危険度 5

 エレベーターは地下二階に着いた。再深部でも地上と変わらない通路が一方向に伸びており、海照(かいしょう)神父に続いて、太った背広の長官、白髪まじりの白衣、布を被った性別不明、イライラ顔の僧侶、最後に車椅子の病人とそれを押す白装束姿が歩いていく。

 複雑に伸びる通路を曲がり、ふいに彰人のうなじがひやりとした。長官が太い身体を震わせて不平を漏らした。

「前より寒いな。封印を強化したせいだろうが、冷えることは先に言ってくれ、佐藤くん」

 白衣が長官にすり寄った。

「それは気づかず済みません、北海島妖怪対策本部局長官。しかしさすがですね、よくお気づきに。長官のおっしゃるとおり、かなり強いものを使いました。ここは妖怪研究の本拠地、危険な妖怪の宝物庫ですからね。妖怪は島外に出ると塵になりますので拡散することはありませんが、世界中から取り寄せた呪具などもございますし、さらにこの度は根源ですからねえ。最新かつ最強の封印陣を幾重にも重ねてかけておりまして」

「報告書によると、月に一度は新しいものをかけるそうだな」

「あああ、月に一度はさすがに無理といいますか。規模が規模ですので準備にも時間がかかり」

「なんだなんだ。話が違うじゃないか、佐藤くん。報、連、相は常に正確に」

 口ごもる佐藤の代わりに海照が答えた。

「封印の更新は報告会でお伝えしております。その報告会も国の決めた日程ですし、島では連日どこかが封印更新作業が入っていますから、その都度報告することは、ご多忙な長官の負担になりかねませんが」

 次は長官が口ごもった。佐藤が付け足す。

「それに封印だけではありません。今は二十四時間の監視カメラ、優秀なセンサーも設置されておりますから」

「ほおほお。封印の間もそのセンサーがあるんだろうな。まさかプライベートだからと設置していないとか」

「ついていますよ。今日の長官はずいぶんとセキュリティーを気にされておりますね」

 長官はおおきなくしゃみをして鼻をかんだ。海照は眉を曇らせる。

「失礼。気にもなるだろうが。カメラひとつにも経費がかかるだろう、経費が。ここも国民の税金で造られてるんだ。そのセンサーの資金はどうした。報告書にはなかったはずだぞ。佐藤くん」

 指名されたほうは飛び上がる。

「そそそそれにつきましては機械ではなく妖怪を使用しております。益妖怪の中には呪術に敏感な妖怪がおりまして、それを壁に棲まわせております。ここで術を使おうものなら、彼らが黙っておりません、はい。そしてですね、この妖怪はハエのように島のあちこちにいまして、設置資金は一切かかっておりませんっ」

「益妖怪とは、なかなかうまいことやってるじゃないか。壁のどこにいるんだね。あの角か。いや溝かな」

「壁一面でございます。内側ですので見ることはできませんが」

「さすがだ。これは一本取られた。妖怪を使う奴らはどこまでも妖怪も使い、ようかい」

 間を置いて乾いた笑いが広がった。聞かされるままの彰人は顔を歪ませる。封印の間はまだ先だろうか。

「それならば、壁を壊して入るヤツにはどうするんだ。ビルの地下から穴を掘って金庫を盗まれた銀行はあるぞ」

「もちろん無事では済みませんわよ、山城長官。それこそわたしたちの本分。ほんとうの呪術を味わってもらいますわ。んふふ」

 布から聞こえた野太い声に、彰人は布を二度見した。歩き方が女の人そのものだったので、男の人とは思わなかった。

「そ、そうか。呪い殺すというわけか。墓荒らしのようだな」

「いいえ、あれとはまた違った呪術ですのよ。わたしたちの呪いは生かさず殺さず、死んだほうがマシだと思わせる。拷問に近いかもしれませんわね。鏡を覗くと女がいる、それがどんどん近づいてくる、とか恐ろしいでしょう。お偉い方ほど色事はお気をつけくださいませ。ふふふふふふふ」

「わわわかっとる、わかっとる」

 彰人も悪寒が走った。ねっとりした口調が絶妙に合っていて、こわい。

「でも聞きましてよ、山城長官。長官はなかなかの呪術の使い手なんですってね。冊幌(さっぽろ)で大活躍されたと」

「冊幌。あれかな。いやいやたいしたことはしておらんよ。視察した時にちょこっとな、ちょこっと」

 わっと場が色めき立った。

「冊幌の紅大蛇。あいつがテレビ塔に棲みついてから手を焼いていました。それを撃退されたと聞いたときは大変驚きましたよ。すばらしい才能がおありで」

「火を吹く蛇ですから、式神は焼かれてしまうし、こちらも一緒に焼かれては大変。近づくことも難しくて。長官、いったいどんなふうにされたんですの。興味ありますわ」

「霊力もあるとは、さすが北海島妖怪対策本部局長官です」

「いやいやいや。まあ少し大変だったかな。車も呑み込みそうな大蛇にはさすがの私も驚いたがね。持っていた護符のおかげだよ、護符。そういえばあの護符は島にはないそうだね。こればかりはしかたないか。私は運がよかったんだよ。たまたま完成したばかりの特製の護符を、たまたま知り合いの大僧正から直々に貰い受けたんだ」

