危険度 2

 赤い夢を見た。

 真っ赤な夕暮れの下、ライカナの民の青年が立っていた。胸元から両腕、両足も血にまみれ、顔に散った血もそのままに遠くを見ている。手から剣が落ちた。彼が斬ったのだろう、足下にあるいくつもの死体が沼池を赤く染めていた。

‘おまえはなにをしたのかわかっているのか’

 男でも女でもない声が空に響く。

‘おまえは長とその息子たちに手をかけたな。郷(さと)を護衛するおまえが長を殺すなど許されない大罪。これからおまえは郷からも仲間からも追われるだろう。獣のように山奥で孤独のまま死に、死体は虫に食われるだろう’

「どうでも、いい」

 かすれた声はふるえていた。

「あんな長はいらない」

‘長に感謝と敬意はないのか’

「あった。だから長のいかなる命令にも従ってきた。家を造り、熊を狩った。そしてこの長と息子はわたしに、郷の娘の家族全員を殺して家に火をかけろと言った。息子の嫁に来ない娘は殺せと。だからわたしは殺すべきを殺した。大罪というなら大罪にしたらいい」

 応えるように風が巻き起こった。

‘見つけた。見つけた。おまえの強き魂は我にふさわしい’

 風が青年をつつみ、銀色を放ちはじめる。

‘謀反者カルネよ。誰であろうと罪を許さない強き魂を持つ者よ。我が剣となり、理を正す刃となれ。我はトンラウンクル。ライカナの地を統べる者’

 風がおさまると、青年の姿はなく、代わりに白銀に輝く剣が赤い沼に突き立たっていた。その剣を見て、彰人は知ったばかりの名を呼ぼうとした。


 夢はインターホンの音であっけなく終わった。二回三回と鳴らすあたり、どうしても用があるらしい。しかし今の彰人は布団の中で、返答はおろか目も開かない。眠くてしかたないのだ。

 早朝戦闘のあと、学校に病欠をつたえるなり布団に潜り込んだ。慣れないバトルに疲れたというより、眠い。それだけだ。カルネモソミも姿を消したままで話もしない。左腕の痣のなかで眠っているんだろう。

 インターホンが止まった。彰人は静かになった空間でふたたび眠りに落ちていった。自分の部屋にひとつの影が入ってきたときもよく眠っていた。影は机の上に紙を置くと、ベッドをのぞき込んだ。

「アキト」

「うおあっ!?」

 ゴツッ。

 飛び起きたと同時に、頭に衝撃が走る。

「いってえええ。おい、ハギ! なんでいるんだよ!」

「はだ、はだうっだあ」

 ベッドの脇で、幼なじみが鼻をおさえて悶絶していた。制服のスカートも気にせず床に転がる。

 鋼(はがね)さぎり。あだ名はハギ。くせの強い前髪とちいさな目が特徴で、適当が歩いてるような性格だ。保育園の頃から小学生まで遊び仲間だったが、中学に入ると疎遠になった。ところが高校でおなじクラスになり、課題を見せ合っているうちに彰人の家に来るようになったのだった。

 幼なじみの女子が部屋に忍び込んできて起こしてくれる。これをうらやましいと言う先輩がいたが、夢も希望も色気もないことを教えたい。現にこいつは椅子にまたがってでかいくしゃみをしているし、担任からは「近所の人が心配して学校に電話してきたが、おまえたちは間違ってもそんな展開にならないと言っておいたぞ」とまで言われたほどだ。

「ハギ。いくらお前でも不法侵入だぞ。犯罪」

「不用心はアキトでしょ。玄関、開いてたよ。インターホン鳴らしても出ないし、死んでるかと思った」

「生きてるっつの」

 ハギ、アキトは保育園時代からの呼び名だ。

「課題、机の上ね。古典は一枚、英語は二枚。明日まで。なんかあったの」

「あったもなにも朝から妖怪とバトルしてぐったりし」

 熱い視線を感じて口を閉じた。目が、全部話すまで帰らないと語っている。しかたない。

「先に下で待ってろ。着替えるから」

「おやつも食べたいでっす」

「わかったわかった。いつものやつ、あるから。でも冷蔵庫を勝手に開けたらやらんからな」

 幼なじみは満面の笑みで部屋を出ていった。


 うす黄色のつるんとした台形が大皿に並ぶ。六個の手作りプリンを、さぎりは全身で喜びながらほおばった。

「ううおおおおいしいい」

「あと三つあるけど持ってかえるか」

「ここで全部食べる」

 暇つぶしに牛乳寒天をつくったのが始まりだった。たまたま来ていたさぎりに味見を頼むと、見たこともない笑顔でべた褒めされ、以来おやつ作りにハマっている。後片づけは面倒だけど、毎回絶賛されると止める気になれない。

