第17話 再会
回復室で一週間を過ごし、その後は特別個室へ移ったレイリアは。ベッドの上で一日を過ごすのが退屈だと告げる軽口が、ぽつぽつと出始めるようになっていた。
そんな折に、アーベルハイト家のバルドゥル卿が、事件の発端となった挙式の主役、若夫婦たちを連れだって見舞いへ訪れていた。
質素なスーツと地味なワンピースで身を包んだ新郎新婦は、許しを得て病室の中へと歩み進むも、顔は終始俯いたままで暗い。
上半身部分を斜めに起こしたベッド上のレイリアは、右肩に施されている治療の痕をありありと窺わせる、包帯姿も痛々しい点滴姿のままで応じていた。
「――こんなみっともない姿で、申し訳ないね」
その表情はにこやかで。傷の奥底で強烈に疼く痛みなど、まるでないとする晴れ晴れとした笑顔であった。
「クリスティアン、マリア」
よく来たね、と続く前に。堪え切れなかった涙腺を、ぼろぼろと崩壊させながらマリアは――白いベッドの傍に駆け寄っては、崩れ落ちるかにして縋りついた。
「あぁ公主様。どうか、どうかお許しくださいませ! そしてわたくしに、罰をお与えくださいませ!」
ベッドのシーツに額を摺りつけながら。妻となったマリアが必死と許しを乞い、縋る姿を見た夫もその背に寄り添い、膝を折っては頭を垂らした。
懐から取り出したのは白いハンカチーフで、妻としたマリアにそっと差し出しながら。
「大公様。我らが至らぬせいで――」
その後は言葉にならなかったクリスティアンの肩に、レイリアは動く左手を伸ばして添えた。
「二人とも何を言っているの? そんな風に思い詰めてはいけないよ? 至らなかったのは、誰のせいでもないんだから」
黎明王がそうと言っても。世間は、式場への凶器の持ち込みを禁じておきながらの。狂気の銃弾を許した教団共々、アーベルハイト家も八方から批難の的にした。
そして万が一にも、その命が消えようものなら。間違いなくお家は断絶になっていただろう、危うき数日間でもあった。
「ねぇマリア?」
レイリアは、幼馴染みである新婦の手に手を添えた。その薬指には真新しい誓い印にして、新たな門出に胸を躍らせたはずの指輪がはめられている。
「お願いだよ? そんなに泣かないで? 悲しみで染まる君を、僕は見たくて参列しに行ったんじゃないんだから」
とは言え。新郎新婦を狙った凶弾に倒れたのは、偶然であろうとも庇った黎明王だ。
「でも……、でも!」
悲嘆に暮れる若夫婦より視線を上げたレイリアは、二人の傍で、こちらもやはり消沈気味のバルドゥル卿に問いかけた。
「二人の挙式は、勿論やり直すのでしょう?」
訊ねられ、この数日で頭頂部の髪が更に薄くなってしまった御仁は、首を横に揺らしながら答えた。
「陛下……。陛下がこのようなお怪我を負われたのは全て、我がアーベルハイト家の責にございます。この者たちを――」当主は若き夫婦を見下ろす。「許すな、という声も多くございまして」
再度、式を執り行うのは不可能との意を察したレイリアは、「そんな」と嘆いた。
あの時。飛び散った己の赤き飛沫で、純白のドレスは赤く染まったと聞く。大混乱となった挙式は中断、打ち切り。それから、関わった者たちには眠れぬ夜がやってきて、どれほど落ち付かない日々を送ってきただろうか――。
「クリスティアン」
呼ばれた子爵は恐る恐るに顔を上げた。
「はい、陛下」
「マリアを思う気持ちは、今でも変わらない?」
何のことか、と戸惑ったのちに。「勿論でございます」とクリスティアンが断言すれば。あの日、最後まで辿りつけなかったものを。レイリアは、今こそここでと誘い出した。
「マリア。ほら、君も」
顔を上げてと促せば。涙で濡れる目元も頬もままにして、新郎新婦は揃って黎明王の言葉を受けた。
「僕は、例え世界がひっくり返ったとしても。君たち二人を祝福するよ? 心からね。だって、こんなに素敵なことはないもの」
巡り会ったのも。恋をし、愛し合ったのも。時には喧嘩もして、別れる危機を乗り越えて結ばれた二人の軌跡を。誰が何をもって否定できようものか。
そして何があっても、二人でなら乗り越えられると決意して。誓いをたてようとした。健やかなる時も、病める時も。喜び、貧しき時とてこれを愛し。
「――互いを尊び、慰め。命ある限り、最後まで尽くすと誓う?」
問われた男女は言葉にならない頷きを、何度も何度も繰り返してから。涙ながらに「誓います」と宣誓していた。
手続き上では、既に二人は夫婦となっている。けれども、ようやくにして真に、認められたような気がして。マリアの嗚咽は止まらない。
「公主、様……っ」
「あぁもう、ほら。マリア。僕は君の笑顔が大好きなのに?」
泣きじゃくる幼馴染みの、涙で濡れる頬を指で拭ってやっても、また次の涙腺が筋を描いてしまう。
レイリアは、その隣で感無量となっているクリスティアンに視線を戻した。
「マリアをお願いね? 世間が何と言おうとも。どんな事が起きようとも、君ならマリアを守ってくれるでしょう?」
「はい陛下」
クリスティアンは目尻に溜まったものを親指で拭った後で、男として、夫としての姿勢を正した。
「何があっても。マリアを守ります」
レイリアは澄んだ笑顔でほほ笑んだ。しっかりね、と念を押すように。
「頼んだよ? マリアは僕の、唯一の幼馴染みなんだから」
学校へ通った経験のないレイリアにとって、友を作る機会は全くなかった。
外部の人間と触れ合う数少ないチャンスの中で出会った、それこそ一点の星がいざ、幸福の絶頂を迎えて幸せになろうとした時に。
あの一瞬で何ができた。何をしてやれた。答えは一つだ。
あの日、レイリアが咄嗟の判断――とするよりも。体が自然と動いた衝動を、誰が何をもってしても止められなかっただろう。
「それに――」レイリアは、落ち着きを取り戻したマリアをにこやかに眺めた。「小さき家族の為にもね?」
囁かれた発言を経て、アーベルハイト家の面々は一様に困惑していた。
「え?」
「は? 陛下……今、何と?」
「こここっ、公主様!」
焦ったのは、心辺りのあった当の本人、一人だけ。
「何のことだい? マリア」
クリスティアンが訊ねると。マリアは、涙で濡れたハンカチをもじもじとさせながら告げるのだった。
「あの……、実は。お父様、クリス。私――」
跡取りになるやも知れない子の宿しを、ここで初めて知ったアーベルハイト家の当主とその夫は有頂天ともなり。来訪時とは正反対の、大層明るく、賑やかとなった来訪者たちは病室を後にした。
その去り際に。マリアが密やかと「無事に誕生しましたら、公主様。この子に名を、授けていただけますか?」と願えば。レイリアは、「勿論。喜んで」と応じていた。
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