 彰人が集団にうんざりしていると、背中を三度つつかれた。すぐに痛そうに身を屈める。

「いたたたた」

「どうした、アッキー」

 神父が、人を割って足早に近づいてくる。

「鋼、止まれ。字見くん、つらそうだな。無理しないほうがよさそうだ」

「いったたたた」

「顔色も良くない。痛みが引くまで待とう。皆さん、すみません。私は彼をここですこし休ませてから向かいます。佐藤局長、ここからの案内を頼んでもよろしいでしょうか。落ち着いたらすぐに」

「はいはい、大丈夫ですよ。ゆっくり来てもらっください」

 誰も彰人を気に留める様子も見せず、通路の向こうに消えていった。

 集団の気配がなくなると彰人は顔をあげ、残った三人はにんまり笑う。

「よし。もういいぞ」

「字見くん、ひょっとしてほんとうに痛いんじゃ」

「痛くないけど、ふらふらする感じはあります」

「無理すんなよ。病室にいるより安全だけどさ」


 数時間前。鋼と彰人が出る準備をしていると、海照が病室に飛び込んできた。抱えていたポーチを鋼に押しつける。

「時間がない。率直に言う。字見くんの命が狙われている。これはおまえの一式だ。護衛するのに使え」

 寝耳に水の二人はぽかんとした。

「同時におまえの姪っ子も狙われている。いざとなったら好きに動いていい。だけど設備は破壊するなよ、修繕費は一円単位まで請求するからな。わかったら今すぐ出ろ。一時間くらいウロウロしてから北エレベーター前に来い」

「海(かい)ちゃん、なんっにもわかんないんだけど」

 神父はいらついたようにメモ帳を出し、三人でそれを囲むように指示する。

「おおきな声を出すなよ。字見くんも下を見るように。天井から聞いてる奴がいるかもしれない」

 手早く書かれた文字に彰人は二度見する。

 一連の件、根源と神剣が目的と断定、極秘。

「確証はあんのか」

「ある。そもそも角(かく)の術レベルで五重陣を解けるわけがない。陣を調べてみたら案の定だ、均等にやられてた。均等なんておかしいだろ。それと研修会場に呪術痕。高揚感を高めて集団心理で暴走させる、セミナー勧誘の手口だった」

「まさか本部で、かよ。舐められたもんだ」

「ああ、盲点だった。まさか本部にそんなことを仕掛ける奴がいるとは誰も思っていない。おかげで呪術痕判明まで時間がかかったんだ。見事に裏をかかれたよ。上から下まで関係者全員はめられた」

「くそっ」

 鋼の口を海照が手で覆う。

 根源の文字をつついた。

「怒るのは後だ。いいか、相手の狙いはコレだが、同時に封印側も破壊することにしたようだ。このベッドの式神が壊されているのが見つかった。ベッド移動してもまたやられるだろう」

「マジか。やばいな」

「やばいの」

 彰人の問いに二人は頷く。

「すっげえやばい。あのな。ベッドには護衛の式神がつけられてんだ。入院した退魔士を攻撃する奴なんてものいてさ、呪詛が飛んできたり、髪の毛を狙ったりしてくるんだ。貴重品は金庫にしまえても、あとは自己防衛するしかない。でも怪我して弱っている時に自己防衛なんて無理な話だ。だからベッドに式神がつけてある。式神にはベッドに寝ている患者に危害を加えるものを近づかせないし、呪詛返しもする。警備員みたいなもんだ。だけどいきなり警備員を破壊した。つまりそれだけ力があって、アッキーに仕掛ける気満々ってことだ」

「狙いはカルネモソミだよね。なんで俺に仕掛けるのか話がわからないんだけど」

「それはね、字見くん。憑依者を拉致するだけで済むなら、犯人にとって今までいくらでも機会はあったからだ。そう言ったらわかるかい」

「そうなんだ」

「新人の職員ですと言ってレントゲンに連れていくフリして、そのまま拉致してしまうとかね。昔、そういう事があった。だけど今回はいきなり式神を破壊した。警備員がいない、憑依者は弱っていて抵抗できない。わかるね。あとは憑依者を呪詛でも式神でも飛ばして攻撃し放題だ。やられた憑依者は一見、急変なり突然死にしか見えないから、なかなか足もつかない。神剣は死体から抜けたところを封印なり破壊なりできる、というわけ。今すぐ逃げたほうがいいことは理解できたかな」

