第9話 友達


 蜂の巣をつついた騒ぎとなっている表の世界とは裏腹に、静かで重苦しい空気が漂う病院内の特別室で。アニーが、どれほどの時が過ぎたのかを確認しようと、壁上の時計を見上げた時だった。

「……ん」

 閉じきっていたあるじの瞼が重々しくも上がり、うっすらと目を開いているのに気が付いた。

「マスター?」

 その意識が戻った時には、必ずドクターコール押して知らせる事と言いつけられていたものも。アニーの手は、主人の傷ついていない左手を取っては、そっと手を重ねて包み込む。

 レイリアの意識はまだ定まっていない。夢、現のおぼろげな状態でも、一番に目に入ったアニーをぼんやりと、そしてじっと見定めた。

「……やぁ」


 酸素吸入を受けているマスクを装着しているせいか、その声色はいつもの澄んだものより若干掠れ、消えそうにあっても。アニーの耳にはしっかり届いた。

「マスター……」

 次の文言は出てこない。今さら何を言っても言い訳に過ぎない。何を言おうも、主が目覚めてくれた嬉しさと感謝、そして感激で涙も零れそうで――。

 守れなくてごめんなさい、でもなく。今までお世話になりました、でもなく。もっと違う、気の利いた、そして心から身を案じていた涙を堪えているアニーの心情など、知ってか知らずか――。レイリアは、まだ眠き眼を瞬かせながら呟いた。

「ねぇ……。お願い、が、あるんだ」

 重ねられた手の指先を、ほんのわずかにだけ動かして。レイリアはアニーだけに訴えかけた。


 これは夢ではなく、魘されているのでもない。主が自らの意志で従者を呼んでいるのだと確信したアニーも、ゆっくりと訊ね返した。

「なに?」

 声を出すのも苦しそうであるのに、レイリアはアニーに確かと告げていた。

「友達、に……なって、くれない、かな?」

「え?」

 唐突の申し出を受けたアニーは、当然ながら困惑していた。――今、主は何と言った?


 レイリアは、重ね置く手の中で指をもぞもぞと。しかしながら、しっかりと動かしている。

「僕って……ほら、友達……少ない、から」

 君がね、何でも話せる友達に。一番の親友になってくれると嬉しいんだ――。

 そう続いたレイリアの言葉は、途切れ途切れに語られて。やがては消えた。まだ麻酔が効いることもあり、再びの眠りに落ちていた。


 アニーは愕然としながら、寝入るレイリアの寝顔を見守り続けた。――それが、世紀の大失態をした従者へかける最初の言葉かと呆れ、憤慨しながらも――泣いた。

「友達? ……何で?」

 歳も身分も場所も関係なく、さめざめと。涙をぼろぼろと零しながら。しゃくりあげる嗚咽と咽ぶものを押し殺しながら、アニーは泣いた。


「……僕っ、冷たい態度もとって、仕事、放棄したこともあったのに?」

 ――どうして最初にかける言葉がそれだったのか。もっと辛く責めたて、あたってくれてもいいのに! 

「いっそ嫌われた方が楽だからって、いっぱい酷いことも言ったのに!」 

 主従関係であるのだから。どうして守ってくれなかったのかと激しく叱咤、叱責されたほうがよほどに良かった。

「何でこんな僕を……、必要としてくれるの?」

 嗚咽までして泣いたのは、騎士の教えを乞うた師匠に弟子入りをして。初めての挫折を味わい、ふくれっ面で「もうやめる!」と拗ねた時に。「てめぇみてぇな根性なしなぞ、騎士にするにもおこがましい! とっととやめちまえ!」とボロかすに蔑まされた以来だった。

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