第20話 象徴


「――とにかく。安静にな? お前に元気がないと、フィリットも落ち込む」

「はい。陛下も。どうぞ御身、御大切に」

「お前もな。二度と……こんな思いを、みなにさせてくれるな?」

 見つめ合う間に沈黙が落ちてから、閉じた目が開かなくなったレイリアの手を星王はそっと放した。

 弱きを叩き、悪がのさばる。そんな世界を許せないエディットは、退出の直前にもう一度横たわるレイリアを眺めた。


 トゥエルヴ家はエルファージア、如いてはファージアの象徴であり祈りの公家であるけれど。実質的に政治などへ関わることは法により禁止されていて、口を挟む権限も持っていない。

 ――最も弱いところを狙われた。

 それを許した責は、主権者にある。


 ファージアでは古来より一貫して成すべきものが成し、座に相応しき者が就くという信条を貫いてきていた。

 反する勢力の筆頭と言えばヴルヴ家であり、彼らは代々より直系重視の世襲制こそが正義だとしている。本流より外れし血筋は全て汚れているとして、決して認め許すこともない。

 養子縁組も盛んで、座に就くに相応しき者こそが頂点に立つべきとする思想や、思いやる心を重んじるファージアの比較的自由の高い民主的な制度など、真っ向から正さねばならない義憤で一方的に燃えているのだ。


 許せぬ拳を握ったエディットは、レイリアの穏やかな寝顔をひとしきり眺めてから、静かに病室の外へと出たところでルナザヴェルダの一人に目を留めた。

「えーっと、確か――」

 形ばかりの礼を施す守護騎士の顔に見覚えがあっても、その名が咄嗟に口に出てこず素直に悩む。

「……あきんど?」

 星王は日々、接する者が事のほか多く。初対面はおろか二度目でさえ名を覚えられないのに、つい許されてしまう人柄と気質はある意味、特技でもあった。

槇土まきとにございます。星王陛下」

 エディットは悪びれる様子もなく笑顔で「ははは! そうか、そうだったな! 悪い」と告げては、遠慮もなく槇土の肩をがっしりと組んでいた。

「つかぬ事を訊くが。お前さん、リーシー院の出だと聞いたが?」

 二十四時間、年中無休のポーカーフェイスと呼ばれる男は、滅多なことでは崩れない満面の笑顔で応じた。

「さようにございます。星王陛下」


 訊ねておきながらのエディットは真顔になり、組んだ肩の腕を解きながら向かい合う。

「……否定するなり、ぼかすなり。普通、濁さないか?」

 槇土はすました顔で淡々と述べていた。

「私の場合は致しません。属していたことには変わりなく、今やそれも過去。何ら隠す必要性はございませんので?」

 エディットは両手を腰に当てて深く息を吐いた。

「かの独立した諜報機関は、俺たちファージア贔屓でもなければ、ヴルヴ家みたいな過激派寄りでもない、中立的立場であるとは表向き――」槇土を睨み据えながら続けた。

「裏では汚いことを平気でやっている最低、最悪の悪徳リーシー院が。今回の事件に加担しているのかどうかを知りたいんだ」

 特に政治や軍事が絡む悪事の裏には、必ずやリーシー院が関わっていると言われるほど、どす黒い暗幕で覆われている陰険で陰湿な国際的諜報機関の根も深い。


「お言葉ですが、星王陛下」

 澄んだ表情で槇土は告げる。

「すでに退職した身。今さら私に何ができましょう?」

 レイリアと会話を交わしていた和やかさとは打って変わった、厳しき面持ちを呈しているエディットは言った。

「元リーシー院であることに違いはない。おのがあるじを穿たれたままで、何もせんのか?」

「私はルナザヴェルダの一員です。マスターをお守りするのが私の役目――」

 型通りの文言を発しながら、槇土は肩を組まれた時にシャツが乱れた、エディットの腰回りを整えてやった手元で。こっそりとマイクロチップをパンツポケットへと差し込んでいた。

「それ以上のことに、関心はありません」

 きっぱりと言い切ってから、槇土は恭しく礼をしていた。

「さ、星王陛下。時間が押しておられます」

 エディットは廊下の隅で待機している星王お付きの、守護騎士や従者たちの姿を見やった。

 どこで誰が聞き耳を立てているのか、見ているのかの疑心暗鬼に対する不安は常に尽きない。渡されたデータの内容によっては、ヴルヴ家との全面戦争もあり得る。

「……レイリアに。くれぐれも無理をさせんよう、頼んだぞ?」


 病室内の扉際で、エディットと槇土の会話に耳を澄ませていたアニーは。ベッドサイドに歩み寄り、穏やかな寝息を立てるレイリアを眺めてから、窓辺から窺えた空に視線を移した。

 夕暮れ時が、夜の帳に幕を引かせようとしている。

 ――寂しい思いはもうさせない。

 だから、どうか今は。ゆっくり休んで欲しい――。


 時は黎明の君、必然の黄金期。

 これより幾つもの奇跡が絡み起こる、物語りの始まりでもあった。

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