第4話 祈り


「マスター。本日よりこの者が、ルナザヴェルダの一員となりますことを、お許しいただきたく――」

 団長のレイエスを筆頭にして、カールと共に御前へと参上したアニーは恭しく跪き、剣を捧げて忠誠の宣誓をたてようとしていた。

「この度は拝謁を賜り、祝着至極に――」

 間違えてはならないと、何度も繰り返して練習した言上をいきなり遮られた。

「――許すよ。アニーって言うんだ? 良い名じゃない?」

「は? ……え。……ん、あの?」

 いきなりの脱線を受けて、アニーがしどろもどろになってしまったのをカールが小声で「言葉遣い!」と横からこ突いて正す。

「えっと、はい。ですが普通、アニーは女性に付けますから――」

 よくそれで揶揄われてきたと続いた口元は、皮肉で歪んでいた。


 するとレイリアは、「そんなこと――」と微笑みながら切り出した。

「ご両親は、望んだ君に恩恵を思い、願って名付けたんだよ。現にこうして、僕たちは出会えたのだし。素敵な名だと思うよ? 君とは、長い付き合いになりそうだ」

「……はぁ?」

 まだ名乗ってさえもいないのに――。頭を垂らしたまま困惑しているアニーへ、レイリアはおっとりと告げた。

「そう硬くならないで。君は、君らしくあってくれれば良いんだから。よろしくね?」

 十七歳を迎えたばかりの若き大公主は、可もなく不可もなくといった端的な語りで、謁見の間の座を立ってしまった。

「僕は少し横になってるから。カールに、城の内外を案内してもらうと良いよ。領地内は広いからね。僕でさえまだ、全部を知らないから――」

 君はもっとよく見て、よく知っていて欲しいと言い残したレイリアは、奥の部屋へと消えて行った。


「――何か拍子抜け。折角、発声練習までしたのに……」

 顔合わせも中途半端に終わった、形ばかりの任命式の後で。アニーはトゥエルヴ家の領地を案内してくれているカールに早速、不満をぶつけていた。

「何だか全然、ルナザヴェルダになった気がしない」

「おいおい、いきなり任務放棄か? と言うか、もっと尊べ。態度が軽いぞ」

 アニーは口先を尖らせた。

「だって、誓いを途中でぶった切られて、投げやりにされたんだよ?」

「してないだろ。マスターはちゃんと、お前の従属を許すと言ったろ?」

「……もののついで、みたいな感じだったけどね」

 カールは歩んでいた足を止めた。

「あのな……」溜息を吐いてから続ける。「それでもだ。お前が騎士を目指し、守護騎士になりたいって言うから、俺はお前を弟子にしたんだぞ?」

 アニーも立ち止まって小首を傾げていた。

「……感謝してマス?」

「ったく――」

 カールは先に歩みを進めた。

「今ももし。己にとっての、唯一絶対のあるじを理解できないのなら。早々に騎士を辞めておけ。大事を起こす前にな」


「それより――、さっきのあれ何? 名前は事前に知ってたとしても、由来とか。どうやって調べたの?」

 アニーの両親は、アニーを生んですぐに離婚をし、既に双方ともが他界している。

 カールは、ふんと鼻息を吐いた。

「誰も、お前の情報を事前にマスターへは知らせていない。そういったものは全て、団長であるレイエス様の管轄だからな。まぁ、新入りが一人入るとだけは、お耳には入れたかも知れんが」

「そうなの?」アニーは首を捻った。「――まぁ、アニーなんてありきたりの名前だしね……。別に、大したことないか……」

 どこにでもある名の意味を知っていたとしても、何ら不思議ではないとして。アニーが一人で納得している横で、カールは自慢気に述べていた。

「あれは序の口だ。今に、お前もマスターの凄さを実感するさ」


 アニーは先に歩み出したカールへ追いつき、並び歩いた。

「――マスターって二十歳になるまでは、大々的に公務もできないから、あまり外に出掛けることもないんでしょ? 内にこもりっ放しじゃ、こっちまで不健康になりそう――」

「口の利き方に気を付けろ。このエルファージアでマスターに対して、そんな口振りしてると、身内から刺されるからな? つーか俺も、次は全力でぶん殴る」

 首を竦めたアニーは、出会った時のことを訊ねていた。

「……気を付けマス。って言うか、カールはどうしてあの時、敷地外のカフェに居たの?」

「それこそ、たまたまだ。マスターの警護が専任のルナザヴェルダだって、時には城外へ出て、自分の目と足で周囲の状況を確認することもある。――貴重な休憩時間を使ってな!」