 血の気が引く。自分の考えが甘いことだけはよくわかった。

「任せろ。上手にアッキーと二人でかくれんぼしてるさ。やばいと思ったらおっさんの部屋に行くから。でも海ちゃん、犯人はわかるのか。カマかけるくらい協力するぞ」

「判(はん)バカは余計なことしなくていい。それに、もう字見くんのおかげであぶり出せた」

「本当ですか」

 海照はプリン入りの箱をつついた。

「字見くんが鋼さぎりさんに会う状況は、犯人にも絶好の機会のはずだ。あやしい奴は出てくると思ったが、笑えるくらいあっさり出た」

「へ」

「まず、式神を破壊するにはベッドの位置まで知らないと無理だ。知る人間は病院関係者、施設管理者、それとお前のような身内だな。その中で式神を破壊できる人間。おまえらは謹慎中で退魔業ができない状況だからから除外した。残るのは医師、師長、施設管理者。こいつら全員にデリバリー同行するか声をかけてみたんだ。おもしろかったぞ。病院関係者は全員断った。師長からは説教までされたよ。次に施設管理者。こっちもほぼ全員から断られた」

「当たり前だろ。上から下まで後始末で忙しいんだから」

「そう。特に上に立つほど忙しい。封印初期設定の見直しから妖怪対策の研究を一からやり直しにかかっている。みんな寝る暇もないはずだ。ところが、この中に行くと言った奴が出てきた。四人もいたぞ。四人ともそんな機会は滅多にないって喜んでてさ。おかしいだろ。頭のネジの壊れてるか、なにか目的があるとしか思えん」

「四人か。どこのどいつだ」

「後でエレベーター前で会えるから楽しみにしとけ。それで、字見くんにちょっと芝居をしてほしいんだ。カマをかけてみる。大丈夫、危険があったらこいつが身を挺して護るよ」

「おいっ」

 彰人は笑ってうなずいた。


 今、退魔士ふたりがそれぞれ武装する。武装といっても式神や護符、装具をいくつか確認した程度だ。彰人もカルネモソミにふれ、声は出なくても不敵な笑みを浮かべている顔を確認する。これで何かあっても大丈夫だろう。プリンを後ろに回して、落ちないようにすることも忘れない。

「みんないいな。よし。向かうぞ」

 突然、壁がビャアビャアと鳴いた。鳥とも猿ともいえない獣の声が廊下中に響きわたり、つい耳をふさぐ。隣で目覚まし時計が鳴っているくらいうるさい。海照がすぐに彰人の前、鋼が後ろに立った。彰人は左腕に手をかける。

「海ちゃん、自爆すんなよ」

「判バカがやらかしたんだろ」

「違うっつの。じゃあ誰だ」

「おおい、おおい。誰か」

 廊下の先で長官がよろよろと姿を見せた。血しぶきを浴び、抑えている手元からも血が滴り落ちている。

「長官っ」

「くそっ」

 駆け寄るふたりを前に、長官が膝をついた。

 彰人も追いかけようとしたが、なぜか体がこわばった。背中が総毛立ち、行ってはいけないと本能が警告しているみたいに。

「た、たすけてくれ、あいつが、いきなり」

 二人の間にうずくまる長官、その口元が歪んだ。

 来るぞ。

 カルネモソミのつぶやきに彰人は剣を抜いた。白銀の刃がひかる。

「どけっ」

 長官は鋼を横に突き飛ばし、握られている血に濡れたナイフを海照に振った。刃は海照の腕をかすめる。そして姿勢を崩したふたりの間から、長官が驚くべき早さで躍り出た。

「ああああれはわたしのものだあああ!!」

 ビャアビャア

 ビャアビャア

 廊下に響く鳴き声を浴びながら、互いの刃先が狙いを定めた。


「みっけた」


 こどもの声に、すべてが静止した。

 カルネモソミを構える彰人も、ナイフを突き出した長官も、止めるために追うふたりも、鳴きわめいていた妖怪たちも、声を聞いたものすべてが動きを止めた。

 刃先の間に、それが立っていた。

 独特な文様が刺繍された襟元から伸びる細い首、袖口から覗くちいさな手、裾から見えるのは豆のような足指。しろいお面をつけたカリヌ族の子が、あどけない仕草で彰人を見た。白色に点がふたつという単純なお面は、愛らしさよりも異様さが際立ってみえた。なんだこいつ。こわい。こどもの死神みたいだ。

 カルネモソミがつぶやいた。

 レンカランクル。

「きて。おなかすいちゃった」

 死神は彰人の手首をつかんだ。つかまれたほうは抗う間もなかった。


 ビャアビャア

 ビャアビャア

 こどもが姿を消すと、通路にふたたび警報音が戻ってきた。長官はどっと崩れ、海照がナイフを弾いて拘束する。鋼は「行ってくる」と言い残して先を行った。

「あああ、あ、あれは。あれは、なんだ。なんなんだ」

「根源だよ」

 海照の視線の先には、誰も座っていない車いす。プリンもない。

「き、き、消えた、消えたっ」

「こっちも神かくしを生で見たのは初めてだよ」

「か、かかっ神っかくしっ」

「命拾いしたな。あの子をちょっとでも刺していたら、根源の怒りにふれて両腕くらいねじり切られてたかもな」

 恐怖に叫ぶ長官を後目に、海照は非常電話に手を伸ばした。封印の間の監視室にかけると、鋼さぎりが神かくしに遭ったと声を荒げていた。

 海照は天井を仰いだ。神ってのはいつも気まぐれで嫌いだ。大嫌いだ。

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