「はあああおいしいいい。アキトの作るスイーツはどれも最っ高なんだよね」

 ほほがゆるむのをごまかしてコーヒーを飲んだ。熱さがしみわたる。左袖口から痣が見えた。朝、起きたときはなかったのに、今はそこに剣があるなんてふしぎだ。

「さて、アキトくん。聞かせてもらおうか」

 気づくとさぎりがこちらをじっと見ていた。

「さっきって、なななんだよ」

「妖怪とバトルしたそうだね」

「ああ。あれ。ちょっと、ちょっとだけだよ。部屋で朝から妖怪が出てさ。ほら、足跡つけたあいつ。なんか、まだいたっぽくて」

 左腕をさする。静かにしててくれよ、カルネモソミ。

「玄関の鍵が開いてたけど、玄関の盛り塩のお皿がね、割れてたんだよね。なにかに踏まれたみたいに」

 気づかなかった。襲ってきた妖怪が踏み割ったのかもしれない。

「あああれ。今朝、うっかり踏んじゃったんだ。そろそろ替えようと思ってたし」

「腕」

 あわてて左腕を隠して首を振る。

「腕になにもないからっ」

 さぎりは「もう」とふくれた。

「あのね。あたし、朝起きた時から、今日はアキトをお兄ちゃんのところに絶対に連れていかなきゃって思ったの。気のせいかって思ってたけどアキトは学校に来ないし、家に来てみたら玄関はああでしょ。嫌な予感がしてんだよね」

 彰人は息を呑んだ。

 昔からさぎりの第六感は鋭い。抜き打ちテストや数時間後の来客も当てるし、スクールバスに乗るなと言われた日には、乗るはずだったバスが接触事故に巻き込まれてケガ人が出ている。ちなみに、さぎりのいうお兄ちゃんとは成人している従兄弟で、街で妖怪処理なんでも屋をやっている。

 彰人は観念した。

「お前の勘すげえわ」

「やっぱり」

「今朝だよ、今朝。こいつがうちに来てさ。見てみ」

 袖をすべらせてカルネモソミを見せた。肘から手首まで黒い痣がくっきり付いている。

 さぎりは腕と彰人を交互に見た。

「どれを見ろって」

「痣だよ、あるだろ。黒くてでかいのがここ、にっ」

 さぎりは左腕を捉え、舐めるように見つめた。彰人は視線に総毛立ったが、離してもらえそうにない。そういえばさぎりは自他共に認める妖怪フェチで、妖怪が出たと聞くだけで目つきが変わる奴だった。一番バレてはいけない相手かもしれない。

「はあああいいなあ痣見たいなあいいなあ。アキト、どんな感じ? 違和感とかある? さわっていい? さわったら引っ込んじゃうかな。見てみたいなああ」

「ぜんぜん見えないのか」

「見えない。妖怪が憑いたときにできた痣って憑依痣っていうんだけどね、憑依された人にしか見えないんだって。だからアキトの痣も、あたしには全然見えないけど、妖怪が憑いてる人には見えるはずだよ」

「へえ」

「あたしが来たとき、アキト熟睡してたでしょ。憑かれたせいかもよ。生気吸われると眠くなったりだるくなるから、予定の寿命より早死にするって話だし」

「俺すぐ死ぬの?!」

 妖怪フェチはのんきに手をひらひらとさせた。

「早死にっていっても憑いた妖怪のレベルによるから。ほら、動物でも猫に咬まれるのとクマに咬まれるのとじゃ体にかかるダメージが違うでしょ」

「ああそっか」

「痣のおおきさは妖怪のレベルに比例しててね。猫くらいなら親指の爪くらいの大きさ。鬼とか最大最強レベルだと全身真っ黒になるらしいよ。そのときは人間のほうが保たないから即死するんだって。本に書いてあった」

