第10話 宣誓


 カールに弟子入りした当時のアニーと言えば。足が速く、素早さや初動作においては他人より優れていたので、単に天狗になっていた。

 その後、経験も豊富で熟練の技術をもってして剣技を繰り出し、体術を駆使する師匠によって、薄っぺらなプライドはズタズタに引き裂かれたものも。本物の強さを知り、再構築された結果は良好へと向い。一旦は騎士の道を諦めかけたものも、立ち直るのにはそう時を要さなかった。


 騎士になりたくても、そのチャンスすら掴めない人が沢山いると言うのに――。存分に努めを果たさなかったアニーに、続ける機会を与えてくれていたのは――。

「……んっ、くっ」

 アニーは。しゃくり上げるものを押さえ込みながら、一定の鼓動で安定しているものへ手を添えた。

「優しすぎるんだよ!」

 あるじの手はほんのりと温かい。

 もしかして――本当に。ずっと長い間、一人で寂しかっただけなのではないのだろうか。

「何でも一人でやろうとして、一人でやりたがるから……」

 世間はそれを、ただの体たらく。いじけているだけ、と片づけてしまったけれど。どれほど祈りの力が強かろうとも、レイリアとて一人の人間に過ぎない。喜怒哀楽の感情を抱き、もどかしい旨の内を誰かに相談したり。何気なく話をしたかったのではないのだろうか――。

「……ごめん。僕が、もっと傍にいるべきだったんだ」

 アニーは、ここにきてようやく気が付いた。

「もっと、話を……聞いてあげていれば――」


 レイリアの傍には常に、誕生より付き添う執事や使用人、守護騎士がいた。けれどもそれらの人々は皆、顔見知りであっても大の大人であった。

 広大な土地を抱え、深い森や木々の奥深くにある公家は、外界とは完全に遮断されている。レイリアの小さな体で望んでも、庭先より向こうへは自由に行かせてもらえない理不尽が貯まったのも、幼くして当主の座を継がされたがゆえの、反目だっただけなのでは――。

「そうだよ。僕が一番、マスターに近い場所にいたんだ」

 冷たくも温かい手をそっと握り直したアニーは、主の顔を眺め見た。

 もしも己が十代よりもっと前から、家と言う名の縛りに雁字搦めとなり。自由も、進むべき道の全ても押さえつけられ、定められていたのなら――。そう思うと急に、胸がきゅんと詰まった。


「……そうだよね。誰でもいい。同じような歳の子でなくとも。頑なな大人じゃなくて、等身大の子供同士で、一度くらいは我がまま言い合ったり、遊びたかっただけなんだよね……」

 レイリアは敬語を使わない友達が欲しくて。何気のない話をして、笑ったり。悪戯をし合ったり。日が暮れるまで庭を駆け回り、どろんこに汚れてみたかっただけなのだと思うと――。

「ずっと一人で。寂しかったんだね……」

 傍にいたのに。気づくチャンスは幾らでもあっただろうに。汲み取ってあげられなくて、ごめんなさい――。

「ごめ……、んっ」

 アニーは薬品臭が漂う白いシーツに顔を埋めて、嗚咽を押し殺していた。


 待ってはくれない時が過ぎてゆく中で。長く家を空けていたレイエスが、守護騎士となってルナザヴェルダに成り上がったのも大いに影響したのか。レイリアとて頑なに閉じていた心の紐を解き始め、大人になろうと自らの受戒でもあったのだろう。

 長年ささくれ、綻びたものが徐々に繕われてゆくのを肌で感じ。家の中が結団という絆で結ばれつつあるものを、その目で見届けていながらにして。アニーはと言うと。

 ――友達という存在と立ち位置に気づけなかった、自分が哀れだ。

 そう思ったもう一つの拳も、ふるふると震えていた。


 騎士となり、守護従者にもなれたと言うのに。なりたくても挑戦することすら叶わない者も大勢いるというのに。

 実に幸運も過ぎて、幸せ者ではないだろうか。主と呼ぶ御仁がいて、仕えることを許され、友にまで望まれた。

 アニーの中で冷え切っていた忠誠心の塊にぽっと火が付き、体の芯から熱くなるものが広がってゆく。


 ――そうだ。護ろう。今度こそ、何があっても盾になろう。二度とマスターを傷つけさせやしない。脅かすものになど屈するものか!

 俯かせていた顔を上げたアニーは、虚ろにしていた瞳にも生気を宿しながら主を見やった。

 ――そうだ。誰にでも出来ることならば、とっくに他の誰かがやっている。

 僕は僕らしく、僕にしか出来ないことをしよう!


 腹を決めたアニーは涙を拭い。寝入っている主の手に手を添え直しては、病室の床に恭しく膝をついた。

 騎士の星ファージアにおいて、部下の信頼を得られない上司然り。主から信用を得られない騎士ほど惨めなものはなく。一旦はぐれ、やさぐれでもした騎士の末路は悲惨に限る。

 ――レイリア・フォン・トェルヴ公。生ある限り、死しても尚。僕は君の誰でもない友となり、従者として傍にいることを誓うよ。


 だからもう頑張らないで。僕が、半分を引き受けるから――。

 こうしてアニーは、二度目の宣誓をたてたのだった。

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