 敢えて強められた語尾は、アニーの耳元で言い放たれていた。

「あぁ……その節は、大変お世話になりました。お蔭で憧れの騎士になれました」

「何だその棒読みは。新入り小僧、もっと感謝の気持ちを込めてやり直せ」


 それにしても――。

「マスターって本当に、城の外へ出たこと、ほとんどないの?」

「仕方ないさ。生まれもっての体の弱くて、幼少の頃は床に伏すことも多かったから。学校に通うこともなく、家庭学習だけで基礎勉学は単位も取って、修了している」

「え? 修了――って、まだ高校生じゃ?」

「いんや。飛び級で大学も卒業されている」

「ふーん? 通りで、まだ十七歳なのに大人っぽい雰囲気、ある訳だ……」

「そうさ。たったの三歳しか違わないのに、マスターのほうがお前より断然、大人であられる」

 頬をぷっくりと膨らませたアニーは、そうした行為こそが子供っぽいと言われる由縁なのだと気づき、顔を赤くした。自覚はあるようだった。

「すいませんね。スラム出の素行が板につき過ぎてまして」

「何語だ、それ――。ほら、ここが」

 案内された先に、トゥエルヴ家当主となった者による、欠かさぬ日参場である黙礼堂が姿を現した。


 高い天井に飛梁、壁を極力少なくした窓の代わりに、色とりどりなステンドグラスから太陽の光を豊富に取り入れ、堂内を明るく照らすゴシック調が特徴的な聖堂建屋は、初代から続く歴史的建築遺産ともなっている。

「マスターの日課と言えば、この黙礼堂で祈りを捧げることがお役目だからな」

 アニーは黙礼堂を見上げながらカールに問う。

「それが朝晩に欠かさずあるから、遠出もままならないって――建前?」

 カールはアニーの後頭部をペチリと叩いた。

「まさか。初代からずっと続く厳粛な行いだ。マスターも、十二歳の折に当主となられてからは、一日たりともここで祈りを捧げなかった日はない」

 それ以外の多くは、お気に入りの古書室で黙々と読書をしているか、静かに眠るか。家族と呼ぶにも幾分距離のある主従たちと、ぽつぽつ会話を楽しむだとか。そして、祈る。

 それがレイリアに課せられた、唯一の道であった。


 アニーが守護騎士になってから、幾分の時が過ぎていた。

「――まだ祈ってる」

 黙礼堂に籠る主の姿を、唯一の出入り口扉の前で見守っているアニーは、カールに囁いていた。

「いつもこんなに長かったっけ?」

 家族の者であろうと、従者であろうとも。祈りに没頭している主人の邪魔は許されず、そもそも当主以外は黙礼堂内への立ち入りが初代より禁止されていることから。傍付きの守護騎士たちも、入り口付近からレイリアの小さな背を眺めることしか出来ない。

「マスターが祈られているのは、大半が永遠の眠りについた者への慰霊に鎮魂、逝く者への別れだ」

 心残りを宿した者の言葉を拾い上げ、残された者へ伝えたかった言葉や想いの媒介役も担う。それが初代から続く、トゥエルヴ家の公務である。


「未練の声が多いと、耳を傾けるだけでも長引くからな?」

「ふーん? 何か、ちょっと気味悪――痛っ!」

 アニーは無言で頭をこ突かれていた。

 静寂にして粛然と。短い時には数分で終わる場合もあれば、大きな事故や災害により、多くの者たちの嘆きや悲しみが大きければ大きいほどに。祈りが何時間にも及ぶこともあると言う。

 その間、飲み食いなどの休憩は一切取らず。微動だにもしない祈りが長きに渡って続くのだ。

「……体力ないのに。今にも倒れちゃいそうで、見てらんない」

「それを俺たちが、そうならないようお支えして、お護りするんだ。ただ、外見的に護りゃ良いってもんじゃない」


 一日元気でいれば三日は休む、と言われるレイリアの細身のいったいどこに、その精神力と集中力があるのかと思えるほどに。ふつと祈りへ没頭し始めたトゥエルヴ公に余念はない。

 そうして一心に祈りを捧げる姿こそは、尊敬の念など通り越して心酔にも値するのに――と思うアニーのもやもやは、日に日に強くなっていっていた。


「黎明の君、かぁ……」

 不思議な人だ、ともアニーは思った。

 変わった人、とは少し違う――。掴みどころのない、ふわふわとした感じで。目を離すとふわりとどこかへ飛んで行ってしまいそうなほど、地に足が付いていない感じがしてならない。

 裏を返せば、危なっかしい御仁であるからこそ。常に誰かが傍についていないと――とする、過保護欲も芽生える人となりに違いない。


 ファージアの民は、祈りより得るものを夜明けと称し、レイリア公を黎明王の愛称でも親しんでいる。

 その根源となるものの一つに。レイリアが発する不思議な文言に魅了されていることにも由来する。

 初対面の者に対して、その名を当ててみせたり。当事者でしか知り得ないものを、さも当然とばかりに言い当てるものだから。夜明けの後光に引き込まれる者も多かった。


 そんなレイリアを主人としたアニーとの間に、亀裂が入るのも時間の問題であった。

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