規制変更

「ただいまあ」

「おかえり。どうだった」

「合格。手続きも全部終わった」

「合格おめでとう。アッキーは落ちるわけないか。いい子だもんな」

「ああ疲れたマジ疲れた。協会の面接三回ってなんだよ、ふざけんな。そのたびにカルネモソミ出して引っ込めてさ。学校は一回で済んだのに、まとめて一回でやれないのかよ」

「そーそ、協会はマンツーマン面接だよな。あれ、お偉いさん同士で喧嘩を始めるからバラバラにやってるんだとさ。おっさんも手を焼いてる」

「それか。厳龍さんが何度も謝ってさ、どうしてだろうって思ってた」

 二月下旬。自宅玄関で鋼監視員に出迎えられる状況にも慣れた頃、彰人は高校の夜間クラス編入手続きを終えた。今は休学中なので、春から通学する。

 北海島には独自の憑依学生向けサポートがある。憑依されたことで昼夜逆転になったり外見や五感、人格まで変わることがあるため、妖怪と共存している島でさえ蔑視差別いじめは起きていた。そのため、医療費補助や学費補助のほかに夜間クラス編入や転校フォローもしている。

 そんな協会側でもはじめは夜間クラス編入を渋った。彰人には島最強レベルの妖怪が憑依しているし、さぎりの憑依妖怪はよりにもよって根源。それこそ封印の間で生活することを薦めていたが、当の根源が封印の間から自由に脱走していたため、今回に限り関係者各位と面接し了承を得た上で編入許可が下りることとなった。面接官は退魔士協会会長や本土の妖怪対策本部局長官、地域管轄の担当、校長教頭学年主任までいた。ちなみに彰人を襲った長官はすでに政界から消されていて、後任のお婆ちゃん長官から謝罪を受ける場面もあった。

 ともあれこれで肩の荷が下りた。また課題を多量に出されたが、休学明けには終わるだろう。

 彰人が自分の部屋に向かうと、廊下つき当たりの客間前に酒瓶が数本転がっていた。客間は鋼の部屋で、あれは酒好きの妖怪が供物を飲み散らかした痕跡だろう。

「ガネさん、瓶」

「ああ、すまん。頭領。出しっぱなし禁止っつってるだろ」

 主の叱責を背に、ぐおんと鬼の手が伸びてきた。アトデヤロウト思ッテタンジャとぶつぶつ言いながら瓶を回収していく。剛毛の生えたいかつくて巨大な手が空き瓶をつまむ姿はどこかかわいい。

 ガネさんと呼ぶことはすぐ慣れた。鋼さんと呼ぶとさぎりも返事をするからだ。そのまま敬語もなくなり、すっかり気楽な同居人になっている。

 部屋に入るとカルネモソミが姿を現した。左目に眼帯を当てていても相変わらずイケメンだ。片目はレンカランクルに渡した分で、レンカランクルが帰ったら返してもらえるらしい。

「あきひと、疲れていないか」

「うーん、ちょっと。今日はホットケーキでいいかな。昨日のホイップクリームを付けて出せばいいだろ。あとアイスもあったからそれも」

「あきひと」

「無理してないから」

 カルネモソミが怖い顔でにらんできた。意識不明になってから過保護になったのは気のせいじゃないだろう。今は協会支給の石組みミサンガを左手首につけているので、もし憑依されても彰人の霊体には響かないと聞いた。だけどカルネモソミは心配なようで、あれを最後に彰人に憑依していない。ま、憑依するほどの問題も起きてないし、カルネモソミが来た時のような妖怪襲撃もない。あれは一体なんだったんだろう。

 手早く着替えて、プリント数枚を手に部屋を出る。

 居間で仕事している監査員にプリントを渡すとエプロンを装着、冷蔵庫にプリンがニ個あることを確認。退院してからはプリンをほぼ毎日作っている。これがないと号泣するし、泣いたら心配して妖怪が寄ってくるのだ。泣きやめば妖怪も解散するが、こちらは迷惑にもほどがある。

「ほい、プリントに判子押したぞ。アッキー、今日はなに作るんだ」

「ホットケーキ。ガネさんの分も作るから。今日は事務所の日でしょ」

「いつもありがとー。お祓いしたあとに食うと沁みるんだ、アキトスイーツ。あのレンちゃんが認めただけある」

「大変だよね。まだ来るの」

「減ったけどね」

 鋼判が所長を務めていたキラキラ心霊相談所は無くなった。今は事務所跡に漂う根源の残存霊気を祓うために元所長が定期的に赴いているが、不定期に訪れる元顧客の対応も含まれている。再開を望む置き手紙だけならましで、中には待ち伏せもいる。この待ち人は決まってここに住んでいた角と彩の所在を聞いてくる。鋼はその都度頭を下げ、あの二人は引責で修行に出ており終わる時期も不明であることを説明するが、元顧客は決まって最後に鋼を責め立てて帰るのだ。