 なるほど。

「ねねね、アキトのはどのくらいの大きさなの。やっぱりちっちゃい奴」

「いや。ここから、こんなふうに」

 憑依痣の縁をなぞって見せると、さぎりが机に突っ伏した。肩がふるえている。予想以上に大きかったせいだろう。幼なじみとして余計な心配をかけてしまった。

「ハギ、ごめん。……俺、そんなにやばい状態だなんて思ってな」

「大物じゃん! なんでアキトなの! あたしに来てよ! こんなに大歓迎してるのに、ちくしょう! アキトのバカ!」

 思わず頭に拳を入れた。

 こんな騒動のなかでもカルネモソミは静かだ。むしろ妖怪フェチの前には出ないほうがいいだろう。

「全然うらやましくないからな。こいつが来たせいで妖怪に襲撃されたんだから」

「……バトルってそれのこと」

 あ。

 長い話を聞き終えると、さぎりは手をぱんと打った。

「それじゃ、お兄ちゃんの所に行こ」

「いいよ。鋼さんも忙しいだろ」

「大丈夫だよ」

「いいって。それに鋼さんは無免許だろ。相談するのはちょっと嫌だ」

「免許はないけど凄腕だって。アキトも知ってるじゃん」

 さぎりの従兄弟、名は鋼判(はん)。十歳年上で、昔からさぎりと一緒に構ってもらった、彰人にとっても兄のような存在だ。キラキラ心霊相談所という妖怪処理屋の社長で、二人の社員と妖怪被害の後片付け業をしている。封印やお祓いの相談には乗っても、それらはしない。なぜか誰も退魔士免許を持っていないからだ。

「そうだけど。それとあそこはいつも酒瓶がゴロゴロあるだろ。あれも嫌なんだよな」

「お酒はお兄ちゃんが使役してる妖怪に必要なんだって教えてもらったでしょ」

「そんなこと忘れた。いい加減にしろよ、ハギ」

「アキトこそなに怒ってんの。なんかおかしいよ」

「俺は怒ってないしおかしくないっ」

 いや、確かにおかしい。さぎりの言うとおりだ。妖怪に二階を荒らされたときも最初に鋼さんに相談して、安くて確実に祓える市役所の窓口を教えてもらって感謝した。自分はいつもそれほど信用しているのに、今は、変な理由をこじつけてでもあの事務所に行きたくない。

 とうとうさぎりが折れた。

「わかった。相談はしない。でもアキトにあったことは話すから。でないと、あたしもお兄ちゃんも後悔する」

「後悔ってなんだよ」

「アキトに憑いてる子が本当に神剣なら、北海島でも相当レアで大物なんだってことはわかるでしょ。そしてアキトは歩く封印。封印って怖いんだよ」

「それは知ってる」

 封、と書かれた紙や石が、寺や神社の他にも点在している北海島。園児の頃から妖怪対策が教えられ「封印を見つけたら寄るなさわるなすぐ逃げろ」という標語が街に貼られている。警察が変な着ぐるみを使って、封印をいたずらして怪我をする子供の小芝居をするイベントは、島のちょっとした名物だ。

「もしもアキトになにかあって、憑依が解けたらどうなると思う」

「どうなるんだ」

「その子、音別を朝日川みたいにしちゃうかもしれないよ。それをアキトは止められるの」

 言われて血の気が引いた。

 妖怪が出現した氷雪山。そのふもとに位置する朝日川市は、今や妖怪が徘徊する廃墟になっている。年に数回調査隊が入って街の姿を放映しているが、映像はいつも映画の世界のようだった。

 昼間でも夕方のようにうす暗く、しおれた草花が生えている荒れた公園に妖怪たちが住みつき、時に食らいあい、家屋を壊し埃を巻き上げる。崩れかかった校舎ではアメーバが廊下の奥に消えていく。調査隊は、二度と人は住めないだろうと言っている。

「封印が解けた大物、止められないでしょ。それに、アキトに大物が憑いてるのを知ってたのに何もできなかったって、あたしは絶対に後悔すると思う」

「ハギ」

「あとね。誰かが所有している未登録の妖怪を見つけたら、退魔士協会に報告するのもお兄ちゃんたちの仕事なの。言っておくけど、免許がないのは協会ができない裏の仕事してるせいだからね。協会の依頼でいろんなことやってんの。じゃ、お兄ちゃんのところに行こう」

