第6話 転機


 アニーはレイリアの生い立ちや公務放棄の理由を知って以来、黙礼堂へは欠かさず通うあるじの従者として、勤めだけは果たそうとしていた。

「――全くもう! なったものはなっちゃったんだから、やり遂げればいいのに!」

 正直なところ、主人に対する尊敬の念や、やさぐれる真理を理解しようとする努力は既に挫けていた。


 騎士として従者として、誠心誠意を込めて尽くしているのに。何故に主は、従者たちの苦労や心を寄せて憂うものを蔑ろにするのかと。

「気が向いたらする? ちっとも向かい合おうともしないじゃないか!」

 やりきれない気持ちを、もやもやとさせたままでいたアニーは。次第に従者としての役割を放り出すようにもなっていった。

「勝手にすればいいよ! ずーっとそうして、一生拗ねていればいいんだ!」


 本来なら、主の傍に付いていなければならないものを。勝手に領地内の周辺警戒へ出るようになった。

「――僕、もうあの人の傍に居たくない。こっちまで辛気臭くなっちゃう!」

 主人ありきの従者としての心も通わせなくなり、信頼関係も生まれず。冷えきった関係になってしまった。


 そうした規律違反を度々犯したアニーは当然の如くに、師匠より手痛い一撃を食らった。それは目から星が飛び出んばかりの大きな一発だ。

「てめぇは騎士で、守護騎士で従者だろうが!」

 主の傍を離れず、ちょろちょろと出歩くなと一喝されながら。カールに連れられ、ふてぶてしい態度のまま、主のもとへ失態の許しを乞う頭を下げに行けば――。

「いいんだよ。ごめんね? 僕がふがいないばっかりに」

 本来なら役目を放棄した騎士など、即刻お役御免にされても致し方なかったものを。レイリアは逆に詫びていた。


 ここで、しゅんと反省して意気消沈するのが、ごく一般的な反応であったのかも知れない。

 けれどアニーにも反骨心が働いて、「本当だよ。皆が口にしないからこの際言うけど。マスターがふらふらしてて、ちゃんとしてないから僕も居場所に困るんじゃんか!」と言い返してしまったものだから。再び、師匠に胸倉を掴まれた。

「口の利き方に気をつけろよ小僧――」カールは、アニーのくせ毛頭を鷲掴みにしては力づくで押し下げながら、自らも非礼を詫びた。「申し訳ございません、マスター」


「いいよカール。もっともだし。そんなに叱らないであげて?」

「この者を推薦したのは自分です。責任を取って――」

「カール」

 御年十八になった鎮魂の長は、導いた者の責務にして守護職を解くとした師匠の意を止めた。

「長い目で、見てくれないかな?」

 僕も、その子も。と促されたアニーとカールは、しばし言葉を失った。


 愁いを滲ませながらも、澄み渡るレイリアの眼は一点の曇りもなく清純で。清らかな視線には澱みなどなく。透明度の高いダイヤモンドの如くに煌めき、瞬く。嘘と約束が大嫌いな主の瞳は、本当に綺麗だった。

 己が穢れきっているかの後ろめたさを感じたアニーは、咄嗟に目を反らしてしまった。

 それでも逃げるのはらくしない――、との反動の視線を戻せば。レイリアの関心と眼差しは、窓の外へ向いていた。


 プラチナブロンドの髪を煌めかせた尊顔に笑みこそ浮かんでおらずとも、それはとても羨ましげであった。

 何を見ているのか――を、アニーも主の視線を追った。すると、庭木の枝で羽休めをしている鳥の姿が、分厚いガラス越しで見て取れた。


 人間の視線を感じたからなのか、アニーが視線を寄こしてからすぐに。二羽の鳥は縺れ合いながら、いずこかへと飛んで行ってしまった。

 そうしてもなお、レイリアはさも儚げに。どことも定まらない空を見つめたまま、ただしんみりと眺めていた。


 あぁ、そうか――。本当はレイリアとて外に出たかったのだと、アニーは咄嗟に悟った。


 兄が、軽々と家を出て行ったように。自由に大空を飛び回れる、あの鳥たちのように。

 されど公家当主たるものは、先代たちが長らくそうしてきたように。代々受け継がれしものを己も背負わなければならない。例えどんなに否定しようと、逃れようともがいても。家が、墓が。ファージアに繁栄が続く限り――。


 アニーのささやかな謀反の件は、しばしの猶予付きの保留となり。応接室を退室後、アニーは一人になってからぼやいた。

「甘いんだよ、ほっんと! 何なんだよ? 気に入らないなら首にすればいいのにさ!」

 悪態をついて強がっても、主の寂しげな眼差しが心の奥底でくすぶる。

 ――寂しいなら寂しいと、言えば済むのに。


 この一件以降も、レイリアとアニーの関係は、微妙な距離感と微妙な雰囲気を保ちながら時は過ぎた。


 そしてレイリアが二十歳を迎え、いよいよ本格的に公務を行い始める決意も固め、公人として花開かんとする門出の時に、事件は起こった。

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