「あの人たち、よく平気であそこに行くよな。俺できるなら行きたくねえもん。ドブネズミも妖怪も逃げるくらいヤバイ場所なのに。人間の執念が一番おっかねえ」

 押しかけてくる元顧客たちはストーカーだ。口の悪い美少年陰陽師と寡黙なモデル顔の青年はイケメンだということで人気者だった。顧客が尽きないのはいいが、退魔仕事のあとに食事が出るのは日常茶飯事、怪しい贈り物や待ち伏せ、中でも顧客の生き霊にはかなり手を焼いていた。事務所閉鎖は渡りに船とふたりは完全に姿をくらませ、そこで退魔業をこなしている。仕事は減ったがかなり快適らしい。潜伏先を知っているのは鋼と厳龍だけで、事務所に使う退魔札作成もその仕事のひとつである。

 盛大にチャイムが鳴った。

「アーキトくんっ。あーそーぼっ」

「あきひとー、いるかーっ」

 台所から「待ってろ」と叫んで返事しながら、手は止めない。代わりに鋼が出迎えに向かった。ほどなくしてにぎやかに入ってきた客人ふたりに、カルネモソミは彰人の後ろでライカナ族最大級の礼をする。いつもの光景だ。

「おじゃましまーす。アキトホットケーキの匂いだ」

「あきひと。我のホットケーキは三段のやつがいい。三段、三段だぞ」

 白面の幼児が腰にはりついて甘えてきた。

「あるある三段あるから離れろって。あぶないだろ。ハギ、皿取って」

「はいはーい。アキト、あたしも三段」

「わかったわかった」

 さぎりは肌の色だけ変わった。神隠しから戻った時にはすでに血色がなく、傷ひとつないゾンビが元気に歩いてる状態だ。元気なゾンビ人間は島でもたまに見る憑依体なので、通りすがりにたまに驚かれる程度らしい。

 影妖怪に変身できることはさぎりと彰人だけの秘密で、戻ってきてから一度も変身していないと言うが、彰人は信用していない。

 焼き上がったホットケーキを皿に乗せ、次のたねをフライパンに流しこむ。あと三枚。

「レンレン。まじょゆう進んだか」

「やみの呪文の黒い岩がどうしてもみっつしか見つからない。あきひと、どこにあるか知ってるか」

「黒い岩か。岩ならペンギンみたいなモンスターがいるだろ、そいつの巣にあったりするぞ」

「ペンギンインコだな。あいつの巣か、わかった」

「親鳥のいない時に合わせろよ。倒したらダメだったはず」

「わかった」

 レンカランクルはお面をつけた姿で実体化した。そのため飲み食いもするしゲームのコントローラーも持てる。カルネモソミは姿を現せても物に触れることはできないから、霊力の差かもしれない。

「そうだ。あきひと。無料券もらったぞ。すごいだろう」

 レンカランクルは食卓の椅子に立ち、自慢気にチラシを見せつけた。フラワーショップオープンと書いてある。さぎりが横から補足する。

「ここに来る途中でお姉さんが配ってたんだ。お花屋さんだって。お花の無料券付いてるからどうぞってくれたの」

「へえ。レンレン、座れ。お行儀悪い子はおあずけだぞ」

 レンカランクルはあわてて腰を下ろした。カルネモソミが「あきひと、カルネモソミにそのような言葉を」と動揺しているが無視だ。彰人は三段ホットケーキとプリンを食卓に並べる。さぎりにも同じもの。カルネモソミが供物を捧げる言葉を言っているが、今日も残念なことに闇の当主は聞いていないらしい。さぎりと一緒に全身でわくわくして待っている。神様なんてそんなものかもな。

「お待たせ。どうぞ」

「いただきまあす」「いただきまあす」

 おやつにがっつくふたりを包むように、ほっとする空気が流れた。これで今日も根源は暴れることなく、北海島は平和が約束された。

「じゃあ俺も行ってくる。さぎり。帰りは兄ちゃんが家まで送るから、俺が戻るまでおとなしく留守番してろよ。アッキーの言うこと聞くんだぞ。アッキー、頼むな」

「うん。ガネさん、いってらっしゃい」

「お兄ちゃんいってらっしゃーい」

 タッパーに詰めたホットケーキを持って出る鋼を見送り、彰人は息をついた。このあとはふたりに夕飯を出して、風呂に入れて、自分も風呂に入って、夜九時頃におやつを出す。その頃に帰宅するだろうから、男ふたりであのふたりを家まで送り届ける。今の日課はわずらわしいけど、夜の散歩は正直いって楽しい。これなら通学も楽しそうだ。

 ふとチラシに目が留まった。よくある開店広告なのに、なにか違和感がある。おかしい点はないのに、なぜ気になるんだろう。カルネモソミに聞こうとしたが、相棒はホットケーキをぼろぼろ落とす闇の当主を心配していた。あとでいいか。


 音別市の閑静な住宅地でまたひとつ、益妖怪の街灯が点いた。その街灯に女性が花屋のチラシを貼る。街灯は驚いたように点滅したが、また光を取り戻した。女性は満足したようにうなずいた。

「いいこね。解放のときは呼んであげるからね。そのときは一緒にいこうね」

 彼女は軽やかな足取りで次の街灯に向かった。



 了


(ここでひと区切りですが、話は続きます)

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