 彰人はうなずこうとしたが、なぜかうなずけなかった。

「ごめん。行けない。嫌なんだよ。頭ではわかってる。でも行きたくない」

 さぎりは肩を落とした。

「ごめん、ハギ」

「いいよ。あたしだけ行ってくるから」

「え。今から。夕方だぞ、危ないだろ」

 彰人は腰を浮かせた。キラキラ心霊相談所はキャバクラとか入ってる雑居ビルの三階奥にある。薄暗くて汚い廊下には、妖怪よりこわそうな人が店入口に立っていることもあった。さらに今は太陽も沈みかかっていて、妖怪と変質者の出る時間になりつつある。そこへ遊びにいくようにさぎりは言った。

「うん。だからはやく行かないとね。じゃあまた明日ね、アキト」

「ちょっと待てよ、ハギ。電話でもいいだろ」

 玄関に向かう背中は止まらない。

「あたしの直感、聞いてたでしょ。今日中にあそこにあたしも行きたいんだ。じゃあバイバイ」

「おい。ハギ! 待てって」

「なによ。急いでるんだけど」

 ああもう。

「わかったよ! 俺も行く!」

 幼なじみは勝利の笑みを浮かべた。


 その頃。

 音別商店街の一角にある雑居ビルの三階廊下に、男の怒鳴りつける声が響きわたった。

「なに考えてんだ、おまえは!! 街を闇に沈める気か!?」

 少年の涙声がすがりつく。

「違う、そんなつもりないっ」

「どんなつもりだったんだ、説明してみろ」

「あいつらが悪いんだ。あいつらが最初にやったんだ。それなのにみんな逃げて、僕だけ残って、それで」

「だから盗ってきたのか。ーーバカか!! おまえがやったことは泥棒だ! いいか、責任取って返してこい」

「無理だよっ。わかってるくせに」

「肝心なことがわかってないだろうが! いいか。ドアの向こうは女の店で、そろそろ皆様の出勤時間だ。どういうことかわかるだろう! 女は妖怪にとって格好の生け贄だ、下手したらこいつが封印ぶち割って出てくるかもしれないんだぞ! あとはどうなるかわかるだろ、阿鼻叫喚だ!」

「あ、あああ、どうしよう。だって僕、そんな」

「まったくお前さんはいつも」

「ねえ」

 紳士的な声が割って入る。

「今日あたり、あの子が来るんじゃないかな。こういう勘は働く子だから」

「あ! そそ、そうだな。ちょっと電話しとく」

 間。

「ダメだ。呼び出し音もない」

「へえ。封印されてても周囲の電気系統に影響するんだ。さすがは根源だね」

「くそ、今はあいつの強運に任せる。そういう勘だけは野生並だからな、こないだろ」

「だといいね」

「ねえ、ねえ、どうしよう。僕、僕どうしたらいい、ねえ」

「泣くな! わかった、もういい。怒られるときは三人一緒で行くぞ。その前に、今度こそ野郎まとめて心中しそうだけど」

「それだけは、断る」

「よし、笑ったな。仕事するぞ。やれやれ。またうちの名前にいらん肩書きが増えそうだ」

「いいんじゃない。ここらしくて」

「それもそうか。っし、まとめるぞ。根源はおっさんたちが死ぬ気で封印した奴だ、そう簡単に封印は破れないだろう。だけども。あれから何年も経ってるし、見てのとおり封印は弱ってる。中身は例に漏れず腹ぺこと予想」

「封印が弱かったのは僕のせいじゃない、あいつらの誰かがきっと」

「原因追求はあと、あと。終わったあとで全部話せ。いいな。よし。手順確認するぞ。今から俺たち全員で封印を強化。全力。それとおっさんに電話、は無理か」

「式神ならいけるから、僕がやる」

「任せた。あとは封印を張りながらおっさんたちを待つ。どうだ」

「いいよ」

「それでいいんじゃないかな」

 どん。

 建物が揺れた。緊張が走る。

 どん。

 さらに強く揺れた。

「やるぞ!!」


 最悪な接触まであと一時間。

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