主人をマスターと呼ばずに名で呼びかけたのは、二人の間だけに許された友情の証しともなっている。


 命主めいしゅに対して敬称もつけず、敬語ですらないアニーの姿勢や行儀は当然の如く問題にされた。

 家長となったレイエスも、アニーが「レイ」と呼ぶ度に眉間のしわを濃くした時もあった。

 しかしの当事者たちは周囲の動揺など余所にして、昔の不協和音もどこへやら。今や大の親友になった仲を、レイエスは黙認している。

「返事してよ? レイ!?」


 個室内部から応答は返ってこない。

 アニーは片耳に装着しているインカムでコントロールルームを呼び出す。

「シドレミ? どっちでもいいから、談話室傍のレストルームロック、解除して!」

 アニーが管制室とやり取りを交わしている間に、ウィルはレイエスとレイリアの主治医へ向けて報告していた。

「――はい。呼びかけにも応じておられませんので、恐らく中でお倒れになっている模様かと」

「すぐに参ります」

 レイエスは執務室より急ぎ、談話室に繋がる通路へと飛び出していた。

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